上司の引き立て役として異世界召喚された地味女子の私、無能と決めつけられ城を追放されたけれど、辺境の騎士団長に「君の力が欲しい」と言われて第二

さら

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 翌朝は、窓から差し込む光で自然に目が覚めた。今日が休みだとマリエルが昨夜教えてくれたのを思い出す。砦では週に一度、勤務を交代して全員が少しずつ休める日があるらしい。王都で働いていた頃は、休日でも呼び出しばかりだったから、こうして安心して眠れる朝は新鮮だった。

 伸びをして起き上がると、胸の奥がほんのり温かい。ここ数日の出来事を思い出す。村の補給計算、初めての信頼、騎士たちの笑顔。どれも昨日までの自分では想像できなかったことだ。窓を開けると、朝の空気がひんやりと頬を撫で、森の匂いが流れ込んでくる。

 簡単に身支度をして食堂へ向かうと、まだ早いのに数人の騎士がコーヒーを飲んでいた。彼らが気づいて手を振ってくれる。

「おはよう、すみれ!」

「休みだってのに早いな!」

「おはようございます」

 自然に笑顔が出た。こうして名前で呼ばれることが、こんなに嬉しいなんて。王城では“おい”か“君”ばかりだったのに。

 パンとスープの簡単な朝食をとっていると、背後からマリエルが現れた。鎧ではなくラフなチュニック姿で、いつもより柔らかな雰囲気だ。

「おはよう、すみれちゃん! 今日は予定ある?」

「特には……。まだここのこと、よく知らないので」

「じゃあ、砦の外を散歩しようよ! 市みたいな小さな集落が近くにあってね、面白いもの売ってるんだ」

「えっ、楽しそう」

「団長も来る?」

 冗談めかした声と同時に、背後から低い声が重なった。

「俺は別件だ。だが……買い物か」

 振り返ると、ライアンが立っていた。今日も鎧はつけていない。長袖のシャツにベルト、長い脚に乗馬用のブーツ。鎧姿よりずっと人間味があって、思わず目を奪われた。

「おはようございます、団長」

「ああ。……市はいい。必要な物があれば買っておけ」

「はい!」

 短い会話なのに、なんだか胸が高鳴る。昨日までの距離がほんの少し縮まった気がした。

 マリエルと一緒に砦を出ると、空は青く晴れていた。森を抜ける小道を歩きながら、マリエルがあれこれ話しかけてくる。

「この道の先、毎週市が立つんだ。食べ物も布も道具もそろうし、噂話もいっぱいだよ」

「楽しみです」

「うん。あとね、砦の皆からすみれちゃんがどんな人かよく聞かれるんだよ。“団長が連れてきた子ってどんな子だ”って」

「えっ、そんな……」

「もう有名人だってば。あの無口な団長が褒めたってだけで大ニュースなんだから」

 頬がかっと熱くなる。そんな大げさな……と思いながらも、心の奥がじんわりうれしい。

 やがて森を抜けると、小さな広場が広がっていた。木の屋台が並び、色とりどりの布や野菜、革細工が並んでいる。香ばしいパンの匂い、焼き菓子の甘い香り、人々のにぎやかな声。まるで別世界みたいだ。

「わぁ……!」

「でしょ? 王都の市ほど大きくないけど、こっちの方が温かいよ」

 マリエルに手を引かれ、私はいくつかの店をのぞいた。シンプルだけど丈夫そうなノートや、かわいいブローチ、ハーブティーの瓶。どれも目新しくて楽しい。

「ねぇ、何か気になるものある?」

「えっと……このインク、きれいですね。砦の書類に使えそう」

「買っちゃいなよ。仕事がもっと楽しくなるよ」

 そうして小さなインク瓶を手に取ったとき、背後からふと声がした。

「それはいい色だ」

 びくりと振り返ると、ライアンが立っていた。いつのまにか、私たちの後ろにいたらしい。

「団長! 仕事じゃなかったの?」

「ついでがあってな」

 低い声はいつもどおり淡々としているのに、どこか柔らかさが混じっている。ライアンがインク瓶を指差した。

「それは耐水性だ。補給計画にも使える」

「へぇ……詳しいんですね」

「遠征では書類も濡れるからな」

 簡単な説明なのに、胸がほんのりあたたかくなる。ちゃんと私の仕事を気にかけてくれているのが分かるからだ。

「すみれ、持っておけ」

「え、でも……」

 差し出された銀貨を見て驚く。

「いえ、自分で払います!」

「初任務の礼だ。受け取れ」

 まっすぐな声に、心臓が跳ねた。遠慮しようとしたけれど、灰青の瞳に射抜かれると断れない。

「……ありがとうございます。大切に使います」

 受け取ると、ライアンがわずかにうなずいた。その仕草が、信じられないくらい嬉しい。気づけば自然に微笑んでいた。

 マリエルが後ろでニヤニヤしている。

「団長、やさしいじゃん」

「うるさい」

 ぶっきらぼうな返しに笑いがこみ上げる。市の喧噪の中、こんなやり取りをしている自分が少し不思議だった。でも、とても幸せだと思った。

 初めての休日は、ただの休息じゃなくて、“ここで生きている実感”をくれる一日になりそうだった。

 市場の奥へ進むにつれて、通りはさらに賑やかになった。果物の山が鮮やかに並び、香ばしいパンとスパイスの香りが混ざり合って鼻をくすぐる。露店の主人たちが威勢の良い声で客を呼び込み、子どもたちが笑いながら駆け抜けていく。私は目を奪われて、きょろきょろと辺りを見回した。

「すみれちゃん、目がキラキラしてる」

 マリエルが笑いながら私の肩を軽く叩いた。

「だって、楽しくて……。王都の市より、ずっと温かい雰囲気ですね」

「こっちは顔が見える取引だからね。お金だけじゃなくて“ありがとう”が飛び交う場所」

 マリエルの言葉に、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。昨日、村人に言われた「ありがとう」が蘇った。ここは数字と同じくらい、人の声が大切な場所だ。

 ライアンは少し離れたところから私たちを見ていた。腕を組んで、周囲を警戒する目は相変わらず鋭いけれど、視線がふと私に戻ると、柔らかい影が一瞬だけ混じる。その瞬間を見てしまうと、胸がきゅっとなった。

 革細工の屋台を見ていると、ひときわ繊細なデザインの小物が目に入った。小さな栞に、葉っぱをかたどった金具がついている。

「きれい……」

 思わずつぶやくと、店主の年配の女性がにっこり笑った。

「お嬢さん、これ、森の奥の銀樹の葉を模したものなんだよ。持っていると道に迷わないって言われてる」

「道に迷わない……」

 不意に胸の奥がちくりとした。私の人生は、ずっと迷ってばかりだった気がする。王都で必要とされず、ただの“おまけ”で召喚され、追放されて。やっとたどり着いたこの場所で、初めて“道”を見つけた気がするからだ。

「似合うと思う」

 低い声がすぐ後ろからして、振り返るとライアンが立っていた。灰青の瞳が真っすぐに栞を見つめている。

「だ、団長?」

「持っておけ。お前はもう道を見つけたはずだが、念のためだ」

「えっ……」

 胸が一気に熱くなった。たったひとことなのに、まるで過去の私の迷いをすべて知っているかのように響いてくる。声が震えそうになるのをこらえながら、笑顔を作った。

「……はい。ありがとうございます」

 店主がにっこり笑いながら栞を小袋に包んでくれた。ライアンは黙って代金を払う。その後ろ姿があまりにも自然で、胸がさらにじんわりした。

「団長、やさしいねぇ」とマリエルが後ろでニヤニヤしている。

「うるさい」

「またそれ。ほんと不器用だなぁ」

 からかうマリエルを無視するように、ライアンは歩き出す。私は慌ててその背中を追いながら、小袋を胸に抱きしめた。冷たいはずの銀の栞が、なぜかとても温かい。

 昼時になると、市場の中央広場で屋台が並びはじめた。香ばしい肉の串焼きやスープの大鍋。マリエルが早速目を輝かせていた。

「すみれちゃん、お昼食べよ! 団長、どうせついてくるでしょ?」

「警護のためだ」

「はいはい」

 笑いながら、私たちは広場の木のテーブルに腰かけた。マリエルが適当に買ってきた串焼きとスープを前に並べる。

「わ、いい匂い……!」

「ほら、遠慮しないで。団長も」

 マリエルが串を一本ライアンの皿に押しつける。彼は少し眉をひそめたが、結局受け取った。無言で食べ始める姿が妙におかしくて、私も笑ってしまう。

「美味しいです!」

「よかったな」

 ライアンの声は相変わらず淡々としているけれど、どこか満足げに聞こえる。昨日から少しずつ距離が縮まっているのを感じる。

 マリエルがスープを飲みながら、ふと私を見た。

「すみれちゃん、最近顔が変わってきたよ」

「え?」

「初めて会った時は、すごく怖がってたっていうか、どこか自信なさそうだった。でも今は……ほら、目がちゃんと前を見てる」

 不意に心臓がぎゅっとなる。そんなこと、自分では気づかなかった。

「ほんとに?」

「ほんと。団長もそう思うでしょ?」

 唐突に話を振られ、ライアンがこちらを見た。灰青の瞳がまっすぐ射抜くようで、でも優しい。

「……ああ。自分の力を信じはじめた顔だ」

「っ……!」

 胸が一気に熱くなり、言葉が出てこない。何か返したいのに、ただ頷くだけで精一杯だった。

「ほらー、やっぱり団長、やさしいじゃん」

「黙れ」

 またもぶっきらぼうに返すライアンに、私とマリエルは同時に笑ってしまった。広場のざわめきの中、私たちだけの小さな空気があった。

 昼食のあと、市場をさらに見て回った。私は書庫用の紙や新しいインクを少し買い足し、マリエルは防寒用の手袋を買った。ライアンは必要な補修道具を選びつつ、時折私の方をちらりと見る。そのたびになんだかくすぐったい気持ちになる。

 帰り道、森の木漏れ日が金色に揺れていた。マリエルが先を歩きながら大きく伸びをする。

「いやー、楽しかった! すみれちゃん、良い休日になったでしょ?」

「はい。すごく」

「だろー。団長のおかげでもあるね」

「……あのな」

 ライアンが低く返すが、口調は昨日よりずっと柔らかい。私は笑って、胸の前の小袋をぎゅっと握りしめた。

 迷わないための葉の栞。あの人が選んでくれた、道しるべ。

 王都から追い出された私が、こんなふうに未来を信じられる日が来るなんて――。

 胸があたたかく満ちていくのを感じながら、私は初めて、ここでの明日を心から楽しみに思えた。

 砦の門が見えてくるころには、空がオレンジと薄紫のグラデーションに染まっていた。森の木々の間から差し込む夕日がまぶしくて、私は思わず目を細める。肩には小さな荷物袋。中にはインクと紙、それからライアンが選んでくれた栞が入っている。袋の重さはほとんどないのに、心の中は不思議なほど満ちていた。

「楽しかったねぇ~!」

 先を歩くマリエルが振り返り、笑顔で手を振る。

「はい。まさか市があんなににぎやかだなんて。あと……いろいろ、うれしかったです」

「団長のおかげ?」

「え、えっと……」

 思わず言葉を詰まらせると、マリエルがにやにや笑う。

「図星~!」

「も、もう……!」

 背後で低く咳払いがした。慌てて振り返ると、ライアンがほんの少しだけ眉を寄せてこちらを見ている。

「からかうな、マリエル」

「へいへい。……でもね団長、すみれちゃん、今日すっごく顔が明るかったよ。最初に会ったときとは別人みたい」

 ライアンの視線がふっとこちらに向いた。夕日の中で、その灰青の瞳が穏やかに揺れる。

「……そうだな」

 それだけで胸が温かくなる。短いけれど、確かな肯定。まっすぐで、優しい音。

「ここに馴染んでくれているなら、それでいい」

「はい。ほんとうに……ありがとうございます」

 素直にそう言った。王都では絶対に出てこなかった言葉が、自然と唇からこぼれる。

 砦の中に戻ると、まだ騎士たちの何人かが訓練をしていた。彼らがこちらに気づき、声をかけてくれる。

「おかえり!」

「どうだった?」

「市場、楽しかったです!」

「団長、付き添いお疲れっす!」

「……警護のためだ」

 いつものぶっきらぼうな返事に、みんながどっと笑う。その笑いに自分も混ざれているのが、うれしかった。

 部屋に戻る前、マリエルがぽんと私の背を叩いた。

「ねぇ、すみれちゃん。団長ってね、めったに人を気にかけないんだよ。気をつけて」

「え?」

「いい意味でね。気づいたら団長の特別になってるかもよ~」

「そ、そんな……!」

 顔が熱くなるのを必死で抑える。マリエルはくすくす笑って「じゃあまた明日!」と手を振り、去っていった。

 一人になって部屋の扉を閉めると、途端に静けさが訪れる。夕焼けが窓の外を染め、机の上に柔らかな影を落とした。袋からそっと栞を取り出す。銀色の葉が光を受けてきらりと輝いた。

 ——持っておけ。道を見失わないようにな。

 ライアンの低い声が耳の奥で蘇る。あの灰青の瞳の優しさまで一緒に。

「……迷わない、か」

 小さくつぶやくと、胸の奥がじんと温かくなる。もう、あの王都の冷たい廊下で立ちすくんでいた私じゃない。ここで数字を使って人の力になれる。居場所がある。未来がある。

 窓の外では星がひとつ、またひとつと瞬き始めていた。森の闇の中に砦の灯りがいくつも浮かび、まるで夜の守り火のように輝いている。

 私は栞を大切に机の上へ置き、深呼吸した。胸の奥が静かにあたたかい。

 きっと明日も、やるべきことがある。必要としてくれる人がいる。

 そう思うだけで、夜がやわらかくなる。

 ベッドに潜り込み、窓の外の星を見ながら、もう一度だけ小さくつぶやいた。

「ここに来て、よかった」

 その言葉が、静かな夜にそっと溶けていった。
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