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手紙
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都の部屋を訪れてしまってから数日が経った。失った記憶を思い出そうにも特に進展はなく、無為に時が流れている。
「ふあ……まだ眠い……」
毎夜毎夜遅くなったとしても都はアヤの部屋を訪れている。
だが、あの二回目以降、最後まではすることはなかった。
夫婦になるにはまだ必要なことがあるのだと言って身体には触れるのに交わろうとしないのだ。
――都さんは今日もお仕事かしら。
策を練ろうとしても頭がぼんやりとして考えがまとまらない。ふわりとした現実味のない夜の出来事が思い出されて仕方がないのだ。
――朝目覚めた時にも側にいてくれたらいいのに。
こんなことを思い始めてしまったのは彼の手の内の中という事だろうか。そもそも記憶も戻らないのに元の生活に帰ったとしてやっていけるとも限らない。この家では働かなくてもいいと言われてしまったが、そうはいかないだろう。もしこの屋敷に残る選択をするのであれば、もう一度お願いをして何かを手伝わせてもらおう。
そう考え、アヤは膳を下げに来た使用人に試しに話しかけてみた。都が美衣と呼んでいたのはこの人だろう。
「いつもありがとうございます。今日も美味しかったです。一つお願いがあるのですが……。私にも何かお手伝いさせていただけませんか、美衣さん」
一瞬、驚いた様子を見せたが、直ぐに首を振った。申し訳なさそうに頭を垂れ、部屋から下がる。惜しくも作戦は失敗だったようだ。
しかし、彼女は名前を否定する様子もなかった。予想は正しかったのだろう。
それでもこれから毎日話しかけるくらいでは何も情報は聞き出せそうもない。
「仕方ない。都さんを通すしかなさそうね」
屋敷の様子くらいは見ておきたいと調理場を覗いてみることにした。ここ数日は庭の散策、離れの観察、そして、客間の裏手にあった蔵の周りの探索をしていた。
だが、ただの素人が探ってみたくらいで何の成果も得られなかった。都が言っていた綻びがどういったものであるのか。
見当を付けなければいけないのに、とアヤに焦りが募っていた。諦めが半分以上を占めてしまえば、きっともう外には出られないだろう。都の誘惑に負けてしまっても悪いようにはされない。確信めいた根拠のない安心感がそれを後押ししていた。
毎夜のごとく訪れる都の様子を見ていると彼が本気であることが見て取れる。愛されているという実感は過去への未練さえ断ち切らせる力があった。
きっとこの猶予は延長されることなく、綻びを見つけられなかったらそこで終わり。その先はもう選択肢が与えられないかもしれない。
再び決意を新たに庭を歩いていると見覚えのある男がいた。先日手紙を届けに来た都の側仕えだ。背が高く、眼鏡をかけているせいで目つきはきつく見えるが面目そうな面持ちだった。
名は確か龍仙と言っていたはずだ。
「こんにちは。今は都さんいらっしゃいませんよ」
「ああ、知っていますよ。屋敷の主人が不在の時に訪れ、申し訳ない。これを置きに来ただけです」
「また、手紙ですか」
「都様のご両親からでしょう。名も記されてはいないが、この香りには覚えがありますから。失礼、都様には許可を頂いているので入らせてもらいますよ」
全く雅なものだとひとりごちると龍仙は都の部屋へと向かおうとする。
都の両親から、という言葉が引っかかった。一緒に住んでいないということは分かっていたが、都から話を聞くことはほとんどなかったのだ。
「待ってください」
「何ですか」
思わず引き止めてしまったが不信に思われたかもしれない。
しかし、どうしても拭えない違和感があったのだ。
「ええと……」
言い淀むと龍仙は訝し気な顔をしている。
だが、急ぎの用はないのだろう。アヤの言葉を静かに待っている。
「手紙を見せていただけませんか。中身ではなく、表だけでいいので」
「貴女に渡すことは出来ないが、見せるだけならばいいでしょう。表に書いてあるのは都様のお名前だけですよ」
表書きは都の名前が書いてある。達筆で流れるような字。問題はその斜め上に押してある印だった。
「切手と、消印――」
「近くに来ていたなら顔を出してくださればいいものを。今はもう別の場所に移動されているということでしょう。これでアヤさんの気は済みましたか」
「ええ、ありがとうございました」
背筋に嫌な汗が伝う。間違いない。見たことがある地名だ。この屋敷がある場所は――。
「貴女も苦労しますね」
「え……それは、どういう……」
「都様は随分と貴女にご執心のようですから」
少し待っていてください、と言い、龍仙は離れへと入っていく。しばらくして直ぐに龍仙は戻ってきた。
「立ち話で恐縮ですが、少しお話をさせてください」
「いえ、特に用事もありませんから。それで、お話というのは何ですか」
散歩がてら庭を歩き、アヤが滞在している部屋の前まで来た。静かに池を眺めていると随分と大きな鯉が跳ねた。
「アヤさん、貴女は帰りたいですか」
思いもよらない言葉を投げ掛けられて返答に窮する。叶うのであれば、元居た場所に帰りたい。どちらかといえば、これ以上この屋敷の世話になっているわけにはいかないという焦りがそう思わせている。
ただ、いまだ記憶が完全に戻ったわけではなく、自分の家がどこかさえまだ思い出せていないのだ。
しかし、ようやく解決の糸口が掴めそうな気がしていた。
「ふあ……まだ眠い……」
毎夜毎夜遅くなったとしても都はアヤの部屋を訪れている。
だが、あの二回目以降、最後まではすることはなかった。
夫婦になるにはまだ必要なことがあるのだと言って身体には触れるのに交わろうとしないのだ。
――都さんは今日もお仕事かしら。
策を練ろうとしても頭がぼんやりとして考えがまとまらない。ふわりとした現実味のない夜の出来事が思い出されて仕方がないのだ。
――朝目覚めた時にも側にいてくれたらいいのに。
こんなことを思い始めてしまったのは彼の手の内の中という事だろうか。そもそも記憶も戻らないのに元の生活に帰ったとしてやっていけるとも限らない。この家では働かなくてもいいと言われてしまったが、そうはいかないだろう。もしこの屋敷に残る選択をするのであれば、もう一度お願いをして何かを手伝わせてもらおう。
そう考え、アヤは膳を下げに来た使用人に試しに話しかけてみた。都が美衣と呼んでいたのはこの人だろう。
「いつもありがとうございます。今日も美味しかったです。一つお願いがあるのですが……。私にも何かお手伝いさせていただけませんか、美衣さん」
一瞬、驚いた様子を見せたが、直ぐに首を振った。申し訳なさそうに頭を垂れ、部屋から下がる。惜しくも作戦は失敗だったようだ。
しかし、彼女は名前を否定する様子もなかった。予想は正しかったのだろう。
それでもこれから毎日話しかけるくらいでは何も情報は聞き出せそうもない。
「仕方ない。都さんを通すしかなさそうね」
屋敷の様子くらいは見ておきたいと調理場を覗いてみることにした。ここ数日は庭の散策、離れの観察、そして、客間の裏手にあった蔵の周りの探索をしていた。
だが、ただの素人が探ってみたくらいで何の成果も得られなかった。都が言っていた綻びがどういったものであるのか。
見当を付けなければいけないのに、とアヤに焦りが募っていた。諦めが半分以上を占めてしまえば、きっともう外には出られないだろう。都の誘惑に負けてしまっても悪いようにはされない。確信めいた根拠のない安心感がそれを後押ししていた。
毎夜のごとく訪れる都の様子を見ていると彼が本気であることが見て取れる。愛されているという実感は過去への未練さえ断ち切らせる力があった。
きっとこの猶予は延長されることなく、綻びを見つけられなかったらそこで終わり。その先はもう選択肢が与えられないかもしれない。
再び決意を新たに庭を歩いていると見覚えのある男がいた。先日手紙を届けに来た都の側仕えだ。背が高く、眼鏡をかけているせいで目つきはきつく見えるが面目そうな面持ちだった。
名は確か龍仙と言っていたはずだ。
「こんにちは。今は都さんいらっしゃいませんよ」
「ああ、知っていますよ。屋敷の主人が不在の時に訪れ、申し訳ない。これを置きに来ただけです」
「また、手紙ですか」
「都様のご両親からでしょう。名も記されてはいないが、この香りには覚えがありますから。失礼、都様には許可を頂いているので入らせてもらいますよ」
全く雅なものだとひとりごちると龍仙は都の部屋へと向かおうとする。
都の両親から、という言葉が引っかかった。一緒に住んでいないということは分かっていたが、都から話を聞くことはほとんどなかったのだ。
「待ってください」
「何ですか」
思わず引き止めてしまったが不信に思われたかもしれない。
しかし、どうしても拭えない違和感があったのだ。
「ええと……」
言い淀むと龍仙は訝し気な顔をしている。
だが、急ぎの用はないのだろう。アヤの言葉を静かに待っている。
「手紙を見せていただけませんか。中身ではなく、表だけでいいので」
「貴女に渡すことは出来ないが、見せるだけならばいいでしょう。表に書いてあるのは都様のお名前だけですよ」
表書きは都の名前が書いてある。達筆で流れるような字。問題はその斜め上に押してある印だった。
「切手と、消印――」
「近くに来ていたなら顔を出してくださればいいものを。今はもう別の場所に移動されているということでしょう。これでアヤさんの気は済みましたか」
「ええ、ありがとうございました」
背筋に嫌な汗が伝う。間違いない。見たことがある地名だ。この屋敷がある場所は――。
「貴女も苦労しますね」
「え……それは、どういう……」
「都様は随分と貴女にご執心のようですから」
少し待っていてください、と言い、龍仙は離れへと入っていく。しばらくして直ぐに龍仙は戻ってきた。
「立ち話で恐縮ですが、少しお話をさせてください」
「いえ、特に用事もありませんから。それで、お話というのは何ですか」
散歩がてら庭を歩き、アヤが滞在している部屋の前まで来た。静かに池を眺めていると随分と大きな鯉が跳ねた。
「アヤさん、貴女は帰りたいですか」
思いもよらない言葉を投げ掛けられて返答に窮する。叶うのであれば、元居た場所に帰りたい。どちらかといえば、これ以上この屋敷の世話になっているわけにはいかないという焦りがそう思わせている。
ただ、いまだ記憶が完全に戻ったわけではなく、自分の家がどこかさえまだ思い出せていないのだ。
しかし、ようやく解決の糸口が掴めそうな気がしていた。
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