カイザー・デルバイスの初恋

宵の月

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千客万来

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 改めて訪問したクロハイツ邸で、お茶を待つ間に巡らせていた視線を戻し、サリースはアーシェに笑みを向けた。

「幸せそうでよかった」

 嬉しそうに笑ったサリースに、アーシェも照れたように笑みを返してくる。聞かなくてもわかった。幸せなのだと。
 奇人変人と国外でもその名を轟かせるエイデン。その邸宅にあのロイドと共に同居と聞いてものすごく心配だったが、思った以上にうまくいっているらしい。
 訪れた邸宅内は至る所にアーシェの好みが反映されている。ロイドはともかくエイデンも、アーシェの意向を優先しての生活だと一目でわかるほどに。

「……サリーはどう過ごしてた?」

 気遣う言葉の響きに、ギフトが反応する。サリースのギフトである《言語》は、異国の言葉も魔力を消費して理解できるだけでなく、言葉の違和感や込められた意図も自動的にぼんやりと読み取ってしまう。なんの含みもない変わらない優しさに、サリースは苦笑した。本当にロイドにはもったいない。

「現地の言語の研究と、それから歴史や遺跡の調査もしたわ。忙しかったけど、充実してた」
「……そう、楽しかったのならよかったわ」

 聞きたいのはそれではないと知っていた。あえて言葉にしないことに、アーシェは眉尻を少し下げて笑みを浮かべた。無理に踏み込まずにいてくれる大らかさ。アーシェの気遣いに、サリースはわずかに俯いた。
 大好きな親友に目元がよく似た兄。豪快に笑うあの笑みを思い出して、ほんの少し切なくなる。

「しゃりー! このごほんよんで!」

 小さな身体に大判の絵本を抱え、キラキラとアリスがサリースを見上げてくる。後ろにエルナンとロシュも、期待顔を向けている。うっかり落ち込みそうな心が、子供達の愛らしさにふわりと軽くなった。サリースはにっこり微笑みを向けた。

「じゃあ、お部屋で読もうね!」
「ごめんね、サリー。無理はしなくていいからね」

 はしゃぐ子供達に笑みを向けるサリースに、アーシェがそっと囁いてくる。
 
「ふふふ、気にしないで。読み聞かせは得意なの」

 サリースを取り囲んで、子供達は目を輝かせて絵本に聞き入る。
 サリースの《言語》のギフトが語り口に魔力を乗せる。サリースの瞳がギフト発動にキラキラとエメラルドに輝き、魔力が声音をくるくる変えた。子供達は笑ったり怒ったりと、その度に忙しく表情を変える。
 特にアリスは夢中になって瞳を輝かせている。ねだられるまま何冊も読み上げ、サリースはすっかり子供達に気に入られていた。ただちょっと気に入られすぎてしまっていた。そろそろ帰ろうとしたドレスの裾を、アリスは離そうとしなかった。

「いやー! かえったらいやー!」

 アリスは潤ませた大きな瞳で、サリースを見上げてくる。かわいい。エルナンとロシュも、アリスに賛成なのかサリースをじっと見上げてくる。すごくかわいい。

「アリス、また遊びに来てくれるから。ね?」
「やー! もっといっしょにいるの!」

 アーシェが優しく言い聞かせても、アリスは全力で拒否の構えをみせた。エルナンとロシュも、うるうるとサリースを見上げてくる。

「しゃりーはおとまりするんだもん! かえらないもん!」
「アリス! ダメよ。サリーが困ってるでしょ? そんなにわがまま言ったら、もう遊びに来てくれないわよ」

 うりゅっと瞳を歪ませたアリスに、アーシェはまずいと顔色を変えた。ロイド譲りのアイスブルーの瞳が、ギフトの発動を知らせる銀色に輝き始める。

「ア、アリス。すぐに遊びに来てくれるから、ね?」
「いやもん……しゃりーといっしょに、おふろにはいるんだもん……」

 エルナンとロシュが、そろりとアリスから離れ始めた。魔力の気配にサリースが眉根を寄せる。

「アーシェ、私もう少し……」
「アリスはしゃりーといっしょにねんねしたいー!」

 とうとうアリスが泣き出し、その瞬間ギフト《女帝の征服》が発動した。エルナンとロシュがアリスから距離をとり、慌てたアーシェが宥めにかかるが、もう完全に手遅れだった。

「ア、アリス……落ち着いて……!!」
「しゃ、しゃりー、うえっ……かえらないでぇ……ひっく……おとまりしてぇ……」

 もろに影響下だったサリースは奇妙な幸福感を感じながら、ぼんやりと頭が霞みががった感覚のままアリスに跪いた。

「アリス様の仰せのままに……」
「……ほんと? アリスといっしょにねんねしてくれる?」
「はい。喜んで」

 嬉しそうに笑ったアリスに、サリースも悦びが込み上げる。スッとアリスを抱き上げて、サリースは少しぼんやりしたまま歩き出した。その後ろをアーシェがオロオロしながらついていく。
 アリスの私室のベッドに入ると小さな身体で魔力を使い切ったアリスは、サリースの手を握ったまま眠り込んでしまった。

「サリー……?」
「アーシェ……」

 アリスの魔力が収束し、サリースはスッと頭がクリアになるのを感じた。恐る恐る声をかけてきたアーシェに、サリースは振り返った。その瞳がいつも通りなのにアーシェはホッと息をつく。

「ごめんなさい、アリスのギフトなの……」
「驚いたわ……支配系のギフト?」
「そうなの。アリスは子供達の中で唯一突然変異のギフトで……周囲五メートルが影響範囲になるわ」

 聞けば最高に厄介そうなギフトだった。
 血縁者は多少の耐性があるが、魔力対抗などの明確な抵抗条件すらない。エイデンが持つ同じ支配系のギフト《完全なる助力》は魔力に影響して、行動を支配するが《女帝の征服》は行動も精神も支配する。影響されれば身も心もアリスの下僕となる。
 発覚時には王家も頭を抱えたらしい、最高に厄介なギフト。影響下から抜ければ通常状態に戻れるが、まれに魔力相性が良すぎると犬になったまま戻らないこともあるという。

「ごめんなさい。今のうちなら帰れるわ。魔力を使いすぎてしばらく起きないから」

 サリースはアリスにしっかり握られている手を見た。涙の名残を残したアリスの寝顔に笑みを誘われながら、アーシェに振り返る。

「アーシェ、迷惑じゃなければこのまま泊まらせてもらっていいかしら?」
「いいの?」
「もちろん! こんなに懐いてくれて嬉しいの」
「でも……」
「サリー、いてくれるの!」
「やったー!」

 様子を見ていたエルナンとロシュが、嬉しそうに目を輝かせた。くすくすと笑いながらサリースは、アリスを起こさないように、寝台に横になったまま二人に手招きする。

「エルナン、ロシュ。次はニンジャのお話にしましょうか」
「えー、僕ドラゴンのお話がいい」
「シー! アリスが起きちゃうから小さな声でね。ニンジャの次はドラゴンのお話にしましょ。アーシェ、大丈夫よ。子供達は私が見ているから。さっき執事に呼ばれてたでしょ?」
「サリー、本当にごめんなさい」
「いいのよ、私も楽しいの」

 本当に。全力で懐いてくれる子供達。必要とされている実感が、ずっと抱えていた寂しさを慰めてくれる。アーシェが申し訳なさそうに眉根を下げた。
 
「ありがとう、サリー。エルナン、ロシュ。サリーを困らせちゃダメよ」
「「はーい」」

 小声で返事を返して、子供達がベッドによじ登る。後ろ髪引かれているらしいアーシェを見送り、サリースは魔力に声を乗せ始めた。
 エルナンとロシュが微睡み始め、安心し切った子供達の寝顔を見ているうちに、声に魔力を乗せ続けたサリースもウトウトと眠りに落ちていった。


※※※※※


「え……兄さん?」

 帰宅した夫達の後ろからひょっこり顔をみせた兄の姿に、アーシェは目を剥いた。

「妹よ、元気してたか? 兄ちゃんだぞ! 義弟達と飲もうってなってさ。勝手に飲むから構わなくていいぞ!」
「夫人、突然の訪問ですまない」
「殿下まで……」

 さらには何やら緊張しているようなカイザーまで現れた。思いもしなかった訪問に驚いているうちに、抱えてきた酒を持って男達は客間にゾロゾロと移動していく。

「ちょ、ちょっと、ロイ!」

 慌ててロイドを引き止める。

「アーシェ? ごめんね、急で。殿下が義兄さんと話したいって。でも義兄さん、今日を逃すとしばらく忙しいみたいで」
「それはいいんだけど……実は……」

 アーシェは慌ててサリースが、邸に泊まることになった経緯を説明した。

「ふ~ん……」
「サリーはまだ兄さんのことを吹っ切れてないみたいなの……だから……」
「大丈夫だよ、お酒を飲むだけだし」
「アーシェ、大丈夫だ。ランドルフは客間から出さない」

 力強く頷くエイデンに、アーシェは不安そうに俯いた。ずっとランドルフに想いを寄せていたサリース。想いを告げられないまま、ランドルフは婚約した。これまでよりずっと長く国外に留まっていたことを考えると、まだ姿を見るのは辛いかもしれない。

「おーい! どうした? アーシェも混ざるか?」

 立ち止まったままの三人に、ランドルフが首を傾げる。

「今行くよ。アーシェ、ここにいるより客間に詰め込んじゃった方がいい。心配しないで」
「うん……」

 ゾロゾロと客間に向かう四人を、アーシェは疲れたように見送りながら不安げに眉根を寄せた。
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