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もう一人のクズ男 後編
しおりを挟むあの夜から10年、ランコムは29歳になっていた。久しぶりに夜会に姿を見せたランコムに、落ち着かない視線が注がれている。その視線を完全に無視して、ランコムは会場を出ようとする人影を追って抜け出した。
「………おいっ!シスル!」
「………なんだよ……何か用か?」
振り返ったシスルは、浮かべていた愛想笑いを即座に引っ込めた。ムカつく。キツく睨みつけたランコムに、シスルはふふんと鼻を鳴らしす。
「……相変わらずだな……!!」
「いいから何の用だよ?運輸路のことならフラメルの義父上にどうぞ。ランコム・タリスター卿?」
馬鹿にしたように笑みを浮かべ、すでに用件は見透かしているような翡翠の瞳は、あからさまに勝ち誇っている。わかっていてのその発言に、ランコムの苛立ちが募った。本当に心底ムカつく。
「運輸路なんかどうでもいい。」
「ふーん。貿易業で随分儲けてるらしいって聞いたぞ?ならうちの運輸路は必須だと思うけど?」
「黙れよ!お前に仕事の話を持ってくるわけないだろ!」
仕事なら不愉快極まりないシスルに言うわけがない。言われなくても最初からフラメル侯爵に会いに行く。避けていた夜会に参加したのは、領地に引きこもっているシスルがくるから。引き留めたのはどうしても一言言ってやらなければ気が済まないからだ。
「じゃあ、何の用だよ?ああ、もしかして祝いに来てくれたとか?」
「祝う?馬鹿か?頭に花でも咲かせてんの?お前にあっさり騙されてるやつらと一緒にするな!罵りにきてやったんだよ。」
「はっ!そりゃどうも。」
ランコムの軽蔑と嫌悪の眼差しを、シスルは余裕の笑みで受け流した。
「クズはどうやってもクズだな。妊娠を理由にアスティに結婚を了承させるとか、いかにもお前って感じで最悪!表面上の愛想面に騙されて、お前の昔の悪行を忘れておめでとうとか。馬鹿しかいねーのかよ。」
クズが真面目に仕事を始めて成功したらクズは治るのか?答えはありえない、だ。玉ねぎは煮ても焼いても玉ねぎで、色味が濃くなろうが大きさが変わろうが玉ねぎが人参になるわけがない。享楽に耽り淫蕩に呆けていた奴の本質が、そう簡単に変わるわけがなく経験したことは良くも悪くも消えることはない。
クズの本性はクズ。多少行動が変わろうがクズのまま。ましになってもクズを謳歌できていた、その素質までもが消えたわけではない。
「だからなんだ?お前も同じだろ?火遊びをやめて、貿易事業で成功したランコム卿?別に俺は聖人君子に生まれ変わったと騙して歩いてるわけじゃない。」
「ふん、そんなのは分かってる。別に勝手に騙される周りの馬鹿はどうでもいい。」
不快なことにランコムも同じだ。もう苦痛でしかないから夜会に行くことをやめた。アスティが王都を離れたら当てつける意味もない。それを更生したと勝手に解釈された。
ちらついて離れない面影を振り払うために、休みなく仕事をした。報われない思いが苦しくて、ただ目を逸らしたかった。だからできるだけ難しそうな事業を選んだ。それが成功するや周りは勝手に生まれ変わったと褒めたたえた。
いつのまにか最高の婿候補だと追い掛け回されたことを思い出し、ランコムはうんざりとため息を吐き出した。吐き出した息を吸い込んで、気を取り直すとシスルの視線をひたりと捉えた。
「……アスティは喪が明けてまだ2年。娘もいる。どう考えてもアスティが再婚に了承するわけがない。お前がアスティの意思を無視して妊娠させない限りな!!」
意図的に断れない状況を作り出したんだろ?言外に伝えたランコムに、シスルはニヤリと口角を吊り上げた。確信犯だ。
ゴミを見る目で睨みつけるランコムに、シスルは顎をそらした。誇らしげにさえ見える態度に、ランコムは嫌悪をつのらせた。
アスティの気持ちや立場より、自分の願望と欲望を優先する。シスルはただアスティが欲しいからそうした。
それを馬鹿どもは運輸路事業で成功し、長らく独身でいた男の結婚に祝いを述べる。ランコムに言わせればアスティとの繋がりのためだけに仕事をし、アスティを拗らせて勝手に独身でいた男ってだけだ。これのどこがめでたいのか。
眉根を寄せるランコムに、シスルは取り繕うのをやめ目を細めた。
「だからなんだよ?アスティは俺との結婚を了承した。もう婚姻は成立している。アスティはもう俺の妻だ。」
薄く笑ったシスルの瞳に、仄暗い執着が透けて見える。底冷えするような眼光に、ランコムは呆れたように肩をすくめた。
「気の毒なことにな。今も昔も立派なクズとの結婚を了承させられた。いつまで妻でいてくれるか見ものだよ。」
「負け犬の遠吠えか?」
「はっ!惚れた女の弱みに付け込む卑怯者になるくらいなら負け犬で結構だ。」
「……っ!!」
ぎりっと奥歯を噛みしめたシスルを、ランコムはせせら笑った。さすがに自覚はあるらしい。
「お前はマクエルじゃない。なれるわけがない。」
アスティの前夫の名前を出したランコムを、シスルが血走った眼で睨みつけてきた。その過剰な反応を嘲笑うようにランコムは畳み掛けた。
「俺がアスティを諦めたのはマクエルだったからだ。だけどお前なら諦める理由はない。せいぜい寝取られないように気をつけろよ。」
マクエルは粗探しが無駄な清廉潔白な紳士。対してシスルは見せかけだけを整えた単なるクズ。勝てない道理はどこにもない。
「……粘着野郎が!アスティは俺の妻だ!二度と誰にも触れさせない!!」
「言ってろよ、クズ野郎!決めるのはアスティだ……じゃあな!」
ランコムは怒り狂うシスルを背に、ひらひらと手を振って立ち去った。いつぞやとは逆の光景にくつくつと笑いがこみ上げる。
(……まあ、せいぜい猫でも被ってクズがばれないように必死に足掻けばいいさ)
まるで競い合うように場数ばかり増やして、勲章のようにそれを誇っていた。アスティが唯一と気付いた時には、自分たちでは逆立ちしても勝てない男に嫁いだ。
(……もっと早く覚悟を決めてたら、シスルじゃなくて俺だったかな?)
見上げた夜空にランコムはため息を吐きかけた。シスルがどれだけしつこく、どれだけ努力したか理解はできる。自分もこの10年似たような道を辿った。それでも思う。再婚相手にシスルはない。
(あいつ、やらかさないかな……)
そうなればアスティは、今度こそシスルから永遠に去る。だからシスルは、全力で猫を被っているはず。猫が剥がれ落ちればいい。
馬鹿みたいに遊び惚けた中の唯一。比較対象がやたらとあるからこそ分かる、替えがきかない特別な女。
ランコムにとってアスティはそういう女で、それはシスルも同じだろう。だからこそやらかしに期待は薄い。猫を剥がそうにも、剥がすためのマタタビはアスティだから。他のマタタビに反応しそうにない。
シスルはそれこそ死ぬ気でアスティにだけは、嫌われないようにするだろうから。失えばどうなるかお互い思い知っている。
他人なんて心底どうでもいい。そういう奴が執着し、本気で囲い込めば付け入る隙はできない。なんせクズなのだ。他人から掠めとる手段も心理も、実地込みで熟知している。現にシスルはアスティに結婚を了承させた。
アスティの隣でクズがバレないように、ギリギリのラインを探ってる。嫌われないように、逃さないように。それがひどく妬ましい。
「アスティ……俺もさ、そういう苦労がしたかったよ。貿易品目とか種別とかじゃなくて。」
そっと吐き出したランコムの声はひどく柔らかく響き、俯いたその足元に切ない余韻を残して消えた。
恋より先に快楽を知った。関係は夜を共にしたら築かれていくと思っていた。遅い初恋を認めることから逃げ回り、ようやく認めた時にはもう手遅れだった。そうしてすっかり拗らせた初恋は未だ色あせない。
「ねぇ、アスティ……まだ好きなんだ。俺は再婚なんて我儘言わないよ。隣にいるだけでいいんだ……はぁ……シスルが目の色変えて殺しに来るだろうな……本当に死ぬほど邪魔で目障り……」
今でも思う。ぐずぐずとプライドを捨てられなかったランコム。なりふり構わず縋りついたシスル。
取繕わずに愛を乞い求めていたなら、結果は違ったかもしれない。少なくともシスルよりは、自分のほうがましなのだから。
初恋を拗らせまくった男は、体ではなく心を深く満たされる快楽があることを、それからずいぶん経ってから知ることになる。
もう一人のクズ男は、それからも気が済むまで盛大に拗らせていたため、かなりの晩婚となったのだった。
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