聖騎士様の信仰心

宵の月

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第一章 聖騎士様の信仰心

聖騎士様の信仰心

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 ドラゴン一家は予定通り早朝、西の禁足地に向かって飛び立っていった。アンナに丁重な礼を尽くしてくれたが、なぜだか笑顔のリュカエルとは目も合わせずに飛び去った。元々討伐の命を受けていたものね。アンナはそう納得したため、本当の理由は闇に葬られることになりそうだった。
 入れ替わるように聖騎士団と根源の代行者が禁足地へと踏み入り、リュカエルとアンナは禁足地を後にした。リュカエルは終始ご機嫌で、アンナはこの先を思うと痛む胸に終始言葉少なに帰路に着いた。

「アンナ……」

 帰り着いた屋敷に入った瞬間、後ろから抱きしめてくるリュカエルに、アンナの心臓がぎゅっと引き絞られる。ぐっと唇を噛みしめてアンナは、リュカエルに振り返った。まるで子供の頃のように、ニコニコと満面の笑みに胸が苦しくなる。

「……王都に戻るのでしょう?」

 消えてくれない愚かな想いがリュカエルを困らせないように。アンナは震えそうになる声を励ました。優しいリュカエルからはきっと言い出せない。気にすることがないように、あえてアンナから切り出した。

「んー、そうだねー」

 捕まえたアンナにすりすりと懐いたまま、リュカエルは上の空で曖昧な返事を返す。喉でも鳴らしそうなほど、甘ったれた声でうっとりと目を閉じている。

「ドラゴンの狂化なんて未曾有の事態を収めたし、きっと国中大騒ぎね……英雄なんて呼ばれるかもしれないわ」
「ふふふっ。それはアンナでしょ? 騒ぐなら英雄じゃなくて聖女……アンナ……?」

 べったりへばりついていたリュカエルが、笑みを凍り付かせて息を呑んだ。

「どうして、泣いているの……?」

 呆然と驚きながら、振り向かせた頬に両手を添える。アンナがハッとしたように俯いて涙を隠した。

「ごめんなさい……もう会えなくなると思うと寂しくて……ほら! ずっと家族のように過ごしてきたから……だから……」
「……アンナ?」
「英雄だなんて今更よね。今までずっとリュカが護ってきたんだもの。だから大丈夫。王家の方々は感謝して大切にしてくれるはず。きっと幸せにしてくれるって思うわ……」
「王家? 何言ってるの……? アンナ?」
「悲しいとかじゃないの! そうじゃなくて本当に嬉しいのよ? リュカが美しい王女様と結ばれて、幸せになってくれることが本当に嬉しいって思ってる……本当よ……」
「アンナ!?」

 止まらない涙のように溢れ出す言葉も止まらない。アンナは俯いたまま、懸命に幸せになることの喜びを伝えようとした。戸惑っていたリュカエルの鋭い声が、その言葉を遮る。掴まれた肩を揺すぶられ、アンナは観念したように視線を上げる。

「リュカ……?」

 すまなそうに眉尻を下げていると思っていたリュカエルは、まるで怒っているかのように鋭くアンナを見つめていた。困惑したアンナがそっと呼びかける声に、リュカエルは独り言のように呟いた。

「ねぇ、僕は怒るべき? それとも喜ぶべき?」
「リュカ?」

 オロオロし始めたアンナに、リュカエルは何かを堪えるようにため息をついた。スッと息を吸い込んだリュカエルは、美しいがゆえに冷たく見える美貌から感情を消した。

「アンナ。僕、何度も言ったよね? アンナを愛してるって、アンナ以外いらないって」
「で、でも……王都からの使者の方は王女様との婚約のお話を……」
「ああ、それで勘違いしたんだね。しないよ。するわけないよね? 僕はアンナだけを愛してるんだから」
「だけど……王女様はリュカにぴったりのお相手だし……」
「……それ、本気で言ってるの?」
「…………」

 スッと細めて濃くなったリュカエルの瞳に、アンナは押し黙った。リュカエルはじっとアンナを見据え、やがて深く息を吐いた。

「僕はさ、幸せであるようにって、僕のことばっかり考えるアンナの愛情に喜ぶべきなの?」

 パッと笑みを作りかけたアンナは、リュカエルの表情に笑みを固めた。

「それとも簡単に僕を手放そうとするアンナの薄情さに怒るべき? ねえ、どっちが正しいか僕に教えて?」

 完全に言葉を失ったアンナに、リュカエルは肩を掴んで一音一音言い聞かせる。

「僕と約束したよね? 子供が出来たら僕と結婚するって。忘れちゃった?」
「でも……私は子供は……」

 声は柔らかくても圧迫されるような声に、それでもアンナは動かしようのない事実をもって小さく反論する。神託が下りなかったことなどない。でも今回のように例外はまた起きるかもしれない。エリスコアの血筋が絶えることはあってはならない。
 じっと視線を逸らしたアンナを見つめていたリュカエルは、手を取るとその上にぱんぱんに膨らんだ麻袋を載せた。

「約束は守って?」
「これは……?」
「ドラゴンの涙だよ。僕たちのためにドラゴン達が快く分けてくれたんだ」
『快く?』

 すかさずビーンと鳴ったアイギスを、リュカエルはアンナに視線を向けたまま素早く殴りつけた。呆然と袋に詰まったドラゴンの涙を見つめるアンナを、リュカエルがゆっくりと引き寄せる。

「ドラゴンの涙にどんな恩恵があるか知ってるよね? 伝承じゃなくて本当だよ。王家でも一度使われてる」

 ドラゴンはそもそも涙を分けることなどしない。一度だけ番を静かに天へ還す手伝いをして、礼として贈られたことがあるだけだ。その数代後の子宝に恵まれなかった王家が、ドラゴンの涙を使用して王家の血筋を繋いだ公式記録が残っている。

「アンナが命を助けたお礼だよ。神の寵児の好意を無下にしないよね? 僕の子供を産んでくれるよね? 約束をちゃんと守って、僕の初めての責任とってくれるよね?」
「リュカ……私……」

 涙目になって顔を上げたアンナの頬を、リュカエルは両手で優しく包み込む。

「僕はアンナじゃないとダメなんだ。お願い。僕と結婚して?」
「リュ、カ……リュカ……!」

 ぼろぼろと涙を零しながら、アンナは何度も頷く。その涙を拭いながらリュカエルが泣きそうな顔で笑みを浮かべてアンナを抱き締めた。

「ありがとう。アンナ……愛してるよ……」

 誰よりも、何よりも。国よりも世界よりも、自分の命よりも。何と引き換えにしても僅かな後悔さえ浮かばないほど心の底から。
 何度神に祈っても与えられなかった優しさも温もりも、与えてくれたのはいつだってアンナだった。心底から願った切実な祈りさえ、叶えたのは神ではなくアンナだ。

 ―――神よ、僕の神はあなたではない。いつだってアンナだけが僕の神だった……

 救ってくれたのも、愛してくれたのも、与えてくれたのも。何度だって繰り返す。リュカエルだけの神のため。投げ捨てた信仰も命も、リュカエルの全てを捧げる。

(……きっとアンナなら許してくれるよね?)

 愛しい優しい温もりを抱きしめながら、リュカエルはそっと心の中で囁いた。神託をパクったことも、狂化を放置したことも、禁断の《フリエンダールの犬》の解禁も。

(神だって許してくれたし……)

 でも念のため結婚して子供が生まれてから話そう。リュカエルはそう決めた。こういうことはなんだかんだでバレてしまうものだ。どうせバレるなら自分から懺悔する方が心証はいい。でも懺悔するのは念の為もうちょっと先にしておきたい。

(大丈夫、アンナは僕を許してくれる)

『……そう、だろうか?』

 ブーンと低く鳴いたアイギスを強くつかんで黙らせながら、リュカエルはアンナの手を引いた。そうと決めたらやることは一つ。

「アンナ……来て」

 寝室に連れ込もうとしているとは思えないほど、爽やかな笑みでリュカエルはアンナに笑いかけた。素直で純真なアンナは疑いもせずにその手を取りながらも、心配そうに眉根を寄せた。

「でも、王都に報告にはいかなくていいの……?」
「大丈夫だよ。僕は休暇中だから」

 ぱんぱんに膨らんだ麻袋を片手に、王宮が大騒ぎなど気にも留めず、よどみのない笑みを閃かせる。

「アンナ、愛してるよ。心から……」

 信仰も崇拝もその全てはアンナだけのために。
 神が二人のためにウキウキ用意したサプライズは、全てを賭けてやっと手に入れたリュカエルだけのアンナを、思う存分味わってから知ることになった。
 

※※※※※


 第一章にここまでお付き合いありがとうございました。よろしければ第二章もお付き合いいただければ嬉しいです。 



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