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追記
宝飾品担当者が、ある若者に指輪を売るだけの話〈ゲノーム商会外商担当〉 後編
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「ゲノーム家の令嬢が、噂の大公子と結婚するらしいぞ」
と聞いたのは、指輪に刻印を終えて、そろそろ届けに行かなくてはと他の届け先と共に証明書を確認していたときだった。
大公?大公なんてこの国にいただろうか?私が子供の頃に馬車の事故かなにかで亡くなっていたのではなかったか?ぼんやり考えていると、ふと手元の指輪が気になった。
では、子爵令息と名乗った彼はやはり令嬢と破局したのか。とりあえず、あの新聞社のオーナーに連絡をとっておくべきかな?刻印まで入れてしまっては、他に売ることもできない。
私は高価すぎるそれを、証明書とともに外商部の金庫の、下段の隙間にしまいこんだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それからのち、ゲノーム商会はとんでもない窮地に立たされた。経営者であるゲノーム公爵と、主だった取引先だった貴族が、他人の……しかも例の大公の土地で勝手に採掘をし、勝手に商売をしていたことがわかったのだ。
ゲノーム公爵は追放、犯罪の証拠として商品も殆どとりあげられてしまった。たかだか外商部の雇われでしかない私にできることなどない。
「これで最後か?」
険しい表情で、店のなかを確認していた大公家の騎士が尋ねた。
「…………はい」
私はうなだれ、肩を落とした。もしこの商品が戻ってきたところで、これらは盗品でしかない。もはや商売を続けてゆく見込みなどないだろう。
宝飾品一筋に働いてきて、よもやこんなことが起こるとは、と頭をかかえた。
かれらが帰り、私はからになった金庫を閉めようとしてふと、下段の蓋が閉まったままなのに気づいた。どうやら、騎士はそれに気づかなかったらしい。
「子爵令息のダリアか」
もはや無用の長物となったそれを、なぜか私はトランクケースに入れて、ふらふらと店を出た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
新聞社は摩天楼のなかにあった。宮殿に程近いそこは、私と同じような、スーツを着た中産階級の男性たちが歩き回っており、私は難なくそこを通り抜けることができた。
エレベーターで新聞社まであがってゆく。オーナーの奥方様は、そこで編集長として働いておいでだとうかがった。新聞社は煙っぽく、そしてなんとなく胡散臭い男たちがうろうろしていた。
「あの、ルーベンス夫人を」
私は制服を着た中年の女性に声をかけ、取り次ぎを頼んだ。
なぜかねばねばしているソファに座らされて待つ間に、鞄の中に入っているものがけして誉められたものでないということが、重くのしかかってきた。金にするつもりはないが、もし大公に見つかれば私も夫人も、あの若者もただではすまないかもしれない。帰ろうか?と、迷いはじめたとき、
「お待たせしました」
眼鏡をかけた、すらりとしたスーツ姿のルーベンス夫人が、しきりの向こうから顔を出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「つまり、これはあの子が頼んだ、シャルロット妃のものですのね?」
私ははい、と肩を落とした。なんとなくその言い方に、トゲを感じたからだ。
「他は皆、証拠品として押収されました。しかし、何の因果かこれだけが店に残されまして……あの令息様に、届けては頂けませんでしょうか」
彼女は眼鏡をひきあげ、赤い紅を塗った口元に笑みを浮かべて、
「できないわ、こんな高価なもの。自分で届けなさい」
といいきった。やはりそうかと、がっくりと肩をおとした私に、夫人は立ち上がり、ついてくるようにと手招きした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
連れてゆかれたのは、以前も伺ったオーナーの自宅だ。おそらくこの王都にあるどの屋敷より、豪華な建物だろう。入り口の大扉をたたくと、執事がでてきた。自宅だというのに、夫人は丁寧に用向きを伝えて少しの間玄関で待つ。
「今は大公のお屋敷なのよ、私と夫はあのビルの上に住んでるの」
いい眺めよ、と笑いかけられて私は真っ青になった。大公だって?
紺と緑の敷物を踏んで、私と夫人は歩いてゆく。私はぎしっ、と鞄の持ち手を強く握った。
やがて、テラスだという部屋の前にきたとき、私は意を決して話し始めた。
「夫人、申し訳ありませんが、これは大公にお返しすることはできません。勿論シャルロット妃殿下のものではございますが、……ですが、子爵令息様にお渡しするのが私の使命でございます」
鞄を抱えて、二歩ほどあとずさった。
「あのとき、令息様はこれに『愛』を刻まれた。その愛を、単なる金品としてお渡しすることはできません!代金はわたくしが、生涯をかけてもお支払いします!ですからどうか、これは子爵令息さまに……!!」
ええ?と夫人が目を円くして振り返ったとき、
「何を騒いでるんだよ」
と、重苦しい木の扉が開き、ひとりの若者が顔を出した。黒髪に黒い目。痩せてはいるが、今日は顔色もよく、白いカッターシャツにグレーと赤の、王立学園の制服姿だ。
「令息様」
「大公さま、居たのね」
私と夫人が一様に口にだした言葉に私は驚いて夫人を見た。…………大公?このかたが?
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「そうか、それは気苦労をかけたな」
アルゼリア子爵令息……と私が思っていた、現フェリクス大公閣下は黒い髪をかきあげてから、ちょっと困ったような微笑みを浮かべた。
こうしてみるとずいぶんと整った顔をしている。シャルロット妃も美しいが、それとはまた別次元だ。いつもは長めの前髪に目元が隠れているうえ、服装も粗っぽいのでわからなかったが、ここまで美しいと凄みすらある。
さらさらとした上等のベルベットの椅子のうえで、私はマグカップになみなみとはいった茶を渡されていた。これでも飲んで落ち着け、といったところだろう。
「新聞を読みなさいよ、新聞を!」
どこから出したのか、夫人は私のテーブルの前にルーベンス紙をばしっ、と叩きつけた。しかし、ゲノーム商会の今の給与では、それを毎日買うというのはそこそこ負担なのだ。しかも今月は、それがでるかどうかもわからない。しかたなくハハハと、愛想笑いを浮かべておく。
「これがそう?」
それまでずっと黙って大公閣下の脇に座っていたシャルロット嬢が、私がテーブルに置いた鞄を指した。
「ええ、はい!」
私はカップをテーブルの脇におき、素早くケースを取り出した。
ダリアの細工部分で職人と随分揉めた。できるだけ肌あたりの良いものを、できるだけ頑丈な金属で作る。ダリアはその花のかたちがあまりに鋭利なために、かなりの技術が必要になった。
さらに、血の赤と呼ばれるルビーはとても稀少だ。今回はその中でも、とりわけ透明度がたかく、燃え上がる焔にも例えられるものを、ゲノーム公爵領から取り寄せた。産出量はあまり多くないゲノーム公爵領の鉱山だが、こと稀少なルビーやサファイアに関しては、時折こうしたとんでもない掘り出し物が見つかる。
全ては、この小さな装飾品のために。私は白い手袋をはめて、大公とシャルロット妃殿下の方へケースを開いてみせた。大公はそれを手にとり、シャルロット妃に見せる。
彼女は指輪を持ち上げ、中の刻印を読み上げた。
「『貴方が生きていてくれて、嬉しい』」
率直な、愛の言葉がシャルロット妃によって読み上げられた。まあ、と夫人が笑い声をあげた。
「人前で読み上げるな、恥ずかしいだろ」
大公は指輪をシャルロット妃からとりあげ、彼女の薬指にあらためて嵌めた。
「あの時の皇帝ダリアね……きれいだわ」
白い指のうえで、ダリアは美しく咲き誇っていた。ダリアは2人の思い出の品であるらしく、若い大公夫妻は寄り添ってそれを見ている。
初夏の午後。テラスには薔薇のかおりの風がふいて、二人の上に光がさしている。ああ、なるほど、このためにあの指輪は作られたのだ。
どうしてか、涙がでてくる。
「なんで宝石商が泣くのよ!」
夫人がまた笑いながらハンカチを差し出してくる。
よかった、店は失くなるだろうが、最後に最高の仕事ができて本当によかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
結論からいうと、店は失くならなかった。いや、それどころか、現在王都で最も人気の宝石商となった。
「商会長!シャルロット妃が夜会でお召しになっていたネックレスですが、同じデザインのものはいつ頃できますか?」
仲買人が泣きついてくる。職人を増やすしかないだろうな……
あのあと、ゲノーム商会は大公妃の御用達として一躍有名となり、在庫がない状態にも関わらず注文が舞い込み、作っても作っても最高ランクの宝石を使ったものから売れてゆくためにほとんど夜も昼もない忙しさになった。
店を去ったものも多く、私は商会長となり多忙な毎日をなんとか乗り切っているが、あわただしく過ぎる日々のなかでも、時々あの「子爵令息のダリア」のことをふと思い出す。
『貴方が生きていてくれて、嬉しい』
そこに刻まれた、愛の言葉を。
と聞いたのは、指輪に刻印を終えて、そろそろ届けに行かなくてはと他の届け先と共に証明書を確認していたときだった。
大公?大公なんてこの国にいただろうか?私が子供の頃に馬車の事故かなにかで亡くなっていたのではなかったか?ぼんやり考えていると、ふと手元の指輪が気になった。
では、子爵令息と名乗った彼はやはり令嬢と破局したのか。とりあえず、あの新聞社のオーナーに連絡をとっておくべきかな?刻印まで入れてしまっては、他に売ることもできない。
私は高価すぎるそれを、証明書とともに外商部の金庫の、下段の隙間にしまいこんだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それからのち、ゲノーム商会はとんでもない窮地に立たされた。経営者であるゲノーム公爵と、主だった取引先だった貴族が、他人の……しかも例の大公の土地で勝手に採掘をし、勝手に商売をしていたことがわかったのだ。
ゲノーム公爵は追放、犯罪の証拠として商品も殆どとりあげられてしまった。たかだか外商部の雇われでしかない私にできることなどない。
「これで最後か?」
険しい表情で、店のなかを確認していた大公家の騎士が尋ねた。
「…………はい」
私はうなだれ、肩を落とした。もしこの商品が戻ってきたところで、これらは盗品でしかない。もはや商売を続けてゆく見込みなどないだろう。
宝飾品一筋に働いてきて、よもやこんなことが起こるとは、と頭をかかえた。
かれらが帰り、私はからになった金庫を閉めようとしてふと、下段の蓋が閉まったままなのに気づいた。どうやら、騎士はそれに気づかなかったらしい。
「子爵令息のダリアか」
もはや無用の長物となったそれを、なぜか私はトランクケースに入れて、ふらふらと店を出た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
新聞社は摩天楼のなかにあった。宮殿に程近いそこは、私と同じような、スーツを着た中産階級の男性たちが歩き回っており、私は難なくそこを通り抜けることができた。
エレベーターで新聞社まであがってゆく。オーナーの奥方様は、そこで編集長として働いておいでだとうかがった。新聞社は煙っぽく、そしてなんとなく胡散臭い男たちがうろうろしていた。
「あの、ルーベンス夫人を」
私は制服を着た中年の女性に声をかけ、取り次ぎを頼んだ。
なぜかねばねばしているソファに座らされて待つ間に、鞄の中に入っているものがけして誉められたものでないということが、重くのしかかってきた。金にするつもりはないが、もし大公に見つかれば私も夫人も、あの若者もただではすまないかもしれない。帰ろうか?と、迷いはじめたとき、
「お待たせしました」
眼鏡をかけた、すらりとしたスーツ姿のルーベンス夫人が、しきりの向こうから顔を出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「つまり、これはあの子が頼んだ、シャルロット妃のものですのね?」
私ははい、と肩を落とした。なんとなくその言い方に、トゲを感じたからだ。
「他は皆、証拠品として押収されました。しかし、何の因果かこれだけが店に残されまして……あの令息様に、届けては頂けませんでしょうか」
彼女は眼鏡をひきあげ、赤い紅を塗った口元に笑みを浮かべて、
「できないわ、こんな高価なもの。自分で届けなさい」
といいきった。やはりそうかと、がっくりと肩をおとした私に、夫人は立ち上がり、ついてくるようにと手招きした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
連れてゆかれたのは、以前も伺ったオーナーの自宅だ。おそらくこの王都にあるどの屋敷より、豪華な建物だろう。入り口の大扉をたたくと、執事がでてきた。自宅だというのに、夫人は丁寧に用向きを伝えて少しの間玄関で待つ。
「今は大公のお屋敷なのよ、私と夫はあのビルの上に住んでるの」
いい眺めよ、と笑いかけられて私は真っ青になった。大公だって?
紺と緑の敷物を踏んで、私と夫人は歩いてゆく。私はぎしっ、と鞄の持ち手を強く握った。
やがて、テラスだという部屋の前にきたとき、私は意を決して話し始めた。
「夫人、申し訳ありませんが、これは大公にお返しすることはできません。勿論シャルロット妃殿下のものではございますが、……ですが、子爵令息様にお渡しするのが私の使命でございます」
鞄を抱えて、二歩ほどあとずさった。
「あのとき、令息様はこれに『愛』を刻まれた。その愛を、単なる金品としてお渡しすることはできません!代金はわたくしが、生涯をかけてもお支払いします!ですからどうか、これは子爵令息さまに……!!」
ええ?と夫人が目を円くして振り返ったとき、
「何を騒いでるんだよ」
と、重苦しい木の扉が開き、ひとりの若者が顔を出した。黒髪に黒い目。痩せてはいるが、今日は顔色もよく、白いカッターシャツにグレーと赤の、王立学園の制服姿だ。
「令息様」
「大公さま、居たのね」
私と夫人が一様に口にだした言葉に私は驚いて夫人を見た。…………大公?このかたが?
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「そうか、それは気苦労をかけたな」
アルゼリア子爵令息……と私が思っていた、現フェリクス大公閣下は黒い髪をかきあげてから、ちょっと困ったような微笑みを浮かべた。
こうしてみるとずいぶんと整った顔をしている。シャルロット妃も美しいが、それとはまた別次元だ。いつもは長めの前髪に目元が隠れているうえ、服装も粗っぽいのでわからなかったが、ここまで美しいと凄みすらある。
さらさらとした上等のベルベットの椅子のうえで、私はマグカップになみなみとはいった茶を渡されていた。これでも飲んで落ち着け、といったところだろう。
「新聞を読みなさいよ、新聞を!」
どこから出したのか、夫人は私のテーブルの前にルーベンス紙をばしっ、と叩きつけた。しかし、ゲノーム商会の今の給与では、それを毎日買うというのはそこそこ負担なのだ。しかも今月は、それがでるかどうかもわからない。しかたなくハハハと、愛想笑いを浮かべておく。
「これがそう?」
それまでずっと黙って大公閣下の脇に座っていたシャルロット嬢が、私がテーブルに置いた鞄を指した。
「ええ、はい!」
私はカップをテーブルの脇におき、素早くケースを取り出した。
ダリアの細工部分で職人と随分揉めた。できるだけ肌あたりの良いものを、できるだけ頑丈な金属で作る。ダリアはその花のかたちがあまりに鋭利なために、かなりの技術が必要になった。
さらに、血の赤と呼ばれるルビーはとても稀少だ。今回はその中でも、とりわけ透明度がたかく、燃え上がる焔にも例えられるものを、ゲノーム公爵領から取り寄せた。産出量はあまり多くないゲノーム公爵領の鉱山だが、こと稀少なルビーやサファイアに関しては、時折こうしたとんでもない掘り出し物が見つかる。
全ては、この小さな装飾品のために。私は白い手袋をはめて、大公とシャルロット妃殿下の方へケースを開いてみせた。大公はそれを手にとり、シャルロット妃に見せる。
彼女は指輪を持ち上げ、中の刻印を読み上げた。
「『貴方が生きていてくれて、嬉しい』」
率直な、愛の言葉がシャルロット妃によって読み上げられた。まあ、と夫人が笑い声をあげた。
「人前で読み上げるな、恥ずかしいだろ」
大公は指輪をシャルロット妃からとりあげ、彼女の薬指にあらためて嵌めた。
「あの時の皇帝ダリアね……きれいだわ」
白い指のうえで、ダリアは美しく咲き誇っていた。ダリアは2人の思い出の品であるらしく、若い大公夫妻は寄り添ってそれを見ている。
初夏の午後。テラスには薔薇のかおりの風がふいて、二人の上に光がさしている。ああ、なるほど、このためにあの指輪は作られたのだ。
どうしてか、涙がでてくる。
「なんで宝石商が泣くのよ!」
夫人がまた笑いながらハンカチを差し出してくる。
よかった、店は失くなるだろうが、最後に最高の仕事ができて本当によかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
結論からいうと、店は失くならなかった。いや、それどころか、現在王都で最も人気の宝石商となった。
「商会長!シャルロット妃が夜会でお召しになっていたネックレスですが、同じデザインのものはいつ頃できますか?」
仲買人が泣きついてくる。職人を増やすしかないだろうな……
あのあと、ゲノーム商会は大公妃の御用達として一躍有名となり、在庫がない状態にも関わらず注文が舞い込み、作っても作っても最高ランクの宝石を使ったものから売れてゆくためにほとんど夜も昼もない忙しさになった。
店を去ったものも多く、私は商会長となり多忙な毎日をなんとか乗り切っているが、あわただしく過ぎる日々のなかでも、時々あの「子爵令息のダリア」のことをふと思い出す。
『貴方が生きていてくれて、嬉しい』
そこに刻まれた、愛の言葉を。
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