17 / 39
精霊王と悪鬼
下町で(元)侍従長に絡まれる
しおりを挟む
ミルラがいない。あの日朝になってもミルラは姿を現さなかった。ミルラがいなければおかしな夢はみないけれど、お義父様やお義兄様の姿をみられないのが不安だ。
マリアはどうしたかしら?お義兄様は眠れているかしら?あれから学園でお義父様をみていないけれど、ストレスで体を壊したりしていないかしら?
私は学園から帰ると、侯爵夫人とキャルと三人でクッキーやパイ、ときには日持ちする黒いライ麦の入ったパン(ここへきてはじめて知った…ちょっと酸っぱい)などを焼いたり、庭に出て花の世話をしたり、ベリーやラベンダー、バラの花びらを摘んで持ち帰って、蜜と煮てジャムにしたりして過ごす。
時折下町の、あまり品の良いとは言えない場所までレイモンド様と従者の方と一緒に行って、私はできたものを配り、レイモンド様が診察する。
「父様がいれば本当はもっと、診てあげられるんだけど、ね。キンバリー屋敷での騒ぎが終わったら、今度は皇宮に呼び出されたらしくて」
両陛下のどちらかが具合がわるいのかしら?午後の診療を終えて馬車に揺られながら、私は考えた。
だけど、そういうことは口外しちゃいけないんじゃないかな?私は家族だからいいのかな…いや、本当は家族じゃないんだけど。
1日奉仕作業した体は疲れきっていて、段々と瞼が重くなる。
「ついたら起こすから、少し眠ったらいいよ」
レイモンド様は持っていた鞄を私の首の下へ差し込んでくれた。ごめんなさい、こんなに優しくしてくださるのに、貴方の妹をあの公爵邸に置き去りだなんて…できるだけ早く元にもどれるようにします。と、心の中で謝る。
けどミルラがいなければ、私は元に戻れないし、家にも帰れない…すごく帰りたいって訳でもないけど、こういうときとても悪いことをしている気持ちになるわ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
そうこうするうちに二週間ほどが過ぎ、昼間はかなり暑さを感じるようになったころ、私はまた下町でレイモンド様をお手伝いしていた。
「40分並んでもらえるのはこれっぱかしの黒パンとジャムだと!馬鹿馬鹿しい!」
大きな声に聞き覚えがあった。見渡すと、見たことのある小男がぼろぼろのシャツとズボン姿で喚き散らしていた。
「侍従長様がなぜここに?」
私が尋ねると、喚きちらしていた男はこっちに気づいてやってきた。
「なんだ、誰かと思えば貧乏医者の家族ではないか!」
私はその言い方にイラっときたけれど、レイモンド様の手前ぐっと我慢する。マリアはここで怒ったりはしないはずだもの。
「皇子宮の侍従長ともあろう方がどうしてこんな場所で順番待ちを?」
私はたずねた。レイモンド様が心配そうに診察の手をとめてこっちをみているから、大丈夫、と頷いてみせる。
「ふん、あんなところは此方から辞めてやったさ。なんせあのメイド上がりの妾が偉そうにふんぞりかえっているし、第一皇子の癖にキンバリー家の圧力に押し負けて、今じゃ皇宮から出されたからな。幽霊の出そうな古い離宮におしこめられた奴らについて行くなんてまっぴらだからな!」
ええ?と私は首をかしげた。
少し前まで(元)侍従長をはじめ皇子宮の侍従やメイドは皆、ミュシャを我が子のように可愛がっていたのに?
『ミュシャの過ちは私どもの過ち!どうぞ我々全員を罰して下さい!』
と、この(元)侍従長が言ったのは、たしか去年の晩秋。
暖炉の燃え残りの灰を山盛りにしたバケツを持ったミュシャが、私のドレスに向けてぶちまけ、その上濡れた雑巾でそれを生地にすり込んだのだ。
さらに、ミュシャは人が来る前にスカートを拭くからと手にしていた火かき棒を私に手渡した。
馬の頭の飾りのついた、鋼鉄製の立派な火かき棒だった。
そのうえで、スカートにしっかり灰を刷り込まれた私が困って自分の侍女を呼ぼうとすると、ミュシャはとんでもない叫び声をあげて謝りはじめた。
そして飛んできた彼が発したのがさっきの、全員を罰してくれというものだったのだ。
勿論、ルディ殿下はミュシャをはじめとする全員を不問に付した。
むしろ火かき棒でミュシャを殴ろうとしたといって、ルディ殿下に怒鳴られて、平手で殴られたのは私のほうだった……それを満足そうに笑って(元)侍従長も見ていたはずなのに。
「あの、でもミュシャさんとは、皇子宮殿の皆さんはとても懇意にしていらしたのでは?」
「懇意?そんなことはない。あの妾は亡霊の森で殿下が猫の子よろしく拾ってきた…孤児だぞ…私は殿下に、元いたところへ返すよう進言して……その後はあまり覚えておらんが…親しくなどしていないはずだ」
話の途中で何度か(元)侍従長はふらつき、最終的には私の肩に手を伸ばしてきた。目付きはおかしいし、お酒の匂いもする。
私は驚き、とっさに逃げ出すことすらできなかった。きっと私が一人でいたなら、やすやすと肩を捕まれていたに違いない。
でも、その手が私に届くことはなかった。
「具合が悪いなら診ましょう、だから、妹から離れて?」
いつもより低く響く声。言い方は優しいけれど、腕をがっちり掴んでいる手は外れそうにない。
「わ…若先生、大丈夫、ちょっと酔っ払っただけなんで、あの…」
レイモンド様がこんなに力持ちだなんてしらなかった。めいっぱい引っ張られて道に投げ出された(元)侍従長は腕が痛いのか押さえながら後ずさった。
「そう。体を壊すといけないからアルコールは摂りすぎないようにね。帰っていいよ」
にこやかではあるのに、なんというか、冷たい言い方。レイモンド様でも怒るときはあるのね。食べ物も受け取らずそそくさと帰って行く背中を見送って、レイモンド様はまた診察するために席に戻った。
「マリア、だからよね」
なぜかチクチクする胸を押さえて、私はつぶやいた。
マリアはどうしたかしら?お義兄様は眠れているかしら?あれから学園でお義父様をみていないけれど、ストレスで体を壊したりしていないかしら?
私は学園から帰ると、侯爵夫人とキャルと三人でクッキーやパイ、ときには日持ちする黒いライ麦の入ったパン(ここへきてはじめて知った…ちょっと酸っぱい)などを焼いたり、庭に出て花の世話をしたり、ベリーやラベンダー、バラの花びらを摘んで持ち帰って、蜜と煮てジャムにしたりして過ごす。
時折下町の、あまり品の良いとは言えない場所までレイモンド様と従者の方と一緒に行って、私はできたものを配り、レイモンド様が診察する。
「父様がいれば本当はもっと、診てあげられるんだけど、ね。キンバリー屋敷での騒ぎが終わったら、今度は皇宮に呼び出されたらしくて」
両陛下のどちらかが具合がわるいのかしら?午後の診療を終えて馬車に揺られながら、私は考えた。
だけど、そういうことは口外しちゃいけないんじゃないかな?私は家族だからいいのかな…いや、本当は家族じゃないんだけど。
1日奉仕作業した体は疲れきっていて、段々と瞼が重くなる。
「ついたら起こすから、少し眠ったらいいよ」
レイモンド様は持っていた鞄を私の首の下へ差し込んでくれた。ごめんなさい、こんなに優しくしてくださるのに、貴方の妹をあの公爵邸に置き去りだなんて…できるだけ早く元にもどれるようにします。と、心の中で謝る。
けどミルラがいなければ、私は元に戻れないし、家にも帰れない…すごく帰りたいって訳でもないけど、こういうときとても悪いことをしている気持ちになるわ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
そうこうするうちに二週間ほどが過ぎ、昼間はかなり暑さを感じるようになったころ、私はまた下町でレイモンド様をお手伝いしていた。
「40分並んでもらえるのはこれっぱかしの黒パンとジャムだと!馬鹿馬鹿しい!」
大きな声に聞き覚えがあった。見渡すと、見たことのある小男がぼろぼろのシャツとズボン姿で喚き散らしていた。
「侍従長様がなぜここに?」
私が尋ねると、喚きちらしていた男はこっちに気づいてやってきた。
「なんだ、誰かと思えば貧乏医者の家族ではないか!」
私はその言い方にイラっときたけれど、レイモンド様の手前ぐっと我慢する。マリアはここで怒ったりはしないはずだもの。
「皇子宮の侍従長ともあろう方がどうしてこんな場所で順番待ちを?」
私はたずねた。レイモンド様が心配そうに診察の手をとめてこっちをみているから、大丈夫、と頷いてみせる。
「ふん、あんなところは此方から辞めてやったさ。なんせあのメイド上がりの妾が偉そうにふんぞりかえっているし、第一皇子の癖にキンバリー家の圧力に押し負けて、今じゃ皇宮から出されたからな。幽霊の出そうな古い離宮におしこめられた奴らについて行くなんてまっぴらだからな!」
ええ?と私は首をかしげた。
少し前まで(元)侍従長をはじめ皇子宮の侍従やメイドは皆、ミュシャを我が子のように可愛がっていたのに?
『ミュシャの過ちは私どもの過ち!どうぞ我々全員を罰して下さい!』
と、この(元)侍従長が言ったのは、たしか去年の晩秋。
暖炉の燃え残りの灰を山盛りにしたバケツを持ったミュシャが、私のドレスに向けてぶちまけ、その上濡れた雑巾でそれを生地にすり込んだのだ。
さらに、ミュシャは人が来る前にスカートを拭くからと手にしていた火かき棒を私に手渡した。
馬の頭の飾りのついた、鋼鉄製の立派な火かき棒だった。
そのうえで、スカートにしっかり灰を刷り込まれた私が困って自分の侍女を呼ぼうとすると、ミュシャはとんでもない叫び声をあげて謝りはじめた。
そして飛んできた彼が発したのがさっきの、全員を罰してくれというものだったのだ。
勿論、ルディ殿下はミュシャをはじめとする全員を不問に付した。
むしろ火かき棒でミュシャを殴ろうとしたといって、ルディ殿下に怒鳴られて、平手で殴られたのは私のほうだった……それを満足そうに笑って(元)侍従長も見ていたはずなのに。
「あの、でもミュシャさんとは、皇子宮殿の皆さんはとても懇意にしていらしたのでは?」
「懇意?そんなことはない。あの妾は亡霊の森で殿下が猫の子よろしく拾ってきた…孤児だぞ…私は殿下に、元いたところへ返すよう進言して……その後はあまり覚えておらんが…親しくなどしていないはずだ」
話の途中で何度か(元)侍従長はふらつき、最終的には私の肩に手を伸ばしてきた。目付きはおかしいし、お酒の匂いもする。
私は驚き、とっさに逃げ出すことすらできなかった。きっと私が一人でいたなら、やすやすと肩を捕まれていたに違いない。
でも、その手が私に届くことはなかった。
「具合が悪いなら診ましょう、だから、妹から離れて?」
いつもより低く響く声。言い方は優しいけれど、腕をがっちり掴んでいる手は外れそうにない。
「わ…若先生、大丈夫、ちょっと酔っ払っただけなんで、あの…」
レイモンド様がこんなに力持ちだなんてしらなかった。めいっぱい引っ張られて道に投げ出された(元)侍従長は腕が痛いのか押さえながら後ずさった。
「そう。体を壊すといけないからアルコールは摂りすぎないようにね。帰っていいよ」
にこやかではあるのに、なんというか、冷たい言い方。レイモンド様でも怒るときはあるのね。食べ物も受け取らずそそくさと帰って行く背中を見送って、レイモンド様はまた診察するために席に戻った。
「マリア、だからよね」
なぜかチクチクする胸を押さえて、私はつぶやいた。
605
あなたにおすすめの小説
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
「君は完璧だから、放っておいても大丈夫」と笑った夫。~王宮から私が去ったあと「愛していた」と泣きついても、もう手遅れです~
水上
恋愛
「君は完璧だから、放っておいても大丈夫だ」
夫である王太子はそう笑い、泣き真似が得意な見習い令嬢ばかりを優先した。
王太子妃セシリアは、怒り狂うこともなく、静かに心を閉ざす。
「左様でございますか」
彼女は夫への期待というノイズを遮断し、離縁の準備を始めた。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
あなたの幸せを祈ってる
あんど もあ
ファンタジー
ルイーゼは、双子の妹ローゼリアが病弱に生まれたために、「お前は丈夫だから」と15年間あらゆる事を我慢させられて来た。……のだが、本人は我慢させられていると言う自覚が全く無い。とうとう我慢のしすぎで命の危機となってしまい、意図せぬざまぁを招くのだった。
ドアマットだと自覚してないドアマット令嬢のお話。
断罪イベント返しなんぞされてたまるか。私は普通に生きたいんだ邪魔するな!!
柊
ファンタジー
「ミレイユ・ギルマン!」
ミレヴン国立宮廷学校卒業記念の夜会にて、突如叫んだのは第一王子であるセルジオ・ライナルディ。
「お前のような性悪な女を王妃には出来ない! よって今日ここで私は公爵令嬢ミレイユ・ギルマンとの婚約を破棄し、男爵令嬢アンナ・ラブレと婚姻する!!」
そう宣言されたミレイユ・ギルマンは冷静に「さようでございますか。ですが、『性悪な』というのはどういうことでしょうか?」と返す。それに反論するセルジオ。彼に肩を抱かれている渦中の男爵令嬢アンナ・ラブレは思った。
(やっべえ。これ前世の投稿サイトで何万回も見た展開だ!)と。
※pixiv、カクヨム、小説家になろうにも同じものを投稿しています。
【完結】婚約破棄、その後の話を誰も知らない
あめとおと
恋愛
奇跡によって病を癒す存在――聖女。
王国は長年、その力にすべてを委ねてきた。
だがある日、
誰の目にも明らかな「失敗」が起きる。
奇跡は、止まった。
城は動揺し、事実を隠し、
責任を聖女ひとりに押しつけようとする。
民は疑い、祈りは静かに現実へと向かっていった。
一方、かつて「悪役」として追放された令嬢は、
奇跡が失われる“その日”に備え、
治癒に頼らない世界を着々と整えていた。
聖女は象徴となり、城は主導権を失う。
奇跡に縋った者たちは、
何も奪われず、ただ立場を失った。
選ばれなかった者が、世界を救っただけの話。
――これは、
聖女でも、英雄でもない
「悪役令嬢」が勝ち残る物語。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
【3月中ーー完結!!】
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
二十年の裏切りの果て、その事実だけを抱え、離縁状を置いて家を出た。
そこで待っていたのは、凍てつく絶望――。
けれど同時に、それは残酷な運命の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と縋られても、
死の淵を彷徨った私には、裏切ったあなたを許す力など残っていない。
「でも、子供たちの心だけは、
必ず取り戻す」
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔い、歪な愛でもいいと手を伸ばした彼女が辿り着いた先。
それは、「歪で、完全な幸福」か、それとも――。
これは、"石"に翻弄された者たちの、狂おしい物語。
幼馴染に夢中の夫を捨てた貴婦人は、王太子に熱愛される
Narian
恋愛
アイリスの夫ロイは、新婚の頃から金髪の愛らしい幼馴染・フローラに夢中で、妻には見向きもしなかった。
夫からは蔑ろにされ、夫の両親からは罵られ、フローラからは見下される日々。そしてアイリスは、ついに決意する。
「それほど幼馴染が大切なら、どうぞご自由に。私は出て行って差し上げます」
これは、虐げられた主人公が、過去を断ち切り幸せを掴む物語。
※19話完結。
毎日夜9時ごろに投稿予定です。朝に投稿することも。お気に入り登録していただけたら嬉しいです♪
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる