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入学編

第2話 エリザベス・スカーレット

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「魔法師が扱う魔力とはつまり、サーヴァントが本来持つ能力を引き出すために必要な場合もあるわけだが、魔力のコントロールが出来なければ、サーヴァントの力も発揮されない──」



 ひどく抑揚の効いた声と、単調なチョークの音が講義室に響く。



 講義室は、一般的な大学の講義室と同じような内装だ。黒板の前には教卓あり、そこから扇状に広がる学生の席は、段々と後ろにいくほど高さがある。



 アルヴィスは中ほどの席に収まって、アンヴィエッタの講義を受けていた。



 アンヴィエッタの講義を受けるのは初めてだというのに、本日最後の講義、はっきりと言ってアルヴィスは眠くて仕方がなかった。



 アンヴィエッタの講義が解り難いわけではなく、元々アルヴィスはジッと人の話を訊いていることが苦手であり、昨日は好奇心で碌に眠ることができなかったのだ。



 あくびを噛み殺しつつ、室内を見るともなしに見廻す。



 さすが貴族も多く在籍する最高学府だけあり、皆真面目に講義を受けている。



 せっせとノートを取る者、教本を読む者と、様々だ。



 アルヴィスは我慢ができずあくびを掻いていると、ふと、こちらを睨む赤い瞳に気が付いた。



 当然、アンヴィエッタのものだ。



 アンヴィエッタは何を思い付いたのか、口元を怪しく歪め、アルヴィスに向き直った。



「私の講義を聞き流すとはいい度胸だな、〈最下位〉。誰のためにこんな初歩的な話をしてやっていると思う?」



「バカ相手にだろ?」



「つまり、君ということだな」



 室内にクスクスと笑い声が漏れる。



「私の話を訊いていなかった罰だ。答えろ、サーヴァントとはどうやって契約する?」



「そんなのは簡単だ、そりゃ──」



 とても初歩的な簡単な問題だったが、咄嗟に答えが出てこない。アルヴィスは首をひねり、



「頼んでみる……とか?」



 自分でもそんなわけがないと思っているが、他に答えが思い付かず応えた。



 その回答にアンヴィエッタは下を見ながら首を左右に振り、「ありえん馬鹿だな」と呟きながら深い溜息を吐く。



「答えは3つある。それがなんなのかくらい自分で調べ直せよ? ──今日の講義はここまで。各自予習しておくように」



 そう言うと、アンヴィエッタは足早に講義室を出て行った。







 ――その夜、寮の自室にて。



「眠れねぇっ!」



 ベッドで寝ていたアルヴィスは、ガバっと上半身を起こし頭を掻き毟る。



「外の空気でも吸いに行くか」



 アルヴィスはカーディガンを1枚羽織り、寮を出た。



 探検がてら学院の庭をぐるりと一周し、そろそろ部屋へ戻ろうかと思っていたが、アルヴィスは道に迷ってしまっていた。



 適当に1寮周辺かと思う場所をフラついていると───



「君、なにしてるの?」



 突然どこからともなく女性の声が響く。アルヴィスは空を見上げるが、そこに人の姿はない。



「こっちだよ」



 アルヴィスはキョロキョロと声の聞こえた方を探すと、空ではなく寮の5階の窓から女性が半身を出していた。



 その女性は端整な目鼻立ちに、すらりと伸びた腕。恐らく、脚も同様だろう。月光に輝く髪は赤く、瞳は髪色より淡い。誰が見ても美人と言うだろう。



(5階ということは、4年生か)



「俺に何か用か……ですか?」



「いいよいいよ、敬語なんて。なんか君には似合わないよ」



「慣れてないんだ、助かる。それより俺に何か用か?」



「君がずっとそこでウロウロしてるから、気になっちゃって」



「ちょっと寮の入口がわかんなくてな」



 アルヴィスは頬をぽりぽりと、少し恥ずかしそうに掻いた。



「新入生君だよね。私が教えてあげるよ」



「本当か!? 助かる。えーと……」



「あ、名前? エリザベス・スカーレット。エリザでいいよ」



「アルヴィス・レインズワースだ。サンキュー、エリザ。マジ助かった」



「ちょっと待ってね、今降りるから」



 アルヴィスの礼に応えると、エリザベスは窓から乗り出していた半身をさらに乗り出し頭から落下してきた。



「降りるからって──はッ!?」



 エリザベスは5階からアルヴィスに向かって落下中、精神を集中させる様に一瞬目を瞑った。すると身体を淡い青白い光が包む。



 そのまま青白い光を纏いさらに落下し、2階の窓に向かって右手をつき出す。そして僅かな窓の縁に指をかけ体勢を脚が地面に向くよう上下反転し整える。



 さらに落下は続くが体勢を直したエリザベスは難なく両足で着地した。



「よっと──」



 まるで体操選手のように両手を上げ着地すると、アルヴィスに向き直る。



「お待たせ」



「お、おぉ……っ」



 アルヴィスは地上15メートル以上もあるエリザベスの大胆な着地劇に呆然としていた。



「じゃっ、行こっか。こっちだよ、付いてきて」



 当の本人のエリザベスはそんなアルヴィスを気にもせず、鼻唄混じりに歩き出した。



 エリザからは既に先程までの青白い光は消えている。消えたことでやっと分かったが、時刻も時刻だ、当然なことなのだがエリザの服装は寝巻き姿だ。



 ベビードールのように透けている寝巻き姿からは上下ともに真っ赤な下着も見えている。



 どこまでも赤で統一されているな、なんてことを頭の隅で考えながらもアルヴィスは極力エリザベスの足元しか視界に入らないように俯きがちに付いていく。



「ところで──」



 歩き出して1分か2分ほどが過ぎた頃。エリザベスが両手を背中側で組ながら顔だけ後方のアルヴィスに振り向く。



「君はなんであそこにいたの?」



「ん? さっき言わなかったか?」



 アルヴィスは頭を掻きながら応えた。



「そうじゃなくって、なんでこんな時間に外にいるの?」



 エリザベスは身体ごとアルヴィスに向き直り、後ろ歩きで進む。そんな彼女を器用な奴だなと思いながらアルヴィスは掻く手を止めた。



「なんか興奮して眠れないんだよな」



「それで講義中に寝ちゃうパターンでしょ?」



 エリザベスはクスクスと笑いながら楽しそうに言い、月を見上げ過去を思い出すかのように眼を細めた。



「ちょっと分かるかも。私も入学当初はわくわくしてたもん」



「でも今日はずっと話を聞いてばかりで暇でよー。早く実習訓練がしたいぜ」



「んー、それはもうちょっとだけ先かなぁ。いきなり実習して事故なんか起きたら危ないからねぇ」



 エリザベスはその小さな顎に指を当て考える様な仕草で応える。恐らく彼女の考えるときの癖なのだろう。



「おいおい勘弁してくれよ……。身体が鈍っちまうよ」



「あっ──」



 アルヴィスが項垂れていると、エリザベスが何か閃いたのかパチンと手を叩く。その音に反応したアルヴィスは顔を上彼女の次の言葉を待つ。



「講義が終わった後の自習なら自由なんだし、演習場を借りるっていうのはどうかな?」



「演習場かぁ──」



 アルヴィスは昨日見た上級生の練習試合を思い出しながら思案する。僅かな間考え込むと嘆息を吐き、首を左右に振る。



「でもだめだ。相手がいない」



「んー、それなら私でよければ相手をするけど?」



「本当かッ!?」



「ええ、お姉さんが指導して上げましょう、後輩君」



 エリザベスはえへんっ、と胸を張り右手を添える。その仕草に全くの違和感が無く、かなりの良い所の出なのではと、この時初めてアルヴィスは思った。



「それじゃ早速明日からどうかしら?」



「了解だ。ところで演習場は勝手に借りて使って平気なのか?」



「申請が必要よ。使用したがる生徒が多いから日にち待ちになることもあるけど、それは気にしなくていいわ。私が明日、申請してきてあげる」



「いろいろと任せちゃって悪いな、助かる」



「気にしなくていいわ。それに結構君の事気に入っちゃったし、何かあったらいつでも言って? ──はいっ、着いた」



 そう言いエリザベスが振り向いた先には1寮の入口の姿が見えた。入口は既に閉じているが僅かに灯りが漏れている。



 アルヴィスがさ迷っていた場所と目的地の入口とは真逆の位置にあったわけだが、寮を半周するために掛かった時間はおよそ10分。いかに敷地が広大かを物語っていた。



 エリザベスはアルヴィスと明日の約束を再び交わすと、来た道を戻っていく。同じ寮なのだから一緒に入口から入ればよいと提案をするも、外からの方が近いからと却下されたのだ。



 独り自室に戻りベッドに潜り込むが、アルヴィスは明日のことを考えると興奮覚め遣らず眠れずに朝まで迎える事になった。
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