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第1章 獣の檻
第8話 畜生の頂
しおりを挟むもともと、琰単は太子ではなかった。琰単は今上皇帝の正室である孫皇后の子だったが、今上皇帝にとっては第九子、皇后にとっても三番目の息子、と太子になる確率は限りなく低かった。
それが覆ったのはひとえに兄たちが太子位を巡って争い、自滅したからに他ならない。皇后の産んだ他の二人の皇子たちは相争い、そしてどちらも廃された。
残った皇子たちのうち、琰単だけが孫皇后の子だったが、選ばれたのはそれだけが理由ではないとまことしやかに言われていた。
孫皇后の兄・佐儀はこのとき、外戚として要職に就き、朝廷で絶大な権力を得ていたが、誰が太子になるか――つまりは誰が次代の皇帝になるかでおのれの権力が覆る可能性があった。
琰単は見目麗しい美男として有名だったが裏を返せばそれだけの男であり、優柔不断で流されやすく、上には媚びへつらい下には無理を押しつけると、評判は芳しくなかった。
ゆえに佐儀は「おのが権力を保持しつづけるためには琰単が太子ならば御しやすし」と判断して、琰単を太子に推した、というのが巷ではもっぱら噂になっていた。
真偽のほどはともかく、そういった背景のもとに琰単は皇太子になった。
「ご自分が太子位に就いた経緯はご自分が一番よくお分かりでしょうから、それと同じように担ぎあげられる可能性がある者……つまり心優しく「御しやすい」と思われる公燕殿下を生かしておくわけにはいかなかった、というのが東宮殿下のご事情です。それにかこつけて貴女も手にいれたい、と一石二鳥を狙ったのが今回の真相でしょう」
どこか諦めたような、皮肉るような、達観した渓青の言葉を聞いたとき、翠蓮は自分の中を稲妻が駆けめぐるのを感じた。
ざわざわと産毛が総毛立ち、身体中の血が沸きたつ。息をすることさえ忘れ、見開いたままの目は次第にひりひりとしてきた。
体の中をほとばしった稲光は、翠蓮の心の奥深いところで発火した。瞬時にそれは荒い咆哮をあげる龍のごとき焔となって翠蓮の心を染めあげた。
それは、すべてを焼き尽くす紅蓮の焔――怒りの炎だった。
なぜ、公燕は殺されなければならなかったのか。
なぜ、渓青は罪なくして宦官にされなければならなかったのか。
そして、なぜ翠蓮はすべてを奪われて檻に封じこめられ、耐え難い屈辱といわれなき侮蔑に身を晒すはめになったのか。
すべては国の中枢にいすわる者たちの身勝手のせいだった。
皇帝。太子。宰相。
煌びやかな言葉と最高の称賛をもって語られるこれらの存在たちの中身は、おのが保身と欲望のままに生きる畜生にすぎないのだと、このとき翠蓮は強烈に感じた。
「…………復讐してやる……」
「え……?」
翠蓮は目に力をこめて渓青を見据えた。
「……私は、公燕様を、渓青殿を、そして私自身をこんな目にあわせた者たちを決して許しません」
「それは……」
「渓青殿は悔しくないのですか? 前途洋々だった貴方の未来をすべて奪った者たちが憎くないのですか?」
「……もちろん、その思いが消えたわけではありませんが、私一人がどうにかできることなど……」
「貴方一人でも、私一人でもなにもできないかもしれません。けれども、二人いればできることがある。いいえ、私の復讐には渓青殿、貴方の力が必要です」
「あ、貴女はいったいなにを……?」
翠蓮はひと呼吸して言った。
「私は、私の復讐のために、ここで頂点を獲ります」
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