無字の後宮 ―復讐の美姫は紅蓮の苑に嗤う―

葦原とよ

文字の大きさ
13 / 75
第1章 獣の檻

第13話 生の接吻

しおりを挟む

翠蓮すいれん様! しっかりなされませ! 翠蓮様!」

 暖かくがっしりとした腕に揺さぶられて、翠蓮は再び目を覚ました。涙で滲む視界の中に、渓青けいせいのひどく心配そうな顔が霞む。

「……大丈夫ですか、とてもうなされて……」
公燕こうえん様が……公燕様が……!」

 そういって渓青の逞しい胸板に必死で縋りつくと、心の臓の鼓動が感じとれて、嗚呼この人は生きている、と翠蓮は実感する。

 幼子をあやすように渓青の大きな手が翠蓮の背を撫でた。その体温に幾分か安らぎを覚え、恐怖に縮みあがっていた心が溶融していく。

「お辛いでしょうが、お気をしっかりともって……」

 翠蓮が公燕の死に魘されたと思ったのだろう。渓青はそう言った。

「違う、違うのです……」
「え……?」
「公燕様が語りかけてくるのです。自分を殺した兄が、見捨てた父が憎い、と。冷たいかいなで私を抱いて、首だけになって血塗れの口づけを――」
「翠、蓮様……」
「教えて、渓青! どうしたら公燕様を暖めてさしあげられるの⁉︎ 皇上も太子もすべて殺し尽くして、まだ熱い血で公燕様の塚を暖めればいいの⁉︎」

 零れ落ちる涙が止まらなかった。一体どうすれば公燕が満足してくれるのか――翠蓮を恨めしく思わなくなってくれるのか分からない。
 熱い血潮の流れる渓青の二の腕に縋りつき、翠蓮は涙した。

 そんな翠蓮を見つめていた渓青は、無言で翠蓮を抱きしめつづけた。ややあって翠蓮が落ちついてくると、翠蓮の目尻にたまった涙を優しく拭い――そして妖しく微笑んだ。

「……貴女が暖かいからですよ、翠蓮様」

「……え……?」

「貴女の心がまだ優しく暖かいから、公燕様は寒いと感じるのです。元来、成仏できぬ亡者は、凍てつく黄泉路よみじに棲まうもの。寒さを感じて凍えるのは、縋りつくことのできる暖かさがあるからです。
 ……ならば亡者が熱を感じとれぬほどに凍りついてしまえばいい」

「渓、青……」
「……宦者かんじゃとなった私の体は、もう二度と熱を持つことはありません。だからですかね、公燕殿下もこちらには寄りつきませんよ」
「で、でも、公燕様は……」
「……この復讐は確かに公燕殿下のためのものでもありますが、同時に公燕殿下のためだけのものでもありません」
「……っ!」

「命あっての物種、とは言いますが、正直貴女も私も死んだほうがましとさえ思えるような辱しめを受けました。公燕殿下とともに斬られていたほうがよっぽど楽だったかもしれませんし、これからもきっとそうでしょう」

 だから、と言いながら渓青は顔を寄せてきて、小さく囁いた。

「死者に引きずられなさいますな」

 渓青の言葉に翠蓮は泣きながらこくりと頷いた。

 公燕のことを思えば、どんなに辛かっただろう、と悔恨かいこんの念は尽きない。無念のうちに死んでいった公燕の仇を取りたい、とも思う。
 けれども渓青はある意味「非情に」なれ、といっているのだと思った。

 公燕の死は確かに無惨なものだった。しかしその後に自分が受けた仕打ちは、渓青の言うとおり「死んだほうがよほどまし」なものだったではないか。体も心も汚泥の底に沈められたように汚され、人としての尊厳も粉々に砕け散った。

 その屈辱を晴らすために踏みだした復讐の道は生半可なものではない。この先も心に潤いは望めず、一生暗い影がつきまとう。
 しかも一歩間違えれば目的を達成することなく今度こそ死を迎える。そんな状況で、すでに死んでいった者のことなど思いやる余裕は、ない。

 翠蓮が決意に顔を上げると、渓青は優しく微笑んで言った。

「貴女の暖かさは、私が奪いとります」

 そういうと渓青の顔が近づいてきて、その後起きたことに翠蓮は一瞬思考が停止した。なにか柔らかいものが唇に押しあてられ――それが渓青の唇だと理解するのに少々の時間を要した。

 その行為が、世間一般でいうところの「接吻」に相当すると翠蓮がようやく飲み込めたのは、渓青の唇が離れたころになってからだった。

 驚きに固まり、目を見開いた翠蓮に、渓青は申し訳なさそうに言う。

「……すみません、お嫌でしたか?」
「いえ、その……嫌なのではなくて……なんて言ったらいいんでしょうか……えっと……その、殿方の唇も柔らかいのですね」
「……は?」
「男性の方は体も堅いので、唇も堅いものだと思いこんでいました」
「あの、まさか、翠蓮様……口づけは……」
「はい、初めてでした」

 翠蓮がそう答えると渓青はがっくりと項垂れて、片手で顔を覆った。

「……まさかそうとは露ほども思わず……失礼いたしました……」
「別に嫌ではありませんでしたよ?」
「……公燕殿下とはされていなかったのですか?」
「公燕様はときおり手を握ったり抱きしめてくださるだけで」
「……皇上陛下や太子殿下とも?」
「あの二人は一方的に私をなぶっただけです」

 翠蓮の答えに渓青は「はあ……」と深いため息をついた。

「申し訳ございません……」
「なにを謝ることがあるのですか。こういうことも貴方に教えて欲しいのです」

 それに……といいながら、翠蓮は渓青のがっしりとした肩に手をかけた。

「私の熱は貴方が奪ってくれるのでしょう?」

 一連の惨事が起こってから初めて、翠蓮は心と体の奥底になにかじりじりとした熱がともるのを感じていた。それはかつて公燕に手を握られたときのようなふんわりとした暖かさではなく、もっと焦げつくような、ともすれば身を灼き尽くしてしまうような予感さえ感じる熱だった。

「……仰せのままに」

 再び重ねられた渓青の唇は、言葉とは裏腹にどこまでも熱かった。


しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

処理中です...