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第1章 獣の檻
第13話 生の接吻
しおりを挟む「翠蓮様! しっかりなされませ! 翠蓮様!」
暖かくがっしりとした腕に揺さぶられて、翠蓮は再び目を覚ました。涙で滲む視界の中に、渓青のひどく心配そうな顔が霞む。
「……大丈夫ですか、とても魘されて……」
「公燕様が……公燕様が……!」
そういって渓青の逞しい胸板に必死で縋りつくと、心の臓の鼓動が感じとれて、嗚呼この人は生きている、と翠蓮は実感する。
幼子をあやすように渓青の大きな手が翠蓮の背を撫でた。その体温に幾分か安らぎを覚え、恐怖に縮みあがっていた心が溶融していく。
「お辛いでしょうが、お気をしっかりともって……」
翠蓮が公燕の死に魘されたと思ったのだろう。渓青はそう言った。
「違う、違うのです……」
「え……?」
「公燕様が語りかけてくるのです。自分を殺した兄が、見捨てた父が憎い、と。冷たい腕で私を抱いて、首だけになって血塗れの口づけを――」
「翠、蓮様……」
「教えて、渓青! どうしたら公燕様を暖めてさしあげられるの⁉︎ 皇上も太子もすべて殺し尽くして、まだ熱い血で公燕様の塚を暖めればいいの⁉︎」
零れ落ちる涙が止まらなかった。一体どうすれば公燕が満足してくれるのか――翠蓮を恨めしく思わなくなってくれるのか分からない。
熱い血潮の流れる渓青の二の腕に縋りつき、翠蓮は涙した。
そんな翠蓮を見つめていた渓青は、無言で翠蓮を抱きしめつづけた。ややあって翠蓮が落ちついてくると、翠蓮の目尻にたまった涙を優しく拭い――そして妖しく微笑んだ。
「……貴女が暖かいからですよ、翠蓮様」
「……え……?」
「貴女の心がまだ優しく暖かいから、公燕様は寒いと感じるのです。元来、成仏できぬ亡者は、凍てつく黄泉路に棲まうもの。寒さを感じて凍えるのは、縋りつくことのできる暖かさがあるからです。
……ならば亡者が熱を感じとれぬほどに凍りついてしまえばいい」
「渓、青……」
「……宦者となった私の体は、もう二度と熱を持つことはありません。だからですかね、公燕殿下もこちらには寄りつきませんよ」
「で、でも、公燕様は……」
「……この復讐は確かに公燕殿下のためのものでもありますが、同時に公燕殿下のためだけのものでもありません」
「……っ!」
「命あっての物種、とは言いますが、正直貴女も私も死んだほうがましとさえ思えるような辱しめを受けました。公燕殿下とともに斬られていたほうがよっぽど楽だったかもしれませんし、これからもきっとそうでしょう」
だから、と言いながら渓青は顔を寄せてきて、小さく囁いた。
「死者に引きずられなさいますな」
渓青の言葉に翠蓮は泣きながらこくりと頷いた。
公燕のことを思えば、どんなに辛かっただろう、と悔恨の念は尽きない。無念のうちに死んでいった公燕の仇を取りたい、とも思う。
けれども渓青はある意味「非情に」なれ、といっているのだと思った。
公燕の死は確かに無惨なものだった。しかしその後に自分が受けた仕打ちは、渓青の言うとおり「死んだほうがよほどまし」なものだったではないか。体も心も汚泥の底に沈められたように汚され、人としての尊厳も粉々に砕け散った。
その屈辱を晴らすために踏みだした復讐の道は生半可なものではない。この先も心に潤いは望めず、一生暗い影がつきまとう。
しかも一歩間違えれば目的を達成することなく今度こそ死を迎える。そんな状況で、すでに死んでいった者のことなど思いやる余裕は、ない。
翠蓮が決意に顔を上げると、渓青は優しく微笑んで言った。
「貴女の暖かさは、私が奪いとります」
そういうと渓青の顔が近づいてきて、その後起きたことに翠蓮は一瞬思考が停止した。なにか柔らかいものが唇に押しあてられ――それが渓青の唇だと理解するのに少々の時間を要した。
その行為が、世間一般でいうところの「接吻」に相当すると翠蓮がようやく飲み込めたのは、渓青の唇が離れたころになってからだった。
驚きに固まり、目を見開いた翠蓮に、渓青は申し訳なさそうに言う。
「……すみません、お嫌でしたか?」
「いえ、その……嫌なのではなくて……なんて言ったらいいんでしょうか……えっと……その、殿方の唇も柔らかいのですね」
「……は?」
「男性の方は体も堅いので、唇も堅いものだと思いこんでいました」
「あの、まさか、翠蓮様……口づけは……」
「はい、初めてでした」
翠蓮がそう答えると渓青はがっくりと項垂れて、片手で顔を覆った。
「……まさかそうとは露ほども思わず……失礼いたしました……」
「別に嫌ではありませんでしたよ?」
「……公燕殿下とはされていなかったのですか?」
「公燕様はときおり手を握ったり抱きしめてくださるだけで」
「……皇上陛下や太子殿下とも?」
「あの二人は一方的に私を嬲っただけです」
翠蓮の答えに渓青は「はあ……」と深いため息をついた。
「申し訳ございません……」
「なにを謝ることがあるのですか。こういうことも貴方に教えて欲しいのです」
それに……といいながら、翠蓮は渓青のがっしりとした肩に手をかけた。
「私の熱は貴方が奪ってくれるのでしょう?」
一連の惨事が起こってから初めて、翠蓮は心と体の奥底になにかじりじりとした熱がともるのを感じていた。それはかつて公燕に手を握られたときのようなふんわりとした暖かさではなく、もっと焦げつくような、ともすれば身を灼き尽くしてしまうような予感さえ感じる熱だった。
「……仰せのままに」
再び重ねられた渓青の唇は、言葉とは裏腹にどこまでも熱かった。
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