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第1章 獣の檻
第17話 初夜 1
しおりを挟む渓青から爛月漿の効能について説明を受けた翠蓮は絶句してしまった。それほどまでにその薬は、翠蓮にとって運命としかいえない薬効を有していたのだ。
「……私は翠蓮様から『らんげつしょう』が欲しいと言われた時、まさか翠蓮様がこの薬のことをご存知なのかと慄きました。 ……この薬は私の一族の中でも秘伝中の秘伝。西市に肆があるからこそ原材料も西方から入手できますし、競争の激しい西市で中堅の薬舗である我が家が代を重ねてこられたのも、この薬のおかげと言っても過言ではありません」
翠蓮は急にその黒い小瓶がひどく恐ろしいものに思えてきた。これを使えば、きっと計画は当初の無謀な企てよりもずっとうまくいく。そしてそれがもたらす災禍と混乱もまた、初めに思い描いたものの比ではないだろうことも察せられた。
――それでも、これを使わないという選択肢は翠蓮にはもはやなかった。
「……渓青、この薬はおそらく使い方と時期に慎重にならねばならないと思います」
「はい、その通りです。どちらか一つでも誤れば、自分たちの首を絞める猛毒となりうるでしょう」
渓青の言葉に、翠蓮もゆっくりと頷く。
「計画を上方に修正せねばなりませんが、それは落ち着いて考えることにしましょう。今夜はとりあえず……予定通りに」
そう言って翠蓮は、立ちあがり居間から寝所へと続く扉を開けた。翠蓮の胸はにわかに鼓動が早くなりはじめたが、それがこれから行うことへの緊張なのか、爛月漿という薬の存在を知ってしまったからなのかは分からなかった。
ただ一つ分かっていたのは、今夜一歩目を踏みだしてしまえば、もう二度と後戻りはできない――復讐の道も、渓青との関係も――ということだけだった。
翠蓮が壁に埋めこまれた寝台に腰かけると、続いて寝室へと入ってきた渓青が後ろ手に静かに戸を閉める。そうして渓青はゆっくりと翠蓮の方へと近づいてきた。
「……どう、いたしましょうか」
「どう、とは?」
翠蓮を見下ろす形になった渓青は、腕を組みうーんと考え込む。
「恋人同士であったり、妓楼で娼妓とだったりならば私も経験がありますが、いざ教えると言われてもどうしたら良いものかと……」
「そうですか……」
「寝所を共にすると言っても、ごく普通の夫婦の営みから、後宮の皆様が好まれるような倒錯的なことまでありますからね……」
「……では私は初心者ですから、そのごく普通からお願いします。多分……私の経験したことは普通ではない……と思いますから」
「そうですね。恐らく通常の女性は経験したことはないと私も思いますよ。それでは、初夜のようなつもりでまいりましょうか」
(ああ、そう言えば私は初夜も経験していない……)
琰単に強姦されたあのときのことは、きっと初夜に計上することはできないだろう、と翠蓮は思う。
世間一般での初夜がどのようなものか翠蓮は知らないが、おそらくあれよりはずっとましなはずだ、と渓青にそっと寝台に押し倒されながら翠蓮は身を委ねた。
渓青の顔がゆっくりと近づいてきて、二度目の口づけを受けた。熱く柔らかな渓青の唇は、何度も重ねられ、離れては角度や場所を変えて翠蓮の唇を優しく包む。
ただ唇を触れあわせているだけの行為なのに、次第に翠蓮はふわふわとした気持ちになってくる。なんとはなしに目をつむっていたのだが、段々と渓青の唇と離れがたい心地になってきて、唇が離れた瞬間に自ら求めるように薄く口を開けてしまった。
「……!」
唇とは比較にならないほど熱くぬめったものに舐められて、驚いた翠蓮は思わず目を開ける。翠蓮が竦んだその刹那、渓青の厚い舌が翠蓮の口腔へと侵入してきた。
「っ……んっ……」
渓青の舌はゆっくりと優しく翠蓮の口の中を撫でていたが、やがて逃げる翠蓮の舌を巧みに捉え、うねるように絡みついてきた。口の端から唾液がこぼれていくが、両の手はいつの間にか渓青の手によって寝台に縫いとめられていて、翠蓮は渓青の舌に溺れるしかなかった。
まだ手のひらと舌を重ねているだけなのに、琰単のときとはまったく異なる、と翠蓮は思った。じりじりと焦げつくような気持ちと、うっとりと浸っていたくなるような気持ちの相反する思いが体を駆けめぐって、「ああ、これが心地よいということなのか」と翠蓮は理解する。
おそらく渓青の唾液を飲みこんでしまっているはずなのに嫌悪感はない。これがもし琰単だったならば、臓腑が穢されたと感じるに違いない、と翠蓮は思った。
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