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第1章 獣の檻
第32話 内と外
しおりを挟む深更、渓青はよろめく翠蓮を連れて掖庭宮へと戻った。夜もずいぶんと更けた時刻だというのに、回廊を歩いていると行きほどではないが好奇の視線がいくつか刺さることに渓青は気づいていた。
翠蓮は白絹の夜着と、薄手の上衣を羽織り、憔悴しきった様子で歩いている。髪はほつれ、顔は項垂れていた。
――だが、それも外で視線に晒されている間までのこと。
自室に戻り、寝台に腰かけると鬱陶しそうに垂れ下がった髪を払いのけた。
渓青はそんな様子にくすくすと笑いながら、命じて用意させておいた温かい茶をすっと差し出す。翠蓮はありがとう、とそれを一口飲むと、ふうと大きなため息をついた。
「……大変、お疲れ様でございました」
「もう、なんなんですか。行きも帰りも視線が纏わりついて。皆さん、他にやることはないのですか」
「実際、ないのでしょうね。ま、なにはともあれこれで予定どおりですね」
「ええ」
翠蓮は憔悴した様子など微塵も感じさせず、嫣然と微笑んだ。
皇帝が禁忌と愉悦の塊となった翠蓮に手を出さないわけがないことは、十分に分かっていた。
謀反を起こした息子の婚約者だった女。
亡き婚約者を今も想っている貞淑な寡婦をいたぶるという楽しみを味わえる女。
自分の後宮に入ったのに、もう一人の息子が虜にされている女。
そして息子が躍起になって寝取ったところで、結局は自分の妃嬪なのだという優越感を味わえる女。
皇帝と言えども所詮は男。そしてまた琰単があの有様では、皇帝の性根も性癖も腐りきっていることは簡単に予想ができた。
「……避妊薬は飲んでいらっしゃいますが、今日も掻き出しますか?」
「あんな水のような出ているかどうかも分からないもの、必要はないです」
そう言い放った翠蓮に、渓青はかすかに苛立ちを覚えた。
いつも琰単に抱かれたあとの翠蓮は、必ず掻き出して欲しいとせがむ。そこにはもちろん言葉どおり放出されたものを取り除いて欲しいという意味もあったが、それ以上に茶番のような閨事を演じて中途半端に燻った熱を鎮めて欲しい、という懇願の意味合いが強く、それに渓青はひそかに満たされていた。
渓青にだって情欲はある。
翠蓮は宦官とは男ではないもの、と認識しているようだが、それは大いなる誤りだ。勃起し、射精することこそないが、体の中に熱はたまる。
むしろ以前のように分かりやすく放出することができないからこそ、それがねじ曲がって表出する宦官が多い。
宦官が宦官を手篭めにしたり、反対に自分自身をいたぶってもらったり、はたまた他のもの同士がまぐわっているのを見て興奮したり。とかく通常ではない方向に行きがちだった。
その中で、渓青は比較的まともなほうなのでは、と自負している。
他の男に抱かれた翠蓮が、最終的に自分の元に戻ってくることで今のところは満足できていたのだから。
それゆえ、皇帝に抱かれた翠蓮が自分を求めないというのは、渓青にとって自我の根幹を揺るがしかねないことだった。
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