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第2章 蠱毒の頂
第9話 嵐の前触れ
しおりを挟むその日を境に、翠蓮は連日連夜琰単の閨に召されることになった。
子供が心配だから戻りたい、乳をあげたい、と言えば琰単は逆上してさらにひどく翠蓮を犯した。
琰単が翠蓮のもとを訪れていたときは、一応としては非公式のものになる。公然の秘密として後宮の住民たちも、朝儀の顔触れも知ってはいたが、皇帝の私事であるためそれ以上の追求はできなかった。
けれども太極宮の寝所に召したということは「公式」となり、記録にも残される。まさか琰単は翠蓮にふたたび子を産ませ、その子を後継ぎにしようとしているのでは、と閣僚たちは懸念し、後宮の者たちは焦燥と嫉妬に燃えた。
そんな掖庭宮の中でもっとも激しく炎上している箇所が二つあった。
一つは景仁殿、荘淑妃の宮殿である。
子が生まれれば琰単は呉昭儀になど飽きて、こちらへ戻ってくると思いこんでいたあてが外れた。
それに呉昭儀が産んだのはよりによって男児。自分の地位が脅かされる可能性が出てきたため、荘淑妃は焦りはじめた。媚蠱を行うには時期尚早な気もしていたが、それ以外に方法はない。まさか今更忌々しい皇后と手を組むわけにもいかない。
手をこまねいて事態を見ているばかりでは埒が明かないことは分かっていたが、有効な手立ては思い浮かばず、酒量だけが増えていった。
もう一つ、怒声が鳴り止まない宮殿があった。儲春殿、言わずと知れた劉皇后のものである。
荘淑妃から皇帝を引き離すために呉翠蓮を手駒にしたところまではよかった。そして皇帝が目論み通り淑妃から離れたものの、今度は呉昭儀に執着して結局自分の所に寄りつかなくなった。昭儀が男児を産んだのもの厄介だった。
それに最初は遜っていた呉翠蓮だったが、出産してからというものの自分の所に挨拶にも来ない。産後の肥立ちが悪くて挨拶に来れない、と手紙がきていたが、宦官に探らせると琰単が抱き潰しているようで床からあがるのも一苦労という実情が分かり、ますます皇后は苛立った。
皇后宮の宦官たちは痣と傷が絶えなくなり、一人また一人、と櫛の歯が抜けるように辞めたり入れ替わったりしていった。
放置された形の皇后と淑妃。昭儀に入れこむ皇帝。
後宮だけでなく朝廷でもその話は問題視されはじめたが、閣僚たちが琰単を諫めても、琰単は重臣の前では形ばかり頷くだけで一向に態度を改めようとしない。
皇后自身も血縁である孫佐儀にとりなしを訴えた。それで琰単は一度は翠蓮を呼ばない日があったのだが、よくよく探らせればだからと言って皇后を閨に侍らせたわけではなく、琰単自身が麗涼殿へ潜りこんでいた、ということさえあった。
孫佐儀をはじめとする皇后派がいよいよ焦りはじめたころ、後宮にも朝廷にも激震を走らせる訴えが秘密裏にあった。
***
荘淑妃が呉昭儀に呪詛を行った。
そう聞かされて極秘に招集された重臣たちは、来るべき時がきてしまった、と慄いた。
集められたのは皇帝・琰単と六名の閣僚。
まずは孫佐儀。先帝の時代からの功臣ですでに第一線は退いている。実務職ではなく最高名誉職である三公の一つ・太尉に就いているが、元勲として睨みをきかせ、朝廷に隠然と君臨していた。
それから軍部の要、李石鎮。こちらも先帝の代に武勇を誇った名将であり、三公の司空を務めていたが、孫佐儀とはやや毛色を異にしていた。
そして門下省侍中・関定憲、中書令・頼士載、尚書左僕射・慕容季正、最後にいつぞや琰単に諫言した尚書右僕射・張了進と壮々たる顔ぶれが集まった。
「……こちらが、呉昭儀様の宮殿の地下に埋められようとしていたものでございます」
渓青が御前会議でその白い壺を台の上に置くと、まずは張了進から待ったがかかった。
「……待て。そなたは昭儀付きの宦官であろう。なにゆえ宮殿の地下など見たのだ」
張了進の口調は、自作自演をはなから疑っているようなものであった。それに対して渓青はうしろに控えていた一人の宦官を呼び寄せる。
それはいつぞやの淑妃付きの北族の宦官だった。
「……やつがれは淑妃様付きの宦官でございます。淑妃様にこれを昭儀様の宮殿の下に埋めるように命令されたのですが……」
「……もしや、そなた宇文貞護ではあるまいか⁉︎」
その北族の宦官を見て驚いたように声をかけたのは司空・李石鎮だった。どうやらこの宦官と顔見知りであったらしい。
「慶路河の戦いの際によく働いてくれたことは覚えておるぞ。よもや宦官になっておろうとは……なんぞ罪でも犯したのか?」
「いえ……荘淑妃様のご命令で、宦者にさせられました」
「……なんと! 有能な武官がこんな目に……」
「ごほん!」
わななく李石鎮に孫佐儀が咳払いをする。李石鎮はまだなにか言いたげだったが、このままでは御前会議が進まないと冷静に判断したのだろう。北族の宦官――宇文貞護に話を促した。
「荘淑妃様に命じられてこれを埋めようとしましたが、この中身はやつがれの血縁でございます。あまりに酷いと、こうして訴え出た次第にございます」
「……中身が血縁とはどういうことじゃ」
「……ご覧くださいませ」
疑問を発したのは関定憲だ。彼は北族のうちでも名家出身で、北族らしからぬ神経質さと線の細さを備えた、文官肌の男だった。そうして封が剥がされた壺の中身を好奇心から真っ先に覗いた結果――一瞬で嘔吐した。
「うげええええっ!」
「関侍中⁉︎ いかがされた⁉︎」
「なにが入っておったのだ⁉︎」
関定憲は宦官に付き添われてよろめきながら退室していった。宇文貞護はそれを憐みの視線で見送りながら、壺の中身をそっと取り出し、台に敷かれた白い布の上に丁寧に置いた。
そうして並べられたものに、琰単と残りの五人は全員声を失った。
干からびた嬰児の死骸、指輪をはめたままの女性のものらしき萎びた手首、懐紙で包まれた黒い髪。
関定憲のように吐きこそしないものの、口元を覆って堪えているのだろう者もいた。
「……これはやつがれの族妹にあたります、宇文承児と申す元・女官の手首と遺髪にございます。荘淑妃様にお仕えしておりましたが、陛下がまだ東宮であらせられた際に、一度だけ寵を受けたことがございます」
「朕が淑妃の女官に……? ……あっ! あの時のことか」
「……どういうことでございますか、陛下」
鋭いまなざしで問うた孫佐儀に、琰単はしどろもどろに答える。
「……昔、淑妃のもとを訪れた際に、淑妃が急に月のものになってしまったのだ。それで朕は帰ろうとしたのだが……その女官を淑妃が勧めてきて……それでな」
「さようでございます。そしてなんの因果か、承児はそのときに懐妊してしまったのです」
「だが、あのときの女官はしばらくして流産し、それが元で死亡したと淑妃から聞いておるぞ」
「……実際は、女官ごときが身籠ったことが気に食わなかった淑妃様に、ひそかに殺害されたのでございます。生きたまま肚を割かれ、嬰児も締め殺されました」
「……なんと酷いことを……」
あまりの惨劇に一同が俯いたとき、琰単がよろりとしながらその萎びた手首をとりあげた。
「……これは…………」
琰単が手をひっくりかえすと、なぜか手のひら側に小さな紅玉髄がきらりと光る金の指輪が中指にはめられていた。
「……これは、朕が下賜した指輪ではないか……一夜の思い出になにか欲しいとねだられ……」
「……淑妃様はそれも気に障ったのです。なんとかして承児からその指輪を取りあげようとされましたが、承児は石を内側にしてまで取られまいと抵抗しました。淑妃様はそれに苛立ち、ならば手首ごと……と切り落とされたのです」
「なんということだ……!」
すでに宇文貞護は静かに涙を落としていた。
「……淑妃様は承児とその子を殺しただけでは飽き足らず、これらを媚蠱の形代にしようと隠し持っていました。やつがれはなんとかこれを取り戻そうと機会を伺っておりましたが、淑妃様は寝台の脇にこれを隠して頻繁に中身を確認しておられたので手が出せず……」
「こんなものを、寝台のそばに置いていたというのか……?」
ついに頼士載もふらついてしゃがみこんだ。すぐさま宦官が駆けより、手を貸して部屋の隅に座らせる。
「このたび、呉昭儀様を呪い殺すために、麗涼殿の下に埋めてこいと命じられたので、ようやくこれを取り出し、その足でこうして訴え出ることができたのです」
(……これは真っ赤な嘘ですけれどね)
渓青は内心でひとりごちた。実際には荘淑妃はまだなにも命じていない。だがこうしてひそかに持ち出した物と、宇文貞護の証言があれば荘淑妃が動く前に先手を打つことができる。いまごろ淑妃は壺の中の偽物を確認して、いつそれを使おうかと手ぐすねを引いているだけだ。
それにこれを使われてからでは遅いのだから、と渓青は思った。
琰単と重臣たちはようやく最初の衝撃から立ち直ったようで、口々に意見を言いはじめた。
民間ならばともかく、公の場での呪詛は法によって固く禁じられていた。それに虫や動物が贄として使われるならばまだしも、嬰児の死骸と女性の手首・髪が使われようとしていたことで呪詛の重さが窺い知れる。
これにより荘淑妃への嫌疑は、呉昭儀に対する呪詛だけでなく、皇帝の子とその母親の殺害も加わった。
御前会議は秘密裏に荘淑妃とその親族を確保することで話がまとまった。琰単は呪詛をかけられた翠蓮のもとへ一刻も早く駆けつけたい様子だったが、今回の件は波及が大きすぎた。珍しく琰単自身があれやこれやと差配をしている。
渓青はそんな様子を尻目に、人知れず太極宮から退出した。
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