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第2章 蠱毒の頂
第10話 罪
しおりを挟む朝廷が一大事に陥っているとは、一部の人間以外は露知らず、掖庭宮は柔らかな秋の陽射しに包まれていた。
けれども翠蓮の居室の横に設けられた孝の寝室にだけは、重苦しい雰囲気が漂っている。
「……翠蓮様、やはり私が」
御前会議から戻ってきた渓青が、見かねるように言葉を発したが翠蓮はそれを遮った。
「いいえ」
中空をきつく睨みながら、意を決したように翠蓮は顔をあげた。
「これは私がせねばならぬこと。私は自分が犯す罪を自らにしっかりと刻まねばならぬのです。渓青の手だけを汚して、自分は素知らぬ顔で生きるなどできません」
「翠蓮様……」
翠蓮は愛おしげに孝の頬を撫でた。
「私の子……愚かな母を許して、などとは言いません。私は私が犯す罪の重さを十分に承知しています。けれどもそれでも成し遂げたいことがある。あなたは……生まれたときからこうなる運命にあった。恨むならいくらでも恨んでください。その覚悟はできています」
涙は流れなかった。心が乾いたように、現実と切り離されて自分を俯瞰しているもう一人の自分がいることに翠蓮は気づいていた。
それはある種の防衛本能だったのかもしれない。これから犯すことについて、心が壊れてしまわぬように、理性が感情を制御しているかのごとく翠蓮には思えた。
かすかに衣ずれと靴音が回廊から聞こえてくる。翠蓮は意を決して、渓青とともに寝室の脇にひっそりと設けられた隠し部屋へと入った。
ややあって、何人かが入室してくる音がする。
「……呉昭儀、皇后陛下がおなりです。呉昭儀、いらっしゃらないのですか?」
皇后付きの女官が尋ねる声に、隣室から慌てて駆けつけた乳母が答える。
「恐れながら、昭儀様はご気分が優れないと、さきほど厠のほうへ……」
「皇后様がわざわざお見えになると先触れまで出したのに、なんと無礼な……」
「私、昭儀様を呼んでまいります」
皇后とその女官の剣幕に圧されたのだろう。震える声で答えた乳母は、回廊へと慌てて飛びだしていった。
その様子を見て、残された女官が呟く。
「赤子だけを置いて、なんと無用心な……」
「まあ、いずれ戻るであろうしかまわぬ。 ……それにしても、呉昭儀は目障りでも、赤子は可愛いものかと思うておったが……やはり不愉快じゃ」
そう吐き捨てた劉皇后はすっと赤子の頬に手を伸ばした。
「……陛下と同じ髪色だなどと、ほんに憎らしい。女児でも産めば見逃してやったものの、男児など……忌々しい。妾が引きたててやった恩も忘れて悦楽に耽るなど、なんと浅ましくふしだらな女であろうか」
「所詮は父子共々とまぐわう卑しき雌犬にございます」
「ほんにな。いずれ手を打たねばならぬ……この子供も含めてな。ええい、見ておるだけで苛々する。もうよい、行くぞ」
「御意に」
そう言うと、劉皇后とお付きの女官たちは部屋を出ていった。
物音が完全にしなくなったのを確認して、翠蓮と渓青は隠し部屋から出る。
そしていつぞや皇后付きの宦官が渓青に渡した髪紐を、翠蓮はおもむろに孝の首に巻きつけた。両端を握った翠蓮の震える手に、そっと暖かく大きな手が重ねられた。
「……渓青…………」
「貴女の罪は、私の罪です」
翠蓮は小さく頷くと、渓青とともに手に力をこめた。
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