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第2章 蠱毒の頂
第11話 蠱毒の宮
しおりを挟む琰単は慌てて掖庭宮へと向かっていた。御前会議で荘淑妃の罪状が詳らかにされたあと、荘淑妃本人とその親族の確保の手筈を整え、後宮を秘密裏に捜索させて他に呪詛の痕跡がないかどうか調べるように命じ、万が一に備えて太医令も待機させるなど、琰単は慌ただしく動いた。
そこまでやって一段落すると、いてもたってもいられず後宮へ足を向けた。いまだ呪詛のことは後宮では明らかにされていないが、嫉妬深い荘淑妃のことである。すでに他の呪詛を企んでいるやも、と翠蓮が心配になったからだ。
琰単が足をもつれさせながら翠蓮に与えた麗涼殿へ赴くと、庭のほうから苦しそうな声が聞こえてきた。
そちらを見ると、探していた翠蓮本人が庭にしゃがみこみ、宦官がその背をさすっている。
「翠蓮! いかがしたのだ⁉︎」
「陛下……お見苦しい姿を……」
うっすらと涙を浮かべ、口元を拭う翠蓮は、尚も美しい。よろめくその体を支えると、清楚な花の香りが漂って、琰単はどきりとした。
「具合が悪いのか⁉︎」
「さきほど、急に吐き気が……」
「なんだと⁉︎」
(よもや……淑妃め! 媚蠱だけでは飽き足らず、やはり他にも呪詛を行ったな!)
琰単は翠蓮を横抱きに抱えあげ、宮殿へ向かった。翠蓮は一児の母とは思えぬほどに軽く、琰単の贈った領巾に包まれた姿は天女と見まごうほどだった。
もともと白い顔は今は青白いといってもよいほどになり、生気がない。いつも艶めいて琰単を誘う紅い唇は、紫がかっていて、ふるふると震えていた。
「大事ない、すぐに良くなるであろう」
(……呪詛の大元はすぐに断つゆえ、な)
麗涼殿の回廊に到達すると、宦官がさっと扉を開ける。翠蓮の寝室へ行くためには、居間そして孝の寝室を通らなければならない。
孝の顔を見せれば翠蓮はきっと元気を取り戻すであろう、と琰単は翠蓮を抱えたまま孝の眠る赤子用の豪奢な寝台に近づいた。
そのとき二人は同時に異変に気づいた。
「孝……⁉︎」
翠蓮は弾かれたように琰単の腕の中から飛びでて孝に駆け寄る。琰単もまた、自分の目で見たものが信じられなかった。
孝は――首になにか紐の跡のようなものを残して、すでに事切れていた。
「嘘っ、うそ、いやっ……孝……っ⁉︎」
錯乱する翠蓮を琰単は固く抱きしめる。琰単自身とて泣き叫んでおかしくなりそうな気分だった。
「誰かっ! 誰かあるか……っ!」
琰単の叫び声に応じて、宦官や女官が慌てて駆け寄ってくる。琰単はそれらをぐるりと見回すと、舌をもつれさせながら問うた。
「お、皇子が殺害された! この部屋に朕の前に立ちいったものは誰だ⁉︎」
琰単の剣幕に圧されて誰も答えない。ちっと舌打ちすると、震える小さな声があがった。
「お、恐れながら……」
「誰だ!」
それは孝の乳母だった。乳母は頭を床にこすりつけるようにして、がたがたと大きく震えながら言う。
「……お、お、恐れながら……こ、皇后陛下と、その女官の方々が……」
「なんだと⁉︎」
「……い、いやあああああっ‼︎」
その言葉を聞くやいなや、腕の中の翠蓮が悲鳴をあげ、気を失った。
***
琰単は玉座の上で痛むこめかみを押さえた。
ただでさえ皇帝の執務は面倒なことが多いのに、今は降って湧いたような後宮の未曾有の惨事の処理に忙殺されていた。
荘淑妃による、呉昭儀への呪殺未遂および過去の女官とその子の殺害容疑。
そして劉皇后による、皇子・孝の殺害。
それだけではない。劉皇后に関しては、宦官の供述により皇太子の生母である金婕妤の殺害も明らかになった。
皇后側は、皇子・孝の殺害に関しては濡れ衣だと主張したが、麗涼殿の片隅から、燃え残った皇后の髪紐の一部が発見され、皇子の首元の跡と一致したことにより、容疑は固まった。
劉皇后・荘淑妃は一時的に幽閉したが、廃位は確実視されていた。宦官たちが仄めかしたところによれば、おそらく被害者は金婕妤や呪詛の形代に使われようとしていた女官だけではない、と言うのだ。
被害にあった女官の縁戚である宦官は、嬰児と手首、遺髪を引き取り、ようやくねんごろに弔うことができると涙していたそうだが、そんなことは琰単にとってはどうでもよかった。
問題は、翠蓮ただ一人である。
翠蓮は事件以来、高熱に魘され、伏せる日々が続いていた。
琰単は今日も麗涼殿を訪れた。
だが応対に出た宦官から聞かされる言葉は同じだ。
「呉昭儀様は高熱により伏せっておいでです。面会はかないませぬ」
「一目だけでも会えんのか⁉︎」
「……万が一にも皇上陛下の玉体に病などおうつりになられたら、一大事でございます」
「朕のことなどどうでもよい! 翠蓮‼︎」
琰単は固く閉ざされた麗涼殿の扉を叩いた。だが扉が軋む音だけが虚しく響く。琰単は扉の前に崩れ落ちた。
「翠蓮……翠蓮! 朕にはもうそなただけだ‼︎ 早く元気になって、また子を儲けよう。そうして笑ってくれ……」
琰単のすすり泣く声が回廊にこだまする。
それを聞いた人々は、皇上陛下の愛情のなんと深いことか、と涙した。
***
寝台の上で翠蓮は涼しげな顔で、その茶番劇を耳にしていた。そしてかたわらに立つ渓青に笑いかける。
「……後宮とはまこと、蠱毒のようなものですね」
「確かにそうですね」
後宮という狭い壺に入れられた女たちは、醜く浅ましく相争う。そして最後に残った蟲が――標的の喉笛に喰らいつくのだ。
「これでようやくここの掃除が終わりました」
翠蓮は、ただ嗤った。
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