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第2章 蠱毒の頂
第19話 道化の空想
しおりを挟むその日、琰単は上機嫌で執務を終え、太極宮から掖庭宮へと移動していた。二日ほど前に、翠蓮付きの宦官から、翠蓮の体調がようやく元に戻ってきた旨の報せを受けたからである。
とりあえずは「見舞い」と称して麗涼殿を訪れることにした。いままでは麗涼殿へ行くのにも皇后や淑妃に若干の後ろめたさを感じていたが、もう誰に憚ることもない。
孫佐儀や張了進あたりは良い顔をしないだろうが、後宮には翠蓮以外に訪れるべき女がいないのだから致し方あるまい。
あれだけお小言を並び立てるくらいならば、翠蓮以上の女を後宮に用意しろと、こちらが苦言を呈したいくらいだ。
琰単にとって、皇后との閨事は苦痛だった。細いだけで柔らかさのない体はまだ目をつぶるとしても、翠蓮のような淫蕩さも心地よさもなく、ただ挿れて出して終わりという、儀式の手順にさえ思える性交。そんな拷問のような時間を何度繰り返しても身籠る気配すらなかったのだ。
淑妃も最初は良かった。柔らかで豊満な体、快楽に従順でとどまることを知らない奔放さは、皇后とはなにもかも違っていた。
だが、子を産んだあたりから徐々に変わりはじめた。なにかにつけて、自分の親族を要職につけて欲しい、自分の子を後継にして欲しいとねだられ、景仁殿に運び込まれる酒の量も、衣服や宝飾品に支払われる金子も右肩上がりで後宮の財政を圧迫していた。
子を産んですっかりと緩くなってしまった股も、琰単を快楽へ導くことはなくなった。
翠蓮のように貞淑で清楚な見た目、手足はすらりと長く、柳のように細く揺らめく腰、それに似合わない豊かで柔らかな胸の持ち主を琰単は他に知らない。
主張せず我欲がなく、酒宴や奢侈に耽ることもなく、それでいて閨では散々に乱れ、琰単を満足させる名器を有していて、おまけに皇后と違って子もきちんと孕めるのだ。
なにもかも理想の女がいるのに、どうして他の女に目移りなどできようか、自分ほど一途に女を愛する皇帝はおるまい、と琰単は自画自賛した。
良識ある人が琰単の主張を聞いたならば、こう思っただろう。
それは理想の女ではなく、男に都合が良いだけの要素を詰め込んだ人形ではないのか、と。
だがそんな諫言を琰単にする者はこのときすでにおらず、またされたとしても琰単は激昂して聞き入れなかっただろう。
ゆえに琰単は上機嫌であった。
これでなにもかもうまくいくと信じ、疑いさえしなかったのだから。
そんな琰単が進む回廊の先に、跪いて頭を垂れている者があった。
「……斉王か」
「ご機嫌麗しゅうございます、陛下」
自分と同じ色の髪をもつ弟だったが、琰単に媚を売るのと戦場で暴れるくらいしか才がなく、毒にも薬にもならない存在のこの弟を、琰単は内心軽蔑していた。
まだ人望があった公燕と比べて、殺す価値さえもない。
一応は軍事方面に放り込むことができるので、今度の対外遠征の閣議のために領国から呼び戻していた。だがそれをいいことに、連日西市の妓楼へあがっているともっぱらの噂だ。
「どちらへおいでで?」
「呉昭儀のところだ。体調が戻ったようなのでな」
「……それはようございます! 後宮もこのところ大騒ぎ続きで沈み込んでいるそうですから、陛下がいらっしゃれば、みなさぞや華やぐでしょう」
瑛藍の言葉に、琰単は気を良くした。翠蓮のところへ行くと言えば渋い顔しかしない連中ばかりだったが、ほらみろやはり良いことではないか、と溜飲を下げる。
「そうか。後宮はそんなに賑わいがないのか」
「はい。宦官どもがみな嘆いておりました。陛下がいらっしゃらない後宮は、太陽があがらない冬の闇のようだと」
「ふむ……」
「陛下がおいでになれば、掖庭宮はまるで春が訪れたようになるでしょう。春は新しい命の季節。なんともおめでたいことです」
「新しい、命……か」
琰単はそれを想像した。春の庭に咲く大輪の白い牡丹のように、清楚に艶やかに佇む翠蓮。そのまなざしは柔らかく優しく細められ、琰単とその子を見守っている。
そう思い描くと、すぐにでもそれを実行したくなった。琰単は瑛藍がいることなどすっかりと忘れ去って、ばさりと袖を翻し、後宮へと足早に向かう。
琰単にはなにも見えていなかった。
見送った瑛藍が蔑んだまなざしを浮かべていることも、そのうしろに盲目の鍼師がそっと控えていることも。
「……ま、もう全部遅いんだけどね」
瑛藍のその呟きは、冬の寒風にさらわれ、いまにも雪が降り出しそうな曇天にとけて消えた。
琰単が麗涼殿へ赴くと、そこはいつもと違ってなにやら慌ただしい雰囲気に包まれていた。女官が布のようなものを持って、ぱたぱたと走っていくのが遠目に見える。
すわ翠蓮の身にまたなにか起こったのかと、琰単は慌ててそこにいた北族の宦官に問うた。
「いかがしたのだ。翠蓮になにかあったのか!」
「あっ! へ、陛下……っ! まことに恐れながら……」
「翠蓮は無事なのか⁉︎」
「は、はいっ……さ、さきほど昭儀様が飼われている猫が水盤を蹴倒しまして、昭儀様が頭から水をおかぶりになられたのでございます……」
「なんだ、猫か……」
一大事なのかと慌てた琰単は、ほっと胸を撫で下ろした。
「猫ならば致し方あるまい。それで翠蓮はどこだ」
「昭儀様は湯殿で身を清められておりますので、いましばらくお待ちいただけますれば……」
「よい。朕がそちらへ行く。案内せよ」
「へ、陛下⁉︎」
慌てる宦官に案内させて琰単が進むと、驚いた女官たちがいっせいに道をあける。宮殿の奥まったところにある湯殿へ辿り着くと、扉を開けようとする宦官を制した。この着替えの間のむこうに湯殿があるようだが、なにやら楽しげな声が聞こえてくる。
琰単は翠蓮を驚かせようと、自らそっと扉を開けた。そうして目に飛び込んできた光景のあまりの美しさに呆然とした。
湯煙で霞む中、翠蓮は床にはめ込まれた白い石造りの浴槽の縁に腰かけていた。真っ白な浴衣が濡れて、上気した薄桃色の肌に貼りつきその柔らかな体の線を浮かび上がらせる。見えそうで見えない、そんな風情が余計に劣情をそそった。
まとめた髪から一房こぼれ落ちた髪が肩にかかるのさえ艶かしい。体をひねってうしろを向き、柔らかに笑っていた。
「もう、せっかく首紐を取り替えてあげようと思ったのに……いけない子ですね」
翠蓮が指でちょんと触ったさきには、宦官に抱きかかえられた白い猫がいる。これが水盤を蹴倒した猫なのだろうが、そんなことは瞬時に頭から追いやられるほどに琰単は翠蓮から目が離せなくなっていた。
「……翠蓮」
琰単が一声かけると翠蓮はさっと振り向き、その瞬間に幻想的でさえあった光景がかき消えた。
「陛下……っ!」
翠蓮はとっさに腕を組み合わせて胸を隠すように――自分の体を守るように身構えた。さきほどまでの柔らかな雰囲気はどこにもない。穏やかな時間への侵入者を拒むように、無機質な黒水晶の瞳が琰単に向けられた。
(朕はこの目が嫌いだ……)
子供はともかく、小動物にさえ注がれる翠蓮の優しいまなざしは、琰単にだけは決して向けられることがない。
翠蓮は琰単を悪し様に罵ったり、侮蔑の言葉を吐くことはない。体だって寝台に押し倒せばあっという間に素直になる。
けれども目だけが雄弁に語るのだ。その愛情を琰単に向けることはない、と。
(……朕は……朕は、皇帝ぞ!)
腹立たしくなった琰単は、無造作に自らの衣服を脱ぎ捨てる。靴も放り、単衣だけになると、ざばりと浴槽へ足を踏み入れた。
「陛下……っ……いけませぬ、ここは陛下がお入りになられるような湯殿では……」
翠蓮が縋るように宦官を見る。それさえも厭わしく、琰単は手を払って宦官を退けさせた。猫を抱えた宦官は、一礼すると扉の向こうに消える。
「……体調が戻ったと聞いたのでな。そなたの体が疼いておるだろうと、満たしにきてやったのだ」
「そん、そんな、こと……っ!」
浴槽の端まで翠蓮を追い詰めると、ぐるりとうしろを向かせた。浴衣の肩の部分を掴み、一気にずり下ろして上半身を露出させる。ぶるんと豊かな胸が揺れ、雫が飛び散った。
琰単はそのまま翠蓮の浴衣の袖を後ろに回し、固く結んだ。
「な、なにを……っ」
「これで逃げられぬであろう」
湯の水位は腰の高さくらいまである。手を使わずに上がるのは不可能そうだった。琰単はうしろから手を回し、赤く色づいた翠蓮の乳首を摘み、ひねった。
「……っあああん! い、やあぁ……っ」
「せっかく乳が出ていたのに無用になってしまったな。またすぐに孕ませてやるゆえ、安心せよ」
しばらく胸をいじめていた琰単だったが、すぐに我慢できなくなり翠蓮の浴衣の裾をたくしあげる。指を秘裂に挿し入れると、ぬるりとした感触が琰単の指をつつんだ。
「いくら子を産んで母になろうとも、そなたの淫乱な性質は変わらんな。どれだけ待ちわびておったのだ。女陰がどろどろだぞ」
「ち、違います……っ……それは、お湯が……っ」
「嘘をつけ。こんなにぬるぬるとした湯があるか。どれ、そなたの好きなもので埋めてやろう」
「い、いやああっ!」
ずぶりと一気に琰単が埋め込むと、翠蓮は背をしならせ、がくがくと震えた。あまりの締めつけに、琰単は息を止めて堪える。
「……っく、う……っ……そなた、子を産んだとは、思えんな……っ」
「いやあぁ……動か、ないで……っ……いま、だめぇ……っ」
「なにを、言うか……朕は挿れた、ばかりぞ……っ」
「っああ! や、ああぁ……お湯、はいって、くるぅ……っ」
ざばりざばりと湯が波打った。琰単は翠蓮の細い腰をしっかりと掴み、激しく揺さぶると、一番奥に孕ませるように叩きつけた。
「あっ、ああっ、ああああんっ! いや、あぁ……お湯より、あついの……なか、とけちゃう……っ」
可愛らしいことを言う、と琰単はいたく満足した。だが翠蓮を見ると、くったりとしている。湯当たりかと思い、琰単は宦官を呼びつけ、翠蓮と自分の体を拭わせて部屋へと運ばせた。
翠蓮は意識はあるが、寝台の上でぼうっとしている。そんな風情でさえもどこか扇状的で、琰単はごくりと唾を飲んだ。そのかたわらに立つと琰単は告げる。
「……そなたがあのように煽るから悪いのだ。そうだ、元気が出ることを聞かせてやろう」
翠蓮はその黒い瞳だけでちらりと琰単を見た。
「五日後、孫佐儀の家へ行くことにした。無論、そなたも一緒だ。朕は朝儀でそなたを皇后に、と言うておるのだが、佐儀と張了進はなにかと理由をつけて首を縦に振らぬ。
だが皇帝が臣下の家に行くなど滅多にあることではない。孫家にとってはまたとない栄誉となるであろう。ゆえに、佐儀も恩を感じてそなたの立后を了承するはず」
こんな名案を思いつくなど、自分はなんと聡明なのだろうと琰単は得意げになった。五日後が楽しみになり、琰単は翠蓮に「出かけるときは存分に着飾れ」と言い置いて麗涼殿をあとにした。
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