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第2章 蠱毒の頂
第25話 激昂
しおりを挟むその日、翠蓮はのんびりとした夜を過ごしていた。
瑛藍から妊娠した女でも楽しめる方法がある、と吹き込まれた琰単はあのあと、さっそく翠蓮を寝所に引っ張り込んだ。
それ自体は目論見どおりだったので、なにも問題はない。
瑛藍が予想したとおり琰単のものは片手で十分だったとか、胸で挟んだら琰単の先端は出てこず、舐めるのにすこしコツがいったとかその程度の問題があったくらいだ。
命じられたので仕方なく嫌々そうに苦しそうに、すこし過剰に演技すれば、単純な琰単は興奮冷めやらぬ様子だった。抱かれるよりも短時間で終わってくれるし、後始末も楽だしで、なんとも効率的だと翠蓮はひそかに喜んでいた。
問題はそれに味を占めた琰単が、連日連夜翠蓮を宴席に侍らし、そのまま閨に連れて行く、という流れが定型化してしまったことだ。
あまり餌を与えすぎると琰単は調子に乗るし、飽きる可能性も高い。なにより翠蓮自身が面倒臭かった。
そこで喉が痛いと偽って宴席から早々に切り上げ、こうして自室でようやく羽を伸ばせた、というわけだ。
いまごろ瑛藍と緑基は忙しくしているのだろうか、と二人を思う。緑基の立てた作戦において、翠蓮に課せられた役割は琰単を引きつけておくこと、無事に子を産むこと、それのみだ。
閣僚相手では翠蓮は動きようがない。自由に出歩くこともできないし、下手に彼らと接触しようものなら琰単が激怒するのは目に見えていたし、いらぬ疑念を招く。二人を信じて待つだけだった。
「……ここのところお疲れでしたから、どうぞ」
渓青がそう言って卓にことりと茶碗を置いた。繊細な透かし彫りがされた白い器をそっと取ると、馥郁とした花の香りが漂う。
「……茉莉花ですか?」
「はい。南方から早咲きのものが届きましたので、花をすこしいただいて茶葉に混ぜました。南の庭苑のほうに移植させましたから、明日にでも見に行きましょうか」
「そうですね。朝方のほうが陛下はいないでしょうから午前中にでも」
それを聞いて渓青がくすりと笑った。琰単は離宮で完全に自堕落な日々を過ごしている。宮城にいるのと違って離宮では面倒なしきたりや祭祀もない。政務も火急のもの以外は持ち込ませないようにしていた。
そのため夜遅くまで酒宴に耽り、昼過ぎころにようやく起き出す。こちらは妊婦なのだからそれに付き合わせないで欲しい、と翠蓮は心の底から思っていた。
けれども厄介な閣僚たちや後宮の他の女たちから引き離し、翠蓮にだけ耽溺させるという意味では離宮はうってつけだった。それに瑛藍や緑基とも顔を合わせやすい。
今度からなにかことを起こすときは、それとなく離宮行きをねだるか、と翠蓮が考えていたときだった。
茶を注ぎ足そうとしていた渓青が、なにかに弾かれたようにぴくりと顔を上げて一瞬で緊張感を漂わせる。きつく回廊のほうを睨み、音も立てずに懐に入れていた扇を取り出した。
その仕草を見て、「なにか」が起きたと翠蓮も瞬時に悟る。
「……翠蓮様、寝台にお入りになって下さい」
渓青の短い指示にすぐさま従い、翠蓮は壁に作り付けられている寝台へ駆け込む。その前に渓青が立ち塞がり、大きな背で翠蓮を隠した。
その瞬間、回廊に繋がる扉が蹴り倒されけたたましい音があがる。黒い装束を纏い、目だけを出した男たちが十人ほどばたばたと侵入してきた。襲撃者たちはそれぞれに白刃をきらめかせ、じりじりと距離を詰めてくる。
「……どちら様ですか、と聞いても答えてはくれないでしょうね」
そう言い終わらないうちに渓青が扇を投げる。扇の要の部分には細い鉄線が仕込まれていて、たちまち右側にいた男たち三人分の首にまとめて絡みつき、鮮血が吹き出した。
いつぞや緑基の根本を縛ろうと持っていた鉄線はこれか、と翠蓮はすこし肝が冷える。こんなもので縛っていたら、それこそ緑基は渓青の同僚になってしまう。
一瞬で三人が片づけられたことに男たちが焦っているあいだに、渓青は寝台の影に隠していた剣を取り、振り向きざまに小刀を投げて襲い掛かろうとしていた一人を始末した。
「貞護!」
渓青が短く叫ぶと、庭のほうから応援に駆けつけようとしていた宇文貞護が持っていた槍を思い切り投げる。槍はまとめて二人を貫き、絶命させた。これで残りはあと四人。
翠蓮は懐刀を両手で握りしめ、寝台の帳の影から固唾を飲んで成り行きを見守っていた。万が一こちらに敵が来たならばこの小刀で刺すくらいはしてやろうと思っていたのだが、どうもその機会はなさそうに思えた。
(……もしかして、渓青はとんでもなく強い、のでしょうか)
実は翠蓮は渓青が実際に戦っているところを見たことはない。武官であったころの渓青については、公燕の護衛という認識でしかなかった。だからこそこうして要人警護にも慣れているし、急な襲撃にも動じていないのだろう。
むしろ襲われることは想定内、と考えているようだった。ゆえに扇のような暗器も隠し持っているし、そもそも寝台の帳には実はひそかに鎖帷子が縫い込まれている。敵が斬りかかってきたときは帳の影に隠れろ、と渓青には以前から叩き込まれていた。
ただ、渓青の体には目立った傷跡はない。
それは瑛藍との大きな違いだった。琰単の影武者にさせられていた瑛藍の体にはいくつもの古傷がある。おそらくまだまともに身を守る術を身につけていなかったころについたものだろう。
琰単でさえ暗殺の危機に何度も晒されていたのだから、公燕だって同じだったと考えて間違いない。けれどもそれを防いできた渓青の体に傷がないということは、つまりそれだけ渓青が優秀だったということを表していた。
二人が同時に渓青に斬りかかる。渓青はそれを剣で受け止めた。その脇から斬り込もうとした男は、駆けつけた貞護に後ろからばさりと斬り倒される。
だがその隙に最後の一人が、翠蓮のいる寝台に向けて突進してきた。
「翠蓮様!」
渓青は二人を跳ね飛ばし、寝台に駆けつける。翠蓮は帳を盾にしてぎゅっと目をつむった。ずぶり、と肉に刃が食い込む嫌な音がして、翠蓮の頬に鮮血がぴっと飛び散る。
「……クソ……あの女……こんな、やつが、いるとか……聞いて、ねぇ……」
黒装束の男は渓青の剣に刺し貫かれて息絶える。ではこの血は、と翠蓮が恐る恐る渓青を見やると、渓青は片手で顔を覆っていた。
「……翠蓮様、ご無事で……?」
「渓青!」
ぐらりと傾いだ渓青の体を翠蓮は咄嗟に支える。その瞬間に外れた手が血塗れで、翠蓮はひっと息を飲んだ。渓青の顔には、左目にかけて斜めに大きな傷が走っていた。
「渓青! 渓青‼︎」
「渓青様!」
渓青に跳ね飛ばされた二人を始末していた貞護が駆け寄ってくる。力の抜けた渓青に肩を貸し、立ち上がらせようとするのに翠蓮は縋りついた。
「渓青! 嘘、嘘です! 渓青、返事をして!」
「昭儀様、すぐに手当てをいたしませんと……!」
「渓青! 渓青! いやあああっ!」
そのころになってようやく騒ぎを聞きつけたのか、琰単がやってくる。同じく酒席に侍っていたのであろう瑛藍と緑基も駆けつけた。
「翠蓮、無事か⁉︎」
「私は無事です……けれども渓青が!」
「そなたが無事なら良い! ああ、腹の子も何事もないな」
翠蓮はゆらりと幽鬼のように立ち、頬についた渓青の血を指先でそっと拭った。
鮮血が翠蓮の思考を染めていく。
体の中を紅蓮の焔が駆け巡っていった。
(渓青に傷を負わせた者を、絶対に許しはしない……)
血に染まった指先を唇に当てる。紅を刷いたように唇が濡れた。
「陛下……よろしいですか……」
「おお、翠蓮。いますぐに部屋を用意させるゆえ、いや朕の部屋に……」
「いえ、その前に……そこの者は死ぬ間際に『あの女、こんなやつがいるとは聞いていない』と言っておりました。私を恨んで殺害しようとする女と言えば……皇后陛下もしくは荘淑妃様以外にはおりませんでしょう」
「う、うむ、そうだな。いますぐ二人を廃位に……」
翠蓮は琰単の言葉を遮るように、琰単にしなだれかかった。琰単がごくり、と唾を飲む音が聞こえる。
「……私は怖いのです。こうして襲われ、また子を失ってしまうのが……」
「う、うむ。このようなこと、二度とあってはならぬ」
「ですから陛下、お願いいたします」
翠蓮は真正面からじっと琰単の瞳を見つめた。よそへ目をそらすことなど許さぬよう、全身全霊をかけて琰単を見つめる。
「皇后陛下と淑妃様が二度とこのようなことを起こさぬよう……
――四肢をもぎ、酒に漬け込んでくださいませ」
「す、翠蓮……それは……」
「私は皇后位もなにもかも、欲しておりませぬ。けれどもこれだけは、お願いいたします、陛下」
翠蓮は琰単に縋りつき、ぐいっと胸を押しつけた。そうしてほろり、と涙をこぼす。
「う、うむ……廃位では手ぬるいな……反省の色も見られぬようであるし……二人は処刑することにしよう」
「ああ、安堵いたしました」
そうして翠蓮は琰単にむけて紅い唇で、にっこりと笑った。
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