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第2章 蠱毒の頂
第26話 懸念
しおりを挟むその一部始終を見ていた瑛藍は、これ以上はまずいとなかば強引に割って入った。
「あ、兄上、昭儀様には私の部屋をお使いいただくのはいかがでしょうか?」
「そなたの?」
「は、はい。恐れ多くも私が今、使わせていただいている部屋はこの離宮でここに次ぐ部屋でございます。それに背後は崖になっておりますので、警備もしやすいかと」
「ふむ……そうだな。よし、そなたの部屋を翠蓮に与えよ」
「はっ。私めは武骨者ゆえ土くれの上でも寝られますが、昭儀様は慣れぬ襲撃に恐ろしい思いをされているでしょうから……これ、緑基。昭儀様を私の部屋へ案内せよ」
「御意に」
緑基を呼び寄せ、瑛藍は翠蓮を琰単の前から引き剥がした。
(これ以上、翠蓮が暴走するのはまずい……)
内心の焦りを押し殺し、瑛藍は琰単に問うた。
「……それで兄上、皇后陛下と淑妃様はいかがなさるのですか」
「う、うむ。朕は廃位でも良いかと思っておったのだがな……聞いたであろう、他ならぬ翠蓮の頼みだ。あれが朕になにかをねだるなど初めてだ。よほど怖い思いをしたのであろう、可哀想に」
琰単は顔に手を当て沈痛の表情を浮かべているが、瑛藍は冷静と焦燥を同時に感じながらそれを見ていた。
翠蓮はおそらく襲撃自体にはそれほど怖がっていない。彼女が恐れ、怒りを感じているのはもっと別のことだ。琰単には知る由もないが。
「それに見たであろう、あの笑み! やっとあれが笑ったのだ。あのように可憐な笑みが見られるのなら、朕はあれの願いはなんでも叶えるぞ!」
(……あれが可憐な笑みだって?)
翠蓮が琰単に笑ったとき、瑛藍は背筋にうすら寒いものを感じていた。それほどまでに翠蓮の笑みは凄惨だった。たしかに口元は綺麗に笑みを形作っていたが、目はまったく笑っていない。
その目には明確な殺意と復讐の焔が煮えたぎっていた。
琰単は言うまでもなく単純な男ではあるが、それをここまで完璧に操り、目をくらまさせる翠蓮の手管には感服する。だが、それはこのような形で発露してはならなかった。
「……兄上、たしかに皇后陛下と荘淑妃様の処刑は妥当だと私も思います。先に皇子を殺害したばかりでなく、今また昭儀様と生まれてくる子が狙われました」
「うむ、そうであろう」
「そればかりではございませぬ。今宵はたまたま昭儀様が喉の調子を悪くされてお部屋におられましたが、いつものようにすごされていたのであれば、陛下もともに狙われていたに相違ありません」
「はっ……! そうか、そうであるな!」
「これは陛下に対する弑逆の罪に相当するかと思われます。大罪にござりますれば、極刑もやむなしかと」
「なんということだ……翠蓮ばかりでなく、朕まで狙うとは……許せん!」
琰単の思考をなんとか誘導することに成功した、と瑛藍はひそかに胸を撫で下ろす。翠蓮が琰単にねだった二人の処刑方法はあまりに残忍だ。閣議でそれを問い詰められれば、琰単は「翠蓮がそれを望んだ」となんの考えもなく暴露することは必至だった。
それを阻止するためにも、二人には「皇帝殺害未遂」の罪をも被ってもらわなければならない。
「……さあ、陛下。陛下は明日も執務がございますれば、これ以上はお体に触ります。後始末と警備は私に任せてごゆるりとお休みくだされませ」
「うむ、任せたぞ」
いてもなんの役にも立たない琰単をさっさと追い払うと、瑛藍は襲撃者の遺体の確保や侵入経路の調査、皇后と淑妃の幽閉先への確認、宮の修復、周辺の警備、渓青への医師の派遣等々細部にわたり指示を出して、それらがひととおり終わると、自分の部屋へ――翠蓮の元へと飛ぶように急いだ。
「……翠蓮は?」
肩で息をしながら部屋の戸を開けると、寝台の横に座っていた緑基がゆっくりと振り返った。
「眠らせた。すげぇ興奮してたから、鎮静剤と睡眠薬盛って」
「そう……」
まるで意識がないかのように横たわる翠蓮にそっと近づく。まだその頬には鮮血が――おそらく渓青の血が飛び散り、唇を真っ赤に染めていた。
瑛藍は懐から布を取り出すと水盤に浸して濡らし、軽く絞ると頬と唇を優しく拭う。
(君は拭ってほしくないかもしれないけれどね……)
「渓青の様子はどうなんだ?」
「……命に別状はない。ただ……左目は多分駄目だと思う」
「まじかよ……翠蓮にそれを伝えんの、俺、やだからな」
そう言った緑基に瑛藍は苦笑する。よく見れば緑基の編み込んだ髪はすこしほつれているし、服も二の腕や胸のあたりがぐしゃぐしゃにしわが寄っていた。この分だと翠蓮は相当「興奮」していたのだろう、と容易に察せられる。
「……それより、あれはやべぇだろ」
「うん。だから琰単には「翠蓮だけじゃなくて皇帝が狙われていたに間違いないから極刑も仕方ない」って吹き込んできた」
「だよな……そうもってくしかねぇ」
ああ、と呻きながら緑基ががしがしと髪を掻き毟る。
「くっそ……これは想定外だった。翠蓮があそこまで我を失うのは完全に計算外だ」
「そうだね……」
皇后と淑妃の処刑は、もともと計画の内だった。二人とも生かしておいてもなんのためにもならない。ただそれは翠蓮が立后したあとの予定で、しかもそれを翠蓮が琰単にねだる、などあってはならないことだった。
もしも閣議でそれが明らかにされれば、翠蓮の立后は圧倒的に不利になる。
翠蓮もそれは百も承知だったはずだ。
けれどもそんなことは軽々と無視して、翠蓮はあの暴挙に出た。
酷な言い方だが、もしあの場で斬られたのが宇文貞護だったら、いや、翠蓮自身だったら翠蓮はあそこまで取り乱さなかっただろう。
「なあ……」
「うん?」
「……俺は自分の策は完全無欠だと思ってた。それの要になる翠蓮の演技も完璧だと思ってた。けどよ、最大の弱点は……」
「……そうだね」
他人の前では完全に感情と言動を制御してみせる翠蓮。
けれどもそんな翠蓮の弱点は、渓青なのではないか、と二人とも感じた。
「……それが露呈しないことを祈るしかないね」
瑛藍の呟きは、早咲きの茉莉花の香りに乗って、夜風に溶けて消えた。
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