69 / 75
第2章 蠱毒の頂
第30話 御前会議
しおりを挟む首都が花の彩りから新緑に衣替えするころ、ようやく琰単は離宮から皇宮に戻った。滞っていた執務の流れがやっと正常に動き始めて官吏たちは胸を撫で下ろす。
「……ご心配をおかけいたしました」
翠蓮が麗涼殿の部屋から中庭に植えられた紫陽花が蕾をつけているのを見ていると、そっと背後に立った渓青が静かにこぼした。
「無理はしないでください」
振り向いて立ち上がり、その頬に手を伸ばす。渓青の左目は黒い革の眼帯に覆われていた。いままで療養扱いになっていた渓青は今日から復帰する。
本人はなんともないようにふるまっているが、瑛藍からはこれまでと同じように剣を振るうために相当な鍛錬を重ねていたと聞いていた。
「……私がおりませんと、翠蓮様のほうが無茶をされますから」
そう微笑まれて翠蓮は言葉に窮した。皇后と淑妃の処刑の件に関しては、翠蓮本人もかなり反省している。
やったこと自体には後悔など微塵も感じていない。けれどもその時期とやり方が強引だったことは理解していたし、瑛藍と緑基が尻拭いのために奔走してくれたことも知っている。
それでも渓青を傷つけられて、冷静でいることはできなかった。体中の血が沸騰したようになり、視界が赤く染まった。渓青を失うかもしれないと思ったら、自分で自分を止められなかった。
瑛藍には一度釘を刺されている。目的を見失うな、と。
おそらく瑛藍はすべて分かった上で、あえてそう忠告してくれていることは翠蓮も理解していたので、その言葉には素直に従った。
ただもう一度同じことがあったら、そして渓青が今度こそ目を開けなかったら、翠蓮は世界のすべてを呪い尽くして破滅させるだろう、と思った。
「……絶対に、いなくならないでください」
「御意に」
静かな微笑みと言葉にこめられた想いはどこまでも熱い。
翠蓮が迷いなく歩むためには、渓青の手がなければならなかった。
***
離宮から戻った琰単は、ひそかにしかし一部では公然と閣僚を召集した。
集められたのは孫佐儀、李石鎮、慕容季正、張了進の四名と、補佐として瑛藍。書記として緑基もひっそりと控えていた。
「……関定憲と頼士載は呼ばんでよいのか?」
「まずは北族の御長老方に話を通すのが筋かと。張尚書右僕射も先帝陛下の御信任厚き方ですし」
「う、うむ。それもそうか」
琰単の疑問に瑛藍は流れるように答えた。
そもそも今日の閣議は、孫佐儀の名で召集をかけている。今日この面子しか呼ばなかったのには訳があった。最初の会議にあえて関定憲と頼士載を呼ばないことで、二人には自分たちは佐儀に信用されていないのでは、と疑念を抱かせる。
特に李石鎮以外は北族の主要な顔触れである。北族ではない頼士載が「北族以外は不要」と感じるのには十分と思えた。
また孫佐儀・李石鎮・慕容季正はそれぞれ微妙に派閥が異なることを、北族に通じた関定憲はよく理解しているはずである。その勢力図に自分は食い込めない、つまり孫佐儀にとって関定憲は重要ではない、と思い込ませることができればそれでよかった。
ここで張了進が二人と連携でもとっているようならば話は別だが、彼はそんなことはしない。自分が「できる」ゆえに他人もそうである、と考えてしまうのが悪い癖であった。
勢力間の微妙な力関係と、当人たちの心の揺らぎを利用する緑基の策に、瑛藍はそら恐ろしいものを感じた。そして同時にそれだけ他人の心の動きが読めるのに、女性のことに関しては途端に奥手になってしまう緑基が、不思議でもあり愛おしくもある。
これで緑基が閣僚だけでなく女性まで手玉に取るような性格だったら、きっと瑛藍とは反りが合わない――同族嫌悪だと思うが――ことになっていただろうな、と運命の采配を面白く思った。
「本日は皆々様にはお集まりいただき恐縮にございます。陛下よりお言葉がございます」
「うむ。皆、朕の静養のあいだ、皇宮をつつがなく守ったこと感謝する」
静養ではなくて遊びだらけていただけだろう、と瑛藍は突っ込みたい気持ちをこらえる。
「だが離宮におるあいだ、不幸にも昭儀が狙われ、朕もまた標的となった。朕はこのような諍いごとが続くのは御免である。ゆえに昭儀を正式に皇后として立て、後宮に平穏を取り戻したく思うが、諸卿はいかがか」
その言葉に真っ先に答えたのは張了進だった。
「恐れながら陛下、臣めが申し上げます。確かに先の皇后様は罪を得て処刑とあいなりました。そのため陛下が新たに皇后を立てて、世を平らかにされんとするお気持ちは痛いほどに理解いたします。であれば、なだたる名族から血統も筋目も正しい女性を選んでいただくのが筋かと思われます」
「なに……っ」
やや腰を浮かせて落ち着きをなくした琰単とは対照的に、張了進は凛と背筋を伸ばし、よく通る声で続ける。
「呉昭儀様は先の順宗陛下の後宮に仕えておられました。そのような方を国の「母」とされますれば、世の口さがない人々は陛下を囃したてましょうぞ。ましてや後世の歴史家たるや、でございます」
痛いところを突かれて琰単は押し黙った。だが同じように沈黙を通している者がいる。慕容季正と――孫佐儀である。
慕容季正がなにも言わないのは分からなくもない、と瑛藍は思う。彼には根回しをしているし、これ以上孫佐儀の勢力を拡大させるのは問題だと考えている以上、賛成も反対もしないだろう。
だが、孫佐儀の沈黙は不気味ですらある。
たしかに自分が擁立した劉皇后があのような不祥事を起こした以上、もう一度自らの血族内から皇后を出すのは不可能だと彼も考えているだろう。
それにしたって張了進の援護くらいはしてもよさそうなものなのに、と瑛藍は思いつつもなにも言えない琰単に変わって言葉をつむいだ。
「恐れながら張尚書右僕射にお尋ねいたします。我らは「北族」でありましょうか、「嘉」の民でありましょうか」
「斉王殿下、なにをこのようなときに……だが答えは一つであろう、我らは誇り高き北族である」
「であれば、前例がないわけではございません。我ら北族は草原にありしころ、その家の長が死ねば兄弟や子が財産や寡婦を引き継いだ習俗を有しておりました。北族であると自負するならば、こういった行いもさほど不自然ではございませんでしょう」
「……詭弁を……っ」
今度は張了進が言葉を紡げなくなる番だった。瑛藍だってこの主張がなんの意味も持たないことは百も承知である。もう「北族」にはかつての草原時代の文化はなにも残っておらず、ほとんど嘉民族と同化している。
ただ瑛藍にとっては今日の会議で「終わらせない」ことが重要なだけだった。
「……今ここでそのことを議論しても埒があくまい。李司空もおらんしな」
ようやく孫佐儀が口を開いたと思ったら、発したのはそんな言葉であった。張了進の顔に小さな失望が広がったのを瑛藍は見逃さない。
「……そうですね。李司空の体調が戻り次第、改めてということでいかがでしょうか、陛下」
「う、うむ……そうだな」
琰単のしまらない言葉で会議は一度散会となった。孫佐儀が言ったように、李石鎮は体調不良により病欠、となっていた。
だがこの足並みが揃わないことこそが、すでに閣僚たちの現状を表している、と瑛藍は緑基と笑みを交わした。
瑛藍は緑基を李石鎮のもとに遣わした。今日の議事録を届けさせるためである。
緑基が石鎮の部屋に案内されると、石鎮は少々わざとらしいくらいによろよろと立ち上がった。
「殿下がわざわざ儂のために? すまんの……」
緑基が御前会議の議事をしたためた書状を渡すと、石鎮は鋭い眼光でそれに目を通しはじめた。
(さすがに食えねぇな、この爺さん……)
石鎮の病欠はまず間違いなく仮病である。慎重な彼は今日の会議でのそれぞれの言動を見て、時勢がどこにあるのか見極めようとしているに違いなかった。
劉皇后の件があるせいか、強くは主張できない孫佐儀。
そんなことはおかまいなしに正論だけを並べ立てる張了進。
沈黙を貫く慕容季正と、そもそも呼ばれていない関定憲と頼士載。
そしていつも通り、琰単の意に沿うことしか言わない瑛藍。
すこしだけ背中を押してやるか、と緑基は口を開いた。
「……僭越ながら、此度のこと我が主も大層心を砕いておいでです」
「殿下が?」
「はい。先日、離宮にともにありながら襲撃を防げなかったことを悔やんでおいでです。また恐れながら皇上陛下も一人の「人間」にございますれば、一刻もはやくあたたかな「家庭」を築いて、兄上様に心安らかに政を行なって欲しい、と……」
「そうであるか……殿下にはよくよく礼を申し上げる。年をとるとどうしても体が思うように動かなかくての……数日中には必ず参内すると申し伝えてくれ」
「かしこまりました」
石鎮の前を辞すると、緑基は思わずこぼれそうになる嘲笑を押し留めた。
あの皇帝に「あたたかな家庭」とは我ながらよく言えたものである。たとえ翠蓮が皇后になり、子供が産まれようとそれは欺瞞と策略に満ちたものにしかならない。
(ま、俺も人のこと言えた義理じゃねぇけどな……)
緑基のその呟きは誰に知られることもなく、初夏の雨に流された。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる