無字の後宮 ―復讐の美姫は紅蓮の苑に嗤う―

葦原とよ

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第2章 蠱毒の頂

第30話 御前会議

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 首都が花の彩りから新緑に衣替えするころ、ようやく琰単えんたんは離宮から皇宮に戻った。滞っていた執務の流れがやっと正常に動き始めて官吏たちは胸を撫で下ろす。

「……ご心配をおかけいたしました」

 翠蓮すいれん麗涼殿れいりょうでんの部屋から中庭に植えられた紫陽花が蕾をつけているのを見ていると、そっと背後に立った渓青けいせいが静かにこぼした。

「無理はしないでください」

 振り向いて立ち上がり、その頬に手を伸ばす。渓青の左目は黒い革の眼帯に覆われていた。いままで療養扱いになっていた渓青は今日から復帰する。

 本人はなんともないようにふるまっているが、瑛藍えいらんからはこれまでと同じように剣を振るうために相当な鍛錬を重ねていたと聞いていた。

「……私がおりませんと、翠蓮様のほうが無茶をされますから」

 そう微笑まれて翠蓮は言葉に窮した。皇后と淑妃しゅくひの処刑の件に関しては、翠蓮本人もかなり反省している。

 やったこと・・・・・自体には後悔など微塵も感じていない。けれどもその時期とやり方が強引だったことは理解していたし、瑛藍と緑基りょくきが尻拭いのために奔走してくれたことも知っている。

 それでも渓青を傷つけられて、冷静でいることはできなかった。体中の血が沸騰したようになり、視界が赤く染まった。渓青を失うかもしれないと思ったら、自分で自分を止められなかった。

 瑛藍には一度釘を刺されている。目的を見失うな、と。

 おそらく瑛藍はすべて分かった上で、あえてそう忠告してくれていることは翠蓮も理解していたので、その言葉には素直に従った。

 ただもう一度同じことがあったら、そして渓青が今度こそ目を開けなかったら、翠蓮は世界のすべてを呪い尽くして破滅させるだろう、と思った。

「……絶対に、いなくならないでください」
「御意に」

 静かな微笑みと言葉にこめられた想いはどこまでも熱い。
 翠蓮が迷いなく歩むためには、渓青の手がなければならなかった。



   ***



 離宮から戻った琰単は、ひそかにしかし一部では公然と閣僚を召集した。
 集められたのは孫佐儀そんさぎ李石鎮りせきちん慕容季正ぼようきせい張了進ちょうりょうしんの四名と、補佐として瑛藍。書記として緑基もひっそりと控えていた。

「……関定憲かんていけん頼士載らいしさいは呼ばんでよいのか?」
「まずは北族の御長老方に話を通すのが筋かと。張尚書右僕射ちょうしょうしょうぼくやも先帝陛下の御信任厚き方ですし」
「う、うむ。それもそうか」

 琰単の疑問に瑛藍は流れるように答えた。
 そもそも今日の閣議は、孫佐儀の名で召集をかけている。今日この面子しか呼ばなかったのには訳があった。最初の会議にあえて関定憲かんていけん頼士載らいしさいを呼ばないことで、二人には自分たちは佐儀に信用されていないのでは、と疑念を抱かせる。

 特に李石鎮以外は北族の主要な顔触れである。北族ではない頼士載が「北族以外は不要」と感じるのには十分と思えた。

 また孫佐儀・李石鎮・慕容季正はそれぞれ微妙に派閥が異なることを、北族に通じた関定憲はよく理解しているはずである。その勢力図に自分は食い込めない、つまり孫佐儀にとって関定憲は重要ではない、と思い込ませることができればそれでよかった。

 ここで張了進が二人と連携でもとっているようならば話は別だが、彼はそんなことはしない。自分が「できる」ゆえに他人もそうである、と考えてしまうのが悪い癖であった。

 勢力間の微妙な力関係と、当人たちの心の揺らぎを利用する緑基の策に、瑛藍はそら恐ろしいものを感じた。そして同時にそれだけ他人の心の動きが読めるのに、女性のことに関しては途端に奥手になってしまう緑基が、不思議でもあり愛おしくもある。
 これで緑基が閣僚だけでなく女性まで手玉に取るような性格だったら、きっと瑛藍とは反りが合わない――同族嫌悪だと思うが――ことになっていただろうな、と運命の采配を面白く思った。


「本日は皆々様にはお集まりいただき恐縮にございます。陛下よりお言葉がございます」
「うむ。皆、ちんの静養のあいだ、皇宮をつつがなく守ったこと感謝する」

 静養ではなくて遊びだらけていただけだろう、と瑛藍は突っ込みたい気持ちをこらえる。

「だが離宮におるあいだ、不幸にも昭儀しょうぎが狙われ、朕もまた標的となった。朕はこのようないさかいごとが続くのは御免である。ゆえに昭儀を正式に皇后として立て、後宮に平穏を取り戻したく思うが、諸卿しょけいはいかがか」

 その言葉に真っ先に答えたのは張了進だった。

「恐れながら陛下、臣めが申し上げます。確かに先の皇后様は罪を得て処刑とあいなりました。そのため陛下が新たに皇后を立てて、世を平らかにされんとするお気持ちは痛いほどに理解いたします。であれば、なだたる名族から血統も筋目も正しい女性にょしょうを選んでいただくのが筋かと思われます」
「なに……っ」

 やや腰を浮かせて落ち着きをなくした琰単とは対照的に、張了進は凛と背筋を伸ばし、よく通る声で続ける。

「呉昭儀様は先の順宗陛下の後宮に仕えておられました。そのような方を国の「母」とされますれば、世の口さがない人々は陛下を囃したてましょうぞ。ましてや後世の歴史家たるや、でございます」

 痛いところを突かれて琰単は押し黙った。だが同じように沈黙を通している者がいる。慕容季正と――孫佐儀である。

 慕容季正がなにも言わないのは分からなくもない、と瑛藍は思う。彼には根回しをしているし、これ以上孫佐儀の勢力を拡大させるのは問題だと考えている以上、賛成も反対もしないだろう。

 だが、孫佐儀の沈黙は不気味ですらある。
 たしかに自分が擁立した劉皇后があのような不祥事を起こした以上、もう一度自らの血族内から皇后を出すのは不可能だと彼も考えているだろう。
 それにしたって張了進の援護くらいはしてもよさそうなものなのに、と瑛藍は思いつつもなにも言えない琰単に変わって言葉をつむいだ。

「恐れながら張尚書右僕射ちょうしょうしょうぼくやにお尋ねいたします。我らは「北族」でありましょうか、「」の民でありましょうか」

斉王せいおう殿下、なにをこのようなときに……だが答えは一つであろう、我らは誇り高き北族である」

「であれば、前例がないわけではございません。我ら北族は草原にありしころ、その家の長が死ねば兄弟や子が財産や寡婦を引き継いだ習俗を有しておりました。北族であると自負するならば、こういった行いもさほど不自然ではございませんでしょう」
「……詭弁を……っ」

 今度は張了進が言葉を紡げなくなる番だった。瑛藍だってこの主張がなんの意味も持たないことは百も承知である。もう「北族」にはかつての草原時代の文化はなにも残っておらず、ほとんど嘉民族と同化している。

 ただ瑛藍にとっては今日の会議で「終わらせない」ことが重要なだけだった。

「……今ここでそのことを議論してもらちがあくまい。李司空りしくうもおらんしな」

 ようやく孫佐儀が口を開いたと思ったら、発したのはそんな言葉であった。張了進の顔に小さな失望が広がったのを瑛藍は見逃さない。

「……そうですね。李司空の体調が戻り次第、改めてということでいかがでしょうか、陛下」
「う、うむ……そうだな」

 琰単のしまらない言葉で会議は一度散会となった。孫佐儀が言ったように、李石鎮は体調不良により病欠、となっていた。
 だがこの足並みが揃わないことこそが、すでに閣僚たちの現状を表している、と瑛藍は緑基と笑みを交わした。



 瑛藍は緑基を李石鎮のもとに遣わした。今日の議事録を届けさせるためである。
 緑基が石鎮の部屋に案内されると、石鎮は少々わざとらしいくらいによろよろと立ち上がった。

「殿下がわざわざ儂のために? すまんの……」

 緑基が御前会議の議事をしたためた書状を渡すと、石鎮は鋭い眼光でそれに目を通しはじめた。

(さすがに食えねぇな、この爺さん……)

 石鎮の病欠はまず間違いなく仮病である。慎重な彼は今日の会議でのそれぞれの言動を見て、時勢がどこにあるのか見極めようとしているに違いなかった。

 劉皇后の件があるせいか、強くは主張できない孫佐儀。
 そんなことはおかまいなしに正論だけを並べ立てる張了進。
 沈黙を貫く慕容季正と、そもそも呼ばれていない関定憲と頼士載。
 そしていつも通り、琰単の意に沿うことしか言わない瑛藍。

 すこしだけ背中を押してやるか、と緑基は口を開いた。

「……僭越ながら、此度のこと我が主も大層心を砕いておいでです」
「殿下が?」
「はい。先日、離宮にともにありながら襲撃を防げなかったことを悔やんでおいでです。また恐れながら皇上陛下も一人の「人間」にございますれば、一刻もはやくあたたかな「家庭」を築いて、兄上様に心安らかにまつりごとを行なって欲しい、と……」
「そうであるか……殿下にはよくよく礼を申し上げる。年をとるとどうしても体が思うように動かなかくての……数日中には必ず参内すると申し伝えてくれ」
「かしこまりました」

 石鎮の前を辞すると、緑基は思わずこぼれそうになる嘲笑を押し留めた。
 あの皇帝に「あたたかな家庭」とは我ながらよく言えたものである。たとえ翠蓮が皇后になり、子供が産まれようとそれは欺瞞と策略に満ちたものにしかならない。

(ま、俺も人のこと言えた義理じゃねぇけどな……)

 緑基のその呟きは誰に知られることもなく、初夏の雨に流された。



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