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第2章 蠱毒の頂
第33話 祝宴
しおりを挟む翠蓮の冊立は年明けと正式に決定した。
無論、皇后になったからといってそれで終わりではないと重々承知しているが、そろそろ翠蓮は一息つきたかった。
後宮の掌握、緑基を講師にしての政治や経済の座学、そして出産、と翠蓮は翠蓮で忙しなかったのだ。
だから琰単の酒席に侍らされたときにすこし疲れた顔を見せれば、琰単はすぐさま離宮での静養を提案してきた。多分、本人が逃げ出したかった線が濃厚なのだが、渡りに船とばかりに翠蓮はそれを承諾した。
賀成宮は以前よりもはるかに堅牢に修復されていた。翠蓮の部屋も作り直され、池に面していて開放感があるがゆえに賊が潜めそうな箇所がない。
「……で、隠し扉に各種暗器にこのやたらと頑丈な寝台に……この部屋を要塞かなにかにでもするつもりなの、渓青は」
瑛藍がそうこぼすのに、翠蓮もあわせて苦笑した。内侍監になった渓青が全精力を傾けてこの部屋を改修した結果、太極宮の琰単の寝所よりも堅固になってしまった。
「奇襲対策だけではありませんよ。防音も完全ですから内密の話をするのにはうってつけです」
「僕は皮肉のつもりで言ったんだけどね……」
翠蓮はくすくす笑いながら寝台に腰かけた。この寝台も以前の二倍くらいの大きさになっている。なんのために、とはあまり考えたくなかったが。
「さて、二人とも本当におつかれさまでした」
翠蓮がそうねぎらいの言葉をかけると、長椅子にどかりと座っていた緑基と、窓辺に立つ瑛藍に渓青が手際よく酒杯を配る。翠蓮の元へも同じ夜光杯が渡された。
「多少の変更はありましたが、これで予定どおり立后は決まりました。まずはこの策を立てた緑基に感謝を」
緑基がすこし照れくさそうな笑みを浮かべ、杯を掲げる。いつのまにか渓青も小さな自分用の杯を持ち、同じように掲げて飲み干した。
今日は翠蓮が開いたささやかな祝宴だった。
酒席で琰単の杯にひそかに眠り薬を混ぜて琰単を眠らせたあと、こうしてみなで集まってもらった。おおっぴらに宴をするわけにはいかないけれど、これくらいならば許されるだろう、と思う。
翠蓮の杯が空くと、渓青が流れるように酌をする。どうやら翠蓮だけ飲み物が違うようだった。翠蓮が飲んでいるのは蜂蜜と生姜などが入ったほのかに温かい酒で、飲んでいると体があたたまってくる。
甘い飲み口で酒がそれほど強くない翠蓮でもするすると飲めるのだが、瑛藍たちが飲んでいるものはもっと酒精が強そうだ。
「……それで緑基、一つ確認したいことがあるのですが、貴方はこのあとどうしたいですか?」
今日の酒宴を開いた目的の一つに、今後の方向性の確認があった。
実は、緑基の妹はすでに瑛藍によって買い戻されている。正確に言えば、緑基の妹を囲っていた北族の宦官の元に瑛藍が訪れ、ちらりとあの娘を試してみたい、と言えばどうぞどうぞと差し出された。
瑛藍がそのまま気に入ったと言うと、お気に召したようであればとあっけなく手放した。一応、瑛藍はそれなりの謝礼は支払ったらしいが、変なところで瑛藍の「女好き」という仮面が役に立った。
幸いにも緑基の妹はそれほど酷い目には遭っていなかった。無論、宦官の閨には何度か侍っていたが、なにしろ相手が宦官である。なんとか「処女」は保てている状態であったので、とりあえずは瑛藍の屋敷で侍女として働き、落ち着いたころに嫁ぎ先を探そうということになっていた。
緑基は生真面目にも瑛藍が支払った謝礼をすこしずつ返済しているらしいが、瑛藍は返済期限すら設けていないとのことで、取り立てる気はほとんどないらしい。
だから緑基はもう自由の身だ。
もうこんな危険な橋は渡りたくない、と緑基が言えば翠蓮はそれに頷くつもりだった。だが、目の前でいつもどおり傲岸不遜な笑みを浮かべる緑基を見るに、そんなことは微塵も考えていなさそうだ、と翠蓮はすこし安堵する。
「どうしたいもなにも、俺が立案しなきゃおまえらはまともに動けねぇだろうが」
「そうですね」
「皇后になってはいそれで終わり、じゃつまんねぇからな。乗り掛かった船だ。とことん付き合ってやるぜ。そのほうがおもしろそうだしよ」
「では、今までどおり……?」
「んーそれについちゃ、すこし考えてることがあるんだ。考えがまとまったらまた話すぜ」
「そうですか……分かりました。 ……あ」
「どうした?」
緑基が今までどおりにいる、というのにほっとした翠蓮だったが、一つ気になったことがあった。
「報酬はどうしましょうか?」
「……報酬ぅ?」
「はい。今までは私を皇后にする代わりに、妹君を助けるための権力と金銭を手に入れる、という取り決めでした。ですが、妹君は無事に救出できましたので、条件が成立しないと思うのです」
「堅っ苦しいなぁ……俺はべつにそんなもん気にしないぜ」
「報酬と取り決めがない約束事のほうが不確かだと思います。いまさら緑基が裏切るとは思いませんが、渓青にだって報酬は約束していますし」
「え、マジ?」
「嘘、それは僕も知らなかった」
瑛藍が渓青をちらりと見ると、渓青は静かに「はい」と頷く。
「とは言うものの、いくら言っても渓青は望みを決めないのですけれどね」
「え、そもそも二人はどういう契約なの?」
「渓青が私の復讐に協力する代わりに、復讐が成った暁には私が叶えられる最大限の望みを、なんでも報酬として与えるという契約です」
「うわぁ……それはまた随分太っ腹な……」
「じゃあ俺もそれと同じでいいんだけど」
「それは賛同いたしかねますね。もしも私の望みと緑基殿の望みがかぶってしまった場合に、翠蓮様が困ってしまわれます」
「それ、おまえがさっさと望みを決めればいいんじゃね?」
二人が静かに言い合うのに、翠蓮ははぁとため息をついた。いざことを起こすとなれば目的に向かってそれぞれ無駄なく動く二人だが、どうにもこうにも相性が悪い。
さてどうしたものかと翠蓮が悩んだとき、緑基が「あ!」と大声を出した。
「どうしました?」
「俺、欲しいものあったわ」
「なんですか?」
「翠蓮」
びしっと翠蓮を指さした緑基に、緑基以外の全員が凍りついた。
「……経験なしの若者は自分に正直でいいね……」
「やはりあの時に鉄線で縛っておけばよかったですね」
一瞬呆然としてしまった翠蓮は、二人の言葉に我に返った。
「りょ、緑基、私は皇后になる予定で、瑛藍の子も産んでいて……」
「そんなのかまわねぇ。俺が欲しいのはおまえの外側じゃねぇ。心だ」
あまりにも直球な言葉に、翠蓮は思わず顔に血が集まるのを感じる。こんなになんのてらいもなく想いを伝えられるのはまったく初めてのことで、どうしたらいいのか分からなかった。
「え、えっと……その、緑基……ご」
「ちょっと待った。ごめんなさいとか言うな」
「う……っ」
今まさに言おうとしていたことをずばり阻止されて、翠蓮は言葉が紡げなくなる。
「いいか? おまえの復讐にはまだ時間がかかる。どうせ報酬を受け取るのはそのあとなんだから、俺はそのあいだに気長におまえを落とす」
「う、うぅ……っ」
翠蓮がもうどうしたらよいのか混乱していると、緑基がふっと笑って言った。
「……俺はおまえを困らせるつもりはない。ただ俺の気持ちを知って欲しかったんだ」
「……あー……若いっていいねぇ……」
「不敬罪で始末しましょうか」
「お兄ちゃんは弟が急に成長して感動しているから殺さないであげて」
「だれが兄貴だよ⁉︎」
瑛藍は茶化すし、渓青は静かに殺意をたたえているし――緑基はなんだか急に男ぶりがあがったように見えて、翠蓮は誰の顔もまともに見られなかった。
「……んだよ、目ぇそらすなよ」
緑基が頬に手を当て振り向かせる。その眼差しは強く、絡めとられたように翠蓮は視線をふりほどけなかった。いつも不敵に笑みを形作る緑基の唇が、薄く色気をまとって近づいてくる。拒否しなければと思うのに、体は硬直したまま動けなかった。
「あ、緑基。口づけはダメだよ」
「……あぁん?」
すんでのところで瑛藍がそれを止めさせ、翠蓮は息を吐いて強張っていた体から緊張を解いた。
「翠蓮は『公燕に』義理立てしているから、それは許してあげて」
「じゃあなんだ、翠蓮の心を手に入れたら口づけてもいいってことだな?」
「うーん……まぁ、そういう解釈になるのかなぁ?」
緑基は翠蓮の肩をがしりと掴むと、にやりと笑って言った。
「つまり、口以外ならいいんだろ?」
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