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拠り所
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何から話せばいいのか、まだ整理できていない僕を察してか、おじいさんとおばあさんはごく普通の日常会話を繰り広げている。そのあたたかさが僕の心にもじんわりと温もりを分けてくれる。
「若い人にはお饅頭よりもケーキの方がよかったかしらね」
「いえ、お饅頭も好きです」
「ほんと? それならよかったわ」
にっこり微笑んだおばあさんからお饅頭を受け取る。一口頬張ると、その優しい甘さに強ばっていた体からほっと力が抜けていった。
「……僕、好きだった人を置いて、ここに来たんです。全てを忘れたくて、逃げるみたいに。好きな人が僕以外の誰かと幸せになるところを見たくなかった……」
ぼそぼそと小さな声で話し始めた僕の背を、おじいさんが優しく擦る。
「少し前までずっと、引きずってました。自分の半身を失ったみたいに苦しくて、生きる希望も未来も、何にも見えなくなってました」
「たった一人で頑張ってきたのね……」
慈しむような目で見られたら、もう、駄目だった。この街は、僕を孤独にする。誰も僕のことなんて知らない。気にも留めない。このまま誰の記憶にも残らず、亡霊のように命をすり減らしていくのだと思っていた。
年季の入った机に、ぽたぽたと涙が零れ落ちる。何も言わずにティッシュの箱を差し出してくれるのがありがたかった。
「でも、先日病院に行って分かったんです。こんな僕の元に赤ちゃんが来てくれたって」
「まぁ……」
「ちゃんとここで一から頑張ってみようって、やっと前を向けました。だけど、もし僕に何かあったら……、この子を助けてあげてくれませんか? 無茶苦茶なお願いをしてるっていうのは理解してます。でも、」
「陽くん、大丈夫だよ。まずは、おめでとうだね」
「家族が増えるのは嬉しいことね。もちろん、何もなくても私たちを頼ってちょうだい」
いつ頃産まれるのかしら。楽しみね。と笑い合う二人を前に、僕は声を上げて泣いた。こうしてちゃんと話すのは二回目だというのに、どうしてこんなに良くしてくれるのだろう。
「陽くんは自分の体のことを第一に考えなさい」
「不安になったらいつでも家に来ればいい」
「っ、ありがとうございます……、ありがとうございます……」
何度も頭を下げる僕を止めた二人は、穏やかで優しい表情をしていた。大丈夫。たとえ彼がいなくたって、僕はこの子と生きていける。
元々、家政夫だって一ヶ月だけの約束だったのだ。それをずるずると長引かせたのは、他でもない僕。彼の隣は居心地がよくて、次第に離れがたくなって、恋をした。だから、期限付きだってことに蓋をして、忘れたふりをしてた。
だけど、そうすべきじゃなかった。ちゃんと約束通り、一ヶ月でさよならしておけばこんな気持ちになることはなかった。
そんな後悔はこれまでだってたくさんしたけれど、今はもう過去を振り返らない。もう決別したんだ、僕は前を向いて歩いていくって決めたから。
「若い人にはお饅頭よりもケーキの方がよかったかしらね」
「いえ、お饅頭も好きです」
「ほんと? それならよかったわ」
にっこり微笑んだおばあさんからお饅頭を受け取る。一口頬張ると、その優しい甘さに強ばっていた体からほっと力が抜けていった。
「……僕、好きだった人を置いて、ここに来たんです。全てを忘れたくて、逃げるみたいに。好きな人が僕以外の誰かと幸せになるところを見たくなかった……」
ぼそぼそと小さな声で話し始めた僕の背を、おじいさんが優しく擦る。
「少し前までずっと、引きずってました。自分の半身を失ったみたいに苦しくて、生きる希望も未来も、何にも見えなくなってました」
「たった一人で頑張ってきたのね……」
慈しむような目で見られたら、もう、駄目だった。この街は、僕を孤独にする。誰も僕のことなんて知らない。気にも留めない。このまま誰の記憶にも残らず、亡霊のように命をすり減らしていくのだと思っていた。
年季の入った机に、ぽたぽたと涙が零れ落ちる。何も言わずにティッシュの箱を差し出してくれるのがありがたかった。
「でも、先日病院に行って分かったんです。こんな僕の元に赤ちゃんが来てくれたって」
「まぁ……」
「ちゃんとここで一から頑張ってみようって、やっと前を向けました。だけど、もし僕に何かあったら……、この子を助けてあげてくれませんか? 無茶苦茶なお願いをしてるっていうのは理解してます。でも、」
「陽くん、大丈夫だよ。まずは、おめでとうだね」
「家族が増えるのは嬉しいことね。もちろん、何もなくても私たちを頼ってちょうだい」
いつ頃産まれるのかしら。楽しみね。と笑い合う二人を前に、僕は声を上げて泣いた。こうしてちゃんと話すのは二回目だというのに、どうしてこんなに良くしてくれるのだろう。
「陽くんは自分の体のことを第一に考えなさい」
「不安になったらいつでも家に来ればいい」
「っ、ありがとうございます……、ありがとうございます……」
何度も頭を下げる僕を止めた二人は、穏やかで優しい表情をしていた。大丈夫。たとえ彼がいなくたって、僕はこの子と生きていける。
元々、家政夫だって一ヶ月だけの約束だったのだ。それをずるずると長引かせたのは、他でもない僕。彼の隣は居心地がよくて、次第に離れがたくなって、恋をした。だから、期限付きだってことに蓋をして、忘れたふりをしてた。
だけど、そうすべきじゃなかった。ちゃんと約束通り、一ヶ月でさよならしておけばこんな気持ちになることはなかった。
そんな後悔はこれまでだってたくさんしたけれど、今はもう過去を振り返らない。もう決別したんだ、僕は前を向いて歩いていくって決めたから。
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