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第一章
15.不思議な事実、魔法のお屋敷にて1
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馬車乗り場に着くと、マルチナのお父さんは一番立派な馬が、一番立派な馬車に繋がれている方へ歩いていった。キラキラした吊るし飾りがいくつもついた馬車の前には、辺りを見回す男の人が見える。マルチナのお父さんが「おーいっ」と声を上げると、男の人は手を上げて答えた。
「待たせて悪かったね、シマオ」
「いえ、旦那様。おや、そちらのお嬢さん方は?」
きれいな四角形のメガネをかけた気難しそうなシマオは、ソニアとマルチナをジロッと見た。まるで野良猫でも見るような顔だ。
「我が娘のマルチナと、その友人だよ」
「えっ! マルチナ様!? で、でも魔力の気配がありませんよ?」
シマオはその場でピョコッと飛び跳ねて、ずり落ちたメガネをクイクイ指で上げた。
「ああ。どういうわけか、気配が消えてるんだ。でも確かにマルチナだよ。父親のわたしが言うのだからね」
マルチナのお父さんは、ポカンとしているシマオよりも先に馬車のドアを開けて、「さあ」と言った。
しかしソニアはためらってしまった。馬車の中は少し見ただけでとても豪華なことがわかったからだ。座席はふっくらしたベルベットが張られていて、大きな窓にはレースのカーテンがかかっている。よく見ると、天井に小さなシャンデリアまでついていた。
毎日のように着ているこんなボロボロのワンピースで入っていいのかな。
ソニアがその場に立ち尽くすと、マルチナが繋いでいる手をグイッと引いてきた。
「来てくれるんじゃないの、ソニア?」
「あ、それはもちろん。でも、わたしのワンピース、土汚れとかすごいから」
「やだ、そんな素敵なワンピースに、そんなこと言わないで!」
マルチナはほほをふくらませ、ソニアを馬車にグイッと引き上げた。
「ええ……、そこで怒るの?」
ソニアたちが馬車に乗り上げると、シャラシャラシャラという涼やかな音が聞こえてきた。レースのカーテンに、細かいガラスな飾りがついてるのだ。こんなキラキラしたカーテン初めて見た、と思い、ソニアはじっくりとカーテンを観察した。
マルチナのお父さんはニコニコしながら馬車に乗り込んできて、マルチナの向かいの席に座った。ドアが外側から閉められると、三つ数えないうちに馬車が動き出した。シマオは御者でもあるらしい。
「さて、申し遅れたが、わたしはマルチナの父のマテウスだ。よろしく」
「ソニアです。よろしくお願いします、マテウスさん」
ソニアはマルチナと繋いでいる手とは反対の手で、マテウスさんと握手をした。
正直なことを言うと、お屋敷に住んでいるような人は、もっと柔らかい手をしているものだとソニアは思っていた。マルチナも「お父様は家では何もしない」と言っていたため、てっきり怠け者なのかと思っていたのだ。
しかしマテウスの手は、ソニアの父さんや母さんほどではないけれど、固く、ゴツゴツし、働いている人の手という感じがした。
「船から降りたらマルチナの声が聞こえてきて、本当に驚いたよ。でも姿は見えないだろう。それで声を頼りに探したら、二人がいたんだ。ちょうどマルチナが、耳の後ろの髪を触っていて助かったよ」
やっぱりあの仕草は、マルチナのクセなんだ。マルチナの方はクセを見抜かれていたことが恥ずかしいのか、何も答えない。話題を変えてあげた方が良いのかな。
「わたしの父さんは、今日出港したんです。マテウスさんは船でどこに行かれてたんですか?」
「東の地域を回ってきたんだ。魔法指導を受けられない若者を探したり、実地で魔法を教えたりしていたんだよ」
「実の娘には、魔法の『ま』の字も教えないクセに?」
マルチナのトゲのある声が、馬車の空気を切りさいた。それと同時に、馬車が少しかたむいた。坂を登り始めたのだろう。
ソニアは馬車の壁についた金属製の手すりをつかんでから、マルチナを盗み見た。
マルチナは長い髪をたらしてうつむき、くちびるをかみしめている。泣きそうなのを我慢してる顔だ。
「……それは」
「言い訳なら聞かないわ。わたしなんかよりも、素直で優秀な魔法使いの卵を育てた方が、お父様の功績になるのはわかってるもの。その方が、都合が良いんでしょう。でも、お父様が娘に期待しないで、よその子どもに期待をかけるおつもりなら、わたしだって好き勝手にさせてもらうわ」
マルチナの声が一言ごとに強く、きつい響きになっていく。巨大な鈴が耳元で鳴らされているようだ。
「……わたしはいつも、マルチナを愛しているよ」
大きな目をカッと見開くと、マルチナはかたむいた馬車の中で勢いよく立ち上がった。手を繋いでいるソニアの体がグラッと前に倒れる。
「愛してるのなんて、ちっとも伝ってこないわ! わたしのクセを見抜いたことが証拠になるとでも思ってるの? 言っておくけど、あれはソニアにもさっき指摘されたわ! ちょっと見てればわかる程度のクセなのよ! それを、父親面の理由にしたりして!」
「マ、マルチナ、落ち着いて」
ソニアがそっと手を引くと、マルチナが目に涙をためてソニアの方を見た。
「ああ、ソニア! わたし、ソニアのうちに生まれたかった! エリアスさんとソフィアさんの娘に、ソニアのお姉ちゃんに生まれたかった!」
そう叫ぶやいなや、マルチナはソニアにガバッと抱き着いてきた。ポタッと涙がこぼれ落ちてきて、ソニアの首のあたりを流れていく。
涙ってたいてい暖かいものなのに、マルチナの涙は氷のように冷たい。きっと、マルチナは心の中に涙をため込みすぎて、冷めてしまったのだろう。
マルチナがソニアに抱き着いたまま泣き続ける間、マテウスはギュッと口を結んで、マルチナのことをじっと見つめていた。その顔は、目に涙をためたマルチナとそっくりだった。
規則正しい馬の足音がピタッと止まった。窓の外の景色も動いていない。マルチナの家に到着したのだ。
ソニアはマルチナの肩をポンポンと叩いた。
「マルチナ、着いたよ」
マテウスさんは先に立ち上がって、ドアを開けてくれた。
「ほら、出よう」
ゆっくりとソニアから離れたマルチナは「ソニアが先に降りて」と蚊の鳴くような声で言った。ソニアは「わかった」と答えて、そろそろと馬車から顔を出す。そして外の光景を見た瞬間、「わあ」と声を出してしまった。
目の前には、赤、白、ピンク色のバラが咲き乱れる庭が広がっていた。庭の中央には、グリフォンの銅像が立つ噴水があり、それを囲うようにベンチが置かれている。バラのアーチを抜けた先にはお屋敷の入り口があった。柱で囲われた両開きの大きなドアで、ドアノブはもちろん金色だ。ノッカーはライオンの顔をしている。
「足元、気を付けて」
マテウスさんにそう言われたソニアは、一瞬マルチナと手を離して馬車から降りた。すぐに後に続いてきたマルチナは、勢いよくソニアの手を握ってきた。
別に逃げたりしないのに。
「荷物はシマオに運んでもらうことにして、我々はひとまず応接間に行こう」
その時、どこからか現れた女の人が「旦那様!」と声をあげながらこちらに近寄ってきた。シマオと同じような服装をしている。短い髪はぴったりと固定されていて、まるで鉄のかぶり物のようだ。
「お出迎えが遅くなり、申し訳ございません」
「いつも必要ないと言っているだろう。堅苦しいのは性に合わないんだ」
「いえ、今日は急ぎお伝えしたいことがありましたので」
女の人はそれまでピシッと伸ばしていた背を、ねんどのようにへにょっと曲げた。
「……恐れながら申し上げます、旦那様。マルチナお嬢様が、昨日より失踪しております。お嬢様の近侍のみならず、屋敷の者総出で捜索しておりますが、魔法の気配すら感じられず……」
「そのことなら、心配には及ばないよ、カミラ」
マテウスはソニアたちの背中に回って、両手を広げた。
顔を青くしたカミラはクマのある目で、ジロジロとソニアとマルチナの方を見た。
「そちらの方々は?」
「こちらは我が娘のマルチナ、こちらはその友人のソニアだ」
カミラさんは「へえ!」とすっとんきょうな声を上げた。
「で、ですが、魔法の気配が全くありませんよ?」
カミラの声は、調子はずれのピアノみたいだ。
さっきのシマオさんといい、カミラさんといい、本当に魔法使いって魔力で個人を見分けるんだな。やっぱり不便そうにも思える。
「ああ。それはわたしもわかっている。でも、この子は紛れもなくわたしの娘だ」
マテウスさんはソニアたちの背中に、そっと手を添えた。
「さあ、中に入ろう。マルチナの魔法の気配についてはそれからだ。カミラ、西の応接間に三人分のお茶を用意してくれ。それから、ルシアにマルチナが見つかったと伝えることと、マルチナの捜索をしている者たちを呼び戻してくれ。頼む」
「しょ、承知いたしました」
カミラが困ったように眉をハの字にして去って行くと、ソニアたちは立派な正面玄関から家の中に入った。
「待たせて悪かったね、シマオ」
「いえ、旦那様。おや、そちらのお嬢さん方は?」
きれいな四角形のメガネをかけた気難しそうなシマオは、ソニアとマルチナをジロッと見た。まるで野良猫でも見るような顔だ。
「我が娘のマルチナと、その友人だよ」
「えっ! マルチナ様!? で、でも魔力の気配がありませんよ?」
シマオはその場でピョコッと飛び跳ねて、ずり落ちたメガネをクイクイ指で上げた。
「ああ。どういうわけか、気配が消えてるんだ。でも確かにマルチナだよ。父親のわたしが言うのだからね」
マルチナのお父さんは、ポカンとしているシマオよりも先に馬車のドアを開けて、「さあ」と言った。
しかしソニアはためらってしまった。馬車の中は少し見ただけでとても豪華なことがわかったからだ。座席はふっくらしたベルベットが張られていて、大きな窓にはレースのカーテンがかかっている。よく見ると、天井に小さなシャンデリアまでついていた。
毎日のように着ているこんなボロボロのワンピースで入っていいのかな。
ソニアがその場に立ち尽くすと、マルチナが繋いでいる手をグイッと引いてきた。
「来てくれるんじゃないの、ソニア?」
「あ、それはもちろん。でも、わたしのワンピース、土汚れとかすごいから」
「やだ、そんな素敵なワンピースに、そんなこと言わないで!」
マルチナはほほをふくらませ、ソニアを馬車にグイッと引き上げた。
「ええ……、そこで怒るの?」
ソニアたちが馬車に乗り上げると、シャラシャラシャラという涼やかな音が聞こえてきた。レースのカーテンに、細かいガラスな飾りがついてるのだ。こんなキラキラしたカーテン初めて見た、と思い、ソニアはじっくりとカーテンを観察した。
マルチナのお父さんはニコニコしながら馬車に乗り込んできて、マルチナの向かいの席に座った。ドアが外側から閉められると、三つ数えないうちに馬車が動き出した。シマオは御者でもあるらしい。
「さて、申し遅れたが、わたしはマルチナの父のマテウスだ。よろしく」
「ソニアです。よろしくお願いします、マテウスさん」
ソニアはマルチナと繋いでいる手とは反対の手で、マテウスさんと握手をした。
正直なことを言うと、お屋敷に住んでいるような人は、もっと柔らかい手をしているものだとソニアは思っていた。マルチナも「お父様は家では何もしない」と言っていたため、てっきり怠け者なのかと思っていたのだ。
しかしマテウスの手は、ソニアの父さんや母さんほどではないけれど、固く、ゴツゴツし、働いている人の手という感じがした。
「船から降りたらマルチナの声が聞こえてきて、本当に驚いたよ。でも姿は見えないだろう。それで声を頼りに探したら、二人がいたんだ。ちょうどマルチナが、耳の後ろの髪を触っていて助かったよ」
やっぱりあの仕草は、マルチナのクセなんだ。マルチナの方はクセを見抜かれていたことが恥ずかしいのか、何も答えない。話題を変えてあげた方が良いのかな。
「わたしの父さんは、今日出港したんです。マテウスさんは船でどこに行かれてたんですか?」
「東の地域を回ってきたんだ。魔法指導を受けられない若者を探したり、実地で魔法を教えたりしていたんだよ」
「実の娘には、魔法の『ま』の字も教えないクセに?」
マルチナのトゲのある声が、馬車の空気を切りさいた。それと同時に、馬車が少しかたむいた。坂を登り始めたのだろう。
ソニアは馬車の壁についた金属製の手すりをつかんでから、マルチナを盗み見た。
マルチナは長い髪をたらしてうつむき、くちびるをかみしめている。泣きそうなのを我慢してる顔だ。
「……それは」
「言い訳なら聞かないわ。わたしなんかよりも、素直で優秀な魔法使いの卵を育てた方が、お父様の功績になるのはわかってるもの。その方が、都合が良いんでしょう。でも、お父様が娘に期待しないで、よその子どもに期待をかけるおつもりなら、わたしだって好き勝手にさせてもらうわ」
マルチナの声が一言ごとに強く、きつい響きになっていく。巨大な鈴が耳元で鳴らされているようだ。
「……わたしはいつも、マルチナを愛しているよ」
大きな目をカッと見開くと、マルチナはかたむいた馬車の中で勢いよく立ち上がった。手を繋いでいるソニアの体がグラッと前に倒れる。
「愛してるのなんて、ちっとも伝ってこないわ! わたしのクセを見抜いたことが証拠になるとでも思ってるの? 言っておくけど、あれはソニアにもさっき指摘されたわ! ちょっと見てればわかる程度のクセなのよ! それを、父親面の理由にしたりして!」
「マ、マルチナ、落ち着いて」
ソニアがそっと手を引くと、マルチナが目に涙をためてソニアの方を見た。
「ああ、ソニア! わたし、ソニアのうちに生まれたかった! エリアスさんとソフィアさんの娘に、ソニアのお姉ちゃんに生まれたかった!」
そう叫ぶやいなや、マルチナはソニアにガバッと抱き着いてきた。ポタッと涙がこぼれ落ちてきて、ソニアの首のあたりを流れていく。
涙ってたいてい暖かいものなのに、マルチナの涙は氷のように冷たい。きっと、マルチナは心の中に涙をため込みすぎて、冷めてしまったのだろう。
マルチナがソニアに抱き着いたまま泣き続ける間、マテウスはギュッと口を結んで、マルチナのことをじっと見つめていた。その顔は、目に涙をためたマルチナとそっくりだった。
規則正しい馬の足音がピタッと止まった。窓の外の景色も動いていない。マルチナの家に到着したのだ。
ソニアはマルチナの肩をポンポンと叩いた。
「マルチナ、着いたよ」
マテウスさんは先に立ち上がって、ドアを開けてくれた。
「ほら、出よう」
ゆっくりとソニアから離れたマルチナは「ソニアが先に降りて」と蚊の鳴くような声で言った。ソニアは「わかった」と答えて、そろそろと馬車から顔を出す。そして外の光景を見た瞬間、「わあ」と声を出してしまった。
目の前には、赤、白、ピンク色のバラが咲き乱れる庭が広がっていた。庭の中央には、グリフォンの銅像が立つ噴水があり、それを囲うようにベンチが置かれている。バラのアーチを抜けた先にはお屋敷の入り口があった。柱で囲われた両開きの大きなドアで、ドアノブはもちろん金色だ。ノッカーはライオンの顔をしている。
「足元、気を付けて」
マテウスさんにそう言われたソニアは、一瞬マルチナと手を離して馬車から降りた。すぐに後に続いてきたマルチナは、勢いよくソニアの手を握ってきた。
別に逃げたりしないのに。
「荷物はシマオに運んでもらうことにして、我々はひとまず応接間に行こう」
その時、どこからか現れた女の人が「旦那様!」と声をあげながらこちらに近寄ってきた。シマオと同じような服装をしている。短い髪はぴったりと固定されていて、まるで鉄のかぶり物のようだ。
「お出迎えが遅くなり、申し訳ございません」
「いつも必要ないと言っているだろう。堅苦しいのは性に合わないんだ」
「いえ、今日は急ぎお伝えしたいことがありましたので」
女の人はそれまでピシッと伸ばしていた背を、ねんどのようにへにょっと曲げた。
「……恐れながら申し上げます、旦那様。マルチナお嬢様が、昨日より失踪しております。お嬢様の近侍のみならず、屋敷の者総出で捜索しておりますが、魔法の気配すら感じられず……」
「そのことなら、心配には及ばないよ、カミラ」
マテウスはソニアたちの背中に回って、両手を広げた。
顔を青くしたカミラはクマのある目で、ジロジロとソニアとマルチナの方を見た。
「そちらの方々は?」
「こちらは我が娘のマルチナ、こちらはその友人のソニアだ」
カミラさんは「へえ!」とすっとんきょうな声を上げた。
「で、ですが、魔法の気配が全くありませんよ?」
カミラの声は、調子はずれのピアノみたいだ。
さっきのシマオさんといい、カミラさんといい、本当に魔法使いって魔力で個人を見分けるんだな。やっぱり不便そうにも思える。
「ああ。それはわたしもわかっている。でも、この子は紛れもなくわたしの娘だ」
マテウスさんはソニアたちの背中に、そっと手を添えた。
「さあ、中に入ろう。マルチナの魔法の気配についてはそれからだ。カミラ、西の応接間に三人分のお茶を用意してくれ。それから、ルシアにマルチナが見つかったと伝えることと、マルチナの捜索をしている者たちを呼び戻してくれ。頼む」
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