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第二章 日向ぼっこで死のうとする少女

第十三話 姉と妹①

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 『Bruggeブルージュ喫茶』の朝は早い。

 ジリリリリと鳴る古風な目覚まし時計を止める。
 しかし上体を起こすことは無く布団をかぶってしまう。しばらくすると別の目覚まし時計が鳴りだして、ようやく起き始める。

 コクンコクンと首でリズムを打ちながらTシャツとジーンズに着替えて、壁にもたれながら階段を降りた。

 居住スペースと厨房を分けるドアの前に立つと、虚ろだった瞳に生気が宿り始める。

 頭をワシャワシャとかき乱し頭皮に刺激を与えると、徐々に意識がはっきりしだす。上半身を捻って体を叩き起こすと「うがああああ」と叫んで気合を入れた。するとドア越しにガチャンと何かの落下音とともに短い悲鳴が聞こえて、楓は完全に目が覚めた。

 おそるおそるドアを開けると、君乃がドア前で仁王立ちしており、楓は思わず後ずさって

「おはようございます」と弱々しく挨拶をした。
「おはよう。叫ばないでって、いつも言ってるよね?」
「……ごめんなさい」

 なんのお咎めもなく君乃が作業に戻ったことで胸を撫でおろしつつ、帽子の中に髪の毛を隠して、壁に掛けていたエプロンを絞めた。

「そんなに朝きついなら、無理して手伝わないなくても大丈夫だよ」
「無理してなんかない。いつも言ってる」

 楓は毎日(正確には定休日以外)『Bruggeブルージュ喫茶』で出されるスイーツを手掛けている。基本的に君乃も作れるものばかりだが、ほとんどのメニューは楓の方がおいしく作れるのが現状だ。

 楓は冷蔵庫に入ったチーズや生クリーム達に語り掛け始めた。君乃から見れば独り言を呟いているようにしか見えず、特に気にする様子はない。

「お姉ちゃん、このホットケーキミックスもうダメかも。ちゃんと口を閉じないから」 
「ごめーん。捨てといて」
「ちゃんと予備買っておいてね」
「りょーかい」

 一通り材料の状態の確認を終えてから、楓は生クリームを泡立て始めた。泡立てている間、楓は目だけではなくチョメチョメに集中している。目に見えないような化学変化を知るのに、チョメチョメから聞こえる声を利用しているのだ。

(こんなものかな)

 モノの声が聞こえるからと言って『こうすればおいしくなるよ』や『こう料理してほしいな』など人間に都合のよい声が聞こえるわけではない。楓はモノの声を聞くことで材料の状態を把握しているに過ぎない。

 歴戦のパティシアならば見た目や匂いなどによって、お菓子の状態を推測できるだろう。しかし楓は五感に追加でチョメチョメで聞こえるモノの声を利用している。モノの声は物理的な音波ではないためオーブンや冷蔵庫の中でも食材の状態を把握することすら出来る。それは特異な能力であり、強力なアドバンテージだった。

 楓が小慣れた手付きで準備を進めていく中、君乃は手を止めることなく口を開いた。

「最近、学校楽しい?」

 よく訊かれる質問に内心うんざりしながら

「楽しいよ。だから安心して」と楓は機械的に答えた。

 その答えを聞いた瞬間、君乃は複雑な顔をした。いつものことなのだが、楓はサッと目を背けた。

(わたしは何か間違えているのかな)

 直接質問する勇気もなく、意識をお菓子作りに切り替えようとしたのだが、また質問を投げかけられる。

「最近、機嫌がよさそうだけどいいことでもあった?」
「そんなことはない」

 ぶっきらぼうにそう告げる楓の脳裏には、満面の笑みでレアチーズケーキを堪能する陸が浮かんでいた。

(最近、レアチーズケーキの売れ行きがいい)

 その理由は明らかだが、楓は素直に認められずにいた。

 陸が毎週のようにレアチーズケーキを食べては歓喜しているのだが、それを見た他のお客さんが感化されて、評判が評判を呼んでいる状況だ。

(でもあいつ、お姉ちゃんが作っていると思っているし)

 実際にはレアチーズケーキは楓が作っている。
 常に複数種類のケーキを作っているが、レアチーズケーキは特にこだわっているものの一つだ。そのため複雑な感情を抱いているのだが、陸に本当のことを打ち明けるつもりはない。

(黙っておいた方が、そのうち使えそうだし)

 これ以上話題を深堀りされたくなくて、君乃が嫌がる話題に切り替えることにした。

「それよりも清水さんとはどうなの?」

 しばらくの沈黙を挟んだ後

「なっちゃんとはそんなんじゃないから」と君乃はしれっと答えた。

(なっちゃん、かぁ)

 楓は清水なつの甘いマスクを思いだして、複雑な心境になった。決して嫌っているわけではないが、不満が無いわけではない。

(子供っぽいというか、純朴というか)

 そう思う原因は、今の君乃と清水のじれったい関係性だ。傍目から見ても付き合っているどころか結婚していても不思議ではない距離感なのだが、二人とも口をそろえて交際関係ではないと否定する。

 高校時代は確かに交際関係であり、周知の事実になるほど仲睦まじかった、と楓は聞いている。

(認めなかったのはお父さんぐらいかな)

 それが高校卒業を機に関係が遠のき始めてしまった。君乃は地元の中小企業へ事務職として就職し、清水は学生時代から続けていた芸能活動に力を入れた。

(お姉ちゃんがセクハラ上司から解放されたのはよかったんだけどなぁ)

 楓は夕食の席で話す君乃の姿を思い出してした。

 事務職をしていた時は上司の愚痴ばかりだったが、清水と再会してから惚気話に変わった。それは本人にとっては良い変化だったのだろうが、楓のげんなり顔は変わらなかった。

 再会して間もなくて、清水と君乃は共同で『Bruggeブルージュ喫茶』を始めることになり、今に至る。

 二人で出かけてもデートではなく買い出しと言い張り、寝落ち電話しても業務連絡と言い切り、抱き合っても体調確認と主張する君乃の真っ赤な顔を思い出して、楓は白けた目をした。

(アホか。お前らは何歳だ)

 プロポーズ一つで入籍する姿がありありと想像でき、楓はスンと無感情な顔になった。

(でも、そうなったらわたしは居づらくなるかもなぁ)

「ねえ、聞いてる?」

 突如耳元から声が聞こえて、楓は「うわっ!?」と素っ頓狂な声を上げた。

「な、なに、イキナリ!」と楓が睨みながら抗議すると
「だって何度呼んでも返事しないから」と君乃がふてくされながら言った。
「そ、そうだったんだ。ごめん」

 君乃は不審気げに観察しながらも、作業に戻った。

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