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第二章 日向ぼっこで死のうとする少女
第十四話 姉と妹②
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「ねえ、楓は新しい恋人を作らないの?」
手を動かしたまま、君乃が質問した。基本的に話好きなのだ。
突然の質問に驚くことなく、反射的にカレンダーを横目で見る。まだ5月だ。
「んー。まだシーズンじゃないから」
「発情期じゃないってこと?」
「動物扱いしないでよ。怒るよ」
君乃の心のこもっていない「ごめんごめん」を聞き流しつつ、楓は今まで告白された回数を数え始めたのだが、両手で収まりきらなくなって数えるのをやめた。
(全部恋愛ごっこだったなぁ)
『なんでも頼みを聞いてくれるヤツ』として有名になっている楓は、恋愛ごっこの相手役として告白されることが多かった。もしかしたら中には本気で好意を抱いていた人物がいたのかもしれない、と一瞬考えたもののすぐに鼻で嗤った。
「好きな人はいないの?」
ほんの一瞬だけ、楓の脳裏に二人の顔が浮かんだ。しかしすぐにバカバカしくなり
「ちょっと思いつかないかも」と肩をすくめた。
「鈴木くんはどうなの?」
「あいつはお姉ちゃんのことが好きだってよ」
「うーん、困っちゃうな」
「本当はうれしいんじゃないの」
「だって鈴木くんは変わってるから。レアチーズケーキが関わると特に」
君乃の微妙な顔を見ながら、楓は「あー」と納得の声を上げた。
「これでもお姉ちゃんは困ってるんだよ。」
いろいろ言いたいことがあったが、楓は飲み込んだ。話し過ぎているために作業が遅れていた。このままでは登校時間に間に合わないと、手を動かすスピードを上げ始める。
「それよりも楓のことだよ。遊んでないで、もうちょっと真面目に考えてみたら」
「お姉ちゃん、それ以上はやめて」と楓は語気を強めた。
「ごめんね。でも、お姉ちゃん心配なの」
楓は君乃の困り眉をみていると、強く言い返せる気分にはなれなかった。
(心配って言葉はずるいよ)
楓は不満を飲み込み、微笑みを取り繕う。
「大丈夫だよ。わたし、『人助け』をしているから」
木製の髪飾りに触れた楓はゆっくりと目を閉じた。貝殻から遠くの波の音が聞こえるように、ある遺言が耳の中で木霊する。
【人助けをして生きていきなさい】
その声はとても重厚で温かみのあるもので、ささくれだった楓の心が穏やかになっていく。
(大丈夫、大丈夫だから。大丈夫にしてるから)
フラッシュザックしたバラバラに切り刻まれた大木の記憶に向かって、楓は何度も呟いた。
はあぁ
突如、深い溜め息が聞こえて、楓の肩がビクリと跳ねた。
様子を伺うように君乃の顔を見ようとしても、大きなスチール製のボウルに隠れて見えない。ボウルに映ったヘンテコな自分と目が合い、自然と視線が下へと向いた。
(ちょっと怒らせちゃったかな)
「そうだ」と君乃が両手を叩いた瞬間、楓は反射的に目を閉じた。
怖かった。何を言われるのか、わかったものではなかった。
「今度の定休日なんだけど」
走り出しを聞いて、楓は胸を撫でおろした。
「鈴木くんと日向ちゃんがジムに行くんだって」
なんでそんなことになったのか、と楓が疑問を浮かべるよりも早く君乃が「なっちゃんが誘ったんだって」と補足した。
「うわぁ、それはご愁傷様」と他人事のように言う楓に
「楓もついていってくれない?」と微笑みを向けながら告げた。
「えー。ジムかぁ」
「ほら、日向ちゃんを女の子一人で行かせるのも可哀そうだから」
「わたしは独りで行かせたくせに」
楓は一度、清水の執拗な勧誘に根負けしてジムに体験入会したことがあった。しかし当日、同行するはずだった清水が風邪をひいてしまい、独りで行く羽目になってしまったのだ。
事前準備をしていたことと、将来持っている運動神経の良さから恥をかくようなことはなかった。それどころか、良い意味での注目を浴びていた。ある細マッチョは驚愕し、あるゴリマッチョは口笛を吹いていた。後日、清水マッチョに筋トレを続けることを勧められたのだが、あまりの熱心っぷりに気圧されて、完全にやる気をなくしてしまった。
「でも大丈夫だったじゃない。ジムでは先輩なんだから、お願い」
「そりゃそうだけど」
「ほら、全然使わなかったジャージや靴も使えるし、よかったじゃない」
「……そりゃそうだけど」
楓としてもジムに付き合うのはやぶさかではなかった。陸はまだしも、音流と一緒に行けるというのに魅力を感じていた。しかしどうしても一つだけ確認しておきたいことがあった。
「ねえ、『人助け』になるかな」
楓としてはきっぱり「イエス」と答えてほしかった。たったそれだけで楓も「イエス」ということが出来たし、それを望んでいた。しかし君乃は優し気に目を細めて、楓の頭を撫でるばかりで、一向に答えない。
時計の針の音が大きく感じる程の時間が過ぎて、ようやく重い口を開く。
「もう無茶はしないでね」
この言葉を聞くたび、楓は黙るしかなかった。
聞くたびに思い出してしまう。服がズタズタに引き裂かれ、全身に傷を作って帰ったあの日。泣きじゃくる姉に抱きしめられた時に感じた負い目が蘇り、胸をキリリと痛めつけた。
無意識に木製の髪飾りを握りしめる。
(わたしは『人助け』をして生きていく。生きていかなくちゃいけないんだから)
楓は心の中で手を伸ばした。自分が殺した母。そしてチョメチョメを持ったことで出会った恩師たる老木。そのどちらにも触れることは叶わない。
(なんで朝からこんな気分にならないといけないのかな)
気を紛らわせるようにボウルの中の生クリームにヨーグルトとクリームチーズを加えて、さらにかき混ぜる。空気を膨らませるように大きく円を描いて泡立て器をカシャカシャと動かしていくうちに、生地の中にある人物の顔を浮かんできて、手を止めた。
鈴木陸。
同級生の顔とにらめっこをしている内に破壊衝動が湧き上がり、グチャグチャにすりつぶす様に荒っぽくかき混ぜた。
(本当に、あいつはなんなんだろう。勝手に手伝おうとしてくるし、何考えているかわかんないし)
ふと、楓の手が止まる。
(それなのに、わたしが作ったレアチーズケーキを食べている時はいい笑顔をするからなぁ)
まるで赤ちゃんが好物を食べたときのような純粋な笑顔を思い出して、楓は優しい表情になった。
(……まあ、許そうかな)
少し楽しい気分になり顔を上げて、君乃に目をやる。
「ジム、行くよ」
君乃の「え?」という不思議そうな声を聞き流しながら、軽い足取りでレアチーズケーキを冷蔵庫に入れ、ドアをバタンと閉めた。
手を動かしたまま、君乃が質問した。基本的に話好きなのだ。
突然の質問に驚くことなく、反射的にカレンダーを横目で見る。まだ5月だ。
「んー。まだシーズンじゃないから」
「発情期じゃないってこと?」
「動物扱いしないでよ。怒るよ」
君乃の心のこもっていない「ごめんごめん」を聞き流しつつ、楓は今まで告白された回数を数え始めたのだが、両手で収まりきらなくなって数えるのをやめた。
(全部恋愛ごっこだったなぁ)
『なんでも頼みを聞いてくれるヤツ』として有名になっている楓は、恋愛ごっこの相手役として告白されることが多かった。もしかしたら中には本気で好意を抱いていた人物がいたのかもしれない、と一瞬考えたもののすぐに鼻で嗤った。
「好きな人はいないの?」
ほんの一瞬だけ、楓の脳裏に二人の顔が浮かんだ。しかしすぐにバカバカしくなり
「ちょっと思いつかないかも」と肩をすくめた。
「鈴木くんはどうなの?」
「あいつはお姉ちゃんのことが好きだってよ」
「うーん、困っちゃうな」
「本当はうれしいんじゃないの」
「だって鈴木くんは変わってるから。レアチーズケーキが関わると特に」
君乃の微妙な顔を見ながら、楓は「あー」と納得の声を上げた。
「これでもお姉ちゃんは困ってるんだよ。」
いろいろ言いたいことがあったが、楓は飲み込んだ。話し過ぎているために作業が遅れていた。このままでは登校時間に間に合わないと、手を動かすスピードを上げ始める。
「それよりも楓のことだよ。遊んでないで、もうちょっと真面目に考えてみたら」
「お姉ちゃん、それ以上はやめて」と楓は語気を強めた。
「ごめんね。でも、お姉ちゃん心配なの」
楓は君乃の困り眉をみていると、強く言い返せる気分にはなれなかった。
(心配って言葉はずるいよ)
楓は不満を飲み込み、微笑みを取り繕う。
「大丈夫だよ。わたし、『人助け』をしているから」
木製の髪飾りに触れた楓はゆっくりと目を閉じた。貝殻から遠くの波の音が聞こえるように、ある遺言が耳の中で木霊する。
【人助けをして生きていきなさい】
その声はとても重厚で温かみのあるもので、ささくれだった楓の心が穏やかになっていく。
(大丈夫、大丈夫だから。大丈夫にしてるから)
フラッシュザックしたバラバラに切り刻まれた大木の記憶に向かって、楓は何度も呟いた。
はあぁ
突如、深い溜め息が聞こえて、楓の肩がビクリと跳ねた。
様子を伺うように君乃の顔を見ようとしても、大きなスチール製のボウルに隠れて見えない。ボウルに映ったヘンテコな自分と目が合い、自然と視線が下へと向いた。
(ちょっと怒らせちゃったかな)
「そうだ」と君乃が両手を叩いた瞬間、楓は反射的に目を閉じた。
怖かった。何を言われるのか、わかったものではなかった。
「今度の定休日なんだけど」
走り出しを聞いて、楓は胸を撫でおろした。
「鈴木くんと日向ちゃんがジムに行くんだって」
なんでそんなことになったのか、と楓が疑問を浮かべるよりも早く君乃が「なっちゃんが誘ったんだって」と補足した。
「うわぁ、それはご愁傷様」と他人事のように言う楓に
「楓もついていってくれない?」と微笑みを向けながら告げた。
「えー。ジムかぁ」
「ほら、日向ちゃんを女の子一人で行かせるのも可哀そうだから」
「わたしは独りで行かせたくせに」
楓は一度、清水の執拗な勧誘に根負けしてジムに体験入会したことがあった。しかし当日、同行するはずだった清水が風邪をひいてしまい、独りで行く羽目になってしまったのだ。
事前準備をしていたことと、将来持っている運動神経の良さから恥をかくようなことはなかった。それどころか、良い意味での注目を浴びていた。ある細マッチョは驚愕し、あるゴリマッチョは口笛を吹いていた。後日、清水マッチョに筋トレを続けることを勧められたのだが、あまりの熱心っぷりに気圧されて、完全にやる気をなくしてしまった。
「でも大丈夫だったじゃない。ジムでは先輩なんだから、お願い」
「そりゃそうだけど」
「ほら、全然使わなかったジャージや靴も使えるし、よかったじゃない」
「……そりゃそうだけど」
楓としてもジムに付き合うのはやぶさかではなかった。陸はまだしも、音流と一緒に行けるというのに魅力を感じていた。しかしどうしても一つだけ確認しておきたいことがあった。
「ねえ、『人助け』になるかな」
楓としてはきっぱり「イエス」と答えてほしかった。たったそれだけで楓も「イエス」ということが出来たし、それを望んでいた。しかし君乃は優し気に目を細めて、楓の頭を撫でるばかりで、一向に答えない。
時計の針の音が大きく感じる程の時間が過ぎて、ようやく重い口を開く。
「もう無茶はしないでね」
この言葉を聞くたび、楓は黙るしかなかった。
聞くたびに思い出してしまう。服がズタズタに引き裂かれ、全身に傷を作って帰ったあの日。泣きじゃくる姉に抱きしめられた時に感じた負い目が蘇り、胸をキリリと痛めつけた。
無意識に木製の髪飾りを握りしめる。
(わたしは『人助け』をして生きていく。生きていかなくちゃいけないんだから)
楓は心の中で手を伸ばした。自分が殺した母。そしてチョメチョメを持ったことで出会った恩師たる老木。そのどちらにも触れることは叶わない。
(なんで朝からこんな気分にならないといけないのかな)
気を紛らわせるようにボウルの中の生クリームにヨーグルトとクリームチーズを加えて、さらにかき混ぜる。空気を膨らませるように大きく円を描いて泡立て器をカシャカシャと動かしていくうちに、生地の中にある人物の顔を浮かんできて、手を止めた。
鈴木陸。
同級生の顔とにらめっこをしている内に破壊衝動が湧き上がり、グチャグチャにすりつぶす様に荒っぽくかき混ぜた。
(本当に、あいつはなんなんだろう。勝手に手伝おうとしてくるし、何考えているかわかんないし)
ふと、楓の手が止まる。
(それなのに、わたしが作ったレアチーズケーキを食べている時はいい笑顔をするからなぁ)
まるで赤ちゃんが好物を食べたときのような純粋な笑顔を思い出して、楓は優しい表情になった。
(……まあ、許そうかな)
少し楽しい気分になり顔を上げて、君乃に目をやる。
「ジム、行くよ」
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