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第二章 日向ぼっこで死のうとする少女
第十五話 商店街とカラスと喧嘩
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「やっぱり、ウチは日向ぼっこしていた方がいいです」
そんな音流の弱音でジムの体験入会は終わりを迎えた。
ジム体験に訪れた陸と音流と楓の三人は、ランニングマシンなどの簡単な器具に触れることになった。
まず音流が意気揚々とランニングマシンに乗ったのだが、十歩も踏み出さないうちに足がもつれて盛大に転んだ。走り回る犬のように陽気な少女が、その実運動が大の苦手だったことに、その場の誰もが驚愕していた。
楓は黙々と走り込んでいた。ただ一心不乱に姿勢よく走る姿に、陸は舌を巻いた。陸はというと三枚舌でノラリクラリかわして一切トレーニングをしなかった。
結局誰もジムに入会することは無く、体験入会は幕を閉じた。
尚、発起人である清水はトレーニングに熱が入ったため、まだ筋肉を追い込んでいる。
「すみません。同志、青木さん。迷惑をおかけしてしまいました」
音流が丁寧にお辞儀するのに対して、陸は気軽に手を振った。
「いや、助かったよ。走らない口実ができた」と陸が言うと
「フクザツです」と音流は肩を落とした。
音流の鼻には陸が渡した絆創膏が貼られており、それを見た陸はわんぱく小僧みたいだ、鼻息を漏らした。
今度は楓に向き直ると
「青木さんはカッコよかったです!」と称賛の声を上げた。
陸はあえて声に出さなかったが、顔にはありありと「確かにその通りだ」と書かれていた。
照れ半分困り半分の楓は頬を掻いた。
「ありがとう。でもただ走っていただけだから」
「走っている姿がカッコよかったです! ウチなんてすぐに転んじゃったので」
恥ずかしさに耐えられなくなった楓は
「そういえば、日向ぼっこの方はどう?」と露骨に話題を変えた。
すると、音流の表情がみるみると沈んでいった。それを見て、楓はハッとして自分の間違いに気づいた。
「そっちの方は中々うまくいっていません。同志にも協力していただいているのですが」
「そうなんだ。ごめんね。あんまり手伝えなくて。でも、きっとうまくいくよ」
「……ありがとうございます」
楓は軽く手を叩いて、気分を切り替える。
「さっきから気になっていたけど、その同志って何?」
音流は「この人のことです」と言わんばかりに隣にいる少年を指さし、陸は肩をすくめた。
「日向ぼっこの魅力を分かち合った同志なので、同志と呼んでいます」
「何だか日向ぼっこが新興宗教みたいに聞こえる」
「まあ、間違って無い気がする」
陸は曖昧に同意した。内心、同じことを思っていたからだ。
二人としては少し茶化しただけなのだが、音流は重く考えたのか、陸に問いかける。
「同志——鈴木君は、同志と呼ばれるのが嫌ですか?」
うるんだ瞳に見つめられて、陸は息を呑んだ。冗談で流せる雰囲気ではないと悟って「別に」と端的に返した。それが陸にとっての精いっぱいの肯定だった。
音流は胸をなでおろした。その横で、楓の「なにそれ」と言いたげな生暖かい視線と陸の「なんだよ」と言いたげな鋭い視線がぶつかっていた。
そうこうしているうちに、三人は商店街のゲートをくぐった。
商店街はシャッターが下りている店舗が多く、閑古鳥が鳴いている。ひっそりと開いている店が点在しているが、活気はなく退廃的な雰囲気が強い。
「こんばんは!」
そんな場所で、楓は水を得た魚のように生き生きしていた。楓の姿を見つけた老人たちは訛りの強い言葉を投げかけながら、三人を囲んでいった。
あれよあれよと食堂に運ばれた若人三人は、大量の飴と炭酸飲料が積まれたテーブルの前に座らされた。
陸と音流は老人たちに話しかけられても、あまりの訛りの強さに聞き取ることも出来ず、目を回すばかりだ。しかしその一方で、楓だけは平然と受け答えしている。
(常連なのか?)
楓が浮かべる自然な笑顔を見て陸は飴を舐めた。初めて食べたはずだが、昔ながらの黒飴の味に陸は懐かしい、と感想を抱いた。
陸は親戚の集まりなどで訳の分からない話を聞き流すことに慣れている。しかし音流はそうではなかった。緊張や動揺や混乱で限界を迎えそうになっていた。
陸はすぐさま楓の肩を叩いて、具合の悪そうな音流を指さした。すぐに察した楓は「すみません、この後用事があるんです」と食堂の店主に告げた。
楓は貼り紙を一枚受け取り、商店街を後にした。
「凄かったです。なんというか、圧が」と音流が項垂れながら言い
「……今日は疲れた」と漏らす陸の瞳からは生気が消えていた。
「巻き込んじゃってごめんね」と楓は申し訳なさそうに手を合わせていた。
商店街から出てしばらく歩くと、住宅街のT字路に差し掛かった。
「それではウチはこっちですので。サヨサラです。同志。青木さん」
ブンブンと大きく腕を振りながら、音流は去っていった。
音流の姿が見えなくなると、残された二人の空気がわずかに固くなった。特別相手を嫌っているわけではないが、どう接していいかわからない。そんな物同士特有の空気感だった。
「随分仲よくなったんだ」と楓がボソリと言うと
「まあ、相性が良かったんだろう」と陸はぶっきらぼうに返した。
陸と楓は示し合わせたわけでもなく、三人の時よりも歩幅が広くなっていく。
「お姉ちゃんから鞍替えするの早くない?」
「……そんなんじゃない」
(一緒にいて楽しいし、気兼ねしなくていいし楽なのは確かなんだけど)
陸は自分の心の中で迷宮めいた感情を見つけたのだが、見て見ぬふりを決め込んだ。
「僕はもっと大人な女性が好きだ。グラマラスで母性があって、おしとやかな人がいい」
「母性。おしとやか、ねえ……」と楓は意味深にトーンを落とした。
「君乃さんは違うって言いたいのかよ」
「清水さんが筋トレにはまった理由、知ってる?」
陸はそんなの知るわけないだろ、と思いながら首を振った。
「お姉ちゃんに腕相撲で負けたからだよ。鍛えている今でも勝ててないけど」
「はあ!?」
驚愕する陸の表情を見て楓は大声で笑った。
陸が「ウソだろ!?」と詰め寄ると楓は「ほんとほんと」と本気なのか冗談なのかわからない返事をするばかりだった。
(いや、さすがにありえないだろ)
陸は想像した。君乃の細くしなやかな腕と、清水の引き締まった腕がぶつかる瞬間を。どう考えても勝者は後者だ。
楓は愉快そうに背中を揺らしており、陸はさらに眉間にしわを寄せた。しかし手に持っているものが気になり、指さす。
「なあ、何を頼まれてたんだ?」
陸は楓の持っているチラシを指差した。
「君には関係ないじゃん」
「気になって眠れない。明日英語の小テストがあるんだ。点数が低かったら困る。唯一の得意科目だから」
「わたしが話さなければ、君は困るってこと?」
「そうなるかもしれない」
大きなため息をついた後、したり顔の陸をにらみつけた。
「言い回しが回りくどいのは嫌い。面倒くさい」
面倒くさいのはどっちだ、と内心悪態をつきながら陸は言い直す文言を考えた。
「話してくれれば、僕を助けることは『人助け』になる。言いいたくないことなら言わなくていいけど」
陸は楓の『人助け』に対する異常な執着に気づいていた。だからこそ、こう言えば断れないと確信している。
楓は再びため息をついた後、自分の頬をバチンと両手で叩いた。突然の行動に驚き、陸は大げさに飛び跳ねた。
「今年の夏祭りでのど自慢大会をするから、歌ってくれって頼まれた」
なんだそんなことか、と陸は思った。しかし楓の顔がどこか強張っているのが気にかかった。
さらに言及しようと口を開いた瞬間だった。
カアアアアァァァァ!
けたたましいカラスの鳴き声が頭上から響いた。
とっさに視線を向けると、大きなカラスが電線に乗っていた。羽の艶がよく、目を見張るほどに大きい。普通のカラスではないと一目で理解できる。
(ちょ、ウソだろ!?)
カラスはあろうことかお尻をムズムズと振るわせ始めていた。尻の先から白いものが見えている。
陸が走り出すよりも早く、楓が動いた。足元から小石を拾い、大きく振りかぶったのだ。カラスめがけて投げられた小石は、弾丸ライナーで飛翔し、カラスの足を撃ち抜いた。バランスを崩したカラスは木の上に落下していき、その様子を見た楓は「よし!」とガッツポーズをとった。
「なにごと!?」
狼狽える陸を蚊帳の外にして、楓とカラスは対峙している。
カラスが楓に向けて滑空すると、楓はそれをドッジボールのように避け、再びカラスに石を投げた。しかし今度は当たることなく陸の足元に落ちた。
カラスは殴りつけるようにカーカーと鳴き、対する楓は「アホ」や「バカ」とか「おたんこなす」など幼稚な罵詈雑言を吐きまくっている。
(なんか、兄弟喧嘩みたいだ)
陸は少女とカラスの喧嘩風景というシュールな光景を前にして唖然としていたが、おもむろにスマホのカメラを向けた。
何ともなしに音流に動画を送ると、たった数秒で返信が来た。
なぜか獅子舞がサムズアップしている画像だった。
(変な奴ばっかりだよなぁ)
もちろん陸本人も例外ではないのだ。
そんな音流の弱音でジムの体験入会は終わりを迎えた。
ジム体験に訪れた陸と音流と楓の三人は、ランニングマシンなどの簡単な器具に触れることになった。
まず音流が意気揚々とランニングマシンに乗ったのだが、十歩も踏み出さないうちに足がもつれて盛大に転んだ。走り回る犬のように陽気な少女が、その実運動が大の苦手だったことに、その場の誰もが驚愕していた。
楓は黙々と走り込んでいた。ただ一心不乱に姿勢よく走る姿に、陸は舌を巻いた。陸はというと三枚舌でノラリクラリかわして一切トレーニングをしなかった。
結局誰もジムに入会することは無く、体験入会は幕を閉じた。
尚、発起人である清水はトレーニングに熱が入ったため、まだ筋肉を追い込んでいる。
「すみません。同志、青木さん。迷惑をおかけしてしまいました」
音流が丁寧にお辞儀するのに対して、陸は気軽に手を振った。
「いや、助かったよ。走らない口実ができた」と陸が言うと
「フクザツです」と音流は肩を落とした。
音流の鼻には陸が渡した絆創膏が貼られており、それを見た陸はわんぱく小僧みたいだ、鼻息を漏らした。
今度は楓に向き直ると
「青木さんはカッコよかったです!」と称賛の声を上げた。
陸はあえて声に出さなかったが、顔にはありありと「確かにその通りだ」と書かれていた。
照れ半分困り半分の楓は頬を掻いた。
「ありがとう。でもただ走っていただけだから」
「走っている姿がカッコよかったです! ウチなんてすぐに転んじゃったので」
恥ずかしさに耐えられなくなった楓は
「そういえば、日向ぼっこの方はどう?」と露骨に話題を変えた。
すると、音流の表情がみるみると沈んでいった。それを見て、楓はハッとして自分の間違いに気づいた。
「そっちの方は中々うまくいっていません。同志にも協力していただいているのですが」
「そうなんだ。ごめんね。あんまり手伝えなくて。でも、きっとうまくいくよ」
「……ありがとうございます」
楓は軽く手を叩いて、気分を切り替える。
「さっきから気になっていたけど、その同志って何?」
音流は「この人のことです」と言わんばかりに隣にいる少年を指さし、陸は肩をすくめた。
「日向ぼっこの魅力を分かち合った同志なので、同志と呼んでいます」
「何だか日向ぼっこが新興宗教みたいに聞こえる」
「まあ、間違って無い気がする」
陸は曖昧に同意した。内心、同じことを思っていたからだ。
二人としては少し茶化しただけなのだが、音流は重く考えたのか、陸に問いかける。
「同志——鈴木君は、同志と呼ばれるのが嫌ですか?」
うるんだ瞳に見つめられて、陸は息を呑んだ。冗談で流せる雰囲気ではないと悟って「別に」と端的に返した。それが陸にとっての精いっぱいの肯定だった。
音流は胸をなでおろした。その横で、楓の「なにそれ」と言いたげな生暖かい視線と陸の「なんだよ」と言いたげな鋭い視線がぶつかっていた。
そうこうしているうちに、三人は商店街のゲートをくぐった。
商店街はシャッターが下りている店舗が多く、閑古鳥が鳴いている。ひっそりと開いている店が点在しているが、活気はなく退廃的な雰囲気が強い。
「こんばんは!」
そんな場所で、楓は水を得た魚のように生き生きしていた。楓の姿を見つけた老人たちは訛りの強い言葉を投げかけながら、三人を囲んでいった。
あれよあれよと食堂に運ばれた若人三人は、大量の飴と炭酸飲料が積まれたテーブルの前に座らされた。
陸と音流は老人たちに話しかけられても、あまりの訛りの強さに聞き取ることも出来ず、目を回すばかりだ。しかしその一方で、楓だけは平然と受け答えしている。
(常連なのか?)
楓が浮かべる自然な笑顔を見て陸は飴を舐めた。初めて食べたはずだが、昔ながらの黒飴の味に陸は懐かしい、と感想を抱いた。
陸は親戚の集まりなどで訳の分からない話を聞き流すことに慣れている。しかし音流はそうではなかった。緊張や動揺や混乱で限界を迎えそうになっていた。
陸はすぐさま楓の肩を叩いて、具合の悪そうな音流を指さした。すぐに察した楓は「すみません、この後用事があるんです」と食堂の店主に告げた。
楓は貼り紙を一枚受け取り、商店街を後にした。
「凄かったです。なんというか、圧が」と音流が項垂れながら言い
「……今日は疲れた」と漏らす陸の瞳からは生気が消えていた。
「巻き込んじゃってごめんね」と楓は申し訳なさそうに手を合わせていた。
商店街から出てしばらく歩くと、住宅街のT字路に差し掛かった。
「それではウチはこっちですので。サヨサラです。同志。青木さん」
ブンブンと大きく腕を振りながら、音流は去っていった。
音流の姿が見えなくなると、残された二人の空気がわずかに固くなった。特別相手を嫌っているわけではないが、どう接していいかわからない。そんな物同士特有の空気感だった。
「随分仲よくなったんだ」と楓がボソリと言うと
「まあ、相性が良かったんだろう」と陸はぶっきらぼうに返した。
陸と楓は示し合わせたわけでもなく、三人の時よりも歩幅が広くなっていく。
「お姉ちゃんから鞍替えするの早くない?」
「……そんなんじゃない」
(一緒にいて楽しいし、気兼ねしなくていいし楽なのは確かなんだけど)
陸は自分の心の中で迷宮めいた感情を見つけたのだが、見て見ぬふりを決め込んだ。
「僕はもっと大人な女性が好きだ。グラマラスで母性があって、おしとやかな人がいい」
「母性。おしとやか、ねえ……」と楓は意味深にトーンを落とした。
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陸はそんなの知るわけないだろ、と思いながら首を振った。
「お姉ちゃんに腕相撲で負けたからだよ。鍛えている今でも勝ててないけど」
「はあ!?」
驚愕する陸の表情を見て楓は大声で笑った。
陸が「ウソだろ!?」と詰め寄ると楓は「ほんとほんと」と本気なのか冗談なのかわからない返事をするばかりだった。
(いや、さすがにありえないだろ)
陸は想像した。君乃の細くしなやかな腕と、清水の引き締まった腕がぶつかる瞬間を。どう考えても勝者は後者だ。
楓は愉快そうに背中を揺らしており、陸はさらに眉間にしわを寄せた。しかし手に持っているものが気になり、指さす。
「なあ、何を頼まれてたんだ?」
陸は楓の持っているチラシを指差した。
「君には関係ないじゃん」
「気になって眠れない。明日英語の小テストがあるんだ。点数が低かったら困る。唯一の得意科目だから」
「わたしが話さなければ、君は困るってこと?」
「そうなるかもしれない」
大きなため息をついた後、したり顔の陸をにらみつけた。
「言い回しが回りくどいのは嫌い。面倒くさい」
面倒くさいのはどっちだ、と内心悪態をつきながら陸は言い直す文言を考えた。
「話してくれれば、僕を助けることは『人助け』になる。言いいたくないことなら言わなくていいけど」
陸は楓の『人助け』に対する異常な執着に気づいていた。だからこそ、こう言えば断れないと確信している。
楓は再びため息をついた後、自分の頬をバチンと両手で叩いた。突然の行動に驚き、陸は大げさに飛び跳ねた。
「今年の夏祭りでのど自慢大会をするから、歌ってくれって頼まれた」
なんだそんなことか、と陸は思った。しかし楓の顔がどこか強張っているのが気にかかった。
さらに言及しようと口を開いた瞬間だった。
カアアアアァァァァ!
けたたましいカラスの鳴き声が頭上から響いた。
とっさに視線を向けると、大きなカラスが電線に乗っていた。羽の艶がよく、目を見張るほどに大きい。普通のカラスではないと一目で理解できる。
(ちょ、ウソだろ!?)
カラスはあろうことかお尻をムズムズと振るわせ始めていた。尻の先から白いものが見えている。
陸が走り出すよりも早く、楓が動いた。足元から小石を拾い、大きく振りかぶったのだ。カラスめがけて投げられた小石は、弾丸ライナーで飛翔し、カラスの足を撃ち抜いた。バランスを崩したカラスは木の上に落下していき、その様子を見た楓は「よし!」とガッツポーズをとった。
「なにごと!?」
狼狽える陸を蚊帳の外にして、楓とカラスは対峙している。
カラスが楓に向けて滑空すると、楓はそれをドッジボールのように避け、再びカラスに石を投げた。しかし今度は当たることなく陸の足元に落ちた。
カラスは殴りつけるようにカーカーと鳴き、対する楓は「アホ」や「バカ」とか「おたんこなす」など幼稚な罵詈雑言を吐きまくっている。
(なんか、兄弟喧嘩みたいだ)
陸は少女とカラスの喧嘩風景というシュールな光景を前にして唖然としていたが、おもむろにスマホのカメラを向けた。
何ともなしに音流に動画を送ると、たった数秒で返信が来た。
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