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第四章 依頼等(イライラ)に満ちた一日

第二十九話 ママさんバレーの後、田舎道

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 球場を後にし、市民体育館に入った楓は、奇声を上げていた。

 けたたましい声でとともに放たれたバレーボールは、ラインすれすれでバウンドした。

 楓は中年女性とハイタッチをし、定位置へと戻った。

 ターゲットは今、ママさんバレーに参加している。

「そうなのよ。楓ちゃんはね、本当にいい子でね、よくママさんバレーに出てくれているのよ」

 明らかなオーバーリアクションを取りながら表情豊かに話す、おしゃべり好きなおばさんから聞いて、陸は

「へー、そうなんですね」と愛想笑いを浮かべた。

(あー、やってしまった)

 陸はすでに察していた。この手のおばさんに掴まってしまったら、そうやすやすと逃げられないことを。

「いやー、楓ちゃんは私の若い頃によく似てるわ」

 それから始まったのはおばさんの自分語りだった。その内容に真実みはなく、時系列もバラバラで、要領を得なかったため、必要な情報だけを抜粋する。

 楓は最初、魚屋の女性店主の付き添いとして参加し始めた。魚屋は健康のためにと最初は意欲的だったのだが、ある日を境に全く来なくなってしまった。特に何かがあったわけではなく、突然熱が冷めてしまう人だった。結果、楓だけがママさんバレーに参加を続けている。

「楓ちゃんとってもいい子だから息子の嫁に欲しいぐらいよ。いや、あの息子には勿体ないぐらいだわ」

 そういうおばさんの顔は、本気か冗談か判別つかなかった。おそらくは息子への愚痴に発展させるための切り口なのだろう。

(うわぁ、青木のヤツ、よくここにいられるな)

 陸はたった10分でもうんざりした気持ちになっていた。

 案の定始まった息子への愚痴を聞き流しながら、楓のことを目で追う。

(うお、あんなに高く跳べるのか)

 楓の身体能力は、スポーツに詳しくない陸でも舌を巻くほど高水準だった。腰や膝を気遣って動く中年女性に囲まれているせいか、動きの機敏さが際立って見える。

(どこにそんなに体力があるんだよ)

 楓は小学生達と野球をした後、ほとんど休みなくバレーボールをしているのだ。それでも疲労困憊にはなっておらず、動き回っている。
 
(これなら運動部から引く手数多だろうに)

 陸は当事者でもないのに口惜しい気持ちになりつつ、楓の活躍を眺め続けた。

 しばらくして、ホイッスルが鳴る。試合の結果は語るべくもないだろう。楓はチームメイトとおおばさんたちとハイタッチをした後、相手チームもまじえて雑談し始めた。おしゃべり好きなおばさんもそちらに加わり、陸はやっと解放された。
 
(あれはなんだ? 漬物……?)

 楓はおばさんたちからタッパーやら袋に入った漬物を受けとっていた。チームに参加してくれたお礼か、それともただ単にかわいがられているだけだろう。

 楓は何度も頭を下げてから、市民体育館から出て、陸も後を追う。

(あれ、どこに向かっているんだ?)

 楓の向かっているのは『Bruggeブルージュ喫茶』の方向でもなく、町中に近づいているわけでもない。逆にどんどん離れて行っている。

 しばらく歩いていると、景色から建物が消えて田園風景に変わる。

 田んぼに囲まれた田舎道。ガードレールや街灯は設置されておらず、道路の幅も狭い。周囲からは虫のさえずりが聞こえ、何者にも邪魔されない風が自由気ままにふいている。

 道路も田んぼも人間が管理しているものなのだが、自然の息吹が耳元で感じられる。

 自然と人間の境界線のような空間。

 そんなノスタルジックな光景の中、少女はゆったりと歩き、少年はラッパーの真似してクネクネ踊り続けている。実にシュールである。

 ふと田んぼの中に、一つの建物が見えてくる。

(ここは確か……)

 街はずれのここには、陸は普段足を踏み入れないのだが、そこにある建物には見覚えがあった。

(火葬場だ)

 お祖父ちゃんの葬式で来たことがあった。朝早くに出棺したお祖父ちゃんを運んできて、骨に燃やした場所。陸は何となく切ない心持ちになって、一瞬立ち止まる。しかしすぐにハッとして、再度楓の後をつける。

(でも、ここら辺は火葬場しかないけど、何しにきたんだ?)

 周囲は田んぼばかりで、民家も数える程しかない。不思議に思いながら様子を伺っていると、楓は火葬場の横にある空き地に侵入していっていき、陸はおっかなびっくりついていく。

 そこは本当に何もない空き地だった。

 誰も管理していないのか雑草が生え放題になっている。中央に大きな切り株が鎮座しているだけで、他に目につくものはない。

 楓は切り株の前に座ると、手を合わせた。まるで墓前で祈るような動きだ。

(なんなんだ、これ)

 空き地の手前で陸は尻ごみをしていた。なんだか立ち入りにくい雰囲気を感じていた。知らない人のお墓に入る時のような気まずさだ。

 ポトン

 頭の上に何かが落ちた。かぶっていた帽子をとって見ると、カラスの糞がついていた。とっさに上空を見上げると、カラスが飛んでいた。いや、正確にはカラス兄だ。

「ちょ、借り物なのに!」

 陸はしゃがんで、フンを叩き落とそうとした。しかしシミが広がるばかりで手遅れだ。

 そんな中、間近で声が聞こえる。

「ねえ、知ってる? 白い部分ってフンじゃなくておしっこなんだよ。フンは固形の茶色のヤツ」
「なんで今そんな話——」

 顔を上げると、仁王立ちの楓が見下ろしていた。
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