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第五章 日向ぼっこ好きは台風の目の夢を見る
第四十五話 尊いだけの三文字
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(こんなことを誰かに言いたくなかったのに)
特に目の前の少年には言いたくなかった。それほどまでに、音流にとって陸は離れがたい存在になっていた。
(ウチは日向ぼっこが好きな女の子。それだけで十分なのに)
それでも音流の口は全てを語ってしまう。一度決壊したダムは止めることはできず、すべてを吐き出すしかない。
「それからずっと、日向ぼっこで死ぬことばかりを考えていました。そうすれば、心が晴れると思っていました」
じいじの畑でのびのびと足を延ばして、風に運ばれてきた野菜の青々しい匂いを嗅ぐ。その時間がどれほど幸福だったのか。失ってから実感した。
「結果がどっちでもいいんです。ただ、知りたいだけなんです」
知りたいだけ――。
知らなければ、あの世でじいじに会えない気がした。
だから答えを求めるのをやめられない。
「ねえ、ウチ、同志のこと好きなんです。恋かなんてわからない。でも、じいじと同じぐらい、好きなんです。なんでも知りたいし、一緒にいたいんです。こうやって触れていたいんです」
音流は勢いのままにすごいことを口走っていた。もう自分でも何を言っているのかわかっていない。
「日向ぼっこはウチを殺してくれません。もう、好きなものなんて他にないんです」
涙で視界が滲んで、目の前の顔すらまともに見れない。
どんな顔をしているのか、どう思われているのか、考えるだけで怖い。だから、涙で何も見えないうちに――心臓の鼓動で何も聞こえないうちに――全部打ち明けて、終わりにしよう。
【だから、ウチを殺してください】
遺すつもりで、言葉にした。
頭の中が真っ白になった。
髪を伝う雨水に、すべての思考を流されたようだった。
陸の腕はさび付き、脚は凍り付いていた。かろうじて息はできるものの、目玉すら自由に動かせない。
しかし鼓膜は音流からの告白の一言一句を漏れずに聞き取り、網膜は泣きじゃくる音流を精細に映し出している。
精神も情緒もぐちゃぐちゃになっていて、脳や胸も熱くなりすぎてドロドロに溶けている。その癖、体の芯は冷え切っていた。
陸はうまく言葉を紡げなかった。
音流は陸の顔をまっすぐ見続けている。悲壮に懇願しながら。
細めた瞳からあふれ出た涙は頬を伝い、陸の太股に落ちた。その涙は、まるで体温のすべてを垂れ流しているような熱さだった。
「殺して、ください」
嗚咽まじりに、残酷な言葉が再び発せられた。
陸の頭の中では色んな否定の言葉が渦巻いていた。
拒否する事は簡単だ。理論的に説き伏せるまでもない。たった一つの拒絶の言葉で済むだろう。
(なんで……!)
しかし、陸は音流を押し倒していた。
陸の脳内を支配していたのは、後悔だった。
昨夜お願いを聞かなかった後悔。音流の状況に全く気付いていなかった後悔。自分がもっとしっかりしていれば、音流がこんなに追い込まれなかったかもしれない。そんな暗い思い達が陸の未熟な心を蝕んでいる。
だからこそ、このお願いからは逃げられない。
気づいたころには、か細い喉に手を掛けていた。
生暖かくて、やわらかくて、ドクンドクンと脈打つ管を締め上げ始める。
(僕は何している……?)
陸は冷静に自分を俯瞰する一方で、今の状況が夢のように感じられて、止めることが出来い。
音流は苦しげにしながらも、目をかすかに開いた。その瞳には歪んだ少年の顔が映っていた。
陸の瞳には理性は残っておらず、ただ一点を見つめている。そこには青白い音流の顔が映っている。
抵抗は徐々に弱くなり始め、瞼が閉じていく。肌は青白さを通り越し、灰のように真っ白になっていく。苦しげな表情が徐々に穏やかなものに変わっていき、大事なものが抜けていく。
その表情が、死んだお祖父ちゃんに重なった。
ハッと我に返った陸は手を離し、飛び退いた。
解放された音流はゲホゲホと何度もせき込みながら、荒い呼吸を繰り返した。
陸は震える自分の手のひらを、見つめ続けていた。まるで信じられないものを目撃したかのように。
同志、なんで……。
そんな声が聞こえた気がした。
音流に視線を移す。徐々に落ち着いてきているが、まだ喉が痛むようでしきりに咳こんでいる。まだ言葉を発せられる状態には見えない。
陸は無意識に音流に手を伸ばそうとしている自分に気付いて、とっさに引っ込めた。一瞬、自分の肩から伸びている腕が、酷く汚れているように見えたからだ。
目の前の少女を気にかけて触れようとした少年の腕は、彼女の首を絞め上げたものなのだ。
その事実に気づいた瞬間、陸は全身の感覚を失った。
固まっていると、ようやく呼吸を整えた音流が振り向いて、視線が合う。音流はまだ思考がはっきりしていないのか、ぼんやりとしていて状況を認識できているかも怪しい様子だ。
彷徨う幽霊のようだ。
その姿を見て、陸は途轍もなく不安に襲われて、無意識に前のめりになる。
イヤッ
たったそれだけの行動に、音流は過敏に反応して小さな悲鳴を上げた。
まるで牙を剥く猛獣を見たリスのように怯えきった姿に、陸の心はグズグズにかき乱された。
「……やってって言ったのはそっちだろ」
陸は思わず、冷たく呟いた。
距離を取ろうとして後ずさると、脱ぎ捨てた服に足を取られてしまい、不運なことに音流の上に覆いかぶさってしまう。
陸はすぐに立ち上がろうとしたのだが、思うように腕に力が入らない。
「……おもい」
音流は心ここにあらずといった様子で、うわ言のように呟いた。
いつの間にか雨音は聞こえなくなっていた。
雲の切れ目から晴天が顔を出して始めている。
音流は陸を見ていなかった。その先。ずっとずっと遠くに目をやっていた。
青天井に手を伸ばし、何かを握り締める。
「じいじ」
さめざめとした唇から、愛おし気に漏らした。
「またね」
それは別れではなかった。
再会を祝福して、誓う。
尊いだけの3文字。
特に目の前の少年には言いたくなかった。それほどまでに、音流にとって陸は離れがたい存在になっていた。
(ウチは日向ぼっこが好きな女の子。それだけで十分なのに)
それでも音流の口は全てを語ってしまう。一度決壊したダムは止めることはできず、すべてを吐き出すしかない。
「それからずっと、日向ぼっこで死ぬことばかりを考えていました。そうすれば、心が晴れると思っていました」
じいじの畑でのびのびと足を延ばして、風に運ばれてきた野菜の青々しい匂いを嗅ぐ。その時間がどれほど幸福だったのか。失ってから実感した。
「結果がどっちでもいいんです。ただ、知りたいだけなんです」
知りたいだけ――。
知らなければ、あの世でじいじに会えない気がした。
だから答えを求めるのをやめられない。
「ねえ、ウチ、同志のこと好きなんです。恋かなんてわからない。でも、じいじと同じぐらい、好きなんです。なんでも知りたいし、一緒にいたいんです。こうやって触れていたいんです」
音流は勢いのままにすごいことを口走っていた。もう自分でも何を言っているのかわかっていない。
「日向ぼっこはウチを殺してくれません。もう、好きなものなんて他にないんです」
涙で視界が滲んで、目の前の顔すらまともに見れない。
どんな顔をしているのか、どう思われているのか、考えるだけで怖い。だから、涙で何も見えないうちに――心臓の鼓動で何も聞こえないうちに――全部打ち明けて、終わりにしよう。
【だから、ウチを殺してください】
遺すつもりで、言葉にした。
頭の中が真っ白になった。
髪を伝う雨水に、すべての思考を流されたようだった。
陸の腕はさび付き、脚は凍り付いていた。かろうじて息はできるものの、目玉すら自由に動かせない。
しかし鼓膜は音流からの告白の一言一句を漏れずに聞き取り、網膜は泣きじゃくる音流を精細に映し出している。
精神も情緒もぐちゃぐちゃになっていて、脳や胸も熱くなりすぎてドロドロに溶けている。その癖、体の芯は冷え切っていた。
陸はうまく言葉を紡げなかった。
音流は陸の顔をまっすぐ見続けている。悲壮に懇願しながら。
細めた瞳からあふれ出た涙は頬を伝い、陸の太股に落ちた。その涙は、まるで体温のすべてを垂れ流しているような熱さだった。
「殺して、ください」
嗚咽まじりに、残酷な言葉が再び発せられた。
陸の頭の中では色んな否定の言葉が渦巻いていた。
拒否する事は簡単だ。理論的に説き伏せるまでもない。たった一つの拒絶の言葉で済むだろう。
(なんで……!)
しかし、陸は音流を押し倒していた。
陸の脳内を支配していたのは、後悔だった。
昨夜お願いを聞かなかった後悔。音流の状況に全く気付いていなかった後悔。自分がもっとしっかりしていれば、音流がこんなに追い込まれなかったかもしれない。そんな暗い思い達が陸の未熟な心を蝕んでいる。
だからこそ、このお願いからは逃げられない。
気づいたころには、か細い喉に手を掛けていた。
生暖かくて、やわらかくて、ドクンドクンと脈打つ管を締め上げ始める。
(僕は何している……?)
陸は冷静に自分を俯瞰する一方で、今の状況が夢のように感じられて、止めることが出来い。
音流は苦しげにしながらも、目をかすかに開いた。その瞳には歪んだ少年の顔が映っていた。
陸の瞳には理性は残っておらず、ただ一点を見つめている。そこには青白い音流の顔が映っている。
抵抗は徐々に弱くなり始め、瞼が閉じていく。肌は青白さを通り越し、灰のように真っ白になっていく。苦しげな表情が徐々に穏やかなものに変わっていき、大事なものが抜けていく。
その表情が、死んだお祖父ちゃんに重なった。
ハッと我に返った陸は手を離し、飛び退いた。
解放された音流はゲホゲホと何度もせき込みながら、荒い呼吸を繰り返した。
陸は震える自分の手のひらを、見つめ続けていた。まるで信じられないものを目撃したかのように。
同志、なんで……。
そんな声が聞こえた気がした。
音流に視線を移す。徐々に落ち着いてきているが、まだ喉が痛むようでしきりに咳こんでいる。まだ言葉を発せられる状態には見えない。
陸は無意識に音流に手を伸ばそうとしている自分に気付いて、とっさに引っ込めた。一瞬、自分の肩から伸びている腕が、酷く汚れているように見えたからだ。
目の前の少女を気にかけて触れようとした少年の腕は、彼女の首を絞め上げたものなのだ。
その事実に気づいた瞬間、陸は全身の感覚を失った。
固まっていると、ようやく呼吸を整えた音流が振り向いて、視線が合う。音流はまだ思考がはっきりしていないのか、ぼんやりとしていて状況を認識できているかも怪しい様子だ。
彷徨う幽霊のようだ。
その姿を見て、陸は途轍もなく不安に襲われて、無意識に前のめりになる。
イヤッ
たったそれだけの行動に、音流は過敏に反応して小さな悲鳴を上げた。
まるで牙を剥く猛獣を見たリスのように怯えきった姿に、陸の心はグズグズにかき乱された。
「……やってって言ったのはそっちだろ」
陸は思わず、冷たく呟いた。
距離を取ろうとして後ずさると、脱ぎ捨てた服に足を取られてしまい、不運なことに音流の上に覆いかぶさってしまう。
陸はすぐに立ち上がろうとしたのだが、思うように腕に力が入らない。
「……おもい」
音流は心ここにあらずといった様子で、うわ言のように呟いた。
いつの間にか雨音は聞こえなくなっていた。
雲の切れ目から晴天が顔を出して始めている。
音流は陸を見ていなかった。その先。ずっとずっと遠くに目をやっていた。
青天井に手を伸ばし、何かを握り締める。
「じいじ」
さめざめとした唇から、愛おし気に漏らした。
「またね」
それは別れではなかった。
再会を祝福して、誓う。
尊いだけの3文字。
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