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第九章 突き抜けた先にあるもの
第七十六話 小生君は影が薄い
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「さようならです!!」
「うん、さようなら」
「さよなら」
夕日を背に、陸は手を振り続けた。少女二人の姿が見えなくなってから、ゆっくりと歩き出す。
(市民プール、なんだかんだで楽しかった)
市民プールでの一日を、反芻して味わうように思い出す。
さっさとスク水に着替えた楓。独りで寂しそうにしていた男子小学生と遊んでいたが、途中から鼻血を出した小学生の介抱をしていた。
その他にもいろんな人に手を差し伸べていた。遊んでいないはずなのに、その顔はどこか楽し気だった。
ショルダービキニに着替えた音流。陸のおべっかを話半分で聞き、サンベッドに寝転んで、日向ぼっこばかりをしていた。プールという人気の娯楽施設も、彼女にとっては日向ぼっこのスパイスに過ぎないのだろう。
陸はしばらく音流の日向ぼっこに付き合っていたが、飽きて一人で泳いでいた。徐々に一人でいるのが寂しくなって、ビート板を大きなレアチーズケーキに見立てて、色々と妄想していた。
全員が全員、自分のやりたいことをしていて、バラバラだった。それなのに、一緒に遊んだ後のような満足感があった。
(僕達はこういう感じでいいのかもなぁ)
一緒にいるだけで楽しいのだから、一緒に同じことをしなくてもいいのかもしれない。バラバラではなく、お互いの好きを尊重し合っているのかもしれない。
そう考えると、バラバラで遊ぶのも悪い気がしなかった。
陸が上機嫌にスキップをしていると
「あなたは青木さんの何なんですか!?」
突然、見知らぬ顔が目の前に立ちふさがった。
おそらくは同じ中学生だろう。夏休みだというのに制服を着ている。顔も背格好も特徴が無く、よく見れば顔立ちは整っているのだが、すぐにその印象を忘れてしまう。そんな不思議な少年だった。
「あなたは青木さんの何なんですか!?」
陸が呆然していると、もう一度詰め寄ってくる。
興奮しすぎているのか、髪が逆立っており、野生の獣のような眼光だ。
「えっと、とりあえず落ち着いて」と陸がなだめようにも
「これが落ち着いていられますか!」と少年は興奮するばかりだ。
助けを求めて視線を右往左往させるが、周囲に人はいない。あるのはコインランドリーと自販機ぐらいだ。
「飲み物でもおごるから!」
陸にとっては苦し紛れの言葉だった。しかし――
「え? 本当ですか!?」
少年の動きがピタリと止まった。さっきまでの狼のような人相はどこへやら、今はエサを待つ子犬のような顔をしている。
その変貌ぶりに驚きながらも、陸は自販機に向かった。少年はその後ろを大人しくついていく。
「あの、その、一番安いヤツで……」
「そう?」
陸は迷いなく一番安い天然水を選んだ。レアチーズケーキ代を確保するためには、少しでも出費を抑える必要があった。
「あ、えっと、ありがとうございます」
少年はなんとも微妙な表情をしていた。しかし自分の分として同じ天然水を買う陸の姿を見て、困惑していた。
しかしすぐに頬を緩めて、受け取ったペットボトルを大事そうに抱きしめた。
「飲まないの?」
陸がフタを開けながら訊くと
「飲むなんて勿体ないです!」と少年はブンブンと首を振った。
「いや、飲んでもらうために買ったんだけど」
「初めて家族以外に天然水を買ってもらえたんです。記念に取っておきます」
少年はおもむろに懐から手帳を取り出して、何かを書き込み始めた。
「何を書いてるの?」
「記念日としてしるしているのです」
「え? 記念日?」
「全ての初体験は記念日です」
手帳を覗き込むと、陸はギョッとした顔になった。
呪いの呪符なのかと思ってしまう程、びっしりと文字が書き込まれていた。
しかしよく目を凝らしてみると、かなりポジティブな内容だった。
初めて数学で赤点を取った記念日。初めて竹馬で転んでケガをした記念日。初めて宿題を忘れて怒られた記念日。初めて身長が150cmを超えた記念日。初めて国語で100点を取った記念日などなど……。
成長も嬉しいことどころか、失敗したことすらも全部記念日として書かれていた。
「……すごいな」と陸は感嘆の息を漏らした。
「あ、申し訳ございません。不快な思いをさせて」
陸の言葉を皮肉だと捉えたのか、手帳をひっこめた。
「あ、いや、そうじゃなくて、褒めてるんだけど」
(初めてを大切にできるのって、才能だよな)
初めての行為は、周囲の人にとってはめでたいことでも、本人にとっては恥ずかしいことが多い。現に陸もそのタイプだ。だからこそ、つい賞賛の声が漏れてしまっていた。
「え、あれ、そうなんですか」と少年は意外そうに目を見開いた後「ありがとうございます」と控えめに言った。
そんな少年に、陸は興味津々な顔を向ける。
「どうして、こんなに記念日をつくろうと思ったの?」
「あの、小生は影が薄くて、すぐに忘れてしまうんです。存在すらも……」
陸は「あー」と素直に声に出した。それと同時に"小生"という一人称が気になった。中学生の口から出るのがあまりにも面白くて、心の中で"小生君"と呼ぶことに決めた。
「だからこそ、忘れられる辛さは知っているつもりです。せめて小生だけでも、多くのことを覚えていよう、って思っているんです」
さっきまで下を向いていた小生君の視線が、少し上がる。
「でも小生は頭が悪いので、全部を覚えてはあげられません。なので『はじめての体験』は全部記録して、覚えようと思ったんです」
徐々に表情が楽し気なものに変わっていく。
「そうすると、世界が少し楽しくなったんです。新しいチャレンジを怖がらなくなりました。だって、それら全部が記念日になるんですよ」
最後には、はにかんでいた。夕日がよく似合うような、いい顔をしていた。
「って、すみません。小生の自分語りなんて……」
陸は頭を横に振った。
「いや、いい考えだと思うよ」
少年は驚いてから
「鈴木君って、思ったよりもいい人ですね」と少し優しく言った。
♪~♪~♪ ♪♪♪~♪、と町中に音楽が流れ始めた。ゆうやけこやけ。帰る時間を知らすチャイムだ。
それを聞いてハッとした少年は「すみません。急いで話をもどしまして」と閑話休題した。
「今回声を掛けたのは、その、あの、実は小生は青木さんのことを懸想しておりまして……」
「懸想って……」
つまりは恋をしているということだ。
恋をしてしまった小生君はSNSで、楓に告白した。そしてなんとOKをもらえてしまったのだ。
しかし待てど暮せど、それ以降の進展が一切なかった。連絡がなければ、学校で話しかけられることもない。まるで、告白自体を忘れられているかのような態度だったという。
夏休みに入り、顔を見ることも無くなっていた。今日偶然、町中で楓と陸が並んで自転車を漕いでいるのを見つけた。
「他の男子と二人っきりでいるなんて、許せるわけがないじゃないですか!」
(おい、日向もいたんだが)
不服に思ったのだが、話の腰を折らないように口をつぐんだ。
「きっと自分は遊ばれていたのだ、と義憤に駆られました。しかしどうしても声をかける勇気が出ず、プールで様子を伺うことにしました。
結果、青木さんは子供たちと遊び始めますし、あなたとは恋仲には見えませんでした。正直、意味がわかりませんでした」
陸はゆっくりと空を仰いだ。夕日は沈み始めて、暗くなり始めている。
(はた迷惑だ)
早く誤解は解くべきだ、と説明を始める。
「まず、僕と青木は、そんな関係じゃない。僕はただの友人兼常連客だ」
「常連客ということは、青木さんとは仲はよろしいんですか?」
「……嫌われてはいないと思う」と陸は苦々しく呟いた。
「では、青木さんは、僕について何かおっしゃっておりましたか?」
陸は一瞬、どう答えるべきかを考えた。しかし気の利いた言い回しを思いつくわけがなかった。
「忘れられていると思う。告白や彼氏の話なんて、一つも聞いていない」
配慮の欠片もない答えをきかされて男子生徒は陰鬱な雰囲気を漂わせ始めた。
「確かに小生は影が薄いですが、告白を忘れられるなんて、あんまりではないでしょうか……」
小生君は、ずーん、と効果音が鳴りそうな程、沈み込んでしまった。その姿があまりにも交わしそうで、声を掛ける。
あまりにも素直な落ち込みぶりを見ていると、可哀そうに思えてきて、声を掛ける。
「まあ、新しい恋でもみつけたら」
「新しい恋、ですか」
小生君は呟いた後、しばらく目を瞑って考えていた。まるで座禅修行をして自分を見つめ直すお坊さんのような雰囲気だった。
やがて、諦めたように笑う。
「あはは、やっぱり新しい恋は無理そうですね」
小生君の顔には、諦めと未練がにじみ出ているのに、青々しい恋心が見え隠れていた。
そんな顔を見せられて、陸は大きくため息をついた。
「はぁー、僕にはわかんないね。青木のどこがそんなにいいのか」
小生君はゆっくりと瞼を閉じて、口を開く。
「小生の家、商店街で魚屋を営んでいるんです」
陸は「あーあそこか」と商店街の光景を思い出した。シャッターのかかる店々に囲まれていても、まだまだ活気のある店だった。
「青木さんは小生の母上と仲が良くて、店によく来ています。もちろん小生とよく顔を合わせるのですが、丁寧にあいさつしてくれるんですよ。
学校でもたまに『困りごとはない?』と声をかけるんですよ。そういう優しさと気遣いが本当に素敵で、好きになりました」
小生君の独白を聞いて、陸は悩んでした、楓は『困りごとはない?』と無差別に聞きまわっているし、とにかく顔が会えば誰にでも挨拶をしている。おそらくは楓にとって、小生君は特別ではないだろう。それを伝えるべきかどうか。
考えた末に、話を少しずらすことにした。
「家、魚屋なんだ。見かけたことあるけど、エネルギッシュでいいお母さんだよね」
そんなことないですよ、と小生君は興奮で頬を赤くした。
「影が薄いことを母上に相談した時なんて
『影が薄いなんて捕食されにくくていいじゃない。青魚なんて鳥から見えないように上は青く、海中の生物から見えないように下は銀色になっているのよ』って言われました。
小生は海に生きているわけじゃないんですよ!? バスの点呼ですら忘れられるのは学校生活では死活問題でしょう!」
余程母親に対する不満が溜まっていたのか、一息で言い切った。
「それは、ヤバイな」と陸が同情すると
「わかって頂けますか!?」と小生君は感極まって、目を輝かせた。
そのまま流れる様な手つきで手帳を取り出して『初めて同級生に影の薄さの辛さを共感してもらえた記念日』と四角い文字で書きこんだ。
そんな姿を横目でみつつ、陸は少し考えていた。
「だったらいっそのこと派手な格好をしてみたらどう? 否応なくインパクトが残りそうなやつ」
「それです!」
小生君は興奮のあまり立ち上がり、演説のように声高に叫ぶ。
「そうすれば、青木さんに告白しても覚えてもらえることでしょう!」
小生君の希望に満ちた顔を見て、まだ告白するつもりなんだ、と陸は舌を巻いた。
「しかし夏祭りでの派手な格好とは難しいですね。ただの奇抜な格好では、浴衣の中に埋もれてしまいそうです」
「だったら、いっそのこと夏祭りっぽくない服装とか……例えば長袖の制服とか」
「それです!」
小生君はまた大声で叫んだ。
そして手帳に『夏祭りは長袖の制服で行く!!!』とデカデカと書き殴った。
「よし、また告白します! 夏祭りで告白して、青木さんのハートを射止めて見せます!」
「その意気だ!」
陸は同調するように拳を天に突き出した。
(うまくいけばレアチーズケーキが、さらにうまくなるかもしれない!)
陸の頭の中では、楓に恋人ができるとレアチーズケーキがおいしくなる、という謎の方程式が存在していた。陸にとってレアチーズケーキは初恋の味だからかもしれない。
♪~♪~♪~
突然、陸のポケットから着信音が鳴り響いた。
(あれ、別れたばかりなのになんだろ)
その着信音は個別に設定しているものであり、画面を見なくても誰からの通話なのかわかるようになっている。
「ごめん。電話だ」
小生君は「お構いなく」と言い、陸は弾むような手つきで通話ボタンを押した。
「あ、日向? どうしたの? さっきぶりだけど」
明らかにテンションの高い陸の声を聞いて、小生君の耳がピクリと跳ねた。
「ごめん。ちょっと今忙しいから、後でかけなおす。……いやいや、浮気とかじゃないから。後でちゃんと説明するから」
陸が電話を切ると、小生君は平坦な声を漏らす。
「あの、電話の相手とはどんなご関係でしょうか」
陸は頬を掻いて、わずかに紅潮させながら
「彼女」と告げた。
それを聞いた瞬間、小生君の顔が怒りに真っ赤に染まった。
「この裏切り者!!」
突然そう叫んだかと思うと、ロケットのごとく走り去っていった。
陸は事態を飲み込めず、ポカンと口を開けっぱなしになっていた。
「うん、さようなら」
「さよなら」
夕日を背に、陸は手を振り続けた。少女二人の姿が見えなくなってから、ゆっくりと歩き出す。
(市民プール、なんだかんだで楽しかった)
市民プールでの一日を、反芻して味わうように思い出す。
さっさとスク水に着替えた楓。独りで寂しそうにしていた男子小学生と遊んでいたが、途中から鼻血を出した小学生の介抱をしていた。
その他にもいろんな人に手を差し伸べていた。遊んでいないはずなのに、その顔はどこか楽し気だった。
ショルダービキニに着替えた音流。陸のおべっかを話半分で聞き、サンベッドに寝転んで、日向ぼっこばかりをしていた。プールという人気の娯楽施設も、彼女にとっては日向ぼっこのスパイスに過ぎないのだろう。
陸はしばらく音流の日向ぼっこに付き合っていたが、飽きて一人で泳いでいた。徐々に一人でいるのが寂しくなって、ビート板を大きなレアチーズケーキに見立てて、色々と妄想していた。
全員が全員、自分のやりたいことをしていて、バラバラだった。それなのに、一緒に遊んだ後のような満足感があった。
(僕達はこういう感じでいいのかもなぁ)
一緒にいるだけで楽しいのだから、一緒に同じことをしなくてもいいのかもしれない。バラバラではなく、お互いの好きを尊重し合っているのかもしれない。
そう考えると、バラバラで遊ぶのも悪い気がしなかった。
陸が上機嫌にスキップをしていると
「あなたは青木さんの何なんですか!?」
突然、見知らぬ顔が目の前に立ちふさがった。
おそらくは同じ中学生だろう。夏休みだというのに制服を着ている。顔も背格好も特徴が無く、よく見れば顔立ちは整っているのだが、すぐにその印象を忘れてしまう。そんな不思議な少年だった。
「あなたは青木さんの何なんですか!?」
陸が呆然していると、もう一度詰め寄ってくる。
興奮しすぎているのか、髪が逆立っており、野生の獣のような眼光だ。
「えっと、とりあえず落ち着いて」と陸がなだめようにも
「これが落ち着いていられますか!」と少年は興奮するばかりだ。
助けを求めて視線を右往左往させるが、周囲に人はいない。あるのはコインランドリーと自販機ぐらいだ。
「飲み物でもおごるから!」
陸にとっては苦し紛れの言葉だった。しかし――
「え? 本当ですか!?」
少年の動きがピタリと止まった。さっきまでの狼のような人相はどこへやら、今はエサを待つ子犬のような顔をしている。
その変貌ぶりに驚きながらも、陸は自販機に向かった。少年はその後ろを大人しくついていく。
「あの、その、一番安いヤツで……」
「そう?」
陸は迷いなく一番安い天然水を選んだ。レアチーズケーキ代を確保するためには、少しでも出費を抑える必要があった。
「あ、えっと、ありがとうございます」
少年はなんとも微妙な表情をしていた。しかし自分の分として同じ天然水を買う陸の姿を見て、困惑していた。
しかしすぐに頬を緩めて、受け取ったペットボトルを大事そうに抱きしめた。
「飲まないの?」
陸がフタを開けながら訊くと
「飲むなんて勿体ないです!」と少年はブンブンと首を振った。
「いや、飲んでもらうために買ったんだけど」
「初めて家族以外に天然水を買ってもらえたんです。記念に取っておきます」
少年はおもむろに懐から手帳を取り出して、何かを書き込み始めた。
「何を書いてるの?」
「記念日としてしるしているのです」
「え? 記念日?」
「全ての初体験は記念日です」
手帳を覗き込むと、陸はギョッとした顔になった。
呪いの呪符なのかと思ってしまう程、びっしりと文字が書き込まれていた。
しかしよく目を凝らしてみると、かなりポジティブな内容だった。
初めて数学で赤点を取った記念日。初めて竹馬で転んでケガをした記念日。初めて宿題を忘れて怒られた記念日。初めて身長が150cmを超えた記念日。初めて国語で100点を取った記念日などなど……。
成長も嬉しいことどころか、失敗したことすらも全部記念日として書かれていた。
「……すごいな」と陸は感嘆の息を漏らした。
「あ、申し訳ございません。不快な思いをさせて」
陸の言葉を皮肉だと捉えたのか、手帳をひっこめた。
「あ、いや、そうじゃなくて、褒めてるんだけど」
(初めてを大切にできるのって、才能だよな)
初めての行為は、周囲の人にとってはめでたいことでも、本人にとっては恥ずかしいことが多い。現に陸もそのタイプだ。だからこそ、つい賞賛の声が漏れてしまっていた。
「え、あれ、そうなんですか」と少年は意外そうに目を見開いた後「ありがとうございます」と控えめに言った。
そんな少年に、陸は興味津々な顔を向ける。
「どうして、こんなに記念日をつくろうと思ったの?」
「あの、小生は影が薄くて、すぐに忘れてしまうんです。存在すらも……」
陸は「あー」と素直に声に出した。それと同時に"小生"という一人称が気になった。中学生の口から出るのがあまりにも面白くて、心の中で"小生君"と呼ぶことに決めた。
「だからこそ、忘れられる辛さは知っているつもりです。せめて小生だけでも、多くのことを覚えていよう、って思っているんです」
さっきまで下を向いていた小生君の視線が、少し上がる。
「でも小生は頭が悪いので、全部を覚えてはあげられません。なので『はじめての体験』は全部記録して、覚えようと思ったんです」
徐々に表情が楽し気なものに変わっていく。
「そうすると、世界が少し楽しくなったんです。新しいチャレンジを怖がらなくなりました。だって、それら全部が記念日になるんですよ」
最後には、はにかんでいた。夕日がよく似合うような、いい顔をしていた。
「って、すみません。小生の自分語りなんて……」
陸は頭を横に振った。
「いや、いい考えだと思うよ」
少年は驚いてから
「鈴木君って、思ったよりもいい人ですね」と少し優しく言った。
♪~♪~♪ ♪♪♪~♪、と町中に音楽が流れ始めた。ゆうやけこやけ。帰る時間を知らすチャイムだ。
それを聞いてハッとした少年は「すみません。急いで話をもどしまして」と閑話休題した。
「今回声を掛けたのは、その、あの、実は小生は青木さんのことを懸想しておりまして……」
「懸想って……」
つまりは恋をしているということだ。
恋をしてしまった小生君はSNSで、楓に告白した。そしてなんとOKをもらえてしまったのだ。
しかし待てど暮せど、それ以降の進展が一切なかった。連絡がなければ、学校で話しかけられることもない。まるで、告白自体を忘れられているかのような態度だったという。
夏休みに入り、顔を見ることも無くなっていた。今日偶然、町中で楓と陸が並んで自転車を漕いでいるのを見つけた。
「他の男子と二人っきりでいるなんて、許せるわけがないじゃないですか!」
(おい、日向もいたんだが)
不服に思ったのだが、話の腰を折らないように口をつぐんだ。
「きっと自分は遊ばれていたのだ、と義憤に駆られました。しかしどうしても声をかける勇気が出ず、プールで様子を伺うことにしました。
結果、青木さんは子供たちと遊び始めますし、あなたとは恋仲には見えませんでした。正直、意味がわかりませんでした」
陸はゆっくりと空を仰いだ。夕日は沈み始めて、暗くなり始めている。
(はた迷惑だ)
早く誤解は解くべきだ、と説明を始める。
「まず、僕と青木は、そんな関係じゃない。僕はただの友人兼常連客だ」
「常連客ということは、青木さんとは仲はよろしいんですか?」
「……嫌われてはいないと思う」と陸は苦々しく呟いた。
「では、青木さんは、僕について何かおっしゃっておりましたか?」
陸は一瞬、どう答えるべきかを考えた。しかし気の利いた言い回しを思いつくわけがなかった。
「忘れられていると思う。告白や彼氏の話なんて、一つも聞いていない」
配慮の欠片もない答えをきかされて男子生徒は陰鬱な雰囲気を漂わせ始めた。
「確かに小生は影が薄いですが、告白を忘れられるなんて、あんまりではないでしょうか……」
小生君は、ずーん、と効果音が鳴りそうな程、沈み込んでしまった。その姿があまりにも交わしそうで、声を掛ける。
あまりにも素直な落ち込みぶりを見ていると、可哀そうに思えてきて、声を掛ける。
「まあ、新しい恋でもみつけたら」
「新しい恋、ですか」
小生君は呟いた後、しばらく目を瞑って考えていた。まるで座禅修行をして自分を見つめ直すお坊さんのような雰囲気だった。
やがて、諦めたように笑う。
「あはは、やっぱり新しい恋は無理そうですね」
小生君の顔には、諦めと未練がにじみ出ているのに、青々しい恋心が見え隠れていた。
そんな顔を見せられて、陸は大きくため息をついた。
「はぁー、僕にはわかんないね。青木のどこがそんなにいいのか」
小生君はゆっくりと瞼を閉じて、口を開く。
「小生の家、商店街で魚屋を営んでいるんです」
陸は「あーあそこか」と商店街の光景を思い出した。シャッターのかかる店々に囲まれていても、まだまだ活気のある店だった。
「青木さんは小生の母上と仲が良くて、店によく来ています。もちろん小生とよく顔を合わせるのですが、丁寧にあいさつしてくれるんですよ。
学校でもたまに『困りごとはない?』と声をかけるんですよ。そういう優しさと気遣いが本当に素敵で、好きになりました」
小生君の独白を聞いて、陸は悩んでした、楓は『困りごとはない?』と無差別に聞きまわっているし、とにかく顔が会えば誰にでも挨拶をしている。おそらくは楓にとって、小生君は特別ではないだろう。それを伝えるべきかどうか。
考えた末に、話を少しずらすことにした。
「家、魚屋なんだ。見かけたことあるけど、エネルギッシュでいいお母さんだよね」
そんなことないですよ、と小生君は興奮で頬を赤くした。
「影が薄いことを母上に相談した時なんて
『影が薄いなんて捕食されにくくていいじゃない。青魚なんて鳥から見えないように上は青く、海中の生物から見えないように下は銀色になっているのよ』って言われました。
小生は海に生きているわけじゃないんですよ!? バスの点呼ですら忘れられるのは学校生活では死活問題でしょう!」
余程母親に対する不満が溜まっていたのか、一息で言い切った。
「それは、ヤバイな」と陸が同情すると
「わかって頂けますか!?」と小生君は感極まって、目を輝かせた。
そのまま流れる様な手つきで手帳を取り出して『初めて同級生に影の薄さの辛さを共感してもらえた記念日』と四角い文字で書きこんだ。
そんな姿を横目でみつつ、陸は少し考えていた。
「だったらいっそのこと派手な格好をしてみたらどう? 否応なくインパクトが残りそうなやつ」
「それです!」
小生君は興奮のあまり立ち上がり、演説のように声高に叫ぶ。
「そうすれば、青木さんに告白しても覚えてもらえることでしょう!」
小生君の希望に満ちた顔を見て、まだ告白するつもりなんだ、と陸は舌を巻いた。
「しかし夏祭りでの派手な格好とは難しいですね。ただの奇抜な格好では、浴衣の中に埋もれてしまいそうです」
「だったら、いっそのこと夏祭りっぽくない服装とか……例えば長袖の制服とか」
「それです!」
小生君はまた大声で叫んだ。
そして手帳に『夏祭りは長袖の制服で行く!!!』とデカデカと書き殴った。
「よし、また告白します! 夏祭りで告白して、青木さんのハートを射止めて見せます!」
「その意気だ!」
陸は同調するように拳を天に突き出した。
(うまくいけばレアチーズケーキが、さらにうまくなるかもしれない!)
陸の頭の中では、楓に恋人ができるとレアチーズケーキがおいしくなる、という謎の方程式が存在していた。陸にとってレアチーズケーキは初恋の味だからかもしれない。
♪~♪~♪~
突然、陸のポケットから着信音が鳴り響いた。
(あれ、別れたばかりなのになんだろ)
その着信音は個別に設定しているものであり、画面を見なくても誰からの通話なのかわかるようになっている。
「ごめん。電話だ」
小生君は「お構いなく」と言い、陸は弾むような手つきで通話ボタンを押した。
「あ、日向? どうしたの? さっきぶりだけど」
明らかにテンションの高い陸の声を聞いて、小生君の耳がピクリと跳ねた。
「ごめん。ちょっと今忙しいから、後でかけなおす。……いやいや、浮気とかじゃないから。後でちゃんと説明するから」
陸が電話を切ると、小生君は平坦な声を漏らす。
「あの、電話の相手とはどんなご関係でしょうか」
陸は頬を掻いて、わずかに紅潮させながら
「彼女」と告げた。
それを聞いた瞬間、小生君の顔が怒りに真っ赤に染まった。
「この裏切り者!!」
突然そう叫んだかと思うと、ロケットのごとく走り去っていった。
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