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第九章 突き抜けた先にあるもの
第七十七話 夏祭りで日向ぼっこを
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少し遠い場所から祭囃子が聞こえる。
普段は閑古鳥が鳴いている商店街も、この日ばかりは浴衣姿の若者達にあふれている。
夏祭り当日。つまりのど自慢大会の当日がやってきた。
(もう諦めた)
おいしそうに焼きそばを頬張る女の子が横を通り過ぎる中、楓は渋い顔をしていた。
(恥をかく覚悟はしてきた。今は現実逃避しよう)
結局は歌を満足できるレベルまで仕上げることはできなかったのだ。
(本当はおとうさんと回るはずだったんだけどなぁ)
おとうさんは当日になって体調が悪くなったのだ。絶対にのど自慢大会には来るといっていたが、歌を聞かれたくなくて、『まだ寝てろー』と悪意の電波を送信した。
ふと、新婚カップルが目の前を通り過ぎた。仲睦まじく体を密着させており、いかにもアツアツだ。そのカップルの姿を見た瞬間、身近な人間の面影に重なった。
(お姉ちゃんは今頃、清水さんと一緒か)
考えるだけで、ため息が漏れる。誰もいない隣を見て、二度目のため息をつく。
ペチン、と軽く頬を叩いて気合を入れなおす。
のど自慢大会までにはまだ時間がある。
かといって、緊張と不安で食食欲がわかず、綿あめをチビチビと舐めながら見回ることにした。
(あますぎる)
正直、綿あめはあまり好きじゃない。甘さの塊を糸状にしてフワフワにしても食べやすくなるだけで、所詮は砂糖の塊だ。口いっぱいに広がる甘さはしつこく残り続ける。どちらかと言えば甘党の楓だが限度というものがある。
(そういえば独りで回るのは久しぶりかも)
ここ3年間は『人助け』として声を掛けてきた男子生徒と回っていた。今年はのど自慢大会に出場するため、その手のお誘いは断っていた。
「ん?」
何か違和感が引っ掛かった。
(あれ、やっぱり何か忘れているような……)
一瞬何かを思い出しそうになったが、楓はもうやけくそになっていて、すぐに頭を振った。
人混みの中を流されるように進んでいくと、見知った顔を見つけた。
「おーい」
声を掛けると、少女は大きく手を振った。
ひまわり柄の浴衣の上に人懐っこい笑顔が咲いていた。下駄に慣れていないのか、歩き姿がおぼついていない。
「ネルちゃん、どうしたの? アイツと一緒に回るんじゃなかったの?」
「聞いてくださいよ!」
音流は出会って早々、
彼とはもちろん鈴木陸のことだが、楓は口にすることをしなかった。
「ちょっと喧嘩をしちゃいまして」
「それは意外」
楓には、二人が喧嘩をする理由が思いつかなかった。普段から仲睦まじく、ずっと一緒にいる印象しかなかった。
「せっかくの夏祭りなので日向ぼっこをしようと提案したんですけど、猛反対されたんですよ。ひどくないですか!?」
「夏祭りで日向ぼっこ……?」
楓は困惑して、思わず眉間に皺が寄った。日向ぼっこには日差しが必要不可欠だ。夜中の夏祭りで日向ぼっこができるわけがない。
「夏祭りって、花火を打ち上げるじゃないですか。太陽みたいに明るくてキレイなので、それを太陽光に見立てて、日向ぼっこができないかと思いまして」
「……すご」
楓は呆れを通り越して尊敬の念すら抱いていた。夜だから日向ぼっこができない、と諦めるのではなく、夜に日向ぼっこをする方法を見つけてしまうのだ。
「そう同志に提案すると、猛反対されたんですよ。
わざわざ夏祭りでそんなことをする必要はないって。
ひどいですよね。夏祭りでの日向ぼっこは夏祭り、つまり一年に一度しかできないんですよ。そんな貴重な経験の感動を分かち合いたかったのですが……。
もう同志のことは知りません!」
音流は拗ねたように頬を膨らませた後、楓に向き直った。
「そうだ。良ければ一緒に露店を回りませんか?」
「うん、ぜひ」
それから二人は足をそろえて露店を練り歩いた。音流は焼きそばや焼きイカを上機嫌に口に運んでいた。あまりにもおいしそうに食べるものだから、楓のお腹が鳴った。
「何か奢らせてください」
恥ずかしくて下を向きながら
「悪いよ。自分で何か買ってくる」と拒否しようしたのだが
「そう言わず。アレですか、アレがいいですか。それともアレですか」と露店を片っ端から指さしていった。
あまりの勢いに負けて、おずおずとイカ焼きを指すと、音流は飛び出す様に向かった。下駄に慣れていないのか、転びそうになりながら、イカ焼きを二つ持って戻ってきた。
代金を渡そうとすると、音流はやんわりと断った。
「楓さんには感謝してるんですよ。ウチからのほんの気持ちです」
「わたし、そんなに感謝されることしてない」
「そんなことないですよ。ウチの相談に乗ってくれたじゃないですか。『日向ぼっこで死にたい』って、今思えば幼稚でヘンテコでしたよね」
出会ったきっかけはそんなだったな、と楓は思い出した。廊下で思いつめた少女に声を掛けたら、『日向ぼっこで死にたい』と頓珍漢な悩み事を聞いた。最初は何かの暗号なのかとさえ疑った。
「でも、わたしは何もできなかった」
妙案が思い浮かばずに頭を抱えている楓に声を掛けたのが鈴木陸だった。楓は半ば自棄になって相談した。結果として目の前を少女を救った。その間、相談を受けた当の本人は手をこまねいているだけだった。『人助け』できなかった。
「そんなことありませんよ。ウチ、嬉しかったんですよ。あんなふざけたお願いを真剣に聞いてくれて、一緒に悩んでくれて、本当に救われたんですよ」
音流は、優し気に微笑んだ。まるで生まれたての我が子を見る様な目をしていた。
「……そう、なんだ」
楓は照れ隠しに目をそらした。
背中をせりあがってくる甘い感覚に戸惑いながら、湯気の出るイカ焼きに目を向けた。香ばしく焼き目のついたイカ焼きは照り輝いていた。
「ほら、早く食べないと冷めますよ」
「うん、ありがとう。いただきます」
イカ焼きを少しかじる。
程よく柔らかく香ばしいイカ焼きは、この世のものとは思えない程おいしかった。
『うれしそうだね』とイカ焼きが語り掛けてきても、夢中で食べ続けた。
イカ焼きが半分ほどなくなった頃だった。
「おーい」と呼びかける声が聞こえた。
声のする方向を向くと、陸が走り寄ってきていた。急いで探していたのか、肩で息をしている。音流に合わせているのか、浴衣を身に着けおり、普段よりも大人びた印象を受ける。
陸は楓にも目をくれず、音流と目線を交わした。
「悪かったよ」
開口一番は、歯切れの悪い謝罪だった。
「同志。ウチは怒ってます」
「……ごめん。頭に血が上ってたんだ」
「言い訳はもう聞きたくありません。日向ぼっこを『そんなこと』呼ばわりされたのは自分自身を否定されたも同然です」
(それは大げさでは?)
楓はそう思ったのだが、空気を読んでお口にチャックをした。
「……ごめん」
「本当に反省してますか?」
「……してる」
「じゃあ、射的屋の大きなクマさんのぬいぐるみを取ってください」
「え、さっきのあれだよね?」
陸は目を大きく丸めて、ブンブンと首を横に振った。
楓は射的屋の光景を思い出した。基本的にはお菓子や安いおもちゃが並んでいるのだが、中央には大きすぎるぬいぐるみが鎮座していたのだ。
(あそこ、電気屋さんがやってるんだよなぁ)
電気屋さんの性格からして、絶対に取れないようにしているはずだ。商店街の老人たちは一見気の良い人物ばかりだけど、商魂たくましくて老獪だ。
そのことを音流に耳打ちすると
「分かってますよ。同志をちょっと困らせて楽しみたいだけなんです」と悪戯っぽく笑っていた。
(ネルちゃんも負けてないなぁ)
手を握り合う二人を見送った。
直後、隙間風のような冷たさを感じた。
周囲のカップルや友達グループが嫌に目につく。
自分の隣には誰もいない。
「……イカ焼き、冷めたな」
イカ焼きを口いっぱいに放り込み、無表情でもっちゃもっちゃと咀嚼していく。ゴクン、と一気に飲み込むと、ほんのちょっとだけスッキリした。
冷え切った目を携えたまま、楓は独り歩き始めるのだった。
普段は閑古鳥が鳴いている商店街も、この日ばかりは浴衣姿の若者達にあふれている。
夏祭り当日。つまりのど自慢大会の当日がやってきた。
(もう諦めた)
おいしそうに焼きそばを頬張る女の子が横を通り過ぎる中、楓は渋い顔をしていた。
(恥をかく覚悟はしてきた。今は現実逃避しよう)
結局は歌を満足できるレベルまで仕上げることはできなかったのだ。
(本当はおとうさんと回るはずだったんだけどなぁ)
おとうさんは当日になって体調が悪くなったのだ。絶対にのど自慢大会には来るといっていたが、歌を聞かれたくなくて、『まだ寝てろー』と悪意の電波を送信した。
ふと、新婚カップルが目の前を通り過ぎた。仲睦まじく体を密着させており、いかにもアツアツだ。そのカップルの姿を見た瞬間、身近な人間の面影に重なった。
(お姉ちゃんは今頃、清水さんと一緒か)
考えるだけで、ため息が漏れる。誰もいない隣を見て、二度目のため息をつく。
ペチン、と軽く頬を叩いて気合を入れなおす。
のど自慢大会までにはまだ時間がある。
かといって、緊張と不安で食食欲がわかず、綿あめをチビチビと舐めながら見回ることにした。
(あますぎる)
正直、綿あめはあまり好きじゃない。甘さの塊を糸状にしてフワフワにしても食べやすくなるだけで、所詮は砂糖の塊だ。口いっぱいに広がる甘さはしつこく残り続ける。どちらかと言えば甘党の楓だが限度というものがある。
(そういえば独りで回るのは久しぶりかも)
ここ3年間は『人助け』として声を掛けてきた男子生徒と回っていた。今年はのど自慢大会に出場するため、その手のお誘いは断っていた。
「ん?」
何か違和感が引っ掛かった。
(あれ、やっぱり何か忘れているような……)
一瞬何かを思い出しそうになったが、楓はもうやけくそになっていて、すぐに頭を振った。
人混みの中を流されるように進んでいくと、見知った顔を見つけた。
「おーい」
声を掛けると、少女は大きく手を振った。
ひまわり柄の浴衣の上に人懐っこい笑顔が咲いていた。下駄に慣れていないのか、歩き姿がおぼついていない。
「ネルちゃん、どうしたの? アイツと一緒に回るんじゃなかったの?」
「聞いてくださいよ!」
音流は出会って早々、
彼とはもちろん鈴木陸のことだが、楓は口にすることをしなかった。
「ちょっと喧嘩をしちゃいまして」
「それは意外」
楓には、二人が喧嘩をする理由が思いつかなかった。普段から仲睦まじく、ずっと一緒にいる印象しかなかった。
「せっかくの夏祭りなので日向ぼっこをしようと提案したんですけど、猛反対されたんですよ。ひどくないですか!?」
「夏祭りで日向ぼっこ……?」
楓は困惑して、思わず眉間に皺が寄った。日向ぼっこには日差しが必要不可欠だ。夜中の夏祭りで日向ぼっこができるわけがない。
「夏祭りって、花火を打ち上げるじゃないですか。太陽みたいに明るくてキレイなので、それを太陽光に見立てて、日向ぼっこができないかと思いまして」
「……すご」
楓は呆れを通り越して尊敬の念すら抱いていた。夜だから日向ぼっこができない、と諦めるのではなく、夜に日向ぼっこをする方法を見つけてしまうのだ。
「そう同志に提案すると、猛反対されたんですよ。
わざわざ夏祭りでそんなことをする必要はないって。
ひどいですよね。夏祭りでの日向ぼっこは夏祭り、つまり一年に一度しかできないんですよ。そんな貴重な経験の感動を分かち合いたかったのですが……。
もう同志のことは知りません!」
音流は拗ねたように頬を膨らませた後、楓に向き直った。
「そうだ。良ければ一緒に露店を回りませんか?」
「うん、ぜひ」
それから二人は足をそろえて露店を練り歩いた。音流は焼きそばや焼きイカを上機嫌に口に運んでいた。あまりにもおいしそうに食べるものだから、楓のお腹が鳴った。
「何か奢らせてください」
恥ずかしくて下を向きながら
「悪いよ。自分で何か買ってくる」と拒否しようしたのだが
「そう言わず。アレですか、アレがいいですか。それともアレですか」と露店を片っ端から指さしていった。
あまりの勢いに負けて、おずおずとイカ焼きを指すと、音流は飛び出す様に向かった。下駄に慣れていないのか、転びそうになりながら、イカ焼きを二つ持って戻ってきた。
代金を渡そうとすると、音流はやんわりと断った。
「楓さんには感謝してるんですよ。ウチからのほんの気持ちです」
「わたし、そんなに感謝されることしてない」
「そんなことないですよ。ウチの相談に乗ってくれたじゃないですか。『日向ぼっこで死にたい』って、今思えば幼稚でヘンテコでしたよね」
出会ったきっかけはそんなだったな、と楓は思い出した。廊下で思いつめた少女に声を掛けたら、『日向ぼっこで死にたい』と頓珍漢な悩み事を聞いた。最初は何かの暗号なのかとさえ疑った。
「でも、わたしは何もできなかった」
妙案が思い浮かばずに頭を抱えている楓に声を掛けたのが鈴木陸だった。楓は半ば自棄になって相談した。結果として目の前を少女を救った。その間、相談を受けた当の本人は手をこまねいているだけだった。『人助け』できなかった。
「そんなことありませんよ。ウチ、嬉しかったんですよ。あんなふざけたお願いを真剣に聞いてくれて、一緒に悩んでくれて、本当に救われたんですよ」
音流は、優し気に微笑んだ。まるで生まれたての我が子を見る様な目をしていた。
「……そう、なんだ」
楓は照れ隠しに目をそらした。
背中をせりあがってくる甘い感覚に戸惑いながら、湯気の出るイカ焼きに目を向けた。香ばしく焼き目のついたイカ焼きは照り輝いていた。
「ほら、早く食べないと冷めますよ」
「うん、ありがとう。いただきます」
イカ焼きを少しかじる。
程よく柔らかく香ばしいイカ焼きは、この世のものとは思えない程おいしかった。
『うれしそうだね』とイカ焼きが語り掛けてきても、夢中で食べ続けた。
イカ焼きが半分ほどなくなった頃だった。
「おーい」と呼びかける声が聞こえた。
声のする方向を向くと、陸が走り寄ってきていた。急いで探していたのか、肩で息をしている。音流に合わせているのか、浴衣を身に着けおり、普段よりも大人びた印象を受ける。
陸は楓にも目をくれず、音流と目線を交わした。
「悪かったよ」
開口一番は、歯切れの悪い謝罪だった。
「同志。ウチは怒ってます」
「……ごめん。頭に血が上ってたんだ」
「言い訳はもう聞きたくありません。日向ぼっこを『そんなこと』呼ばわりされたのは自分自身を否定されたも同然です」
(それは大げさでは?)
楓はそう思ったのだが、空気を読んでお口にチャックをした。
「……ごめん」
「本当に反省してますか?」
「……してる」
「じゃあ、射的屋の大きなクマさんのぬいぐるみを取ってください」
「え、さっきのあれだよね?」
陸は目を大きく丸めて、ブンブンと首を横に振った。
楓は射的屋の光景を思い出した。基本的にはお菓子や安いおもちゃが並んでいるのだが、中央には大きすぎるぬいぐるみが鎮座していたのだ。
(あそこ、電気屋さんがやってるんだよなぁ)
電気屋さんの性格からして、絶対に取れないようにしているはずだ。商店街の老人たちは一見気の良い人物ばかりだけど、商魂たくましくて老獪だ。
そのことを音流に耳打ちすると
「分かってますよ。同志をちょっと困らせて楽しみたいだけなんです」と悪戯っぽく笑っていた。
(ネルちゃんも負けてないなぁ)
手を握り合う二人を見送った。
直後、隙間風のような冷たさを感じた。
周囲のカップルや友達グループが嫌に目につく。
自分の隣には誰もいない。
「……イカ焼き、冷めたな」
イカ焼きを口いっぱいに放り込み、無表情でもっちゃもっちゃと咀嚼していく。ゴクン、と一気に飲み込むと、ほんのちょっとだけスッキリした。
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