紅雨 サイドストーリー

法月

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伊賀潜入作戦・1 〔39〜〕

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忍びの里にも春はやってくる。
とはいえまだもうしばらくは寒い日が続きそうだが、木々や草花は確かに春を迎える準備を始めていた。

そんな甲伊に程近い山中。
そこにも、とある準備をしている者達がいた。

「ん、んんー……あー……どう、紫昏?この声、空翔っぽい?」
「おー、ええんちゃう?」
「適当な返事やめてよ」
「お、今のジト目めっちゃ似とる。すごいすごい」

月城 紗。現在の梯内では最年少の、頭脳明晰な天才忍者。
紗は少し前に柊から伊賀への潜入任務を言い渡されており、まさに今、その潜入に向けての準備中である。

そして不運にも潜入予定の者と容姿が近いというだけで目をつけられてしまった伊賀者・桔流 空翔は今、梯の第一拠点の地下にある殺風景な部屋の中、椅子に拘束されている。

「行動パターンや言動の分析は数日で済んだけど、烏の調教に時間かかっちゃったなあ……」
「そんでもやってのけてんねんから凄いよなあ、お前」
「ふふん、当たり前でしょ」

時間がかかったとはいえ、空翔の最大の特徴と言える忍烏のことまで手懐けてしまった紗。
紫昏の変装術で見た目も完璧に空翔になった紗が烏を侍らせているその姿は、どこからどう見ても空翔本人である。

幸か不幸か、空翔の所属する直属班・氷鶏は今、班長である狼谷 睦が上忍の仕事の一環でしている忍学校での教諭としての仕事が忙しい時期で、任務が回ってこない。

普段から睦の仕事の関係で他の班よりは任務の少ない氷鶏だが、卒業前のこの時期は特に卒業試験の準備や試験本番、更には新一年生の入学試験などがあり多忙で通常任務を入れている暇がないらしい。
少し前なら班任務も無理やり入れられていただろうが、現在の伊賀は新たな里長、五十嵐 朔の方針により『次世代の育成・教育』に特に力を入れている。そのおかげで最近の睦は直属班としてより教諭としての仕事を優先するように言われているのだ。

こんな絶好のチャンスを見逃す梯ではない。
どこからか情報を得た優秀な参謀によって、睦の多忙期が始まると同時に紫昏と紗の二人が駆り出された。
二人は空翔の言動コピーの為にしばらくストーカーをし、コピーが終われば攫って服を奪い、紫昏が顔や身体的特徴を頭に入れ変装術の準備をし、その間に紗が烏を手懐ける。
こうして見事、睦の多忙期が終わるまでの間に紗を完璧な空翔にすることに成功してしまったのだった。

元より空翔は一匹狼気質であり、数日姿を見せないくらいじゃ誰も不自然とは思わない。そもそも高い所が好きで人の目線より上で過ごしている時間が多いため人目につかないし、おかげで人よりも鳥との方が仲がいいくらいだ。
その変わりようからなのか家族とも距離があり、まともに関わっているのは直属班の一部の面々のみ。

似てるだけではなく、こんなにも条件が揃っていたのだ。梯が目をつけないわけが無い。
まんまと連れ去られてしまった空翔は、連れ去ったのが梯だとわかった途端抵抗する気も失せたようで、ここ数日、普段以上に死んだ目でだんだん自分にそっくりになっていく紗のことをただぼーっと見ていた。
案の定伊賀は何の騒ぎにもなっておらず、捜索に来る者もいない。まあ来たところで退屈しているらしい松枷の玩具にされるだけなのだが。

「そういやもっと泣き喚かれるかおもたけど、びっくりするほど静かよなこいつ」
「だってほら、泣き喚いたところでどうにもならないからね。万が一生き延びて里に戻れた時に少しでもウチの情報を持ち帰れるように、って必死なんだよ」
「ほー、なるほどなあ」
「あ、ほら図星だって顔してる」
「いやわからん表情無さすぎてわからん」

えー?わかるでしょー。とジト目の紗。本当にここ数日の研究のおかげで仕草や言動に、空翔本人との差がなくなっている。
紫昏は自分で術をかけておいて、本気を出せば人はここまで他人になれるのかと若干引き気味だ。変装術は十八番だが、あくまで一時的に騙す程度の使い方をしてきたため、ここまで本格的な潜入に使うのは紫昏にとっても初めての試みだった。そのため、潜入がリーダー達の命令といえどあまりにもすぐにバレそうな仕上がりになってしまったら…と心のどこかで心配していたのだが、そんなもの全く必要なかったのだと目の前の紗、いやもはや空翔である彼を見て思う。

今回の作戦を始めて紫昏がまず驚いたのは、紗が成り代わりの為に紗本人の個性を真っ先に捨てたことだった。
普段の紗は基本的にずっと棒付きの飴を持つか舐めるかしており、飴が切れると周りの大人に泣きついて買って(盗って)こさせるという最年少だからこそ許されている特性があった。
それがどうだ、空翔となった今、飴のあの字も見当たらない。普段のわがまま生意気っぷりもどこかへ行ってしまった。

「ほんま末恐ろしいわぁ……」
「なんか言った?」
「いや、なんも」

コイツ、将来有望すぎる。もしかすると梯の次のリーダーの座でも狙ってるのかもしれない。そうなったら…なんか嫌やなぁ。飴だけ盗む盗賊団みたいなんになりかねんわ。
烏と戯れる紗を眺めながら勝手に失礼な想像を展開していた紫昏だったが、部屋に入ってきた柊の気配で現実に引き戻された。

「どう?もう行けそう?」
「うん。余裕」
「くれぐれも無茶はすんなよ、ヤバいと思ったら帰ってきていいからな」
「もうそれ何回目?心配性だなあ、副リーダーさんは」

大人に混ざって任務をこなす忍びとはいえ、やはり最年少。
家族のような雰囲気が漂いがちな梯ではやはり心配しない方が無理だったようで、メンバーが先程から入れ代わり立ち代わりソワソワと紗の様子を見に来る姿はまるで兄か父親のようだ。

「はじめてのおつかいみたいになっとんで」
「マジ?マイク入ったおまもり持たせなきゃじゃん」
「ノリノリやん」
「はじめての潜入任務か…」
「おつかいからの難易度の上がり方えぐいな」
「……じゃなくてだな、俺真面目な話しに来たんだって」

柊が先程とは打って変わって、真剣な顔で紗の肩に手を置き顔を覗き込む。
その時、いつの間にか部屋の入口に軽くもたれ掛かり立っていたリーダーが紗の視界に入り、これから話される内容を察する。

「紗、任務内容の最終確認をする」
「御意」

出発の時は、すぐそこまで来ていた。


***


そうして始まった伊賀潜入生活。

偽の空翔は案外すんなりと周りに馴染み、バレる気配もなく、一週間ほど経った今となっては紗本人も烏達に愛着が湧いていた。

多忙期がほんの少し落ち着いた睦のスケジュールの合間を縫って入れられる狼谷班での任務も、それぞれ癖は強くとも直属班なだけあり優秀で、班長の指示も的確なため動きやすく、上手く連携が取れた時は楽しいと感じることさえあった。
しかし忘れてはいけない。これは任務であると。
狼谷班が優秀であるということは、つまりその分偽物だと見抜かれる可能性も高いということ。

そして今日は、というか今日もその狼谷班での任務である。

「空翔、そろそろ作戦会議を始める。降りて来い」
「はぁーい」

ここ数週間(ストーカー期間も含む)でわかったこと。
この班、空翔以外はクソ真面目しかいない、ということ。

班内で唯一マイペースな空翔は、時間に合わせて動くことが苦手らしい。遅刻が厳禁な場面は逆に何十分(早い時は何時間)も早く集合場所へと向かい、そこで班員が集まってくるのを烏達と戯れたり里の人々を屋根の上から観察したりしながらゆっくりと待つスタイルを編み出していた。集合時刻以前の好きな時間に向かうことで、時間に追われているという感覚をなくしているのだろう。
紗ももちろんそのスタイルに則って動いているため今日も一番乗りではあったのだが、作戦会議が始まった現在は、本来の集合時刻の15分前である。

梯は集合などしなくても拠点からずっと行動を共にするパターンが多いためわからないが、おそらくこの集合するというスタイルで任務をやろうとした場合、もはや集合時刻の10分後に全員揃って作戦会議が始まっていたらかなり良い方、といった感じだろう。(綴の呼び出しなら話は別だが)
それに比べて睦は急用が入りでもしない限り30分前には付近には現れるし、桜日も遅くとも10分前には着いている。

この二人のあまりの真面目さに、紗は思わずよくこの中に混ざって任務をしていたな…?と空翔を素直にすごいと思ってしまう。
実際やってみてわかったが、おそらく空翔はこの班をかなり好いていた。ただ単に唯一と言える居場所を失いたくなかっただけかもしれないが。なんにせよ、空翔の中でこの班はかなり特別だったと言えよう。

紗が何故そう思うか。
同じくマイペースな自分なら、里に勝手に振り分けられただけの班にここまで真摯に向き合うことはなかったと思ったからだ。

このことに気づいてから紗は二人への接し方が掴めた気がして、更に空翔に近づいたと感じていた。
まだまだ気は抜けないが、だんだんと空翔という存在と同化していく感覚は確かにある。このままいけばかなり長期でもバレずに、〝空翔そのもの〟になれる。そんな気がしている。
その場合問題となるのが、空翔と同化し過ぎることで梯を紗の中で敵と認識してしまわないか、ということだが、この点に関しては流石に大丈夫だと紗は確信している。

「…一先ず作戦はこれで行こう。空翔、聞いていたか?」
「え、なに班長。僕そんなに聞いてなさそうだった?」
「いや、なんとなく別のことを考えていた気がしただけだ。聞いていたのならいい」

別のことを考えていたのは図星だったため、少しヒヤリとする紗。
この睦とかいう忍び、本人は無表情故に何を考えているのかわからないが人の考えていることは鋭く見抜くタイプだ。正直紗としては厄介ではあるが、幸いにも(?)似たようなタイプが梯のリーダーであるため慣れている。恐れるほどではない。

「それじゃ、始めようか」
「はいっ!」
「はーい」


潜入任務は、頗る順調だった。




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