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12・アロマオイルのマッサージ
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「付き合って…」
「ないです。」
奥さんの問いかけに、河村はピシャリと答える。
そんなにはっきり言わなくても…
まあ、事実として付き合ってないんだけど。
「付き合ってない女の人と同じ家に住むのってありなの?」
「女の人…と、男の子と女の子と住んでます。大家さんと、店子です。下宿です。」
まあ、そうなんだけど。
なんだー!と奥さんは不満げだ。
ごめんね、必要なロマンスは大好きな韓ドラで補ってね。
と心の中で詫びる。
「付き合って…ない、んですか…」
コーヒー業者の坂本が目を丸くしている。
「付き合ってないですよ?」
「そしたら香子さん…」
坂本が、ちらっと奥の席に座る河村の背中を見て、小声で、
「今度食事行きませんか?」
と言ったので香子の方が目を丸くしてしまった。
「え?なんで?」
「なんでって…」
坂本はまたキョロキョロして、香子にそっと耳打ちする。
「デートですよ。デート!」
デート…?
目の前の坂本は、この土地の名産のりんごみたいに顔が真っ赤になっていた。
「ああ…服がないなあ」
洗濯物を畳みながら呟くと、隣で本を読んでいた河村が顔をあげた。
「デートに着ていく服ですか?」
「いえ、胡桃の服です…働き始めたらこまめに洗濯もできないし…。こっちに知り合いいないからお古もらえるアテもなくて」
河村を見る。
「なんで知ってるんですか?」
「奥さんが騒いでました」
そうだった。
あそこから今まで、ちょっと記憶が抜け落ちているところがある。
「こんなおばさんの何がいいんでしょうねえ」
結局、あの後立て続けに客が来て、デートの件は曖昧になったままいつのまにか坂本はいなくなっていた。
「まあ…」
河村の視線が天井をさまよう。
「コーヒーが好き、スミレの花が好き。みたいな感覚で、あなたが好き…ということはあるんじゃないでしょうか。…誰しも。」
「はあ…」
わかるようでわからない。
そしてお世辞にも、「香子さんはお綺麗ですよ」とか「年なんて関係ないですよ」なんて言わないのが河村だ。
「コーヒーが好き、ケーキが好き、建物が好き…」
ささやかな、私の好きなものたち。
結婚しても、出産しても失わずに済んだわずかなものたち。
「でも、恋愛なんかずーっとずーっとしてないから…。」
河村は少し考えて、
「じゃ、恋愛じゃなくても、いいのかもしれません。」
と言った。
「そうなんですか?」
「この町にはあなた、知り合いがいないから。増やす意味でも。デート。」
いいんじゃないですか?
河村は再び手元の文庫本に目線を落としながら言った。
ー本当にそう思ってるの?
その目元をいくら探っても、本心なのかどうなのか、窺い知ることはできない。
デートの日取りはとんとん拍子に決まった。
「僕休みが土日なんですよー」
と坂本がぼやくと、
「じゃあ先生がひいくんとくるちゃん見ておいてあげたらいいよ。」
とマスターが河村に振る。
「え?ああ。そうか。まあいいですけど」
と今気づいたように言う河村。
実際今気づいたのだろう。
「いや、そんな。それは申し訳ないので、本当に。」
と香子が断ると、
「だって先生格安で住まわしてもらってるんだろ?たまにはそれくらいしてあげなきゃ。」
しんどくなったらここ連れてくればいいのよ。
と奥さんも同調する。
胡桃はトイレも一人で行けるし、日中二、三時間なら…いけるか?
ということで来週日曜、12時にフォギーナイト前集合。
近くの駐車場まで歩いて、車で目的のレストランに向かうという。
お昼か…二人のお昼ご飯を用意していかなければ。
お弁当作っておいて行こうかな。
お弁当箱に入っていると結構食べてくれるし。
よし、先生の分もおにぎり握っておこう。
食べてくれるかな。
多分外で遊ぶから着替えも余分に用意しておこう。
あーやっぱり着替えが足りない。
今度近くの町まで出て古着屋さん回ろう…。
などと考えを巡らせていると、
「決まったんですか?デートの服装。」
と河村が聞いてきたのでほうけた顔になってしまった。
「決めてないです。そんなの。」
「決めてくださいよ。決めましょうよ。」
四人で囲む夕の食卓だった。
とはいえ、河村はおかずをほとんど食べないし、緋色は食べられるものだけ食べて早々ご馳走様だし、胡桃は食事に時間がかかる。てんでばらばらだ。
ただ、河村を見ていたら緋色の偏食がマシに思えて、以前より気に病むことはなくなった。
そういう意味でも、河村と暮らし始めてよかったと思っている。
食後、河村が緋色をお風呂に入れている間に(緋色が河村のシャワーに押し入る形で始まった習慣だが、ありがたい。)
段ボールの山から衣類の入った箱を引っ張り出してきて、合わせてみる。
なんだかなあ…。
どれもこれも、サイズは合うけど、型や雰囲気が今の自分と微妙にズレている感があり、着心地が悪い。
最近は動きやすいTシャツやパーカーにワークパンツやジーンズ、シャツワンピースなどしか着ないから、お洒落な服がどうもムズムズする。
「そういう場ですから。」
という河村の言葉を反芻し、
自分の感覚とあまり乖離しないワンピースを一着引き抜いてハンガーにかけた。
「この服なんですね」
子供達が寝た後、リビングに雑にかけられたワンピースを上から下までみて河村が言う。
「おかしいですかね?」
静かにかぶりを振って、河村が手を差し出した。
大きくて細いけど骨っぽい、男の人の手。
「なんですか?」
「手を出してください」
「なんで?」
河村が黙って、もう片方の手でハンドクリームのチューブを揺らした。
河村の手は温度が高く、ハンドクリームがよく馴染む。
するするとした体温とたまに強い刺激が加えられ、カサカサの手にうるおいがひろがる。
しばらく行けてない温泉に浸かっているようで、思わずため息が出た。
「気持ちいい」
「でしょう」
河村が短く答える。ハンドクリームの香りが体温で匂い立つ。これもまた、精油の香りなんだろうか。
ふっ…と河村が口元を緩めた。
「…ネズミの手やな」
「ねえそれ」
初めて会ったときにも言われた。
「ああ。いや、ネズミの手って貝があるんです。俺の地元の海ではよく取れて…。あなたの爪によく似ている。」
懐かしい。
と河村が目を細めながら、触れるか触れないかの距離感で、なのに確かに感じる熱で、香子の手首から指先までゆっくり撫でる。
思わずじいっとその爪の先を凝視する。
河村の手で溶ける白い塊が自分の醜い手に伸びて、やがて一体化する。
それはなんだかとても蠱惑的で、官能的に思えた。
普段日焼け止めと眉毛だけの顔だけはかろうじて化粧をほどこしたものの、
当日朝は予想通りバタバタした。
塗ろうと思っていた爪も昨晩寝落ちして、そのままだ。
でも手は柔らかい。そしてほのかに匂い立つ香り。
部屋の片付けもままならぬまま玄関で靴を履いていると、
「ねえ。」
河村が背後に立っていた。
うなじに、わずかに指の感覚。吐息がかかる。気がした。
…何?
思わず目をギュッとつむると、
「ワンピースの、ファスナー。」
あげときました、と大きな手で背中をポンと押された。
…驚かさないでよ。
玄関のドアを後ろ手で締める。
心臓が、早鐘を打つ。
そういうことには気づくのね。
後ろの首筋を、強く抑えた。
「ないです。」
奥さんの問いかけに、河村はピシャリと答える。
そんなにはっきり言わなくても…
まあ、事実として付き合ってないんだけど。
「付き合ってない女の人と同じ家に住むのってありなの?」
「女の人…と、男の子と女の子と住んでます。大家さんと、店子です。下宿です。」
まあ、そうなんだけど。
なんだー!と奥さんは不満げだ。
ごめんね、必要なロマンスは大好きな韓ドラで補ってね。
と心の中で詫びる。
「付き合って…ない、んですか…」
コーヒー業者の坂本が目を丸くしている。
「付き合ってないですよ?」
「そしたら香子さん…」
坂本が、ちらっと奥の席に座る河村の背中を見て、小声で、
「今度食事行きませんか?」
と言ったので香子の方が目を丸くしてしまった。
「え?なんで?」
「なんでって…」
坂本はまたキョロキョロして、香子にそっと耳打ちする。
「デートですよ。デート!」
デート…?
目の前の坂本は、この土地の名産のりんごみたいに顔が真っ赤になっていた。
「ああ…服がないなあ」
洗濯物を畳みながら呟くと、隣で本を読んでいた河村が顔をあげた。
「デートに着ていく服ですか?」
「いえ、胡桃の服です…働き始めたらこまめに洗濯もできないし…。こっちに知り合いいないからお古もらえるアテもなくて」
河村を見る。
「なんで知ってるんですか?」
「奥さんが騒いでました」
そうだった。
あそこから今まで、ちょっと記憶が抜け落ちているところがある。
「こんなおばさんの何がいいんでしょうねえ」
結局、あの後立て続けに客が来て、デートの件は曖昧になったままいつのまにか坂本はいなくなっていた。
「まあ…」
河村の視線が天井をさまよう。
「コーヒーが好き、スミレの花が好き。みたいな感覚で、あなたが好き…ということはあるんじゃないでしょうか。…誰しも。」
「はあ…」
わかるようでわからない。
そしてお世辞にも、「香子さんはお綺麗ですよ」とか「年なんて関係ないですよ」なんて言わないのが河村だ。
「コーヒーが好き、ケーキが好き、建物が好き…」
ささやかな、私の好きなものたち。
結婚しても、出産しても失わずに済んだわずかなものたち。
「でも、恋愛なんかずーっとずーっとしてないから…。」
河村は少し考えて、
「じゃ、恋愛じゃなくても、いいのかもしれません。」
と言った。
「そうなんですか?」
「この町にはあなた、知り合いがいないから。増やす意味でも。デート。」
いいんじゃないですか?
河村は再び手元の文庫本に目線を落としながら言った。
ー本当にそう思ってるの?
その目元をいくら探っても、本心なのかどうなのか、窺い知ることはできない。
デートの日取りはとんとん拍子に決まった。
「僕休みが土日なんですよー」
と坂本がぼやくと、
「じゃあ先生がひいくんとくるちゃん見ておいてあげたらいいよ。」
とマスターが河村に振る。
「え?ああ。そうか。まあいいですけど」
と今気づいたように言う河村。
実際今気づいたのだろう。
「いや、そんな。それは申し訳ないので、本当に。」
と香子が断ると、
「だって先生格安で住まわしてもらってるんだろ?たまにはそれくらいしてあげなきゃ。」
しんどくなったらここ連れてくればいいのよ。
と奥さんも同調する。
胡桃はトイレも一人で行けるし、日中二、三時間なら…いけるか?
ということで来週日曜、12時にフォギーナイト前集合。
近くの駐車場まで歩いて、車で目的のレストランに向かうという。
お昼か…二人のお昼ご飯を用意していかなければ。
お弁当作っておいて行こうかな。
お弁当箱に入っていると結構食べてくれるし。
よし、先生の分もおにぎり握っておこう。
食べてくれるかな。
多分外で遊ぶから着替えも余分に用意しておこう。
あーやっぱり着替えが足りない。
今度近くの町まで出て古着屋さん回ろう…。
などと考えを巡らせていると、
「決まったんですか?デートの服装。」
と河村が聞いてきたのでほうけた顔になってしまった。
「決めてないです。そんなの。」
「決めてくださいよ。決めましょうよ。」
四人で囲む夕の食卓だった。
とはいえ、河村はおかずをほとんど食べないし、緋色は食べられるものだけ食べて早々ご馳走様だし、胡桃は食事に時間がかかる。てんでばらばらだ。
ただ、河村を見ていたら緋色の偏食がマシに思えて、以前より気に病むことはなくなった。
そういう意味でも、河村と暮らし始めてよかったと思っている。
食後、河村が緋色をお風呂に入れている間に(緋色が河村のシャワーに押し入る形で始まった習慣だが、ありがたい。)
段ボールの山から衣類の入った箱を引っ張り出してきて、合わせてみる。
なんだかなあ…。
どれもこれも、サイズは合うけど、型や雰囲気が今の自分と微妙にズレている感があり、着心地が悪い。
最近は動きやすいTシャツやパーカーにワークパンツやジーンズ、シャツワンピースなどしか着ないから、お洒落な服がどうもムズムズする。
「そういう場ですから。」
という河村の言葉を反芻し、
自分の感覚とあまり乖離しないワンピースを一着引き抜いてハンガーにかけた。
「この服なんですね」
子供達が寝た後、リビングに雑にかけられたワンピースを上から下までみて河村が言う。
「おかしいですかね?」
静かにかぶりを振って、河村が手を差し出した。
大きくて細いけど骨っぽい、男の人の手。
「なんですか?」
「手を出してください」
「なんで?」
河村が黙って、もう片方の手でハンドクリームのチューブを揺らした。
河村の手は温度が高く、ハンドクリームがよく馴染む。
するするとした体温とたまに強い刺激が加えられ、カサカサの手にうるおいがひろがる。
しばらく行けてない温泉に浸かっているようで、思わずため息が出た。
「気持ちいい」
「でしょう」
河村が短く答える。ハンドクリームの香りが体温で匂い立つ。これもまた、精油の香りなんだろうか。
ふっ…と河村が口元を緩めた。
「…ネズミの手やな」
「ねえそれ」
初めて会ったときにも言われた。
「ああ。いや、ネズミの手って貝があるんです。俺の地元の海ではよく取れて…。あなたの爪によく似ている。」
懐かしい。
と河村が目を細めながら、触れるか触れないかの距離感で、なのに確かに感じる熱で、香子の手首から指先までゆっくり撫でる。
思わずじいっとその爪の先を凝視する。
河村の手で溶ける白い塊が自分の醜い手に伸びて、やがて一体化する。
それはなんだかとても蠱惑的で、官能的に思えた。
普段日焼け止めと眉毛だけの顔だけはかろうじて化粧をほどこしたものの、
当日朝は予想通りバタバタした。
塗ろうと思っていた爪も昨晩寝落ちして、そのままだ。
でも手は柔らかい。そしてほのかに匂い立つ香り。
部屋の片付けもままならぬまま玄関で靴を履いていると、
「ねえ。」
河村が背後に立っていた。
うなじに、わずかに指の感覚。吐息がかかる。気がした。
…何?
思わず目をギュッとつむると、
「ワンピースの、ファスナー。」
あげときました、と大きな手で背中をポンと押された。
…驚かさないでよ。
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