美しく香る森

yoiko

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15・おひさまの匂い、灰色の朝。

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大きな遊具があるその公園は、坂本が探してきてくれた。

裏手に有名なスーパーがあるにも関わらず、トレッキングできるコースや、閑かなせせらぎもあり、子連れには申し分のないスポットだった。

「こんな素敵な場所、知らなかったです。坂本さん、お子さんいらっしゃらないのによくご存知で…」

「営業所の先輩に教えてもらって。」

地元産のリンゴジュースの小瓶を手渡すと、緋色を追いかけ回した後の坂本は、ググッと一気に飲み干した。

秋の空と生搾りのリンゴジュースみたいにすっきりとした坂本の笑顔。

その間も胡桃はグズグズと香子の足元に絡みついて離れない。

せんせいじゃないおとこのひとはこわいの。

昨晩、胡桃が布団の中で教えてくれたから知っている。

その時も今も、香子は胡桃の深い栗色の前髪を撫でてやることしかできなかった。


坂本は用意周到だった。

大小のボール、シャボン玉、スライダー、小さいバトミントン、サンシェードテントに小さな椅子。

全部100円均一ですよ、と笑う。

あ、サンシェード以外は。

と付け足すことも忘れない。

だというのに、緋色も胡桃もそれらに全く手を付けないので申し訳なくて消えたくなってしまう。

「ごめんなさい」
と言うと、坂本が香子の唇に指を軽く当てて、
「もうごめんなさいは言わないで。」

と言うのでまた死にたくなってしまう。

結局夜は坂本と蕎麦を食べて帰った。
緋色が店内を走り回らないように監視しながら、坂本の手を借りつつ蕎麦をかき込む。

もはやお上品になんかしていられない。
最悪だった。

楽しかったね!
といつものように笑う坂本の顔にも疲労の影が浮かんでいて、穴があったら家族三人で飛び込みたい。

この町は夜が早い。
今日は流石に家の前まで送ってもらった。

鍵を開けると子供たちがバタバタと家に入っていく。

香子が、今日の礼を言おうと坂本に向き直ると、坂元が紙袋を手渡してくれた。

「これ、手土産。緋色くんと胡桃ちゃんと食べて。」

「ありがとうございます」

『移住者の会』で香子が用意した焼き菓子だった。
どこまで気遣い完璧なの。
そのあと、家の奥を覗いて、

「河村さんは…」

と聞いてくるので、
まだ帰ってないみたいです、
と答えると、坂本は両手でそっと香子の手を包み込んだ。

暖かい、すべすべした坂本の手。

「本当に、香子さんのこと真剣に考えてるんだ。」

真っ直ぐな大きい瞳。
黒目に、香子の顔が映っている。
年相応の、疲れたわたし。

意を決したように、


「11月半ばに、東京行きの辞令が出ると思う。本社に欠員が出て。だから、できればなんだけど、一緒にきて欲しい。」

香子は目が丸くなってしまった。
変な時期に転勤があるのね。

「そんなに贅沢はさせてあげられないけど、苦しくない程度には生活できると思う。いや、もし香子さんがこっちの生活がいいなら俺転勤断るよ。もともとまだこっち短いし。」

坂本にそのままそっと抱き寄せられた。
広くて硬い、太陽の匂いがする坂本の胸。

いいかもしれない。
こんなに優しくて、明るくて、眩しい人と東京で暮らしたら、
わたしも優しくて、明るくて、眩しい人に東京でなれるのかもしれない。

コンタクトも、もしかしたらワンデイコンタクトを使えるのかもしれない。
胡桃の服も買ってあげられる。
児童手当に手をつけることもなく、
日々穏やかに過ごせるのかもしれない。
 
太陽の威を借りて。

その夜は目の硬い子供たちも比較的早く寝息を立て始めた。

香子も泥のように疲れていた。
子供と遊びに出るともともとわずかな体力を根こそぎ持っていかれる。

しかし、重い身体は睡眠に沈むことはなかった。
完全に覚醒している。

…河村が帰ってこないのだ。

奥さんにメールで聞いたら、
今日は東京から編集者が来て、念入りに打ち合わせをしていたらしい。
そのまま二人で出て行ったのよ、
とのことだった。

美人編集者。

女。

あの植物のような男が、女と?

いやいやまさか。

いやでも。

奥さんは、先生をいい男だと言っていた。

わたしには素敵とかかっこいいとかよくわからない。
よくわからないけど、そういえば坂本も言っていた。

ああいうタイプはモテるって。

でも東京でバリバリ仕事してる、キャリアでしかも美しい女が河村を選ぶだろうか。

遊びくらいなら…?

河村が遊ぶだろうか?

そもそもこの辺に夜遊べるところなんか。 
あ、でもちょっと車を走らせれば。

思考が止まらない。寝返りも止まらない

いつもは香子が動くと少し眉をひそめる胡桃も、今日は熟睡しているのが唯一の救いだった。

朝方四時ごろ、重い玄関が控えめに開く音で、ソファーで微睡んでいた目が覚める。

早朝の灰色の光を背に受けて、河村が靴を脱いでいるところに、転がるようにかけていく。

「…朝帰りなんて初めてですね。」

ペコッと頭を軽く下げて、香子の横を素通りしようとする河村のマウンテンジャケットの腕を掴む。

「美人編集者と今まで打ち合わせですか?」

河村がゆっくりと、香子を見下ろした。

「まあ…そうですね。その延長って感じで、はい。寝てきました。」

寝た。

心臓をドン!と突かれた気がした。

声が裏返る。

「寝るって…寝てきたんですか?ただ?緋色みたいに?」

「だから…」

河村はため息をついて、自分の腕にかかる香子の手を外そうとする。

「あなたが思ってる、通りの意味です。」

カッと頭が熱くなる。
目尻が痛くなってきた。

「だったら」

唇がワナワナ震える。
河村の腕を掴む指に力がこもる。

「わたしのことも抱いてください。」

堪らず両目からボロボロ涙が溢れた。
鼻がツンとする。
止まらない。

たぶん今わたしは相当ブスだ。

こんなの間違ってる。
間違ってる。
わかってるのに。

河村は、自分の腕にひっかかっているだけの、力の抜けた香子の手首を掴んで、もう片方の手で眼鏡を外した。

そのままゆっくり河村が二、三歩前進して、自然と壁に追いやられる。

後頭部に、かたい木の感触。
今日はいい香りはしない。
きつい、煙草のにおい。

鼻先が触れる距離まで顔が近づいて、
長い前髪がパラパラと顔まわりにまとわりつく。

前髪の奥の、河村の瞳。

心なしが揺れているような気がする。

熱い、吐息がかかる。

肌が、体温が、近い。

それだけで香子は脚の力が抜けてしまいそうだった。

河村が香子の頭から髪をすべるようにゆっくり撫でて、

「もう寝ます。」

と部屋へ戻ってからもしばらく、つめたい玄関にへたり込んだまま動けなかった。

ーもうわたしは

ダメかもしれない…。

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