太陽と月の禁断

東 万里央(あずま まりお)

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第2部

16.黄昏と枯葉(2)

 三階ロビーの長椅子に若干の距離を取り腰かける。僕と先生は眺めるともなく眼の前のクリーム色の壁を眺めた。先生がしみじみと言ったふうに呟く。

「大地君は一時期に比べて元気になりましたね。リラックスできていることがいいんでしょう」
「そうなんですか?」
「ええ、荘田さんひとりで看病をしていた時とは全然違います。お母さんに張り詰めた感じがなくなったからでしょうね。松本さんや四十川さんのおかげだと思いますよ。大地君は荘田さんにいつも気を使っていましたから。これ以上手のかからないいい子でいようとするんですよ」
「気を遣うってあんな小さい子がですか」

 僕は驚き先生の横顔を見た。先生は「そうです」と頷き首を振る。

「子どもはお母さんが大好きなんです。お母さんが悲しむのを一番嫌がるんです。大地君はご存知のように頭がいいですから、荘田さんが苦労しているのが分かるんでしょうね。いつも荘田さんが帰った後には、早く元気になって大人になって、働いてお母さんを助けたいって、たくさんの服薬も注射も我慢して……」
「……」

 あれだけ幼くとも人としての真心があり、瑠奈に思いやりを持っているのだ。母親を泣かせたくない、不幸にしたくはないと考えている。大地君はあの悪魔の姿を受け継いでも、心と魂はまったくの別人なのだと改めて感じた。

「このままどうにか持ちこたえてくれればいいんですが」

 先生は溜息を吐き何とか生かしたいのだと呟く。僕はそのタイミングを逃さずずいと先生に迫った。

「その件でお尋ねしたいことがあるんです。大地君の病気は治療が不可能なんですか?」
「……」
「何万人にか一人の難病だと瑠奈に聞きました。対症療法しかできず手打ちなのだと」

 先生は溜息を吐き、悔しげに唇を噛んだ。

「……治療法がないわけではないんです。二年前スイスで効果的な医薬品が開発されました」
「なら、早くそれを」
「ただし、欧米での話です。日本ではまだその医薬品が承認されておらず、使えません」

 冷えた静けさが僕と先生との間の壁となった。

「日本では海外で開発された医薬品を、国内で使用できるようにする手続きに時間がかかるんです。その間に亡くなった患者さんも多くいます。近年では政府による対策が取られ、徐々に解消されてはきました。ただ、大地君に必要な医薬品についてはまだなんです」
「その医薬品の承認までどれくらいの時間がかかるんですか?」
「少なくとも一年はかかるかと。……それまでに大地君が頑張れるか」

――一年。

 一見あれだけ元気そうにも関わらず、たったそれだけの期間を生き延びることが、大地君にはどれだけ難しいのかと思い知らされる。先生の表情には苦悩が見え隠れしていた。

「この科にいると本当に無力を感じます……。救えそうなのに救えないのが最大の地獄です。いっそ初めから無理だと思い知らされるほうがどれだけ楽か。いいえ、医師がこんなことを言ってはいけないんでしょうね……」

 先生は瑠奈にも同じことを尋ねられ、同じように答えを返したのだと言う。未承認の医薬品でも自己責任として個人輸入をし、かつリスクを許容すれば使えないことはない。それでもまだ六歳にもなっていない上に虚弱体質の大地君では、治療と体力との兼ね合いが難しくなるのだそうだ。この病院ではそこまでのノウハウが整っておらず、また日本でもそうした病院がまだなく転院もできないのだと言う。

「残念ながら現在この病気についての第一線の医師と治療方法はアメリカにあるんです。ただ、莫大な費用を払って治療に行ったところで、間に合うのかどうか断言はできません」
「なぜですか?」
「それらの薬剤を扱う腕のいい医師には世界中から患者が殺到します。臨床が始まったばかりでありまさにそんな状態でしょう。治療に数年待ちと言うことも珍しくはないんです。それでは結局承認を待つのと変わらない。その間にも大地君は……」
「……」

 僕は顔を上げ先生を真っ直ぐに見つめた。

「それでもまだ海外なら可能性がある」

 先生の目が驚きに見開かれる。

「四十川さん、あなた……」

 諦めるな、と僕の心が言っていた。

「そのアメリカでの専門医の名前と所属の医療機関名を教えてください。それから先生から紹介状を書いていただくことはできますか?」
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