鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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八章 上洛

一.上洛へ向けて

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 七月十日になって翔隆はやっと美濃の岐阜城へ戻ってきた。
 千畳台ではすでに重臣が勢揃いして食事をしていた。
そこに翔隆は一人やって来てギクリとする。
〈まずい!!〉
何かの評定の後だろうと悟り、翔隆は直ぐ様平伏した。
「翔隆、参りまし…」
「遅いっ!!」
「はっ、申し訳ござりませぬ!!」
「ーーー都へ行くぞ」
「はっ…」
「既に首尾は話した。聞きたくばに聞くが良い!」
「申し訳…」
!」
〝トンビ〟とはこの頃の翔隆のあだ名である。
これを口にする時は、苛立っている証でもあった。
「はっ…」
「………」
返事をしたが、信長は黙ったまま翔隆を睨んでいる。
それを見る重臣達はハラハラしながらも止まっていた。
〈…そうか〉
何故何も言わないのかを悟った翔隆が顔を上げて喋り出した。
「五月から六月までは九州の島津におりました。三日から十四日までは甲斐の武田、それから相模の北条に行きまして…」
「何かもろうたか」
「はっ…武田信玄公より、村正の太刀を…」
「儲かるのぉ…?」
そう言われてドキッとする。これ程嫌味を言うという事は、余程大事な評定であったのだ。
そして今すぐその内容を知れ、と言っているのだ。
翔隆は焦って柴田勝家(四十九歳)の前へ行き平伏する。
「どうか評定の内容を教えて下され!」
「う、うむ…」
柴田勝家は話していいのか疑いながらも話す。
まずは足利義昭に使者を立てて立政寺りっしょうじに迎える事が一つ。
そして南近江を塞ぐ六角へは所司代しょしだい(室町幕府の侍所の長官代理)にする事を約束して和睦して通る事が一つ。
甲斐の武田と越後の上杉には不戦の確証と足利義昭の為の上洛である説明をする使者を立てる事が一つ。
それを聞き出して、翔隆は御前にも関わらず小姓から絵図を奪い取って広げ見た。
「ーーー使者は誰に?」
そう聞くと信長は笑って答える。
「和田を中心に不破と、村井、島田に行かせる」
「六角は宛にしない方が宜しいでしょう。一応、説得はした方がいいですが………軍勢の準備は出来ているでしょうから、駄目だった時はそうですね…陣は愛知川えちがわ辺りが宜しいかと存じまする。そこから観音寺城と箕作城みつくりじょうを攻略なされるのが…」
言い掛けると信長は大声で笑った。正にその通りにするつもりだったからだ。
「フフ…良い、それ以上は言うな」
「はっ…」
翔隆は絵図を巻いて小姓に返した。
そして中央に居るのも悪いので末席へ行こうとすると、信長が新しい盃を前に出した。
「飲め」
「…はっ」
翔隆は一礼してその盃を頂く。
であったか」
「はっ、信玄公はまだまだお若く、氏政公もご健在です」
何を見当違いな事を言うのか、と一同は思ったが、信長は笑って頷いた。
「そうか、それは重畳。…お菊の子はどうじゃ」
「武王様はすくすくとご成長遊ばされ、四郎様…勝頼公も特段可愛がられておられまする」
「ん。くつろいでおるが良い!」
そう言って信長は何処かへ行ってしまう。
翔隆は気不味くなって末席へ行った。
重臣方に白い目を向けられたからだ。
織田の中でも翔隆を嫌っている者が多いのだ。
例えば林佐渡守や佐久間右衛門尉うえもんのじょう、滝川左近将監さこんのしょうげんなどなど…。
〈どうしようもないな…やはりあちこちに行くのが気に食わないのだろうな…〉
そう思っている時、森可隆よしたかがやって来て膝を付く。
「皆様方に申し上げまする。二十日にまたお集まり下さるようにと殿の仰せにござれば、今日は充分にお楽しみ頂き、お帰り下さいますよう…」
そう言って森可隆は立ち去る。入れ違いに侍女達が酌をしに入ってきた。
笑い声が響く酒宴の場に、天井から突然一人の男が降り立つ。
皆はギクリとして見た。
「!光征!?」
慌てて翔隆が立ち上がり、その降り立った光征と共に端に寄る。
光征は真っ青な顔をしている。
「どうした?」
「…よし………先刻、敵将、焔羅が屋敷に参りまして…」
「何?!」
「二十日以降に戦いを申し込む、とだけ言い…………」
「二十日…!」
つまり、信長の上洛を予知して仕掛けて来る気なのだ!
「…分かった、すぐに屋敷に戻り矢佐介やさのすけ飛白かすり高信たかしならを呼んでおけ」
「はっ!」
命を受けて光征は再び天井へと消えた。
重臣達の視線を浴びながらも、翔隆は慌ただしく出て行く。
「何かあったようだな…」
心配げに前田利家が呟く。それに頷き丹羽長秀が言う。
「うむ、もしや一族の事ではあるまいか?」
「それならば良いが、もし他国のーーー」
そう言い掛けた時、外からガラガラガシャンという物凄い音が響いてきた。
「何事!!」
叫びながら前田利家(三十一歳)、丹羽長秀(三十四歳)が飛び出していき、続いて佐々成政(三十一歳)、池田恒興(三十三歳)、柴田勝家、森可成(四十六歳)、木下藤吉郎秀吉(三十二歳)が音のする方へ駆けて行った。
すると中庭で、信長が翔隆に対して蹴りを入れているのが見えた。
〈まさかまた!?〉
解任騒ぎかと思った利家、長秀、秀吉が咄嗟に信長に抱き着いて止めに入る。
「何卒お留まり下され!」と長秀。
「お家の為にもどうか!」と利家。
「どうかご再考を!」と秀吉。
「?!何を言っておる、離せ!」
信長は眉を上げながらも三人を振りほどいて翔隆から離れる。
「ご成敗は何卒…!」
「たわけ、違うわ!…良いな!」
信長はそう言い放ち怒りながら立ち去った。
翔隆はゆっくりと起き上がる。
「大丈夫かの…」と秀吉。
「一体今度は何だ?」
と利家の二人が手を貸しながら尋ねると翔隆は苦笑して口の血を拭う。
「いや…大した事ではないから…」
「大した事でのうて、大殿さまがあそこまでお怒りになられる事はあるまい?どうした?」
森可成が優しく聞く。
すると翔隆は真っ青になって言う。
「上洛に従えませんと言ったら……怒りを買ってしまい…」
「何故従えぬのだ?」
「一族が狙ってくるからです。一万二万…いやどれ程攻めてくるかもわかりません。そうなれば皆様方をお守りする事も叶いません。私が軍勢を率いて別の場所へ行けば織田軍が狙われる事はまず無いに等しいと思い、そう申し出たのですが…許されませんでした…」
「二万…の一族か…」
ゴクリと唾を呑んで池田恒興が呟く。
ここに居る者は皆、一族の恐ろしさを知っている。思わず戦慄を覚えた。
「…大殿さまのご下知であれば、どうにもならんな…」
利家が呟く。
「命とあらば…。あ、いやご安心あれ、織田には指一本触れさせはしませぬ!」
頼もしく笑って言い、翔隆は一礼して走っていった。

〈どれだけの者が来るのか…どれ程強いのか〉
狭霧の事は何も分からない。
ああ言って心配しないようにしたが…気心の知れた仲間には、心中を見抜かれただろう…。
翔隆は急いで屋敷に戻って、拓須を探した。
「拓須は?!」
「焔羅と共に行きました…」
絶望的な顔をした一成が言う。
皆、一様に蒼白して俯いている………焔羅自身が宣戦布告をした事によって、全員の戦意を削いで行ったのだ。
〈やられた…!戦う前から敗北したような物だ…!〉
翔隆はギリッと歯噛みして、やって来た矢佐介やさのすけ飛白かすり高信たかしなと共に外に出て街道への一族の配置を指示した。
翔隆が戻ると、全員が一列に並ばされていた。
睦月が薬草取りから戻ってきて真相を知り、端から殴っていっていたのだ。
「焔羅が来たくらいで何だこの体たらくは!!捕らえて幽閉すら出来んのかッ!」
「翔隆様でさえも敵わないのに、どうやれと言うのですか!!」
疾風が叫んで睦月に蹴られた。
「たわけ!そんな弱気で何が出来る?!翔隆を守ろうとは思わんのか!」
そう怒鳴る睦月に近寄り、翔隆がなだめる。
「睦月、今はいい…落ち着いて」
「しかし…っ」
「大丈夫…こ奴らとてただ私に仕えてきただけのたわけではない。自ら立ち直るさ」
そう言ってから、睦月に寄り掛かる。
「それより私を慰めてくれよ…私だって怖いんだから……」
「翔隆………」
睦月は眉をしかめながらも、翔隆を抱き寄せた。
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