鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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七章 帰参

二十六.北条国王丸

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 そんな伊織の心など知らずに、翔隆は相模に向かって走った。
 笹子峠を越えて下田街道に入ると三刻余りで小田原城に着いた。

 名を告げるとすぐに二の丸へ案内される。
そこには既に北条左京大夫さきょうのだいぶ氏政(三十二歳)と、その弟の助五郎氏規うじのり(二十四歳)、そして嫡男の国王丸(七歳)が揃っていた。
〈…ご嫡男か?〉
そう思いながらも翔隆は平伏する。
「お久しゅうござりまする」
「うむ。これが、お前の会いたがっていた弟の助五郎、そして嫡男の国王丸じゃ」
言われてなる程と思った。助五郎氏規も、ああと頷く。
「確かに…昔見た事がございます。竹千代どのと居た時に…」
「また会おうと仰られたので…それを果たしたかったのです」
正直に言うと、氏規はふふっと笑う。
「義理堅い男よ」
「さて…来たからには働いて貰うぞ。まずは…軽く食える物を持って参れ」
そう命じられて、翔隆は走っていった。

そして一刻後には煮物を乗せた膳を持ってくる。
「いかがでしょうか?」
「ふむ…」
氏政は一口食べて頷く。
「ん、味も丁度良いな…良かろう」
それを聞いて翔隆はホッと胸を撫で下ろした。

 しかし任されたのは国王丸の子守だった。
子守と言っても、国王丸は字も書けるし短刀も少し扱える立派な武士の子である。
共に縁側に座ると、国王丸が呟く。
「海が見たいな…」
何を言ってもいつも〝駄目だ〟と言われるだけなので呟いただけなのだが…。
「海ですか…見に行きますか!」
「え?」
言ってみただけだが、次の瞬間には翔隆に素早く抱き上げられていた。
「わあ…」
その声を聞き付けた近習達がやってくるが、もう翔隆は走り出していた。
「若君がさらわれた!」
〈人聞きの悪い…〉
そう思いながら、翔隆は田畑や木々の間を抜けていく。
その世界を国王丸は新鮮な気持ちで見つめ、ワクワクした。
少し高めの崖に来ると、翔隆は着物と仕込みを脱いだ。
すると国王丸も共に脱ぎ始める。
「入るのか?どうやって?」
「そこに飛び込むのですよ」
そう言いながら国王丸の着物を脱がせて抱えると、先程の近侍が馬で追い付いてきていた。
「若君!!」
「さあ、行きますぞ!」
翔隆は笑ってそのまま飛び込んだ。
入ってすぐに水面に上がると、国王丸は咳込む。
「ゲホッゲホッ、しょっぱい…」
「…怖いですか?」
そう聞くと国王丸はコクッと頷く。すると翔隆は苦笑した。
「大将たる者、何事にも怯えてはなりません。恐れを持てば、もう負けたも同然なのですよ」
「負ける…」
「はい。国王丸様は、外に出られた事が無いように見受けられましたので、お連れ致しました。いかがですか?」
「うむ…初めてじゃ……冷たくてしょっぱいが、もう怖くないぞ!」
国王丸は笑って言う。自分を支える翔隆を心強く思ったのだ。
「その意気です。…楽しい物を見に行きましょうか」
「…楽しいもの?」
「若君、息を大きく吸って止めて下され」
言われた通りに国王丸は息を大きく吸って止める。
すると翔隆はゆっくりと潜った。
海の世界は、摩訶不思議で溢れていた。
揺れる海藻に珊瑚、鰯の群れに分からない魚達…。
⦅美しいでしょう?⦆
そう《思考派》で話し掛けても、国王丸は驚かずにコクコクと頷いた。
その内にウツボが寄ってきて、国王丸は慌てて避けようとした。
⦅大丈夫、こちらが何もしなければいいのです。こやつに敵では無いと伝えれば分かってくれます⦆
〈敵じゃないぞ…!〉
国王丸は心で叫んだ。
するとそれが通じたのか、ウツボはニュルリと国王丸の周りを泳いでじっと見つめてから、行ってしまう。
〈これが海…!〉

それから崖に上がると、近侍達が慌てて国王丸に駆け寄って来た。
「若君!」
「貴様、何という事を!」
一人が着替えている翔隆の襟を掴むと、国王丸がその者の足を叩いた。
「やめよ!そやつは悪くない!わしの大切な家臣じゃっ!」
「若君…!」
近侍達はおろつきながらも国王丸に着物を着せる。
すると国王丸が翔隆に手を差し伸べた。
「共に帰ろうぞ」
「はい」
答えて翔隆は手を繋いで歩き出した。
どうやら信頼されたらしい。

帰ってから国王丸は、目を輝かせて父や家臣に海で見た事を話して聞かせていた。
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