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一章 天命
二十.市姫
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漫ろ寒い十月。
翔隆は白い息を吐き、手を温めながら武器の手入れをしていた。
「今日は冷えるな…」
独り呟き、槍の柄を磨く。
信長は皆と共に遠駆けに出ている。
ついていかなかったのは、平手政秀にこの仕事を頼まれたから、である。
丁寧に刃も手入れしていると、廊下に小さな童の姿を見付ける。
〈ん?〉
そんな小さな童など居ただろうか?
幻か?
と思うが、確かにちらちらとこちらを覗き見ている。
気になったので、翔隆は槍を片付けて立ち上がる。
すると、童は隠れてしまった。
〈もしかして、誰かの子が遊びに来て迷ったのか?〉
侍女の子かと思い、そちらに行ってみるが誰も居ない…。
翔隆は辺りを探してみて、〝気〟を探ってみる。
―――と、すぐ近くの襖の陰に気配を感じたので覗いてみた。
「………」
そこには、市姫(四歳)が居た。
「え? お市様?! えっ、なんで…どこから…」
思わず辺りを見回すが、侍女や乳母の姿が無い。
「とびたか?」
「え、はい?」
「とびたか? そちが?」
「はい…」
「ふふ…」
名前を確認して、市姫は鈴のような可愛い声で笑う。
「お市様、とにかく向こうへ参りましょう?」
多分、市姫が信長を訪ねてきたのだろう。
翔隆は市姫を抱き抱えて歩き出した。
「にいさまはどこ?」
「あ…そろそろ昼ですので、戻られると思いますよ」
「そう。では相手をしてあげる」
「それは光栄で」
翔隆が微笑んで言うと、市姫もにこりとした。
途中、市姫を探し回っていた乳母達と出会い、座敷の中に入る。
貝合わせでも、と用意するが、市姫は首を横に振って翔隆を見つめる。
「なにか、はなしをして?」
「そう…ですね……何がよろしいでしょうか…」
「お花のはなしがいいわ」
「花ですか…」
翔隆は困りながらも無難な梅や桜、牡丹に菊の話をするが、つまらなさそうにされてしまう。
〈…違う花がいいのかな?〉
そう思い、野の花や食べられる物の話をした。
「くさを、たべるの?」
「はい。俺は民草故に、色々な花や草を食べます。菫や葛の花も食べますし…後は、田んぼに生える白く小さな花を咲かせる蔓延芽叢(コハコベ)や、白詰草も…」
照れながら話すと、乳母や侍女達までもが聞き入っている事に気が付いた。
「す、すみませぬ、こんな話を…」
「いいえ。続けて下さいませ」
にっこりと笑って乳母が言うので、次は木の実の話をする。
その内に、信長達主従が帰ってきたので市姫と共に出迎えた。
市姫は目を輝かせて信長に言う。
「にいさま、にいさま、ツブツブとした木の実があるって、しってらした?」
「ん? それなら…」
言い掛けて、市姫の後ろに居る翔隆が首を横に振ったのが見える。
〈ああ、自慢したいのか…〉
そう悟り、信長は苦笑する。
「つぶつぶした木の実は、森でよく見るぞ。それがどうしたのだ?」
「たべられるのよ! 色々な木の実があって、ドクもあるのよ!」
市姫は瞳をきらきらとさせて話す。
「小さな白いお花もたべられるし、かたい実もたべられるの!」
まるで自分が知っていた事のように話す市姫を見て、皆が微笑ましく思った。
「お市」
「なぁに?」
「白い花の名は?」
ふいに信長が問う。意地悪な質問だ…。
翔隆が何か言おうとすると、市姫は胸を張って言う。
「はびこりめむら、とゆーのよ!」
と、正しい名前を覚えていた…。
これには、教えた翔隆が驚かされる。
〈…まだ四つなのに、覚えているなんて…〉
しかも、教えた花や草の名前を次々に言い、信長も感心していた。
「…市は賢いな」
そう言い、信長が笑って市姫の頭を撫でてやると、市姫はとても嬉しそうにする。
そして楽しそうに、ずっと信長や万千代達に話をしていた。
その夜。
翔隆は信長の寝所に呼ばれていた。
「市の話し相手は疲れただろう」
「いえ。とても聡明で驚きましたが」
笑って言うと、信長も微笑する。
「あれは、強い女子に育つな。男であったら、良い武将になっただろうに」
「…そのようなお戯れを………」
言いながらも、それは同感だった。
男であったなら、良い弟として補佐してくれるに違いない。
そう思っていると、信長の顔が目の前にあった。
〈あーーー〉
やはり夜伽なのだな、とさすがに悟った…。
翔隆は白い息を吐き、手を温めながら武器の手入れをしていた。
「今日は冷えるな…」
独り呟き、槍の柄を磨く。
信長は皆と共に遠駆けに出ている。
ついていかなかったのは、平手政秀にこの仕事を頼まれたから、である。
丁寧に刃も手入れしていると、廊下に小さな童の姿を見付ける。
〈ん?〉
そんな小さな童など居ただろうか?
幻か?
と思うが、確かにちらちらとこちらを覗き見ている。
気になったので、翔隆は槍を片付けて立ち上がる。
すると、童は隠れてしまった。
〈もしかして、誰かの子が遊びに来て迷ったのか?〉
侍女の子かと思い、そちらに行ってみるが誰も居ない…。
翔隆は辺りを探してみて、〝気〟を探ってみる。
―――と、すぐ近くの襖の陰に気配を感じたので覗いてみた。
「………」
そこには、市姫(四歳)が居た。
「え? お市様?! えっ、なんで…どこから…」
思わず辺りを見回すが、侍女や乳母の姿が無い。
「とびたか?」
「え、はい?」
「とびたか? そちが?」
「はい…」
「ふふ…」
名前を確認して、市姫は鈴のような可愛い声で笑う。
「お市様、とにかく向こうへ参りましょう?」
多分、市姫が信長を訪ねてきたのだろう。
翔隆は市姫を抱き抱えて歩き出した。
「にいさまはどこ?」
「あ…そろそろ昼ですので、戻られると思いますよ」
「そう。では相手をしてあげる」
「それは光栄で」
翔隆が微笑んで言うと、市姫もにこりとした。
途中、市姫を探し回っていた乳母達と出会い、座敷の中に入る。
貝合わせでも、と用意するが、市姫は首を横に振って翔隆を見つめる。
「なにか、はなしをして?」
「そう…ですね……何がよろしいでしょうか…」
「お花のはなしがいいわ」
「花ですか…」
翔隆は困りながらも無難な梅や桜、牡丹に菊の話をするが、つまらなさそうにされてしまう。
〈…違う花がいいのかな?〉
そう思い、野の花や食べられる物の話をした。
「くさを、たべるの?」
「はい。俺は民草故に、色々な花や草を食べます。菫や葛の花も食べますし…後は、田んぼに生える白く小さな花を咲かせる蔓延芽叢(コハコベ)や、白詰草も…」
照れながら話すと、乳母や侍女達までもが聞き入っている事に気が付いた。
「す、すみませぬ、こんな話を…」
「いいえ。続けて下さいませ」
にっこりと笑って乳母が言うので、次は木の実の話をする。
その内に、信長達主従が帰ってきたので市姫と共に出迎えた。
市姫は目を輝かせて信長に言う。
「にいさま、にいさま、ツブツブとした木の実があるって、しってらした?」
「ん? それなら…」
言い掛けて、市姫の後ろに居る翔隆が首を横に振ったのが見える。
〈ああ、自慢したいのか…〉
そう悟り、信長は苦笑する。
「つぶつぶした木の実は、森でよく見るぞ。それがどうしたのだ?」
「たべられるのよ! 色々な木の実があって、ドクもあるのよ!」
市姫は瞳をきらきらとさせて話す。
「小さな白いお花もたべられるし、かたい実もたべられるの!」
まるで自分が知っていた事のように話す市姫を見て、皆が微笑ましく思った。
「お市」
「なぁに?」
「白い花の名は?」
ふいに信長が問う。意地悪な質問だ…。
翔隆が何か言おうとすると、市姫は胸を張って言う。
「はびこりめむら、とゆーのよ!」
と、正しい名前を覚えていた…。
これには、教えた翔隆が驚かされる。
〈…まだ四つなのに、覚えているなんて…〉
しかも、教えた花や草の名前を次々に言い、信長も感心していた。
「…市は賢いな」
そう言い、信長が笑って市姫の頭を撫でてやると、市姫はとても嬉しそうにする。
そして楽しそうに、ずっと信長や万千代達に話をしていた。
その夜。
翔隆は信長の寝所に呼ばれていた。
「市の話し相手は疲れただろう」
「いえ。とても聡明で驚きましたが」
笑って言うと、信長も微笑する。
「あれは、強い女子に育つな。男であったら、良い武将になっただろうに」
「…そのようなお戯れを………」
言いながらも、それは同感だった。
男であったなら、良い弟として補佐してくれるに違いない。
そう思っていると、信長の顔が目の前にあった。
〈あーーー〉
やはり夜伽なのだな、とさすがに悟った…。
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