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二章 変転
二.掟破り〔二〕
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大玄関に回ると、長秀が苦い顔をして待っていた。
「長秀」
「翔隆…一体、今まで何処におったのだ…すぐに殿の下へ行け。カンカンにご立腹ぞ!」
それを聞いて、翔隆はサーッと蒼冷めた。
何も告げずに離れたのだから、信長が怒らぬ筈がない。
急いで本丸に行くと、いきなり怒鳴られた。
「たわけぇい!!」
「申し訳ありませんっ!」
「何処へ行っておった!」
「はっ! …その……」
「―――また、ごまかす気か?」
「え…?」
「一族、とやらの事であろうがッ!」
「信長様…っ!」
翔隆が驚愕していると、信長は苦笑して膝をトントンと叩く。
…この人は何もかも、お見通しなのだと思う。
「良いか翔隆。主従というものはなぁ、心と心の繋がり、主と臣の〝信頼〟が大切なのじゃ。臣が〝秘密〟を持たば、主の〝死〟に繋がる。逆に、主が〝秘密〟を持つは…〝勝利〟か〝敗北〟…〝生〟か〝死〟かに繋がる。…分かるな?」
つまり、家臣の翔隆が〝何か〟隙を見せる様な秘密を持っていれば、そこを敵に衝かれ危うくなり兼ねないと言っているのだ。
例えば、この間の様な〝密偵〟騒ぎの様に………。
〈けれど…話しても………!〉
まだ、今の自分には皆を守るだけの《力》が備わっていない。
守れなければ、また信長達を危険な目に遭わせてしまう。
俯いていると、庭から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「では、私が話してやろうか?」
「! その声っ!」
翔隆は、瞬時に小刀を引き抜く。
と、障子がバサリと二つに切れ落ちるのとが同時であった。
その影から、一人の槍武者が姿を現す。
陽炎…
その名を思うだけでも、憎しみが体の底から込み上げてくる。
「いつの間に…!」
と、犬千代が刀を抜く。
「ふん…間抜けな虫ケラ共よ。動かぬ方が身の為だぞ? 貴様らでは、私の相手にもならぬ」
そう言って陽炎は、翔隆を見下す。
「邪魔はされたくない。私はこの手で貴様を殺したいのだ。…虫ケラは、その後で始末してやる」
自信満々に、そう言ってのけた。
翔隆は臆しもせずに、そのまま庭に降り立った。
「陽炎…たとえ兄とて、俺は貴様を許せない…」
その翔隆の言葉に、陽炎はピクリと眉を動かした。
「…ほお? 随分と偉い口をきくようになったものだな。―――良かろう! …私も、貴様は許せぬ…………掛かってこいっ!!」
そう怒鳴って、槍を前に構える。
翔隆は、ためらいもせずに切り掛かっていった。
ギャリンという金属音が響き、翔隆はそのまま放り投げられる。
「…あの時は逃げてばかりだったが…よくぞここまで成長し………ん?」
ハラリ…と、陽炎の左目を覆う布が切れ落ちた。
〈いつの間に……!!〉
陽炎は咄嗟に、左目を押さえる。
―――が、翔隆には、はっきりと見えてしまった…。
左目だけ自分と同じ、影に光る〝藍色の瞳〟を。
それと同時に、陽炎の表情が怒りへと変わっていくのも見た。
「…小僧…っ!」
相手の逆鱗に触れた!
そう思った時には、陽炎は狂った様に分厚い斧のような槍を、軽々と操り攻撃してきた。
「くう…!!」
全力を尽くす強者の攻撃を、誰が躱せようか。
見る間に肉が裂かれ、血が吹き出す。
翔隆に出来る事といったら、致命傷を防ぐ事くらいであった。
全身血だらけになって、やっと陽炎の攻撃が収まった。
と思うと、今度は槍を真上に掲げる。
「ついでだ…私の、真の力を見せてやろう!!」
今だ! …と思ったのだが、圧倒的な〝気〟に押されていた。
試しに切り掛かってみるが、〝気〟によって刃が弾かれ、折れてしまう。
〈…っ!〉
それだけで陽炎の〔一族〕としての《力》が、どれ程のものかがよく分かった。
暗雲が立ち込め、ゴロゴロと稲光が走る。
それと同じ様に陽炎の手から槍に掛けて、雷気がバチバチと音を立てて駆け巡っていく…。
それを見て、翔隆は蒼白して《印》を結んだ。
〈そんな《力》を使われたら…城が崩れる!!〉
こんな事で大事な信長の城を壊されては、それこそ取り返しがつかなくなる!
〈まずいっ!〉
翔隆は必死で〝気〟を高めていった…。
《霊力戦》………だが、陽炎には余裕がある。
互いの気が、激しくぶつかり合うのが分かる。
そして次の瞬間には、稲妻が二人を直撃した。
「ぐうううぅぅっ!!」
雷撃と激痛に襲われながらも、翔隆は《印》を崩さずに立っていた。
その〝衝撃〟を総て、〝自分の体〟に引き付けて吸収する為だ。
それに対して、陽炎は驚愕していた。
〈………! なんて奴だ……たかがこれだけの間に、そんな術を身に付けて…いや、無意識か? 違う…こいつは…確実に、〝本来の力〟を引き出しつつあるのだ…〉
シュウウゥ…
バチ バチ バチ…
煙と電気が立ち込め、瓦や塀が崩れる。
「ハァー、ハァー、ハァー…」
そんな中でも、翔隆は立っていた。
「小癪な……」
陽炎は舌打ちして、槍を構え直す。
翔隆は乱れた息を整えると、ギンッと陽炎を睨み付ける。
「今度は―――…俺の番だ!!」
そう叫び両手の平の中に〝炎〟を造り出し放つ。
それは幾つもの炎の矢となり、陽炎に向かってきた。
「フンッ!」
陽炎はその《炎の矢》を余裕で躱していく―――が、《炎の矢》はぐるりと向を変え、陽炎だけを狙ってきたのだ!
〈! ちいぃ…! 操る事すら覚えたというのかっ!〉
焦心しつつも、意味不明な笑いを浮かべた。
〈…さすがは、〝嫡男〟…だな………〉
「ぐっ!」
一つが、命中した。炎はぶつかると同時に消え、衣に火を移す。
一つ、二つと襲ってくる…幾ら振り払っても消えない…〝憎しみ〟の炎…
〈このままではまずい…っ!〉
そう―――陽炎が判断した時、突然翔隆の背中に激痛が走った。
「ぐあっ!」
振り向くと、血の滴る前足を舐める緋炎の姿があった。
「緋炎…!」
バッと陽炎に向き直ると、彼の横には疾風が居た。
「兄上、ご無事で!!」
「ん………」
〝兄〟の安否を気遣うと、疾風はキッと翔隆を睨み付けた。
「よくも…!!」
「…兄弟、仲がいいものだな…疾風」
「当然だ! この世でたった一人の肉親なのだからなっ!!」
……最も、辛い言葉だ。
かといって、翔隆にはこの二人が己と血を分けた〝兄弟〟とは、実感が持てない。
――――――持てないが、〝真実〟はきちんと受け止めねばならない。
形勢逆転したこの二人を相手に、態勢を立て直すと陽炎が塀の上に舞い立つ。
「兄上!?」
「退くぞ、疾風」
「しっ、しかし…!」
「良いから退くのだ!」
そう怒鳴る様に言い放つと、陽炎はさっさと行ってしまう。
と、疾風も渋々緋炎を伴い去って行った。
途端に翔隆は膝を撞く。
「翔隆!」
犬千代、長秀らがすぐ様駆け寄る。
「大丈夫か?!」
「うむ…」
犬千代に肩を借りて立ち上がると、縁側に立つ信長と目が合った。
信長は目を爛々と光らせ、翔隆を睨み据えている…。
誰もが、ぞっとして肩を竦ませた。
〈…怒っている!〉
翔隆も〝まずい〟と思い、平伏する。
「――――――入れ」
…この世の者とは思えない程、冷たく澄んだ声であった。
翔隆を始め皆、内心ドキドキしながら中に入っていく。
翔隆は、信長の前で体中から血を滴らせながらも平伏し直した。
そして何か、言葉を待った。
誰もが待った。
静かな部屋に響くのは、風の音と虫や鳥の声。
こんな時、口を挟めば余計な怒りを買うと分かっているので誰も何も言わない。
「…申せ」
冷ややかな声が、響く。
先刻の話の事を〝言え〟と言っているのだろう。
翔隆は、本当に思い知らされた。
―――いい加減な気持ちでは、これはやり通せない。
臣の言動総てが、君に関わっていくのだと……。
〈…迷ってはいられない……もう―――後戻りは、出来ないのだ…〉
覚悟を決め、ギュッと両拳を握り締めると翔隆は真っすぐに信長を見つめて口を開いた。
「…これは……知れば、お命に関わります。それでも―――…」
言い掛けると、信長は黙って頷いた。
翔隆は溜め息を吐いて、続ける。
「…古来より、二つの〔一族〕が宿敵として戦って参りました。一つは狭霧……影から各国の大名や武将らと何らかの密約を交わし、世を乗っ取ろうとしているようです。…そして、もう一つが不知火。……俺の…一族です」
しん、とした空気が一同に緊張を走らせた。翔隆は思いに耽るかの様に、喋る。
「不知火の長であった人が、俺の本当の父…。そして…兄が、先刻の槍使いの陽炎。弟が、あの獣を連れた疾風です。我らは皆、不老長寿で、特定の者だけ不思議な〝力〟を身に付けている様です。両族共、目的は互いを滅ぼす事。そして両族共に〝掟〟に従い生きています」
「掟?」
信長が首を傾げて言う。
「はい…それぞれ違う様ですが、狭霧の掟で判るものは〝主君を持つは良いが裏切りは一度まで〟というもの」
「妙な掟じゃのう」
信長は顎を撫でながら言う。
それに苦笑して、翔隆は俯き加減に続ける。
「…不知火の掟は八つ。一つ、長は一族を統率し、狭霧を滅ぼす事。一つ、長の一門で女子が生まれたら、殺す事」
「女子を殺す? 繁栄出来まいに…」
思わず塙直政が言った。
敢えてそれには答えず、翔隆は続けて言う。
「一つ、長の長男で〔嫡子〕でない者は、狭霧に送る事。一つ、一族の者は、長以外の〝主君〟を持つは死罪。一つ…長が、主君を持つは大罪…。…一つ、敵に送った〝長男〟は嫡子が…―――――――っ」
言葉に詰まった。
敵に送った長男は、嫡男が連れ戻すべし!
翔隆は、ハッとして目を見開いた。
〈…長男! という事は、陽炎……!! 俺は嫡男だ……! 俺が―――っ! 俺が、陽炎を〝連れ戻さねば〟ならない…――――?!〉
そう――――――翔隆は〔嫡男〕。
そして―――――長男は…陽炎なのだ!!
そうだ…陽炎が〝兄〟とは分かっていた事。
だが……〝連れ戻す〟などとは、考えてもみなかったのである!
〈…憎くて仕方がない相手を…連れ戻す?! まさか! そんな事…―――〉
「どうした」
という信長の声でハッと我に返り、戸惑いながら続けた。
「はっ…長男は、嫡男が…連れ戻す事……。一つ、掟は七つと共に習わす事。そして最後に、掟破りは死罪…です」
「では、お主は二つ破っておるな」
「はっ…俺も、俺の父も〝掟〟を破ってしまいました……。父の〝羽隆〟は既に追放されていますので、俺の一族には〔長〕が居ません。だから俺……嫡男である俺が…一族を纏めねば…。一族がどうなっているのかは、良く判りませんが…俺、不知火の長になろうと思って…その…俺の一族だし…どう考えても、敵の方が有利に見えるし。一族の集落がどこにあるのかも、何も分かりませんが…」
言っている内に、我ながら無謀だな…と思った。
そう思うと、恥ずかしくなってくる。
皆を見ると、無言で翔隆を見つめていた。
翔隆は一息吐いてまた話す。
「俺が長とならなければ、一族を統率しなければ……不知火が滅びるから…っ! でもっ…一族が〝人間〟と関わると危険なんです。先程の様にっ! 城まで……」
先程から、翔隆は懸命に話している。
「ご存じの通り、俺の兄弟も敵となり…唯一居た…俺が共に過ごした…俺の住んでいた集落の仲間も……陽炎の奇襲を受け、滅んでしまいました…!」
「! ここに来た夜の事か」
塙直政の言葉に、翔隆は項垂れるように、こくりと頷く。
「はい。…頼りにしていた師匠達にも、裏切られて…」
「師匠…〝義成〟と〝睦月〟とか申す者か」
「はい…っ。義成は…っ今川の者で……睦月と拓須は…狭霧の者で…っ!!」
そこまで言うと信長は氷の様な表情を和らげ、優しい顔をする。
「そうか…」
「皆の命は、俺が守ります! 狙ってきても防いでみせます! だから……だから信じて下さい! 離叛したりはしませんっ! ですから勝手に抜け出す時は――――っっ!!」
「分かった」
必死に言う翔隆に微笑み、信長は立ち上がって近寄り、そっと頭を撫でてやった。
「よく、分かった。大儀であった…養生しろ」
そう言うと、信長は行ってしまった。翔隆は涙ぐんで平伏する。
〈…ありがとう、ございます……!!〉
そこに、塙直政が歩み寄ってくる。
「翔隆、よう話してくれたな」
「塙様…」
優しく声を掛けると、皆が集まってきた。
見ると、池田勝三郎まで居た。
「安心せい! 我らが居れば大事ない!」
とは佐々内蔵助。続いて犬千代も槍を取る格好で言う。
「あの雷も先程の戦いも、凄まじかった。驚いたが、鬼ならば納得出来る。今度はこの犬千代も、黙ってはおらん!」
「犬じゃ不安だ…」
長秀が苦笑して言った。
「何を万千代!」
「やるか!」
「よさぬか二人共!」
直政が言うと、二人は口喧嘩を止める。すると勝三郎が大声で笑った。
「あはははははは! 犬も万も塙殿には頭が上がらんのお!」
その言葉で、全員が笑った。
とにかく、一つの〝危機〟は去った……。
清洲への奇襲、そして〔一族〕の奇襲。
この事が〝仲間内〟で密かに話題になった事は言うまでもない。
何はともあれ、年一番の〝旋風〟が起こった。
まるで、これから起こる〝不幸〟を、一挙に招くかの様に―――。
「長秀」
「翔隆…一体、今まで何処におったのだ…すぐに殿の下へ行け。カンカンにご立腹ぞ!」
それを聞いて、翔隆はサーッと蒼冷めた。
何も告げずに離れたのだから、信長が怒らぬ筈がない。
急いで本丸に行くと、いきなり怒鳴られた。
「たわけぇい!!」
「申し訳ありませんっ!」
「何処へ行っておった!」
「はっ! …その……」
「―――また、ごまかす気か?」
「え…?」
「一族、とやらの事であろうがッ!」
「信長様…っ!」
翔隆が驚愕していると、信長は苦笑して膝をトントンと叩く。
…この人は何もかも、お見通しなのだと思う。
「良いか翔隆。主従というものはなぁ、心と心の繋がり、主と臣の〝信頼〟が大切なのじゃ。臣が〝秘密〟を持たば、主の〝死〟に繋がる。逆に、主が〝秘密〟を持つは…〝勝利〟か〝敗北〟…〝生〟か〝死〟かに繋がる。…分かるな?」
つまり、家臣の翔隆が〝何か〟隙を見せる様な秘密を持っていれば、そこを敵に衝かれ危うくなり兼ねないと言っているのだ。
例えば、この間の様な〝密偵〟騒ぎの様に………。
〈けれど…話しても………!〉
まだ、今の自分には皆を守るだけの《力》が備わっていない。
守れなければ、また信長達を危険な目に遭わせてしまう。
俯いていると、庭から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「では、私が話してやろうか?」
「! その声っ!」
翔隆は、瞬時に小刀を引き抜く。
と、障子がバサリと二つに切れ落ちるのとが同時であった。
その影から、一人の槍武者が姿を現す。
陽炎…
その名を思うだけでも、憎しみが体の底から込み上げてくる。
「いつの間に…!」
と、犬千代が刀を抜く。
「ふん…間抜けな虫ケラ共よ。動かぬ方が身の為だぞ? 貴様らでは、私の相手にもならぬ」
そう言って陽炎は、翔隆を見下す。
「邪魔はされたくない。私はこの手で貴様を殺したいのだ。…虫ケラは、その後で始末してやる」
自信満々に、そう言ってのけた。
翔隆は臆しもせずに、そのまま庭に降り立った。
「陽炎…たとえ兄とて、俺は貴様を許せない…」
その翔隆の言葉に、陽炎はピクリと眉を動かした。
「…ほお? 随分と偉い口をきくようになったものだな。―――良かろう! …私も、貴様は許せぬ…………掛かってこいっ!!」
そう怒鳴って、槍を前に構える。
翔隆は、ためらいもせずに切り掛かっていった。
ギャリンという金属音が響き、翔隆はそのまま放り投げられる。
「…あの時は逃げてばかりだったが…よくぞここまで成長し………ん?」
ハラリ…と、陽炎の左目を覆う布が切れ落ちた。
〈いつの間に……!!〉
陽炎は咄嗟に、左目を押さえる。
―――が、翔隆には、はっきりと見えてしまった…。
左目だけ自分と同じ、影に光る〝藍色の瞳〟を。
それと同時に、陽炎の表情が怒りへと変わっていくのも見た。
「…小僧…っ!」
相手の逆鱗に触れた!
そう思った時には、陽炎は狂った様に分厚い斧のような槍を、軽々と操り攻撃してきた。
「くう…!!」
全力を尽くす強者の攻撃を、誰が躱せようか。
見る間に肉が裂かれ、血が吹き出す。
翔隆に出来る事といったら、致命傷を防ぐ事くらいであった。
全身血だらけになって、やっと陽炎の攻撃が収まった。
と思うと、今度は槍を真上に掲げる。
「ついでだ…私の、真の力を見せてやろう!!」
今だ! …と思ったのだが、圧倒的な〝気〟に押されていた。
試しに切り掛かってみるが、〝気〟によって刃が弾かれ、折れてしまう。
〈…っ!〉
それだけで陽炎の〔一族〕としての《力》が、どれ程のものかがよく分かった。
暗雲が立ち込め、ゴロゴロと稲光が走る。
それと同じ様に陽炎の手から槍に掛けて、雷気がバチバチと音を立てて駆け巡っていく…。
それを見て、翔隆は蒼白して《印》を結んだ。
〈そんな《力》を使われたら…城が崩れる!!〉
こんな事で大事な信長の城を壊されては、それこそ取り返しがつかなくなる!
〈まずいっ!〉
翔隆は必死で〝気〟を高めていった…。
《霊力戦》………だが、陽炎には余裕がある。
互いの気が、激しくぶつかり合うのが分かる。
そして次の瞬間には、稲妻が二人を直撃した。
「ぐうううぅぅっ!!」
雷撃と激痛に襲われながらも、翔隆は《印》を崩さずに立っていた。
その〝衝撃〟を総て、〝自分の体〟に引き付けて吸収する為だ。
それに対して、陽炎は驚愕していた。
〈………! なんて奴だ……たかがこれだけの間に、そんな術を身に付けて…いや、無意識か? 違う…こいつは…確実に、〝本来の力〟を引き出しつつあるのだ…〉
シュウウゥ…
バチ バチ バチ…
煙と電気が立ち込め、瓦や塀が崩れる。
「ハァー、ハァー、ハァー…」
そんな中でも、翔隆は立っていた。
「小癪な……」
陽炎は舌打ちして、槍を構え直す。
翔隆は乱れた息を整えると、ギンッと陽炎を睨み付ける。
「今度は―――…俺の番だ!!」
そう叫び両手の平の中に〝炎〟を造り出し放つ。
それは幾つもの炎の矢となり、陽炎に向かってきた。
「フンッ!」
陽炎はその《炎の矢》を余裕で躱していく―――が、《炎の矢》はぐるりと向を変え、陽炎だけを狙ってきたのだ!
〈! ちいぃ…! 操る事すら覚えたというのかっ!〉
焦心しつつも、意味不明な笑いを浮かべた。
〈…さすがは、〝嫡男〟…だな………〉
「ぐっ!」
一つが、命中した。炎はぶつかると同時に消え、衣に火を移す。
一つ、二つと襲ってくる…幾ら振り払っても消えない…〝憎しみ〟の炎…
〈このままではまずい…っ!〉
そう―――陽炎が判断した時、突然翔隆の背中に激痛が走った。
「ぐあっ!」
振り向くと、血の滴る前足を舐める緋炎の姿があった。
「緋炎…!」
バッと陽炎に向き直ると、彼の横には疾風が居た。
「兄上、ご無事で!!」
「ん………」
〝兄〟の安否を気遣うと、疾風はキッと翔隆を睨み付けた。
「よくも…!!」
「…兄弟、仲がいいものだな…疾風」
「当然だ! この世でたった一人の肉親なのだからなっ!!」
……最も、辛い言葉だ。
かといって、翔隆にはこの二人が己と血を分けた〝兄弟〟とは、実感が持てない。
――――――持てないが、〝真実〟はきちんと受け止めねばならない。
形勢逆転したこの二人を相手に、態勢を立て直すと陽炎が塀の上に舞い立つ。
「兄上!?」
「退くぞ、疾風」
「しっ、しかし…!」
「良いから退くのだ!」
そう怒鳴る様に言い放つと、陽炎はさっさと行ってしまう。
と、疾風も渋々緋炎を伴い去って行った。
途端に翔隆は膝を撞く。
「翔隆!」
犬千代、長秀らがすぐ様駆け寄る。
「大丈夫か?!」
「うむ…」
犬千代に肩を借りて立ち上がると、縁側に立つ信長と目が合った。
信長は目を爛々と光らせ、翔隆を睨み据えている…。
誰もが、ぞっとして肩を竦ませた。
〈…怒っている!〉
翔隆も〝まずい〟と思い、平伏する。
「――――――入れ」
…この世の者とは思えない程、冷たく澄んだ声であった。
翔隆を始め皆、内心ドキドキしながら中に入っていく。
翔隆は、信長の前で体中から血を滴らせながらも平伏し直した。
そして何か、言葉を待った。
誰もが待った。
静かな部屋に響くのは、風の音と虫や鳥の声。
こんな時、口を挟めば余計な怒りを買うと分かっているので誰も何も言わない。
「…申せ」
冷ややかな声が、響く。
先刻の話の事を〝言え〟と言っているのだろう。
翔隆は、本当に思い知らされた。
―――いい加減な気持ちでは、これはやり通せない。
臣の言動総てが、君に関わっていくのだと……。
〈…迷ってはいられない……もう―――後戻りは、出来ないのだ…〉
覚悟を決め、ギュッと両拳を握り締めると翔隆は真っすぐに信長を見つめて口を開いた。
「…これは……知れば、お命に関わります。それでも―――…」
言い掛けると、信長は黙って頷いた。
翔隆は溜め息を吐いて、続ける。
「…古来より、二つの〔一族〕が宿敵として戦って参りました。一つは狭霧……影から各国の大名や武将らと何らかの密約を交わし、世を乗っ取ろうとしているようです。…そして、もう一つが不知火。……俺の…一族です」
しん、とした空気が一同に緊張を走らせた。翔隆は思いに耽るかの様に、喋る。
「不知火の長であった人が、俺の本当の父…。そして…兄が、先刻の槍使いの陽炎。弟が、あの獣を連れた疾風です。我らは皆、不老長寿で、特定の者だけ不思議な〝力〟を身に付けている様です。両族共、目的は互いを滅ぼす事。そして両族共に〝掟〟に従い生きています」
「掟?」
信長が首を傾げて言う。
「はい…それぞれ違う様ですが、狭霧の掟で判るものは〝主君を持つは良いが裏切りは一度まで〟というもの」
「妙な掟じゃのう」
信長は顎を撫でながら言う。
それに苦笑して、翔隆は俯き加減に続ける。
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言葉に詰まった。
敵に送った長男は、嫡男が連れ戻すべし!
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〈…長男! という事は、陽炎……!! 俺は嫡男だ……! 俺が―――っ! 俺が、陽炎を〝連れ戻さねば〟ならない…――――?!〉
そう――――――翔隆は〔嫡男〕。
そして―――――長男は…陽炎なのだ!!
そうだ…陽炎が〝兄〟とは分かっていた事。
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〈…憎くて仕方がない相手を…連れ戻す?! まさか! そんな事…―――〉
「どうした」
という信長の声でハッと我に返り、戸惑いながら続けた。
「はっ…長男は、嫡男が…連れ戻す事……。一つ、掟は七つと共に習わす事。そして最後に、掟破りは死罪…です」
「では、お主は二つ破っておるな」
「はっ…俺も、俺の父も〝掟〟を破ってしまいました……。父の〝羽隆〟は既に追放されていますので、俺の一族には〔長〕が居ません。だから俺……嫡男である俺が…一族を纏めねば…。一族がどうなっているのかは、良く判りませんが…俺、不知火の長になろうと思って…その…俺の一族だし…どう考えても、敵の方が有利に見えるし。一族の集落がどこにあるのかも、何も分かりませんが…」
言っている内に、我ながら無謀だな…と思った。
そう思うと、恥ずかしくなってくる。
皆を見ると、無言で翔隆を見つめていた。
翔隆は一息吐いてまた話す。
「俺が長とならなければ、一族を統率しなければ……不知火が滅びるから…っ! でもっ…一族が〝人間〟と関わると危険なんです。先程の様にっ! 城まで……」
先程から、翔隆は懸命に話している。
「ご存じの通り、俺の兄弟も敵となり…唯一居た…俺が共に過ごした…俺の住んでいた集落の仲間も……陽炎の奇襲を受け、滅んでしまいました…!」
「! ここに来た夜の事か」
塙直政の言葉に、翔隆は項垂れるように、こくりと頷く。
「はい。…頼りにしていた師匠達にも、裏切られて…」
「師匠…〝義成〟と〝睦月〟とか申す者か」
「はい…っ。義成は…っ今川の者で……睦月と拓須は…狭霧の者で…っ!!」
そこまで言うと信長は氷の様な表情を和らげ、優しい顔をする。
「そうか…」
「皆の命は、俺が守ります! 狙ってきても防いでみせます! だから……だから信じて下さい! 離叛したりはしませんっ! ですから勝手に抜け出す時は――――っっ!!」
「分かった」
必死に言う翔隆に微笑み、信長は立ち上がって近寄り、そっと頭を撫でてやった。
「よく、分かった。大儀であった…養生しろ」
そう言うと、信長は行ってしまった。翔隆は涙ぐんで平伏する。
〈…ありがとう、ございます……!!〉
そこに、塙直政が歩み寄ってくる。
「翔隆、よう話してくれたな」
「塙様…」
優しく声を掛けると、皆が集まってきた。
見ると、池田勝三郎まで居た。
「安心せい! 我らが居れば大事ない!」
とは佐々内蔵助。続いて犬千代も槍を取る格好で言う。
「あの雷も先程の戦いも、凄まじかった。驚いたが、鬼ならば納得出来る。今度はこの犬千代も、黙ってはおらん!」
「犬じゃ不安だ…」
長秀が苦笑して言った。
「何を万千代!」
「やるか!」
「よさぬか二人共!」
直政が言うと、二人は口喧嘩を止める。すると勝三郎が大声で笑った。
「あはははははは! 犬も万も塙殿には頭が上がらんのお!」
その言葉で、全員が笑った。
とにかく、一つの〝危機〟は去った……。
清洲への奇襲、そして〔一族〕の奇襲。
この事が〝仲間内〟で密かに話題になった事は言うまでもない。
何はともあれ、年一番の〝旋風〟が起こった。
まるで、これから起こる〝不幸〟を、一挙に招くかの様に―――。
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bekichi
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