鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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二章 変転

一.掟破り〔一〕

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  一五五一年(天文二十年)正月。

 今年から、また新しく小姓となった前田犬千代(十三歳)はすぐに織田信長のお気に入りとなった。

 正月の祝いの席。

 皆が酒を呑み舞をして楽しむ中、池田勝三郎が廊下の拭き掃除をしていた翔隆とびたかを捕まえて話す。
「本来ならな、わしとてお呼びが掛かるのだ。なにしろ、乳兄弟なのだから! 可愛がらぬ訳がない」
「うんうん」
「わしも、ちゃ~んと夜伽くらいしたさ。だがな、小姓の数は多い。順番という物もあるだろう!」
「うんうん」
「翔隆! さっきから返事だけで…お主は何度も呼ばれてるからとていい気になるなよ!」
突然そう怒鳴る池田勝三郎を、翔隆は前触れもなくヒョイと担いだ。
「お、あ、あ!?」
「勝三郎、ちょっと飲み過ぎだろう。ほら、宴の席に戻ろうな?」
掃除の邪魔だったのでそう言って席に戻してやると、池田勝三郎は少しぐってりしていた。
「翔隆、お主も呑んだらどうだ?」
服部小平太が盃を差し出すが、翔隆は首を振る。
「皆が汚したのだから、誰かがやらねば」
家臣の中には、廊下で吐いてしまう者もいる。
侍女とて掃除はするが、さすがにその場に泥酔してしまった者の介抱は難しい。
だから、平手政秀が翔隆に頼んだのだ。
あらかた片付いたので、翔隆も席に戻ると信長が立ち上がった。
「わしは先に寝る。余り酔わぬようにな」
そう言い信長は欠伸あくびをしながら行ってしまう。
 それに、前田犬千代が従う。
 


 翌日は鷹狩りに出た。
供をするのは塙直政、丹羽長秀、佐々内蔵助、池田勝三郎、前田犬千代、翔隆。
信長は
「鷹狩りに出る!」
と大声で布れ、ずかずかと歩いていった。
皆は急いでその弓矢を手にして後を追う。
 途中、塙直政が鷹を持った。
信長は連銭葦毛の愛馬〝覇王〟にまたがり、駆け出してしまう。
翔隆はその轡を持って、ピタリとくっついて走った。
他の者は、馬でも追い付けない…。

 
小高い丘に来ると、信長が馬を止めた。
雪風ゆきかぜ羽風はかぜを出せい!」
信長が言うと、塙直政が持って来た二羽の鷹を籠から出す。
 一羽は、雪の様に真っ白な〝雪風〟。
もう一羽は、翼が丈夫でとても速い〝羽風〟。
どちらも、信長の愛鳥である。
野兎や猪、鴨を見付けては農民に扮した内蔵助らがそろり、そろりと近付いて様子を窺う。
そして鷹を放つと、信長の手足の様に素早く獲物目掛けて飛ぶ。
こうなれば、確実に仕留められるのだ。
「やったあ!」
大はしゃぎで内蔵助と犬千代が、獲物を集めていく。
 
 何やかんやと楽しむ内に、もう日が暮れてきた。
塙直政が鷹をしまいに行き、他の者は薪を燃やし暖を取る。
そして、直政が帰ってきたので信長は立ち上がる。
「よし! 行くぞッ!!」
信長は楽しげに馬の下に歩いて行った。
「あっ、殿お待ちを!」
皆はいつもながらに素早いその行動に戸惑いながらも、火の始末をして弓を手に駆け出した。


 その帰路の途中、翔隆は森の中に不穏な〝影〟を見付けた。
〈狭霧か?!〉
直感で感じ取ると翔隆は小刀を抜き、森に入って行った。
信長達は気付かずに、そのまま走り去ってしまう。



〈正月早々にっ!〉
心で愚痴を零しながらも、その影に追い付く。

 ――――が、その者を見た途端に、その愚痴も消え失せた。

  影は二つ………二人共、狭霧の者。
互いに血を流し、戦っている。
その、一人を見て翔隆は驚愕した。
「む…睦月…!?」
そう――――睦月が、もう一人の者に追い詰められているのだ!
その敵を見れば、何と女ではないかっ!
膨よかな乳房をさらけ出した、淫らな姿で懐剣を振るっている。
〈なっ、なんてはしたない……っ〉
などと思っている場合ではない。
翔隆は顔を真っ赤にしながらも、助けに入った。
「睦月っ!」
すぐ様睦月の前に立ち、守りに入ると途端に睦月は膝を撞いて、激しく咳き込んだ。
「翔隆…っゲホッゲホッッ」
翔隆は攻撃を受け流しながら、話し掛ける。
「どうしたのだ?! 顔が真っ青だぞっ!」
「なん…でもないっ…ゲホッ……き…気に…するなっ」
喋るのさえ辛そうだ。
それを見てカッとした翔隆は、女に向き直る。
「…貴様かっ!? 睦月を〝病〟にしたのはっ?!」
「うふふ」
女は妖しい微笑を称えて、風の如く斬り掛かってくる。
「あたしじゃあ、なくってよ」
「ならば…」
「…それを聞いて、どうする気……?」
ギイン…と翔隆の刀が弾かれた。
女は刃の切っ先を、翔隆の首筋に突き付ける。
「どうする気?」
「くっ…! 決まっている! そいつを殺すまでだっっ!!」
「オーッホホホホホホホホホ!!」
女は甲高い声で笑った。
「な~んて面白い子……〝掟〟を破れば罰を受けるのは当然じゃないの。〔一族〕であれば、不知火も同じでしょう……?」
ぐっと息詰まり、翔隆は一歩…後退る。確かに、その通りだ……――――だが!
ここで引き下がる訳にはいかない。
翔隆は拳を握り締め、キッと女を睨み付ける。
「何を、したという!」
「二度の裏切り」
「―――!!」
明智光秀から聞いた〔掟〕だ。
「一つはお前が幼い折、大木より落下し死に至るであろうものを庇った事。そしてもう一つは今、完全に狭霧を裏切り、お前に付こうとしている事!」
何も言えない程の、衝撃を受けた…。
 
 裏切った…?
 誰の為…?
  ―――――自分の、為に……!?

翔隆は驚いて目を見開き、睦月を返り見た。睦月は口元を押さえて、俯いている。
「ホホホホ! 素晴らしい〝師弟愛〟ね」
「っ!」
「まあ…今の所は引き上げてあげるわ。…そうそう、あたしの名はろう閑真しずま新蓮しんれんの娘よ」
「あいつの…!」
「いずれ、刺客として会いましょう」
そう言うと閑真しずまは妖しい笑い声を残して、闇に消えた。


 翔隆は気を失っている睦月を背負って、森の中へ進む。
  小屋に入って畳に寝かせてやると、睦月は苦しげに息をする。
激しい咳、熱、そして吐血…―――――病状から見て〝労咳〟…であろう。
〈睦月…何故……!? 何故っ、俺なんかの為に……こんなに…なってまで……っ〉
睦月とて、始めは狭霧の為だけに生きて〝長〟に忠誠を誓っていたに違いない。
〈…ごめん―――――っ!〉
そう心で呟き、睦月に掛けた着物の端に顔を埋める。
 その時!
ガシッと後ろから何者かによって、首根っこを掴み上げられた。
ハッとして後ろを見ようとした途端、翔隆は思いっ切り投げ飛ばされる。
「ぐうっ」
呻いて薪の中にうずくまっていると、投げた当人の声がした。
「睦月に触れるな! …汚らわしい…」
「…拓…須………っ!」
そこには、怒りに満ちた表情の拓須が立っていた…。
彼は腕を組み、凄い形相でこちらを睨み付けている。
「拓須…ゲホッ……いつ………」
「…よくも、睦月をたぶらかしてくれたな…!」
「っ! 違う!」
「何が〝違う〟と言うのだ? 何かと睦月に擦り寄り、頼っては甘え……。貴様さえ…――――…貴様さえいなければ………貴様さえ、生まれてこなければ! …睦月がこんな酷い目に遇う事も無かったのだっ!!」
余りに冷たく酷く……しかし的を得た言葉に、何も言い返せない。
「貴様一人の為だけに、一体何人の〝犠牲者〟が出たと思っているのだ? 何人巻き込めば気が済むというのだっ!?」
「………っ!」
翔隆は言葉を失って、立ち尽くした。
確かに…拓須の言う通りかもしれない……。
だが! それは、自ら好んで招いている訳ではない――――っ!
 そう……自分に言い聞かせて、何とか立ち直る。
「拓須…」
「お前の言葉など聞きたくもないわ! 今だけは見逃してやる……さっさと消え失せろっ! 次に会う時は……必ず息の根を止めてやるから、そう思えっ!!」
「ここにっ…!」
翔隆は、絞り出す様に叫んだ。
「?!」
「ここに…居るのだろう…?」
「…仕方あるまい。貴様のせいで〝追放〟されたのだからな! 睦月を庇わねばならん」
「そう―――じゃあ…安心だ………。…俺は、那古野に…いる。何か、あったら…来てくれ」
切なげに、そう言った。
「……? 何を…」
言葉の意味を問い質そうとした時にはもう、翔隆の姿は無かった。


 風が冷たく、吹き迷っている。
その風が、余計…空しさを掻き立てた。
〈…これで…いいんだ………。いちいち落ち込んでいられないんだ! 俺は、もっともっと強くなって、皆を守らねばならないのだからっ! 一族から……自分と、皆の命を!〉
自分の激しい気性と、喜怒哀楽の感情を何とか押し殺して…これからは〝長〟として生き、主君に命を懸けなければならないのだ、という事をひしひしと感じた。
 だからこそ、藻掻もがき苦しむのだ…と。
〈このままじゃ、いけないんだ――――!!〉
そう心で叫び、城へ向かった。
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