78 / 261
三章 廻転
十六.気迷い
しおりを挟む
熱風が舞う八月。
外に居ても日陰に居ても熱くて汗が流れ出る。
信長は連日海まで泳ぎに行っている。
深くて波のある海の方が、泳ぎの鍛錬になるから…と、壊れてもいい鎧まで持ち出した。
「それ行け!!」
自らも鎧を着ながら、海に入る。
刀に見立てた木刀も手にしている。
「お屋形さま、お待ちを…ったあ!」
池田勝三郎が跳ねながら浜に帰っていく。
「あー…クラゲだな。ほら、薬を塗るからじっとして!」
翔隆が浜で待機して、こうした事に対応する。
その間に小姓や付いてきた若い衆、まだ若い武将達も海に入って木刀で打ち合いながら泳ぐ。
「く、薬はあるか…?」
塙直政が、這いながら翔隆に聞く。
「どうされました?!」
「足…足がつった…!」
「引き攣り…えぇと…親指をこうして持ってて下さい」
塙直政に足の親指を持たせてふくらはぎをさすっていると、怪我をした若い衆や足がつった者などが続々とやってくる。
翔隆は次々に対処しながら焦る。
〈嵩美はまだか…?!〉
いつも昼過ぎになるが、今日は帰蝶に言って朝から来る事になっているのだが…。
「そこに座って鎧を脱いで」
後ろから声が聞こえて振り向くと、睦月がいた。
「睦月…! 体は…」
「私は平気だから、早くしなさい」
淡々と言い、睦月は怪我の手当てをする。
すると、村の者達は睦月の方に行き始めた。
睦月が昔から村に出入りして、親兄弟の風邪や怪我を治してくれていたからだ。
「え、何でそっちに行くんだ?」
翔隆が服部小平太の腕の怪我に、塗り薬を付けながら言う。
すると、村の者達が苦笑いして言った。
「だって、翔隆さまはお武家さまでにゃあか。睦月さんは昔から俺たちを見てくれてたし…」
「えー…なんだか傷付くな…」
「翔隆さまは童みたいな事を言うんだなも!」
若い衆がケラケラと笑う。
翔隆は少しムッとしながらも、微笑して手当てを続ける。
睦月が慕われているのも嬉しいし、こうして共に薬師としての仕事が出来るのも嬉しいからだ。
それから暫くして嵩美もやってきて、手当てが楽になった。
真昼時は、陽射しがキツイのでさすがに各々帰って良しとする。
すると、信長が翔隆の元にやってくる。
「なんだ薬師も居たか。もう戦わないのか?」
「………翔隆、薬が足りないだろう。採りに行くぞ」
睦月はそれを無視して翔隆に言い、片付ける。
「………ぁ…の?」
翔隆は信長を見上げ、睦月を見て、片付ける。
どうしていいのか分からない。
そんな二人の言動に信長はクックッと喉を鳴らして笑いながら、翔隆の前にしゃがむ。
すると睦月が翔隆の腕を引いて、自分の横に倒しながら引きずって己の横に寄せる。
「うわあっ!?」
「ククク…まだ許さんのか。お前はこ奴の親では無く、師匠なのだよな?」
信長が言いながら翔隆の足を掴んで引っ張ると、睦月は翔隆の脇を抱え込んで信長を睨む。
「兄であり師匠だ! その手を離せ」
「わしは主君だ。お前こそ手を離せ」
ギッと体が軋む程、二人が引っ張るので、横で片付けを済ませた嵩美が言う。
「恐れながら…我が君の体に異常が出ますので、お二人共手をお離し頂ければ幸いなのですが」
「…お前が離すべきだ」
信長が言うと、睦月も言う。
「翔隆は一族であって人間の主従関係には縛られぬ」
「また殺気付くのだな」
信長は楽しげにクッと笑う。
睦月は本気で怒っているが、信長は楽しんでいるようにも見える。
そんな二人を見て溜め息を吐いて、嵩美は翔隆を見る。
「どうされますか?」
「………あの、とりあえず…薬草が大事かと…いたたたた!」
翔隆が痛がった瞬間、睦月は手を離し、代わりに短刀を引き抜いて信長の顎下へと翳す。
「翔隆を離せ、織田三郎」
すると周りの武士達がざわめく。それを信長は手で制する。
「今は、上総介だ」
「どうでもいい…翔隆が居ればこそ許しもするが…お前など…お前など消えてしまえばいい!」
そう言い睦月が短刀を持った手を動かそうとしたので、翔隆がその手を掴む。
「睦月……頼むから」
「……………分かっている。本気では無い。それよりも行くぞ」
そう言われ、翔隆は苦笑して足を掴んでいる信長を見上げる。
「…お屋形様、薬草を集めねば。明日も海に来るのですよね?」
「………ん、共に参ろう」
そう言い手を離して、翔隆の籠を手にする。
「那古野に戻っていろ! 犬千代と五郎左、九郎だけ来い!」
「はっ」
答えて三人が寄る。
「人間が…」
睦月がまた怒り出したので、翔隆が立ち上がって言う。
「睦月、迷惑を掛けてごめん。信長様達は、俺が責任を持つから…共に行こう? 」
そう翔隆が言うので、仕方無く共に山に行く事にする。
一族の自分達は、走っていけば馬より早い。
なので、馬に合わせて走る事になる。
(当時の馬は日本の在来種であり、サラブレットより一回り小さい。ポニーとは違う。人を乗せた速さは自転車くらい。30Km程)
翔隆が信長の馬の轡を手に走る間に、睦月は嵩美と話す。
「一門であろう? 父親は?」
「…その…霏烏羅、です」
「では従兄弟…かな? ん? 帰ったら拓須に聞こう。それで、よく抜けて来られたな」
「…騙してきました。一族達十名程借りて、こちらに来たら全員殺されていて驚きました。…でも、お陰でこうして居られます」
「…連れ戻しに来ないのか?」
「どうでしょうか…己にしか興味の無い父ですし…出世なども特には…」
「…そうか。得意な物は?」
「術…とはいえ、翔隆様程ではありません」
「そりゃあ無理だ、翔隆は拓須が文句を言いながらも修行をさせていたのだから。手を抜かないか見ていたし」
睦月が笑いながら言うと、嵩美がポソリと呟く。
「なんと羨ましい事か…」
「羨ましい? …あぁ」
聞き返して、睦月は拓須が〝導師〟と崇められる程の存在なのだと思い出す。
ここでは誰も崇め敬ったりしないので、すっかり忘れていた。
睦月はくすっと笑って歩いて言う。
「拓須に、頼んでみようか?」
「えっ?!」
嵩美は驚いて立ち止まる。
ちょうど薬草を採る場所に着いたので、翔隆達も薬草を採っていた。
「頼んではみるが、引き受けるかは分からないぞ」
「あ、ありがとうございます!!」
嵩美は跪いて叫ぶように礼を言う。
それを遠くから見て、翔隆も寄ってくる。
「睦月、その時は俺も共に行くよ」
「聞こえてたか。…今日でもいいぞ。飯はろくに無いが…そこの織田の者が居なければ、鹿でも取れたものをな」
睦月がわざと聞こえるように言う。
睦月は、昔から織田に厳しい…。
「何ぃ?! 鹿くらい取れるわあ!」
前田犬千代が叫ぶ。それを翔隆がなだめた。
「犬千代、頼むからやめてくれ。暑いし、これ以上動いては倒れる」
そう言って、水の入った瓢箪を渡す。
「水なんて…」
言い掛けて、目眩を起こしてふらついたのを、翔隆が支える。
「ほら、長秀と塙様も。昨日も〝ぎっちょう〟なんてやってたら具合が悪くなっただろう?」
三人にそう言う。信長は言わずとも飲んでいるからだ。
「ぶりぶりぎっちょうか? わしに黙って遊ぶからだ」
はは、と信長が笑う。
毬杖は、木製の槌をつけた木製の杖を振るい、木製の毬を相手陣に打ち込む遊び、またはその杖。振々毬杖、玉ぶりぶりとも言う。杖には色糸をまとう。(ウィキペディアより)
翔隆は自分も水を飲んで、信長の側に行く。
「あの」
「分かっておる。明日も頼むぞ。…そっちの兄で師匠の薬師どのも、良ければ、な」
そう言い、信長は前田犬千代、丹羽長秀、塙直政を連れて那古野城に戻っていく。
「やっと消えたか」
溜め息を吐いて睦月が言い、立ち上がる。
「この暑さなら、鹿も川に寄るだろう。狩るか?」
「俺がやるから、睦月は嵩美と共に薬草を頼むよ」
「どうせ川に行くから共に行くぞ」
睦月が言い、歩いていく。
翔隆はなるべく睦月を動かせないようにしようとしている。
対して睦月は普通に動きたがる。
その二人を見て、嵩美が聞く。
「睦月様、お体は?」
「…拓須が病を抑えているから平気だ。なのに、翔隆は老人のように扱うのだ」
「老人だなんて! 睦月…」
「ふふ、分かっている。…ほら、獲物だ」
睦月が川の方を見て言うと、翔隆が風の如く駆けていき一撃で鹿を仕留める。
血抜きも兼ねて首を切ったので、そのまま川に晒した。
その間にウツボグサや朝顔、ヘクソカズラなどを集めた。
鹿を土産に睦月と拓須の小屋に行くと、翔隆だけが蹴飛ばされて外に出される。
「いった!」
ザッと足で踏ん張って振り返ると戸が閉められている。
「ちょ…拓須!」
「喋るな煩わしい! 息も止めておけ!」
中からそう聞こえる。
翔隆は仕方無く、鹿を木に吊るして捌き出した。
「拓須ー、肉を入れる器がないと捌けないよ」
「そこに樽があるだろう」
「樽って…拓須も鹿肉好きじゃなかったっけ?」
「黙って捌け!」
中から怒鳴り声がした。
中にいる睦月は薬草を選り分け、嵩美は夕餉の支度で双方共に手が離せない。
嵩美が何か言いたくても、拓須が戸を足で押さえているので口が出せない。
その内に、睦月が喋る。
「拓須、霏烏羅って拓須の従兄弟?」
「ん?」
「嵩美の父親が霏烏羅なんだって。…再従兄弟になるのかな?」
「…まあ、そうだな」
「それでね、嵩美に修行を付けてやらないか?」
「何故?」
「嵩美は術が得意らしいんだが…まだ、幼いだろう? 狭霧であれば、誰かが指南出来るけど、翔隆も師事は出来ないし…」
そう睦月が言うと、拓須はじっと嵩美を見る。
素質、力量、是非を見ているのだが、その鋭い視線に耐えられず、嵩美は壁際まで下がってしまう。
「ふん…」
拓須は見飽きた、怯えた者の姿に溜め息を吐く。
その時、また戸が開いたので即座に拓須が蹴りを入れる。
すると翔隆はその足を抱え込んだ。
「足なんか出して、血が付いたって知らないぞ」
「その手を離せ汚らわしい」
「いや、もう食べる分は捌いたし、半分は貰っても」
「そこに吊るしておけ」
翔隆の言葉を遮って言う。
鹿肉は拓須の好物でもある。
「…じゃあさ、嵩美の修行付けてやってくれよ」
「何故」
「鹿を仕留めて持ってきて捌いたのは俺だし…褒美をくれてもいいんじゃないか?」
そう翔隆がにっこり笑って言うと、拓須は楽しげに笑う。
「くっ、くくく…変わらぬ。お前はいつまで経っても変わらぬな」
「そうでもないよ、寝小便はしなくなったし、虫やカエルも育てなくなったよ」
「くは!」
珍しく吹き出して、拓須は腹を抱えて板間に倒れ笑う。
「ふっふふ…」
肩を揺らす程に笑いのツボにハマったらしい。
翔隆はそのまま捌いた鹿肉を入れた樽を持って中に入る。
「このまま鍋に入れる?」
「ふふふ、く…っ」
拓須は返事が出来ないらしい。
代わりに睦月が答える。
「ふふ…いつものように一口に切ったのだろう? ならばシソと入れるといい」
「今日はシソか…」
言いながら鍋に入れてかき混ぜる。
睦月はもらい笑いをしながら拓須に言う。
「拓須、翔隆をからかったって仕方が無いだろう」
「から…かっっ……」
ここまで笑うのは、年に一~二度あるかないか。
いつも拓須が翔隆をからかって一人で笑うのだ。
狭霧では見た事の無い姿だが、翔隆といると拓須はとても良く笑う。
「拓須…それで修行だが…」
「だま…くっ、ふ………」
拓須は肩で息をして仰向けになり、嵩美を見る。
嵩美は雪乃宮の世話をしていた。
「ーーー」
力や質は問題無い。
ただ…霊術だけで戦えるかどうかと問われたら、〝否〟と言えるだろう。
「…刀は、お前が教えろ」
「え、じゃあ…」
「丑の刻に来るがいい」
やっと修行を付けてくれるらしい。
「じゃあ、ついでに俺…」
「独りでやれ!」
言葉を遮り、拓須は起き上がって外に行く。
鹿の処理をしに行ったのだ。
「俺もまだ修行付けてほしいのにな…」
翔隆は呟いてから嵩美を見る。
「明日、丑の刻だぞ嵩美」
「し、しかし翔隆様が…」
「俺は、まあ一人でも修行は出来るし、平気だ」
「は、い…」
戸惑いながら嵩美が答えた。
翔隆が寂しそうなのがとても気になるが、あの導師様からご指南頂けるのだ。
嵩美は嬉しくて顔を綻ばせて外に出て、一礼して言う。
「ありがとうございます!!」
「礼など要らん…遅れたらやらぬ」
「はっ!」
嵩美は頭を深く下げる。
…そういう姿を見ると、胸がムカムカしてくるのは何故だろうか…。
「…良い。もう行け」
「はっ!」
答えて嵩美が小屋の中に入っていくのを見て、拓須は外から翔隆を見る。
ーーー何故か…いつからか、殺意が沸かなくなっている…。
何故だろうか?
睦月が病に侵されたのに。
元凶であるのに…。
一時の気の迷いだ。
懐いてくるその姿は、悪い気がしないなどと…。
拓須は密かに溜め息を漏らして、小屋の中に入った。
外に居ても日陰に居ても熱くて汗が流れ出る。
信長は連日海まで泳ぎに行っている。
深くて波のある海の方が、泳ぎの鍛錬になるから…と、壊れてもいい鎧まで持ち出した。
「それ行け!!」
自らも鎧を着ながら、海に入る。
刀に見立てた木刀も手にしている。
「お屋形さま、お待ちを…ったあ!」
池田勝三郎が跳ねながら浜に帰っていく。
「あー…クラゲだな。ほら、薬を塗るからじっとして!」
翔隆が浜で待機して、こうした事に対応する。
その間に小姓や付いてきた若い衆、まだ若い武将達も海に入って木刀で打ち合いながら泳ぐ。
「く、薬はあるか…?」
塙直政が、這いながら翔隆に聞く。
「どうされました?!」
「足…足がつった…!」
「引き攣り…えぇと…親指をこうして持ってて下さい」
塙直政に足の親指を持たせてふくらはぎをさすっていると、怪我をした若い衆や足がつった者などが続々とやってくる。
翔隆は次々に対処しながら焦る。
〈嵩美はまだか…?!〉
いつも昼過ぎになるが、今日は帰蝶に言って朝から来る事になっているのだが…。
「そこに座って鎧を脱いで」
後ろから声が聞こえて振り向くと、睦月がいた。
「睦月…! 体は…」
「私は平気だから、早くしなさい」
淡々と言い、睦月は怪我の手当てをする。
すると、村の者達は睦月の方に行き始めた。
睦月が昔から村に出入りして、親兄弟の風邪や怪我を治してくれていたからだ。
「え、何でそっちに行くんだ?」
翔隆が服部小平太の腕の怪我に、塗り薬を付けながら言う。
すると、村の者達が苦笑いして言った。
「だって、翔隆さまはお武家さまでにゃあか。睦月さんは昔から俺たちを見てくれてたし…」
「えー…なんだか傷付くな…」
「翔隆さまは童みたいな事を言うんだなも!」
若い衆がケラケラと笑う。
翔隆は少しムッとしながらも、微笑して手当てを続ける。
睦月が慕われているのも嬉しいし、こうして共に薬師としての仕事が出来るのも嬉しいからだ。
それから暫くして嵩美もやってきて、手当てが楽になった。
真昼時は、陽射しがキツイのでさすがに各々帰って良しとする。
すると、信長が翔隆の元にやってくる。
「なんだ薬師も居たか。もう戦わないのか?」
「………翔隆、薬が足りないだろう。採りに行くぞ」
睦月はそれを無視して翔隆に言い、片付ける。
「………ぁ…の?」
翔隆は信長を見上げ、睦月を見て、片付ける。
どうしていいのか分からない。
そんな二人の言動に信長はクックッと喉を鳴らして笑いながら、翔隆の前にしゃがむ。
すると睦月が翔隆の腕を引いて、自分の横に倒しながら引きずって己の横に寄せる。
「うわあっ!?」
「ククク…まだ許さんのか。お前はこ奴の親では無く、師匠なのだよな?」
信長が言いながら翔隆の足を掴んで引っ張ると、睦月は翔隆の脇を抱え込んで信長を睨む。
「兄であり師匠だ! その手を離せ」
「わしは主君だ。お前こそ手を離せ」
ギッと体が軋む程、二人が引っ張るので、横で片付けを済ませた嵩美が言う。
「恐れながら…我が君の体に異常が出ますので、お二人共手をお離し頂ければ幸いなのですが」
「…お前が離すべきだ」
信長が言うと、睦月も言う。
「翔隆は一族であって人間の主従関係には縛られぬ」
「また殺気付くのだな」
信長は楽しげにクッと笑う。
睦月は本気で怒っているが、信長は楽しんでいるようにも見える。
そんな二人を見て溜め息を吐いて、嵩美は翔隆を見る。
「どうされますか?」
「………あの、とりあえず…薬草が大事かと…いたたたた!」
翔隆が痛がった瞬間、睦月は手を離し、代わりに短刀を引き抜いて信長の顎下へと翳す。
「翔隆を離せ、織田三郎」
すると周りの武士達がざわめく。それを信長は手で制する。
「今は、上総介だ」
「どうでもいい…翔隆が居ればこそ許しもするが…お前など…お前など消えてしまえばいい!」
そう言い睦月が短刀を持った手を動かそうとしたので、翔隆がその手を掴む。
「睦月……頼むから」
「……………分かっている。本気では無い。それよりも行くぞ」
そう言われ、翔隆は苦笑して足を掴んでいる信長を見上げる。
「…お屋形様、薬草を集めねば。明日も海に来るのですよね?」
「………ん、共に参ろう」
そう言い手を離して、翔隆の籠を手にする。
「那古野に戻っていろ! 犬千代と五郎左、九郎だけ来い!」
「はっ」
答えて三人が寄る。
「人間が…」
睦月がまた怒り出したので、翔隆が立ち上がって言う。
「睦月、迷惑を掛けてごめん。信長様達は、俺が責任を持つから…共に行こう? 」
そう翔隆が言うので、仕方無く共に山に行く事にする。
一族の自分達は、走っていけば馬より早い。
なので、馬に合わせて走る事になる。
(当時の馬は日本の在来種であり、サラブレットより一回り小さい。ポニーとは違う。人を乗せた速さは自転車くらい。30Km程)
翔隆が信長の馬の轡を手に走る間に、睦月は嵩美と話す。
「一門であろう? 父親は?」
「…その…霏烏羅、です」
「では従兄弟…かな? ん? 帰ったら拓須に聞こう。それで、よく抜けて来られたな」
「…騙してきました。一族達十名程借りて、こちらに来たら全員殺されていて驚きました。…でも、お陰でこうして居られます」
「…連れ戻しに来ないのか?」
「どうでしょうか…己にしか興味の無い父ですし…出世なども特には…」
「…そうか。得意な物は?」
「術…とはいえ、翔隆様程ではありません」
「そりゃあ無理だ、翔隆は拓須が文句を言いながらも修行をさせていたのだから。手を抜かないか見ていたし」
睦月が笑いながら言うと、嵩美がポソリと呟く。
「なんと羨ましい事か…」
「羨ましい? …あぁ」
聞き返して、睦月は拓須が〝導師〟と崇められる程の存在なのだと思い出す。
ここでは誰も崇め敬ったりしないので、すっかり忘れていた。
睦月はくすっと笑って歩いて言う。
「拓須に、頼んでみようか?」
「えっ?!」
嵩美は驚いて立ち止まる。
ちょうど薬草を採る場所に着いたので、翔隆達も薬草を採っていた。
「頼んではみるが、引き受けるかは分からないぞ」
「あ、ありがとうございます!!」
嵩美は跪いて叫ぶように礼を言う。
それを遠くから見て、翔隆も寄ってくる。
「睦月、その時は俺も共に行くよ」
「聞こえてたか。…今日でもいいぞ。飯はろくに無いが…そこの織田の者が居なければ、鹿でも取れたものをな」
睦月がわざと聞こえるように言う。
睦月は、昔から織田に厳しい…。
「何ぃ?! 鹿くらい取れるわあ!」
前田犬千代が叫ぶ。それを翔隆がなだめた。
「犬千代、頼むからやめてくれ。暑いし、これ以上動いては倒れる」
そう言って、水の入った瓢箪を渡す。
「水なんて…」
言い掛けて、目眩を起こしてふらついたのを、翔隆が支える。
「ほら、長秀と塙様も。昨日も〝ぎっちょう〟なんてやってたら具合が悪くなっただろう?」
三人にそう言う。信長は言わずとも飲んでいるからだ。
「ぶりぶりぎっちょうか? わしに黙って遊ぶからだ」
はは、と信長が笑う。
毬杖は、木製の槌をつけた木製の杖を振るい、木製の毬を相手陣に打ち込む遊び、またはその杖。振々毬杖、玉ぶりぶりとも言う。杖には色糸をまとう。(ウィキペディアより)
翔隆は自分も水を飲んで、信長の側に行く。
「あの」
「分かっておる。明日も頼むぞ。…そっちの兄で師匠の薬師どのも、良ければ、な」
そう言い、信長は前田犬千代、丹羽長秀、塙直政を連れて那古野城に戻っていく。
「やっと消えたか」
溜め息を吐いて睦月が言い、立ち上がる。
「この暑さなら、鹿も川に寄るだろう。狩るか?」
「俺がやるから、睦月は嵩美と共に薬草を頼むよ」
「どうせ川に行くから共に行くぞ」
睦月が言い、歩いていく。
翔隆はなるべく睦月を動かせないようにしようとしている。
対して睦月は普通に動きたがる。
その二人を見て、嵩美が聞く。
「睦月様、お体は?」
「…拓須が病を抑えているから平気だ。なのに、翔隆は老人のように扱うのだ」
「老人だなんて! 睦月…」
「ふふ、分かっている。…ほら、獲物だ」
睦月が川の方を見て言うと、翔隆が風の如く駆けていき一撃で鹿を仕留める。
血抜きも兼ねて首を切ったので、そのまま川に晒した。
その間にウツボグサや朝顔、ヘクソカズラなどを集めた。
鹿を土産に睦月と拓須の小屋に行くと、翔隆だけが蹴飛ばされて外に出される。
「いった!」
ザッと足で踏ん張って振り返ると戸が閉められている。
「ちょ…拓須!」
「喋るな煩わしい! 息も止めておけ!」
中からそう聞こえる。
翔隆は仕方無く、鹿を木に吊るして捌き出した。
「拓須ー、肉を入れる器がないと捌けないよ」
「そこに樽があるだろう」
「樽って…拓須も鹿肉好きじゃなかったっけ?」
「黙って捌け!」
中から怒鳴り声がした。
中にいる睦月は薬草を選り分け、嵩美は夕餉の支度で双方共に手が離せない。
嵩美が何か言いたくても、拓須が戸を足で押さえているので口が出せない。
その内に、睦月が喋る。
「拓須、霏烏羅って拓須の従兄弟?」
「ん?」
「嵩美の父親が霏烏羅なんだって。…再従兄弟になるのかな?」
「…まあ、そうだな」
「それでね、嵩美に修行を付けてやらないか?」
「何故?」
「嵩美は術が得意らしいんだが…まだ、幼いだろう? 狭霧であれば、誰かが指南出来るけど、翔隆も師事は出来ないし…」
そう睦月が言うと、拓須はじっと嵩美を見る。
素質、力量、是非を見ているのだが、その鋭い視線に耐えられず、嵩美は壁際まで下がってしまう。
「ふん…」
拓須は見飽きた、怯えた者の姿に溜め息を吐く。
その時、また戸が開いたので即座に拓須が蹴りを入れる。
すると翔隆はその足を抱え込んだ。
「足なんか出して、血が付いたって知らないぞ」
「その手を離せ汚らわしい」
「いや、もう食べる分は捌いたし、半分は貰っても」
「そこに吊るしておけ」
翔隆の言葉を遮って言う。
鹿肉は拓須の好物でもある。
「…じゃあさ、嵩美の修行付けてやってくれよ」
「何故」
「鹿を仕留めて持ってきて捌いたのは俺だし…褒美をくれてもいいんじゃないか?」
そう翔隆がにっこり笑って言うと、拓須は楽しげに笑う。
「くっ、くくく…変わらぬ。お前はいつまで経っても変わらぬな」
「そうでもないよ、寝小便はしなくなったし、虫やカエルも育てなくなったよ」
「くは!」
珍しく吹き出して、拓須は腹を抱えて板間に倒れ笑う。
「ふっふふ…」
肩を揺らす程に笑いのツボにハマったらしい。
翔隆はそのまま捌いた鹿肉を入れた樽を持って中に入る。
「このまま鍋に入れる?」
「ふふふ、く…っ」
拓須は返事が出来ないらしい。
代わりに睦月が答える。
「ふふ…いつものように一口に切ったのだろう? ならばシソと入れるといい」
「今日はシソか…」
言いながら鍋に入れてかき混ぜる。
睦月はもらい笑いをしながら拓須に言う。
「拓須、翔隆をからかったって仕方が無いだろう」
「から…かっっ……」
ここまで笑うのは、年に一~二度あるかないか。
いつも拓須が翔隆をからかって一人で笑うのだ。
狭霧では見た事の無い姿だが、翔隆といると拓須はとても良く笑う。
「拓須…それで修行だが…」
「だま…くっ、ふ………」
拓須は肩で息をして仰向けになり、嵩美を見る。
嵩美は雪乃宮の世話をしていた。
「ーーー」
力や質は問題無い。
ただ…霊術だけで戦えるかどうかと問われたら、〝否〟と言えるだろう。
「…刀は、お前が教えろ」
「え、じゃあ…」
「丑の刻に来るがいい」
やっと修行を付けてくれるらしい。
「じゃあ、ついでに俺…」
「独りでやれ!」
言葉を遮り、拓須は起き上がって外に行く。
鹿の処理をしに行ったのだ。
「俺もまだ修行付けてほしいのにな…」
翔隆は呟いてから嵩美を見る。
「明日、丑の刻だぞ嵩美」
「し、しかし翔隆様が…」
「俺は、まあ一人でも修行は出来るし、平気だ」
「は、い…」
戸惑いながら嵩美が答えた。
翔隆が寂しそうなのがとても気になるが、あの導師様からご指南頂けるのだ。
嵩美は嬉しくて顔を綻ばせて外に出て、一礼して言う。
「ありがとうございます!!」
「礼など要らん…遅れたらやらぬ」
「はっ!」
嵩美は頭を深く下げる。
…そういう姿を見ると、胸がムカムカしてくるのは何故だろうか…。
「…良い。もう行け」
「はっ!」
答えて嵩美が小屋の中に入っていくのを見て、拓須は外から翔隆を見る。
ーーー何故か…いつからか、殺意が沸かなくなっている…。
何故だろうか?
睦月が病に侵されたのに。
元凶であるのに…。
一時の気の迷いだ。
懐いてくるその姿は、悪い気がしないなどと…。
拓須は密かに溜め息を漏らして、小屋の中に入った。
10
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる