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三章 廻転
二十.清洲
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春の陽気に包まれた四月。
木や若葉の匂い、桜や牡丹といった花の馨しい香りが心地良い。
織田信光は守護代の仕事をする為に清洲城に入った。
その夜。
林佐渡守が末森城の林美作守の元を訪れる。
「これで信長はおしまいよ」
「豊前守が信長めをおびき出すそうで…クックックッ」
とても楽しそうに兄弟で話しているその座敷は、城主の織田勘十郎達成のくつろぐ部屋の隣りだ。
側にいる小姓がちらちらと隣りの座敷を気にしている中で、達成は強笑しながら、今頃は己が策が動き出して笑っているであろう兄・信長を想っていた。
〈兄上…貴方のお考え、今なればこの達成にも分かりまするぞ。叔父上と計らい、清洲を取る…その為の芝居だ、と…。フ…フフ〉
名を改め、心を入れ替えてから、達成は物事がやっと理解出来るようになっていた。
そしてこの謀略に身を漂わせながら、信長の強さと優しさを感じ取り、第三者として見れるようになっていたのだ。
ふと達成は思う。
〈この兄弟は謀略でしか気が合わぬのか…?〉
もはや忠誠など無いだろう。
〈私も…〉
達成は苦笑して外を見つめた。
「只今戻りました」
清洲城に視察に行っていた翔隆が、那古野の本丸に戻って来た。
「ん。して?」
「守護代の彦五郎信友が、信光様に落ち着いた頃に共に信長を討とう、と持ち掛けておりました。信光様は頷かれて聞いておられました。こちらの事は何一つ疑っておりませぬ」
「ふ…やはり知恵が足らぬ、か」
「いよいよでござりまするな!」
前田犬千代が目を輝かせて言うと、信長は笑って頷く。
「ん。……良いか、翔隆。その前日には叔父御の下へ行き、戦の手順を教えてこい! 出来るな?!」
「はっ!」
翔隆はニッと微笑して答えた。
「良し、下がっていいぞ。犬めは酌をせい!」
その言葉の意味を解して、翔隆は一礼して下がった。
いよいよ、清洲城を取る為に信長の考えたように物事が動き出した。
後はしくじらない様にするだけだ。
四月二十日。
信長の元に使者が来た。
使者の持ってきた文には、
〝和睦の話し合いをしたい〟とあった。
信長は堂々と清洲に入って、信光、信友と面会した。
信長は丸腰…。
他愛もない歓談を進める中で、信友は信光に〝討つのは今〟と、合図を送る。
だが、信光は全く以て動こうとしない。
その〝合図〟を見逃したのかと思い、何度も合図を送るがやはり見て見ぬ振りをして信長と話している。
〈どういうつもりだ…? まさか…っ!〉
まさか寝返ったか!?
と気付いた時には、信長の精鋭部隊が押し寄せてきており、周りを完全に囲まれていた。
信長は、クッと笑って立ち上がる。
「気付くのが、遅すぎたな…」
「おのれ信光! 計ったな!」
信友がそう言うと、信長が信光から太刀を受け取る。
「先に計ったはうぬだ。わざわざ敵を招き入れた己が愚策を呪うのだな」
その言葉、そして四方を囲む精鋭達を見ると、信友は無念そうにしながらも刀を抜く。
「うつけに逆に計られるとは…うかつであったわ。これだけは覚えておくがいい! お前は生涯、呪わしき道を辿るのだと!!」
そう吐き捨てるように叫ぶと、信友は自害した。
…そんな事は、当の昔に覚悟した事だ…言われるまでもない。
身内を敵にして恨まれようとも、この決意は断じて変わる事はない。
その信友の首を、森可成が斬った。
こうしてあっさりと邪魔者を排除した信長は、清洲を完全に手に入れるまでは一時古渡城に移り、約束通り信光には那古野を与えた。
「修復に掛かれ」
「はっ」
答えて佐久間信盛(二十五歳)、滝川一益(三十一歳)、金森長近(三十二歳)ら重臣が、一礼して清洲に向かう。
「礎が、出来ましたね」
翔隆が言うと、信長は静かに頷いて外に出る。そして、遠乗りに出掛けた。
付き従うのは、轡を持つ翔隆と池田勝三郎、前田犬千代…。
礎は出来た。
後は平定して、天下への足掛かりとするだけだ。
しかし、相手は実弟…。そう易々とは倒せない相手だ。
信長は、愛馬を全力疾走させながら言う。
「…翔隆」
「はい」
「達成は…弓引くか」
謀叛を起こすか、と聞いているのだ。
「…恐らく…」
本当ならば、いいえと答えたかった。しかし、それが現実なのだ…。
信長を見ると、険しい表情で前を見つめている。
〈……やはり達成様を殺したくはないのだな…。何とか説得して…〉
考えていると、信長はよく来る小高い丘で馬を止めた。
「余計な事は、考えるなよ」
急に言われて、翔隆はドキッとする。
見上げると、信長の真剣な眼があった。
何を考えていたかは、お見通しのようだ。
「信長様…」
「…何も言うな」
一言。信長はただ一点…末森城の方を見つめた。
木や若葉の匂い、桜や牡丹といった花の馨しい香りが心地良い。
織田信光は守護代の仕事をする為に清洲城に入った。
その夜。
林佐渡守が末森城の林美作守の元を訪れる。
「これで信長はおしまいよ」
「豊前守が信長めをおびき出すそうで…クックックッ」
とても楽しそうに兄弟で話しているその座敷は、城主の織田勘十郎達成のくつろぐ部屋の隣りだ。
側にいる小姓がちらちらと隣りの座敷を気にしている中で、達成は強笑しながら、今頃は己が策が動き出して笑っているであろう兄・信長を想っていた。
〈兄上…貴方のお考え、今なればこの達成にも分かりまするぞ。叔父上と計らい、清洲を取る…その為の芝居だ、と…。フ…フフ〉
名を改め、心を入れ替えてから、達成は物事がやっと理解出来るようになっていた。
そしてこの謀略に身を漂わせながら、信長の強さと優しさを感じ取り、第三者として見れるようになっていたのだ。
ふと達成は思う。
〈この兄弟は謀略でしか気が合わぬのか…?〉
もはや忠誠など無いだろう。
〈私も…〉
達成は苦笑して外を見つめた。
「只今戻りました」
清洲城に視察に行っていた翔隆が、那古野の本丸に戻って来た。
「ん。して?」
「守護代の彦五郎信友が、信光様に落ち着いた頃に共に信長を討とう、と持ち掛けておりました。信光様は頷かれて聞いておられました。こちらの事は何一つ疑っておりませぬ」
「ふ…やはり知恵が足らぬ、か」
「いよいよでござりまするな!」
前田犬千代が目を輝かせて言うと、信長は笑って頷く。
「ん。……良いか、翔隆。その前日には叔父御の下へ行き、戦の手順を教えてこい! 出来るな?!」
「はっ!」
翔隆はニッと微笑して答えた。
「良し、下がっていいぞ。犬めは酌をせい!」
その言葉の意味を解して、翔隆は一礼して下がった。
いよいよ、清洲城を取る為に信長の考えたように物事が動き出した。
後はしくじらない様にするだけだ。
四月二十日。
信長の元に使者が来た。
使者の持ってきた文には、
〝和睦の話し合いをしたい〟とあった。
信長は堂々と清洲に入って、信光、信友と面会した。
信長は丸腰…。
他愛もない歓談を進める中で、信友は信光に〝討つのは今〟と、合図を送る。
だが、信光は全く以て動こうとしない。
その〝合図〟を見逃したのかと思い、何度も合図を送るがやはり見て見ぬ振りをして信長と話している。
〈どういうつもりだ…? まさか…っ!〉
まさか寝返ったか!?
と気付いた時には、信長の精鋭部隊が押し寄せてきており、周りを完全に囲まれていた。
信長は、クッと笑って立ち上がる。
「気付くのが、遅すぎたな…」
「おのれ信光! 計ったな!」
信友がそう言うと、信長が信光から太刀を受け取る。
「先に計ったはうぬだ。わざわざ敵を招き入れた己が愚策を呪うのだな」
その言葉、そして四方を囲む精鋭達を見ると、信友は無念そうにしながらも刀を抜く。
「うつけに逆に計られるとは…うかつであったわ。これだけは覚えておくがいい! お前は生涯、呪わしき道を辿るのだと!!」
そう吐き捨てるように叫ぶと、信友は自害した。
…そんな事は、当の昔に覚悟した事だ…言われるまでもない。
身内を敵にして恨まれようとも、この決意は断じて変わる事はない。
その信友の首を、森可成が斬った。
こうしてあっさりと邪魔者を排除した信長は、清洲を完全に手に入れるまでは一時古渡城に移り、約束通り信光には那古野を与えた。
「修復に掛かれ」
「はっ」
答えて佐久間信盛(二十五歳)、滝川一益(三十一歳)、金森長近(三十二歳)ら重臣が、一礼して清洲に向かう。
「礎が、出来ましたね」
翔隆が言うと、信長は静かに頷いて外に出る。そして、遠乗りに出掛けた。
付き従うのは、轡を持つ翔隆と池田勝三郎、前田犬千代…。
礎は出来た。
後は平定して、天下への足掛かりとするだけだ。
しかし、相手は実弟…。そう易々とは倒せない相手だ。
信長は、愛馬を全力疾走させながら言う。
「…翔隆」
「はい」
「達成は…弓引くか」
謀叛を起こすか、と聞いているのだ。
「…恐らく…」
本当ならば、いいえと答えたかった。しかし、それが現実なのだ…。
信長を見ると、険しい表情で前を見つめている。
〈……やはり達成様を殺したくはないのだな…。何とか説得して…〉
考えていると、信長はよく来る小高い丘で馬を止めた。
「余計な事は、考えるなよ」
急に言われて、翔隆はドキッとする。
見上げると、信長の真剣な眼があった。
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