鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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三章 廻転

三十一.斎藤道三の死

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 とても気持ちの良い天候が続く四月。
天気とは裏腹に、良くない風評が尾張に流れていた。
〝信長は達成みちなりと仲が悪い〟
達成みちなりは弓引くつもりだ〟
とーーー。

元からそんな風評があったので、信長は気にもしていなかった。

それともう一つ。
斎藤道三が軍を動かしたという報告が入ってきた。
敵だらけのこんな中で、援軍に行けるのかーーー?
 皆はそれぞれに心配をする。



当の本人はというと翔隆を側に置いて寝そべり、悠長に鼻毛を抜いている。
⦅信長様⦆
「ん?」
翔隆はこの頃から、大事な事を《思考派》で話し掛けるようになっていた。
⦅美濃にはいつでも行けるように呼び掛けてあります⦆
「ん……」
⦅…道三様はきっと、己の不始末を己の手で付けようとなさっておられましょう⦆
「分かっておる。木曽川を渡る」
そう呟くように言ってから信長は立ち上がりズカズカと歩いていき、ついて来ようとする利家らを制し、
十阿弥じゅうあみ、 ついて来い!」
と、叫んで行ってしまう。
その後に、この頃お気に入りの同朋(城内の給仕役)である愛智あいち十阿弥じゅうあみがついていく。
「…くそっ!」
利家が舌打ちする。
それもその筈、十阿弥はその美貌もさる事ながら、十二歳という若さにして毒舌で、知謀に長けている。
そんな十阿弥と利家は、性格が正反対な為にしょっちゅう喧嘩ばかり。
それも信長の寵愛を競っているのだから、無理もないのだが…。
「まあ落ち着け」
長秀が宥める。そこに、翔隆がやってきた。
「利家、長秀…」
「何だ! この所殿と内緒話ばかりしおって!」
利家はすこぶる機嫌が悪いようだ。
それに苦笑すると、二人の側に寄り小声で言う。
(今宵、発つぞ)
「えっ?!」
さすがに利家も冷静になる。
(恐らく今夜にでも、援軍に行くおつもりだ。川を渡っていくので、小姓達にも内密に知らせておいてくれ)
「分かった!」
と、利家は上機嫌で駆けていく。それを見送ると、長秀は微笑んで
「では近習らにも知らせよう」
と言って歩いていく。
 

 その夜。
「蝮を殺しに行く!」
信長が突然叫ぶ。
すると途端に具足、刀、湯漬けが運ばれてくる。
そして十七日の丑の二刻(午前二時頃)には、もう軍勢が集まっていた。
 利家達が側に来た時、翔隆がやってきて跪いた。
「首尾、整いました!」
「ん、して!」
「鉄砲八百、槍と弓を二千持たせてあります。美濃の動向は探らせております」
「うむ!」
答えて信長は十阿弥の差し出す湯漬けを、何杯も食らっていく。
 その会話を聞いて、利家達はやっと翔隆が今まで何をしていたのかが、分かった。
〈さすがは殿が軍師にしただけはある…〉
感心している間に、信長が動き出した。
「出陣!」
すぐに利家が走り出し、出陣を告げると法螺貝が鳴り響き大太鼓が叩かれる。
 美濃への出陣…それは、今の信長にとって何より危険であり、最も大切な信義を貫くものでもある。
 

 その日の夕刻に援軍が来たと知った道三は、翌日に長良川へ出陣した。
それを待っていた義龍もすぐ様出陣。
 その日の夜には、長良川を挟んで布陣した。
その頃になると、信長軍も大良の戸島・東蔵坊で陣所を構えた。
 そして、夜明けを待って待機する。
〈そうだ…〉
翔隆は、気が付いた事を話そうとして信長に歩み寄る。
「信長様、一つお願いが――――」
言い掛けた時、翔隆の後ろに人が現れる。
「!」
皆がハッとして見据える中、翔隆は振り向きもせずに言う。
「…矢佐介やさのすけ、どうした」
見知った者、と確認すると小姓達は刀の柄から手を離す。
「はっ。…半兵衛様に口止めされ、黙っておりましたが申し上げます。…先月、明智城が義龍勢に攻め入られ、落城至しました」
「なっ……?!」
翔隆は振り返って愕然とする。
「光安様、光久様討死。光秀様はお二方の子と共に城を―――落ちました」
「何故黙っていた?! 何故すぐに言わなかった!!」
翔隆は、矢佐介やさのすけの胸ぐらを思い切り掴み上げる。
「…それが…長の為と…!!」
「あの人は俺の恩人でもあり、友でもあるのだ!! その友の窮地に駆け付けずして、何とする!!」
「申し…訳…ゲハッ!!」
「申し訳ないと思うなら、何故っ!?」
矢佐介やさのすけは首が絞まり、息が出来なくなってきている。
「よさぬか!」
利家が翔隆を押さえ込むと、矢佐介はドサリと地面に倒れ込んだ。
「翔隆、落ち着け! ここは戦場だぞ!」
という利家の言葉に、翔隆は幾分か冷静になる。利家としては、嫉妬心もあるのだが…。
「…話は後で聞く。そのまま狭霧と対峙し、半数は斎藤勢を。…何かあったらすぐ知らせろ」
「はっ…」
答えて、矢佐介は立ち去った。
ついさっき聞こうとしていた明智家が、そんな事になっていたと知り、翔隆はかなり動揺していた。
 だが今は―――いつまでも呆けていられない。
ここは、生と死の狭間の場所なのだから…。




大良の河原まで進んだ所で、霧が立ち込めてきた。
「翔隆、敵は」
「…こちらに騎馬が向かってきております」
「では五間程前まで案内せい」
頷いて、翔隆は歩き出す。
辺りは霧で何も見えない。
だが小姓や近習、そして足軽達は翔隆を信じて進んでいった。
ふと、翔隆はピタリと足を止めて頷く。
「…もう直参ります」
「ん。鉄砲隊に火を付けさせ、列を作らせよ」
「はっ!!」
こんな時、《思考派》が役に立つ。
翔隆は少年達と足軽を並べさせて、弾込めの終えた火縄に火を付けていく。
⦅いいか、霧が晴れた時が勝負だ。何も案ずるな…じっくり待てばいい⦆
普段からこれで語り掛けて慣れさせていたので、誰一人驚かない。
翔隆は信長の下に行くと、鉄砲を持つ。
⦅あと一刻で、霧が晴れます⦆
 
そう言った一刻後、本当に霧が晴れてきた。
そして今、正に奇襲を掛ける為に槍を手に構えていた義龍勢が見えたのだ。
「撃て!!」
  ドーン ドゥーン …と鉄砲の音が鳴り響く。
「良いかッ! よーく狙って撃て!! 撃ち損ずるでないぞッ!」
信長の号令の下、足軽達はよく敵を撃った。
 その頃になって翔隆の側に、竹中半兵衛重虎(十三歳)がやってきた。
「翔隆様! 道三公が自ら、敵陣に突撃して行きました!」
「何…?! して…」
信長が言うが、竹中半兵衛は振り向きもせずに翔隆だけを見ている。翔隆は静かに問う。
「間違いないか?」
「はっ! 自ら槍を取られ、奮戦なさっておられまする!」
「………!」
その言葉に、翔隆はじっと信長を見た。
 ドーン …火縄銃の音が響く。
信長は悔しげな、それでいて悲しそうな表情で、前を見据えている。
「良いか、深追いはするな! 来たら撃て! 撃ち損じたら首を刎ねよ!」
信長はそう言っただけだ。
翔隆は溜め息を吐いて、半兵衛を見る。
「狭霧は?」
「配下の者が全員、稲葉山に釘付けにしておりまする」
「そうか…続けてくれ」
「はっ」
瞬時にして、竹中半兵衛は消える。
 
信長の戦術は、実に見事なものだった。鉄砲と槍を、無駄なく最大限に使わせている。
 そんな中に、一人の騎馬武者がやってきた。
「上総介さまに、お目通り願いたい!」
「何者!」
と槍で行く手を阻まれると、その武者は馬を降りて走ってきた。
「我が君、斎藤道三は討死至した! もはや援軍は不要なれば、兵を退いて下され! では御免!」
それだけ告げて、武者は引き返して行った。
「…ついに死んだか…」
信長は、暫く虚空を睨み付ける。
「全軍、引っ返せ! もはや合戦の意味はなくなった! 引けぇい!!」
叫んで信長は翔隆を見る。
翔隆は頷いて先に雑人や牛馬を下がらせて逃がした。
「早う行け! 馬や牛は多少逃がしても尾張に着いたらまた捕まえればいい!」
そう指示を出して、押すように次々と逃がす。
途中、森可成が膝を負傷していたので急いで治癒を施してから、時間が無いので塞ぎ切れない傷に布を巻いておく。
「早く尾張へ!」
「お主は!」
森可成が聞くと、翔隆はニッと笑う。
「お屋形様と共に殿しんがりです!」
答えて舟を取りに行く。
小姓達も逃がしてから、翔隆は信長と二人で舟に待機する。
漕ぎ手に、一族の者を一人乗せておいた。
翔隆は鉄砲を何丁か並べて火縄を手にしていた。
信長はその前に立って、鉄砲を構えている。
川端まで騎馬が来たので、まずは一人に向けて撃つ。
すると、その騎馬武者が倒れて他の者達がたじろいで渡れなくなった。
「信長様、そろそろ」
「皆退いたか」
「はい、もう十分です。後は信長様が舟で姿を見せれば、全軍尾張に行きましょう」
「よし、出せ」
その言葉に頷いて、翔隆は舟を出させた。


 途中で、翔隆は舟から降りて美濃に残った。
側に控えるのは、不知火十名…矢佐介やさのすけが先頭だ。
「来る気配はないな」
「はっ」
「…それで―――光秀はどこへ行った?」
「…何処ともなく…近江か、越前か…」
「そう、か……。いつか会ったら、謝らねばならんなぁ…」
「案ずるに及びませんよ」
そう言って、目の前に竹中半兵衛が現れる。そして、ニヤリと笑って言う。
「一番の心残りは、あの狭霧の子供でしょう?」
「ん……そうだ、な」
ズバリと言い当てられて、翔隆は苦い顔をする。
「あの子供なれば、我らの集落で預かっておりまするぞ」
「ほ…本当か?!」
翔隆は、目を見開いて驚悸する。
「誠ですとも。明智城落城の際、我らが手助けをして差し上げたのです。その時に、貴方に託すと…」
「そうか…」
そこに、不知火の者がやってきて跪いた。
「申し上げます。義龍らはそのまま稲葉山へ入城! 狭霧も中に入り追ってくる気配はありませぬ」
「ん、ごくろう」
「では!」
そう言い去っていくのを見送ると、翔隆は悲しげに遠い稲葉山を見つめた。
「…道三様や光秀と茶を飲んだのが…つい昨日のように思えるのにな……」
「戦乱とは、下に惨たらしいものです。…童は後でお送り至しましょう」
「うむ。…首尾の方はどうだ?」
翔隆は城を見つめたまま言う。
「はっ。…弓と槍を百ずつ。剣を百三十、術者を五十一、くすねた鉄砲を二十と一族を分けて、只今訓練中にござりまする」
「そうか…では、美濃を頼んだぞ」
「お任せあれ!」
力強い返事に頷くと、翔隆は帰っていった。
一族も、大名達のように兵として訓練する…というのは、半兵衛の案だ。
 それは、いざという時に戦えるようにした方が翔隆の為になる、と思っての事だが…。
本人は知らずにいた……。
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