鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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三章 廻転

三十三.那古野にて

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じめっとした空気が漂う五月。
 信長は、弟の織田信時を連れて遠駆けに出た。
十名程居た小姓達が、途中から付いて来れなくなっていた。
その日は城に残っていた翔隆の元に、信長を見失ってしまった池田恒興が走ってくる。
「翔隆! 今すぐお屋形さまを探してくれ!供の者達が全員置いて行かれた!」
「ええ?! また?」
翔隆はすぐに外に出て、走りながら〝気〟を探った。

所々に、小姓達が数名で主を探している。
〈…供も付けないのは正気の沙汰ではないとか言ってた人が、これだからな…〉
自分は暗殺などされないという自信は、どこから来るのだろうか?
尾張半国の主なのだから、もっと自覚を持って欲しいものだが…。
しかし、その気持ちも理解は出来る。
一人の方が早く立ち回れる時もあるからだ。
〈…それは分かるがーーー…〉
考えながら走り、急に止まる。
「…那古野城…?」
そちらに居る気配がする。
〈え? 城には林佐渡守…〉
とすると、勿論その弟の美作守通具みちともも居るだろう。
斬られるような人ではないが、弟はそうと限らない。
それに毒殺もあり得る。
〈…何を考えて…!〉
翔隆は蒼白して全速力で走った。



「どうぞ」
小姓が茶を二人に出す。
「ん、下がっていて良いぞ」
信長がそう小姓に言い、板間に信時と二人きりで座っている。
裏で、林美作守が兄の林佐渡守と話し合う。
「千載一遇ですぞ! ここであの二人に詰め腹を切らせてしまいましょう!」
美作守が喜々として兄に言う。
「…落ち着け」
林佐渡守は渋い顔をする。
〈喜蔵信時ならば、それで行けるだろう〉
そう思う。
しかし、信長に詰め腹など切らせられるか?
それよりも取り囲んで切ってしまった方が早いし確実だ。
「兄上! 迷う間にやってしまいましょう!」
「…いや、ならん」
何故なにゆえ…さては、ここの留守居に任命されたから…」
「そうではない」
そう言ってから、心中では〝それもあるが〟と付け加えてから喋る。
「三代で仕える主君を、そう殺しては何の天罰が下るか分からん。我々で手を下すより、他の者達にやらせれば良いのだ…どうせ色々と仕出かすだろうからな。自ら〝主君殺し〟の汚名を着なくとも良かろう」
「それは………」
確かに一理あるが、林美作守から見れば不満が残る。
兄は信長の筆頭家老で、介添え役でもある。
その地位は揺るがないだろう。
〈自分の地位が惜しくなったか…〉
美作守が兄を睨んでいると、佐渡守は苦笑して弟の肩を叩く。
「信長のみならず、信時もいるのだ。…達成みちなりさまの怒りを買ったら、ただでは済まぬぞ」
そうなだめる。
確かにそれは言えている。
喜平次秀孝が殺された時は誰よりも早く攻め込みに行ったのだから。
そうなっては恐ろしい。
納得したようなので、佐渡守は二人の様子を見に行く。
すると信長と信時は、何かの冊子を見て話し合っていた。
〈呑気なものよ〉
そう思いながらも、林兄弟は様子を窺っていた。

信長はその二人をちらりと見てから微苦笑を浮かべる。
〈斬らぬ事にしたか〉
こんな好機に何もしてこないなどと、意気地のない事だ。
そう思ってから、ふと庭を見る。
 木の後ろに翔隆の姿が見えた。
翔隆はコクリと頷いて《心通》を使う。
⦅何もしてきませぬが…そろそろ、出た方が宜しいかと。皆が泣きそうになりながら探しております⦆
それに対して微笑し、信長は立ち上がる。
「喜蔵、そろそろ小姓達も集まっただろう。参るぞ」
「はい」
答えて兄と共に城を出た。
それを林兄弟が見送り、中に入っていった。
 何もしないのを見届けた翔隆が、城を出て二人の邪魔をしないように後方を歩いた。
〈もしも林兄弟が何かしてきていたら、返り討ちにする好機でもあったのだろうな〉
首謀者二人を一気に片付けようーーーそう思って那古野城に来たのだろう。
それならそれで、やはり供を付けるべきだろうに…。
翔隆は溜め息を吐きながら歩いていった。
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