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四章 礎
一.婚姻
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一五五七年(弘治三年)一月。
信長の正室となった吉乃が、めでたく嫡男の奇妙丸を産んだ。
そして翔隆は今までの情報の確実さから、奉行に昇進した。
表向きは能楽奉行…舞や能の行事を仕切る役だが、本来の役目は〝忍〟である。
月二十五貫の知行……俸禄の多さは、養う者の多さを配慮してのものだろう。
そして、邸まで戴いた。
何故か、などとは言えない。
信長と濃姫が隠し育ててきた娘、篠姫が嫁いでくるからである…。
六つも座敷があり、庭に桜の木と井戸、厠と湯殿まである豪邸だ。
翔隆は役立てられるように、薬草畑や野菜畑も作っていた。
そしてやっと翔隆はここに義成達と、美濃に預けていた十二歳の明智桜弥を迎える。
桜弥は、待ち焦がれていた主君の翔隆を見て涙ぐむ。
「翔隆様……!」
堪え切れずに、桜弥は泣きながら翔隆に抱き着いてしまう。
「桜弥………。すまなかったな…」
心から謝り、翔隆は泣き止むまで優しく桜弥の頭を撫でてやった。
そして落ち着いた頃に、皆の所に行く。
「紹介しよう。家臣として迎えた明智光秀殿の子息の桜弥だ。桜弥…右から同じ家臣の嵩美と禾巳、そして師匠の拓須、睦月、義成だ」
出会うなり、禾巳が鋭い目を吊り上げて言う。
「またかっ!」
「そう言わずに仲良くしろ?」
翔隆が言うと、禾巳(九歳)はムッとしたまま桜弥を睨み付けた。
「よろしくな」
桜弥が笑って言う。だが、禾巳はそっぽを向いて行ってしまった。
代わりに、嵩美が手を差し伸べる。
「よろしゅう、桜弥殿。わたくしは嵩美と申します。年は十六……同じ〝狭霧〟ですよ」
「よ、よろしく…」
桜弥は戸惑いがちに、握手をした。そこに、翔隆が声を掛ける。
「桜弥、嵩美はその姿が普通なのだ。直に慣れるだろう。荷を運んでくれるか?」
「はい」
準備を進める中、禾巳は桜弥を意識して競うように片付けをした。
それに気付き、桜弥も無意識に対抗する。
「その荷は重いから、私が持とう」
桜弥が言うと、禾巳がむきになって踏ん張りながらも運んでいく。
「いや! 俺が持つ!」
それを横目に、嵩美が溜め息を吐いた。
「どちらでもいいから、早くしなされ」
その光景を、翔隆は微笑ましく見つめていた。
篠姫が嫁いで来たのは、それから二ヶ月後の三月。
侍女は三人。――――…皮肉にも、一人は似推里であった。
そして篠姫が生まれてからの侍女である、十六歳の鹿奈と十二歳の葵。
「よろしゅう、殿…」
「よ、よろしく…」
初対面の妻を前に、翔隆は戸惑いながらも中に案内する。
その間に、信長からの数々の祝いの品を、前田利家と丹羽長秀が運んでくれている。
義成、睦月、禾巳、桜弥、侍女達がそれを手伝う。
着物や米、書物、朱槍、刀に薙刀等必要不可欠な物が山程積まれていく。
そんな中を翔隆はぎこちなく篠姫の手を取って、歩いていった。
「まあ、アレは?」
篠姫が畑を見付けて聞くと、翔隆は笑って言う。
「ああ、薬草と野菜を植えてあるのだ」
「薬草?」
幼い姫が首を傾げて言うと、翔隆は土間から様々な草を持ってきて見せた。
「この葉は血を止める時などに使うオトギリソウで、これはアオキといって火傷などに使う。こちらは風邪などの時に他の草と混ぜて使ったり………こうした役に立つ物や、自分で作れる野菜は作っておこうと思ってな」
微笑みながら言う翔隆を見て、篠姫はクスリと笑う。
「薬師のような方、と評判であったのは本当なのですね。殿は、下々の者の世話も喜んでしている、と聞きました」
「あ…いや…それは……」
「ホホホ…素晴らしい事だと、わらわは誇りに思いまする」
篠姫がニコリとして言うと、翔隆は照れくさそうに頭を掻いた。
それから部屋の案内、庭に植えてある木などの説明をした。
それを篠姫は微笑んで聞いていた…。
宴の準備と、荷物の片付けを同時に行い、落ち着いたのは戌の四刻(午後九時半頃)となっていた。
「はあ……」
翔隆はぐったりして、玄関に寝そべる。
そこに、長秀がやってきた。
「翔隆、何をしているんだ? 婿がいなけりゃ始まらんだろうが」
「う…む……」
長秀に引き摺られるように歩いていくと、広間には皆が揃っていた。
その真正面には、八歳の小さな妻がこちらをじっと見てニコリと微笑んでいる。
「殿、早うこちらへ。皆様方、待ち兼ねておられまする」
とても落ち着いた口調だ。
翔隆は、設けられた篠姫の隣の席に座る。
その左後ろに、似推里が控えていた。
〈……似推里…〉
愛する男が、自分の目の前で他の女と仲睦まじくする…というのは、どういう気分だろうか?
しかも相手は、信長と濃姫が隠して育てた大切な姫…。
「いかがなされました…?」
ふと心配した桜弥に声を掛けられ、我に返る。
「あ…いや。利家、長秀…今日は忙しい中、祝いに来て手伝いまでしてくれて、ありがとう」
そう言うと、利家が明るく笑って言う。
「何を水臭い。わしらの仲じゃないか!」
「この席に、他の者も来れれば良かったのだが…」
長秀が言った時、玄関から声がした。
「おーい! 間に合ったかー?」
そう言いながら、佐々成政、池田恒興そして森可成まで入って来た。
「…成政、恒興、可成殿まで…!」
「これからのようだな。まずは婚礼、おめでとうござりまする」
可成が代表して言うと、篠姫は嬉しそうに頬を赤らめ微笑む。
「ありがとう、森殿。他の方々も…篠も、これでやっと殿と結ばれまする」
「し、篠姫…」
聞いていて、こちらが恥ずかしくなる。
「〝篠〟とお呼び下され。夫婦なのですから」
そう言われて翔隆は、益々赤くなった。すると、皆が笑った。
宴が終わり、祝いに来てくれた五人が帰っていった…。もう夜も更けている。
部屋の中に、幼い姫と翔隆が向かい合っていた……。
そう、〝初夜〟だ。
一つの明かりの中で、姫はきちんと座り、じっと翔隆を見つめる。
対して翔隆は、目を泳がせたり、俯いたりしていた。
〈こんな幼子、抱けないよ……〉
翔隆は、困惑しながらも篠を優しく抱き寄せて頭を撫でる。
すると篠姫はその手を振り払い、キッと翔隆を涙目で睨み付けた。
「嫌!!」
「え…?」
「殿……殿は、わらわを好いてくれてはいないのですか? わらわは…わらわは幼い折より貴方様の事を聞かされて、会いたいのを堪えて…この日が来るのを、ずっと! 今か今かと待ち侘びていたというのに…っ! 子供と思うて馬鹿にされておられるのですかっ?!」
小さな肩を震わせて言う篠を見て、翔隆は動揺していた。
「そんな…つもりでは……」
この幼い姫は、敏感にこちらの心中を読み取っている…そして、幼くとも〝女〟なのだ…。翔隆は、再び優しく篠の肩を抱く。
「俺は…戦ばかりしているから…その…どう接したら良いのか分からないんだ……。余りにも、小さくて…壊れてしまいそうで…」
―――言い訳だ。……だが、どう接して良いのか分からないのは、本音である。
「壊れても構いませぬ! さ、抱いて下され。夫婦の契りをして下さりませ!」
そう言って、力の限り抱き付いてきた。
翔隆は申し訳なさそうに眉を寄せて、篠姫を離す。
「篠姫……いや、篠。正直に言って、俺にはお前を抱く事は出来ない。幾らなんでも、幼すぎる。だから、せめてあと五年、待ってはもらえぬか…?」
「…二年」
姫が言い返してきた。
その真剣な表情から、この七年もの間どれ程、翔隆の事を想いその胸に抱かれるのを待ち焦がれていたかが分かる。
「せめて四年…」
「嫌! ならば三年! 三年間、耐えまする。ですがそれ以上待てと言われるのならば、篠は自害至しまする!!」
濃姫譲りの気性の激しさ…。翔隆は圧倒されながらも頷く。
「分かった…。今宵は、もうお休み」
翔隆は篠に口唇を重ねて、部屋を出た。出ると同時にへたり込む。
「参ったな……」
そこに、桜弥が通り掛かった。
「翔隆様…! あの、しょ…初夜、は…」
それに首を振ると、立ち上がる。
「お預けだ。それより、酒を頼む」
そう言って広間に行くと、寝ぼけ半分の禾巳と義成が居た。
「皆、寝たのか…」
「うむ。お前の事だ…抱けずに出てくるだろうと思ってな」
お見通しな義成の言葉に、翔隆は苦笑いで応えて座り、桜弥の出す盃を手にする。
「昇進と婚礼、おめでとう」
「…ありがとう」
義成に言われると、少し照れくさい。
盃を交わしていると、似推里がやってきて手を撞く。
「湯殿が整いました」
一瞬…二人は見つめ合う。
翔隆は切なげな瞳で、似推里は愛しげな眼差しで。
そして苦笑して立ち上がると、禾巳と桜弥を見る。
「…分かった。共に入るか?」
「はい!」
二人揃って良い返事をする。
廊下を歩きながら、禾巳が呟く。
「小姓と湯を共にするとは、若いながら好色な」
「バカ者!」
大人二人は入れるであろう広い湯殿に入り、背を流していると禾巳がじっと翔隆の体を見つめてきた。
「ん…何だ?」
「……傷、残さないほーがいいと思う」
そう言って、桜弥と体を洗いっこする。
言われて見てみると、体には酷い傷が二ヶ所あるのがすぐに分かった。
操られていた義成に刺された右肩と、霧風に貫かれた背から胸に掛けての傷…。
「そうか…? 別にいいと思うがな…」
「信長が抱く時、傷が気になる」
「…禾巳……俺は女子じゃないぞ」
「分かってる。りっぱな男根とふぐりがある。女にはないから」
「――ハア……」
翔隆は溜め息を吐いて、湯に浸かる。
座ると湯は腰程まであった。
(この当時は蒸し風呂で、風呂の湯は寝そべって浸かれる程度にしか張っていない)
その後から二人が入って来たので、桜弥を抱き上げて股ぐらに座らせた。
桜弥は真っ赤になっているが、禾巳はそれを羨ましそうに見つめる。
「その役、いいな…」
「禾巳…いい加減にしろ。俺は、お前達を抱く気は無いぞ!」
「〝寵愛してくれぬ〟という意味か?」
「そうではなく……あのな、禾巳…」
「じゃあ、あの女なら抱くのかっ?!」
その言葉にギクリとした。
それを見て禾巳は湯から上がり、桜弥の手を引く。
「出るぞ、桜弥!」
「え? ……え?」
桜弥は、訳の分からないまま引き摺られるように出される。
戸を開けると、禾巳が大声で叫ぶ。
「似推里! 殿が背を流してほしいそうだ!!」
「なっ…!」
その言葉に翔隆は真っ赤になる。
その内にバタバタと似推里がやってきて、着物にたすきを掛けて中に入ってくる。
「お背中、流しまする故ここへ…」
「い、いや…もう上がるから…」
ピシャン …言った途端に、戸が閉められてしまった。
しんとした空気が、流れる。
似推里は両手を撞いて、じっと翔隆を見つめる。
「背を…」
「……ん…」
布で大事な所を隠しながら上がると、板の間に座る。
その傷のある背を布で擦りながら、似推里は堪え切れずに、頬に涙を伝わせる。
「似推里…?」
「何でもないのっ……前を、向いてて…!」
「!!」
その震える声で泣いていると気付き、翔隆は振り向き様に平伏して、
「済まん!!」
と、いきなり謝る。
「翔隆…!」
「済まない! …俺…仕えて間もない時に、信長様に〝娶れ〟と言われて、実感が無いまま…それでっ」
「分かっているわ…。顔を、上げて…?」
「だが、俺が愛しているのは…似推里だ…」
そう言って、翔隆は似推里を見つめた。
「翔隆……」
七年前初めて会った時に、一目で恋をした。
ずっと、互いの存在を想い合い愛し合ってきたのだ…。
意識はしていない。
無意識の内に見つめ合い、唇を寄せ重ねる。何度も、何度も……。
春の、暖かな風に心を溶かし、二人はそのまま倒れ込んだ。
逞しい肉体と、柔らかく艶やかな身体で抱き合い、互いの愛を確かめ合うように…。
(やっぱり、そうだぞ)
隙間から覗きながら、禾巳が呟く。
〝やめよう〟と言いつつ桜弥も覗いていた。
(でも……姫は…?)
(ま、愛なぞなくても契りは出来るからな)
そう言い、禾巳は大あくびをして行ってしまう。
〈…胸に、しまっておこう…〉
翔隆と篠姫、そして似推里の立場を考えて桜弥は頷くと、その場を後にした。
桜弥なりの、心遣いであった。
信長の正室となった吉乃が、めでたく嫡男の奇妙丸を産んだ。
そして翔隆は今までの情報の確実さから、奉行に昇進した。
表向きは能楽奉行…舞や能の行事を仕切る役だが、本来の役目は〝忍〟である。
月二十五貫の知行……俸禄の多さは、養う者の多さを配慮してのものだろう。
そして、邸まで戴いた。
何故か、などとは言えない。
信長と濃姫が隠し育ててきた娘、篠姫が嫁いでくるからである…。
六つも座敷があり、庭に桜の木と井戸、厠と湯殿まである豪邸だ。
翔隆は役立てられるように、薬草畑や野菜畑も作っていた。
そしてやっと翔隆はここに義成達と、美濃に預けていた十二歳の明智桜弥を迎える。
桜弥は、待ち焦がれていた主君の翔隆を見て涙ぐむ。
「翔隆様……!」
堪え切れずに、桜弥は泣きながら翔隆に抱き着いてしまう。
「桜弥………。すまなかったな…」
心から謝り、翔隆は泣き止むまで優しく桜弥の頭を撫でてやった。
そして落ち着いた頃に、皆の所に行く。
「紹介しよう。家臣として迎えた明智光秀殿の子息の桜弥だ。桜弥…右から同じ家臣の嵩美と禾巳、そして師匠の拓須、睦月、義成だ」
出会うなり、禾巳が鋭い目を吊り上げて言う。
「またかっ!」
「そう言わずに仲良くしろ?」
翔隆が言うと、禾巳(九歳)はムッとしたまま桜弥を睨み付けた。
「よろしくな」
桜弥が笑って言う。だが、禾巳はそっぽを向いて行ってしまった。
代わりに、嵩美が手を差し伸べる。
「よろしゅう、桜弥殿。わたくしは嵩美と申します。年は十六……同じ〝狭霧〟ですよ」
「よ、よろしく…」
桜弥は戸惑いがちに、握手をした。そこに、翔隆が声を掛ける。
「桜弥、嵩美はその姿が普通なのだ。直に慣れるだろう。荷を運んでくれるか?」
「はい」
準備を進める中、禾巳は桜弥を意識して競うように片付けをした。
それに気付き、桜弥も無意識に対抗する。
「その荷は重いから、私が持とう」
桜弥が言うと、禾巳がむきになって踏ん張りながらも運んでいく。
「いや! 俺が持つ!」
それを横目に、嵩美が溜め息を吐いた。
「どちらでもいいから、早くしなされ」
その光景を、翔隆は微笑ましく見つめていた。
篠姫が嫁いで来たのは、それから二ヶ月後の三月。
侍女は三人。――――…皮肉にも、一人は似推里であった。
そして篠姫が生まれてからの侍女である、十六歳の鹿奈と十二歳の葵。
「よろしゅう、殿…」
「よ、よろしく…」
初対面の妻を前に、翔隆は戸惑いながらも中に案内する。
その間に、信長からの数々の祝いの品を、前田利家と丹羽長秀が運んでくれている。
義成、睦月、禾巳、桜弥、侍女達がそれを手伝う。
着物や米、書物、朱槍、刀に薙刀等必要不可欠な物が山程積まれていく。
そんな中を翔隆はぎこちなく篠姫の手を取って、歩いていった。
「まあ、アレは?」
篠姫が畑を見付けて聞くと、翔隆は笑って言う。
「ああ、薬草と野菜を植えてあるのだ」
「薬草?」
幼い姫が首を傾げて言うと、翔隆は土間から様々な草を持ってきて見せた。
「この葉は血を止める時などに使うオトギリソウで、これはアオキといって火傷などに使う。こちらは風邪などの時に他の草と混ぜて使ったり………こうした役に立つ物や、自分で作れる野菜は作っておこうと思ってな」
微笑みながら言う翔隆を見て、篠姫はクスリと笑う。
「薬師のような方、と評判であったのは本当なのですね。殿は、下々の者の世話も喜んでしている、と聞きました」
「あ…いや…それは……」
「ホホホ…素晴らしい事だと、わらわは誇りに思いまする」
篠姫がニコリとして言うと、翔隆は照れくさそうに頭を掻いた。
それから部屋の案内、庭に植えてある木などの説明をした。
それを篠姫は微笑んで聞いていた…。
宴の準備と、荷物の片付けを同時に行い、落ち着いたのは戌の四刻(午後九時半頃)となっていた。
「はあ……」
翔隆はぐったりして、玄関に寝そべる。
そこに、長秀がやってきた。
「翔隆、何をしているんだ? 婿がいなけりゃ始まらんだろうが」
「う…む……」
長秀に引き摺られるように歩いていくと、広間には皆が揃っていた。
その真正面には、八歳の小さな妻がこちらをじっと見てニコリと微笑んでいる。
「殿、早うこちらへ。皆様方、待ち兼ねておられまする」
とても落ち着いた口調だ。
翔隆は、設けられた篠姫の隣の席に座る。
その左後ろに、似推里が控えていた。
〈……似推里…〉
愛する男が、自分の目の前で他の女と仲睦まじくする…というのは、どういう気分だろうか?
しかも相手は、信長と濃姫が隠して育てた大切な姫…。
「いかがなされました…?」
ふと心配した桜弥に声を掛けられ、我に返る。
「あ…いや。利家、長秀…今日は忙しい中、祝いに来て手伝いまでしてくれて、ありがとう」
そう言うと、利家が明るく笑って言う。
「何を水臭い。わしらの仲じゃないか!」
「この席に、他の者も来れれば良かったのだが…」
長秀が言った時、玄関から声がした。
「おーい! 間に合ったかー?」
そう言いながら、佐々成政、池田恒興そして森可成まで入って来た。
「…成政、恒興、可成殿まで…!」
「これからのようだな。まずは婚礼、おめでとうござりまする」
可成が代表して言うと、篠姫は嬉しそうに頬を赤らめ微笑む。
「ありがとう、森殿。他の方々も…篠も、これでやっと殿と結ばれまする」
「し、篠姫…」
聞いていて、こちらが恥ずかしくなる。
「〝篠〟とお呼び下され。夫婦なのですから」
そう言われて翔隆は、益々赤くなった。すると、皆が笑った。
宴が終わり、祝いに来てくれた五人が帰っていった…。もう夜も更けている。
部屋の中に、幼い姫と翔隆が向かい合っていた……。
そう、〝初夜〟だ。
一つの明かりの中で、姫はきちんと座り、じっと翔隆を見つめる。
対して翔隆は、目を泳がせたり、俯いたりしていた。
〈こんな幼子、抱けないよ……〉
翔隆は、困惑しながらも篠を優しく抱き寄せて頭を撫でる。
すると篠姫はその手を振り払い、キッと翔隆を涙目で睨み付けた。
「嫌!!」
「え…?」
「殿……殿は、わらわを好いてくれてはいないのですか? わらわは…わらわは幼い折より貴方様の事を聞かされて、会いたいのを堪えて…この日が来るのを、ずっと! 今か今かと待ち侘びていたというのに…っ! 子供と思うて馬鹿にされておられるのですかっ?!」
小さな肩を震わせて言う篠を見て、翔隆は動揺していた。
「そんな…つもりでは……」
この幼い姫は、敏感にこちらの心中を読み取っている…そして、幼くとも〝女〟なのだ…。翔隆は、再び優しく篠の肩を抱く。
「俺は…戦ばかりしているから…その…どう接したら良いのか分からないんだ……。余りにも、小さくて…壊れてしまいそうで…」
―――言い訳だ。……だが、どう接して良いのか分からないのは、本音である。
「壊れても構いませぬ! さ、抱いて下され。夫婦の契りをして下さりませ!」
そう言って、力の限り抱き付いてきた。
翔隆は申し訳なさそうに眉を寄せて、篠姫を離す。
「篠姫……いや、篠。正直に言って、俺にはお前を抱く事は出来ない。幾らなんでも、幼すぎる。だから、せめてあと五年、待ってはもらえぬか…?」
「…二年」
姫が言い返してきた。
その真剣な表情から、この七年もの間どれ程、翔隆の事を想いその胸に抱かれるのを待ち焦がれていたかが分かる。
「せめて四年…」
「嫌! ならば三年! 三年間、耐えまする。ですがそれ以上待てと言われるのならば、篠は自害至しまする!!」
濃姫譲りの気性の激しさ…。翔隆は圧倒されながらも頷く。
「分かった…。今宵は、もうお休み」
翔隆は篠に口唇を重ねて、部屋を出た。出ると同時にへたり込む。
「参ったな……」
そこに、桜弥が通り掛かった。
「翔隆様…! あの、しょ…初夜、は…」
それに首を振ると、立ち上がる。
「お預けだ。それより、酒を頼む」
そう言って広間に行くと、寝ぼけ半分の禾巳と義成が居た。
「皆、寝たのか…」
「うむ。お前の事だ…抱けずに出てくるだろうと思ってな」
お見通しな義成の言葉に、翔隆は苦笑いで応えて座り、桜弥の出す盃を手にする。
「昇進と婚礼、おめでとう」
「…ありがとう」
義成に言われると、少し照れくさい。
盃を交わしていると、似推里がやってきて手を撞く。
「湯殿が整いました」
一瞬…二人は見つめ合う。
翔隆は切なげな瞳で、似推里は愛しげな眼差しで。
そして苦笑して立ち上がると、禾巳と桜弥を見る。
「…分かった。共に入るか?」
「はい!」
二人揃って良い返事をする。
廊下を歩きながら、禾巳が呟く。
「小姓と湯を共にするとは、若いながら好色な」
「バカ者!」
大人二人は入れるであろう広い湯殿に入り、背を流していると禾巳がじっと翔隆の体を見つめてきた。
「ん…何だ?」
「……傷、残さないほーがいいと思う」
そう言って、桜弥と体を洗いっこする。
言われて見てみると、体には酷い傷が二ヶ所あるのがすぐに分かった。
操られていた義成に刺された右肩と、霧風に貫かれた背から胸に掛けての傷…。
「そうか…? 別にいいと思うがな…」
「信長が抱く時、傷が気になる」
「…禾巳……俺は女子じゃないぞ」
「分かってる。りっぱな男根とふぐりがある。女にはないから」
「――ハア……」
翔隆は溜め息を吐いて、湯に浸かる。
座ると湯は腰程まであった。
(この当時は蒸し風呂で、風呂の湯は寝そべって浸かれる程度にしか張っていない)
その後から二人が入って来たので、桜弥を抱き上げて股ぐらに座らせた。
桜弥は真っ赤になっているが、禾巳はそれを羨ましそうに見つめる。
「その役、いいな…」
「禾巳…いい加減にしろ。俺は、お前達を抱く気は無いぞ!」
「〝寵愛してくれぬ〟という意味か?」
「そうではなく……あのな、禾巳…」
「じゃあ、あの女なら抱くのかっ?!」
その言葉にギクリとした。
それを見て禾巳は湯から上がり、桜弥の手を引く。
「出るぞ、桜弥!」
「え? ……え?」
桜弥は、訳の分からないまま引き摺られるように出される。
戸を開けると、禾巳が大声で叫ぶ。
「似推里! 殿が背を流してほしいそうだ!!」
「なっ…!」
その言葉に翔隆は真っ赤になる。
その内にバタバタと似推里がやってきて、着物にたすきを掛けて中に入ってくる。
「お背中、流しまする故ここへ…」
「い、いや…もう上がるから…」
ピシャン …言った途端に、戸が閉められてしまった。
しんとした空気が、流れる。
似推里は両手を撞いて、じっと翔隆を見つめる。
「背を…」
「……ん…」
布で大事な所を隠しながら上がると、板の間に座る。
その傷のある背を布で擦りながら、似推里は堪え切れずに、頬に涙を伝わせる。
「似推里…?」
「何でもないのっ……前を、向いてて…!」
「!!」
その震える声で泣いていると気付き、翔隆は振り向き様に平伏して、
「済まん!!」
と、いきなり謝る。
「翔隆…!」
「済まない! …俺…仕えて間もない時に、信長様に〝娶れ〟と言われて、実感が無いまま…それでっ」
「分かっているわ…。顔を、上げて…?」
「だが、俺が愛しているのは…似推里だ…」
そう言って、翔隆は似推里を見つめた。
「翔隆……」
七年前初めて会った時に、一目で恋をした。
ずっと、互いの存在を想い合い愛し合ってきたのだ…。
意識はしていない。
無意識の内に見つめ合い、唇を寄せ重ねる。何度も、何度も……。
春の、暖かな風に心を溶かし、二人はそのまま倒れ込んだ。
逞しい肉体と、柔らかく艶やかな身体で抱き合い、互いの愛を確かめ合うように…。
(やっぱり、そうだぞ)
隙間から覗きながら、禾巳が呟く。
〝やめよう〟と言いつつ桜弥も覗いていた。
(でも……姫は…?)
(ま、愛なぞなくても契りは出来るからな)
そう言い、禾巳は大あくびをして行ってしまう。
〈…胸に、しまっておこう…〉
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