鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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四章 礎

四.稽古

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 台風が来そうな天候の七月。
相変わらず、邸の中は既に台風が吹き荒れているが……。

 今日も朝から禾巳かい桜弥おうやと喧嘩をしたので、罰として腕立て・腹筋・背筋・素振りを二百回ずつやらされている。
禾巳は桜弥と張り合い、時に喧嘩をしながら修行をしているし、同じ家臣の嵩美は優雅に篠姫や侍女と共に、茶を飲み句を詠んでいる。
 その双方を見ながら、翔隆は微笑んで自分も鍛練を積んでいた。すると、似推里が義成の下へやってくる。
「ん? いかがなされた?」
「あのっ…あたしにも、稽古を付けて下さい!」
その言葉に驚いたのは、翔隆だ。
「似推里?! な、何を言って…」
「あたしだって、役に立ちたいの! ただ守られている女でいたくはないわ!」
強い意志を秘めた瞳で言うと、翔隆は苦笑して義成を見た。
「……義成…」
義成は何も答えずに、似推里を見る。
「その意志は認めよう。覚悟はいいのか?」
覚悟、とは怪我や傷等の事。似推里はコクリと頷く。
「よし。ならば、まずは指貫さしぬきを履いてこい。俺の指南を受けるからには女子おなごである事を忘れ剣士となってもらうぞっ!」
「はいっ!」
答えて似推里は、一礼して走っていく。
不安だが、義成に任せれば大丈夫だろう…。
翔隆は、己の鍛練に専念する事にした。

着替えた似推里が戻る途中、ふと裏庭に目をやると、そこには刀を振る一成の姿があった。
〈…剣技を習いたいのかしら……〉
そうは思ったものの、声も掛けられずに似推里は戻っていった………。
 裏庭で密かに刀を振りながら、一成は明るい声のする庭を見る。
……確かに、翔隆は自分を客人として大事に扱ってくれている。
だが…何故か、寂しさを覚えた。
今まで、一度たりともこんな気持ちになった事はない…。
 この尾張に来て数カ月………。
もはや、捨てた人生…どうでもいい、と思っていたのだが……。
〈……何故だろうか………〉
一成は胸を押さえながら、その場に佇んでいた…。
 
  夕方。
 稽古の終えた似推里いおりは、傷だらけで肩で息をしていた。
「あ…ありがとうございましたっっ!」
振り絞るように言って一礼すると、似推里は縁側でへばって座り込んでしまう。
そこに禾巳かいがやってきて、からかう。
「これしきでへばっていたら、とても伽は勤まらねえぞ!」
「馬鹿! いたた……」
禾巳が笑って走っていくと、嵩美かざみが水を持ってきてくれる。
「どうぞ、似推里殿」
「ありがとう…嵩美殿」
微笑して受け取り水を飲み干すと、似推里は立ち上がって苦笑した。
「偉いのね」
「何が、ですか?」
「禾巳も桜弥おうやも幼いのに、こんな稽古をして…翔隆も、幼い頃から修行して…」
そう言うと、嵩美は袖を口に当てて笑った。
「フフフフ。面白い事を仰有られるのですね…。こんな乱世、男なのですから強くなくては生きていけませぬよ。かと言うて、わたしは途中で《術》に逃げましたけれど」
くすっと笑って言うと、似推里も笑って共に歩き出した。
 客間では、睦月が桜弥と禾巳に儒学等を教えていた。
今日の夕餉は翔隆が作る事になっているので、篠姫と侍女の鹿奈かな、葵も共に勉学に励んでいる。
 翔隆が忙しく飯を作っていると、嵩美がやって来た。
「翔隆様、料理も上手くなくてはなりませんぞ」
「…分かっている」
自分では上手い方だと思うのだが、嵩美から見れば手際が悪いらしい。
暫く黙って見ていた嵩美が突然、翔隆の手を叩く。
「包丁の持ち方が違いますよ! それに、野菜の切り方も!」
そう言って手本を見せる。
「はは……わ、分かったよ。ありがとう嵩美かざみ。時に……」
「何ですか?」
翔隆は、手を休めずに話す。
「一成の様子は…」
「相変わらずですよ。一人、書を読んでおられるか、剣技をされておられるか……時折、何か考えに耽っておられるようで…」
「そう、か………」
翔隆は、深刻な表情で溜め息を吐く。
〈…どうしたものか…〉
何を話し掛けても、それなりの受け答えをするだけ…。
それだけ、心を固く閉ざしてしまっているのだろう…。
翔隆には何を話し、どう接したらいいのかが分からなくなっていた。
だから嵩美に様子を見てもらっているのだが…。
 
 夕餉の後、翔隆は一成の部屋を訪れる。
「少し、良いか?」
月明かりで書を読んでいた一成は、真顔で向き直り平伏する。
「何にござりましょう」
「いや、改まらなくともいいんだ」
翔隆は苦笑して、前に座る。そして、夜風の入る薄暗い部屋で話す。
「…その…旨く言えないが……もっと構えずに気楽にいて欲しいのだ」
「………」
それが一番難しい事だ、と分かっていて翔隆は敢えて言う。
「一成…。確かに〝客人〟として置く、と言ったが…立ち振る舞いまでかしこまらずとも良いのだ。無理をせず自然に、振る舞っていて欲しい。…話は、それだけだ」
「……はい…」
一成は、そう返事をした。
気の無い返事だが、無言でいられるよりましだ。
それに頷くと、翔隆は退出する。
 
  その夜…。
 
一成は一人、外を眺めていた。
今日翔隆に言われた事を、考えていたのだ。
〈…自然に……か。この数カ月…他人の顔色ばかりを窺ってばかりいた気がする…。感情というものさえ…忘れかけていた……〉
捨てた筈の〝感情〟も、取り戻しつつある。
どうでもいい、と思いながらも心の何処かでは助けを求めていた。
それを翔隆が教えてくれた気がする…。
 一成は苦笑して、空を見上げた…。
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