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四章 礎
九.樟美
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桜舞う四月……。
翔隆が邸に戻ると、慌てて葵が駆けて来た。
「お生まれになりました、殿!」
「え?」
「立派な、男の和子にございます!」
そう言われても、翔隆は分からないでいる…。
〈…立派な…和子? ………ああ!〉
考えて、今までの忙しさで重要な事を忘れていたのに気が付いた!
つい六カ月前に、似推里が言った言葉を…。
「あたし…身籠もったの…」
「え…?」
「翔隆の子よ……」
「…え……?」
「どうしたらいい…? …生まないようにした方がいい?」
「そんな事を言うな! そうか…俺の子か。似推里、生んで欲しい」
そう言って産んで貰うようにしたのは、自分ではないか!
こんな大事な事を忘れてしまうなんて…翔隆は、急いで葵と共に師匠達の部屋に入る。
入ると床に似推里が座っていて、赤子を抱いていた。
周りには、拓須と一成以外揃っている…。
無論、美しく成長しつつある篠姫もいた。
翔隆は呆然としながらも、似推里を見る。
「おめでとう…」
出た言葉が、それだった…。
それに対して、似推里は何のためらいもなしに笑う。
「ありがとうございます、翔隆様」
…その言葉から読み取れるのは、あくまでも似推里は赤子の父親を明かそうとしていない、という事。
「ほんに、元気な子…。誰の子かのぉ?」
篠姫が微笑して言う……ズキッとくる言葉だ。
〈どうする、といっても言うしか…〉
一瞬、考えてしまう。
しかし、ここで白を切っても似推里が傷付くし、勘の良い篠姫の事だ。
すぐにばれてしまうだろう。
〈…正直に言おう〉
そう思い、言い掛けたその時!
「わたくしの、子にございまする」
と、嵩美が言い出したのだ!
翔隆も他の者も驚いていると、今度は桜弥が
「いいえ! 私の子にござりまする!」
と言い張る。
「何を申される。わたくしとて、男。似推里殿とは、仲睦まじく愛し合い…」
「それは私とて同じ事! 私は…」
二人で言い争っていると、いきなり篠姫が袖を口に当てて笑い出した。
「ホホホホホホ! 何と主人想いなのでしょう。わらわは涙が出る程、感動至しました。…ですが……良いのですよ嵩美、桜弥。何も隠す事はありませぬ。きちんと母上様から、似推里と殿は〝恋仲〟だと、教えられておりまする。英雄色を好むとも申しますし……わらわは、ただ…すぐに申さぬ殿のお心を責めておるのじゃ!」
そう言うと、篠姫は鋭く翔隆を睨んだ。
面目を無くした翔隆は、ただ
「済まぬ!」
と言って、深く頭を下げた。すると篠姫は、にこりとして翔隆の前に立つ。
「素直な殿じゃ。……似推里、どうする? 許して差し上げるかえ?」
篠姫が似推里を見て言うと、似推里はクスッと笑う。
「そうですね。姫様が、お許しになられるのでしたら」
その返答に、篠姫は微笑んで再び翔隆を見つめた。
「それでは、一つ条約して頂きましょうか?」
「…なんなりと」
篠姫を相手にしていると、まるで帰蝶でも相手にしているかのような錯覚を覚える。
「日に一度…とは申しませぬ。せめて、月に一度くらいは…わらわ達の相手をして下され」
篠姫は優しく言った。
…だが翔隆にとっては、難しい条約である。しかし、もはや自由の身ではないのだから時には妻や家臣と語らわねば、離叛されてしまうかもしれないだろう。
「分かりました」
翔隆は、微苦笑を浮かべて返事をした。
それを聞き頷くと、篠姫は座って筆を取った。
「名は、いかがなさいます?」
「あ…そうか……」
言われて初めて、似推里の側に行き我が子を見つめた…。
黒い髪、黒い瞳……〔嫡男〕ではなかった。
〈長男……。この子も…狭霧に送るのか…?〉
不安になって、翔隆は二人の師匠を見る。
すると、義成が書物を取り出す。
「そろそろ、桜弥と禾巳…それに客人と姫君達にも〝一族の事〟を、きちんと教えておかなければなるまい。ここに、両一族の事を記してある。読んでおくよう…」
義成が言い終わらぬ内に、禾巳がそれを奪うように取り、桜弥、嵩美と共に見る。
そして、睦月が赤子をじっと見つめながら言う。
「狭霧に〔嫡男〕がいれば、送らねばなるまいが…居ないのだ」
「? 京羅の子は居るじゃないか」
「いや、京羅は本当の〔長〕ではない。向こうの〔長〕は行方不明らしくてな。ずっと必死で探しているらしい」
「それじゃあ…」
「うむ。向こうに次男が出来るまでは、安心しなさい」
そう聞くと、翔隆はホッとして赤子を優しく見つめる。
「では……樟美、としよう。木に章で〝くす〟。美しい心を持つように…どうだろうか?」
「変わった名ですこと。樟美、ですね…」
篠姫が、紙に名を書く。
子供が出来た………これで本当に…自由の身ではなくなったような気がする。
それも当然であろうが……。
しかし嬉しさと共に、もっと頑張らねばならない、という感情が込み上げてきた。
駿河・今川館。
「何故、俺に命令する?」
とは陽炎。目の前の若者と、言い争っていた。
「京羅様よりの言伝です。〝今は、休まれるように〟とのご配慮。陽炎殿…勘違いなさらないで頂きたい。貴公はあくまでも〝不知火の長子〟! …勝手な行動は、謹まれますよう…」
そう言うと若者は去り、すれ違うように息子の義羽克也(十六歳)がやってきた。
「今のは真柳史司……どうかなされましたか?」
克也が聞くと、陽炎は苦笑する。
「不知火だから謹めと言ってきた。中々、肝の座った奴よ」
「あいつ、そんな事を! 俺から口を謹むように言っておきます!」
「そうか……お主も、同じ〝京羅の三人衆〟の一人になったのだったな。いや、いい。京羅ならば分かっている故……案ずる事は無い」
そう言って、陽炎は克也の肩を叩く。
〈不知火…か〉
思っていると妻の梓が、生まれたばかりの長女・冬青を抱いてやってくる。
「陽炎、どうかしたの?」
聞かれて、陽炎は苦笑する。
「いや…。何でもない」
答えて、冬青を抱く。
「……梓」
「はい?」
「お前は幸せか?」
突然、聞いた…。すると梓はふふっと笑う。
「ええ、幸せよ。強い夫と子供にも恵まれて」
「そうか。…暫く、富士に行くか」
「え?」
「たまには、な…」
そう言って微笑すると、陽炎は歩き出した。
翔隆が邸に戻ると、慌てて葵が駆けて来た。
「お生まれになりました、殿!」
「え?」
「立派な、男の和子にございます!」
そう言われても、翔隆は分からないでいる…。
〈…立派な…和子? ………ああ!〉
考えて、今までの忙しさで重要な事を忘れていたのに気が付いた!
つい六カ月前に、似推里が言った言葉を…。
「あたし…身籠もったの…」
「え…?」
「翔隆の子よ……」
「…え……?」
「どうしたらいい…? …生まないようにした方がいい?」
「そんな事を言うな! そうか…俺の子か。似推里、生んで欲しい」
そう言って産んで貰うようにしたのは、自分ではないか!
こんな大事な事を忘れてしまうなんて…翔隆は、急いで葵と共に師匠達の部屋に入る。
入ると床に似推里が座っていて、赤子を抱いていた。
周りには、拓須と一成以外揃っている…。
無論、美しく成長しつつある篠姫もいた。
翔隆は呆然としながらも、似推里を見る。
「おめでとう…」
出た言葉が、それだった…。
それに対して、似推里は何のためらいもなしに笑う。
「ありがとうございます、翔隆様」
…その言葉から読み取れるのは、あくまでも似推里は赤子の父親を明かそうとしていない、という事。
「ほんに、元気な子…。誰の子かのぉ?」
篠姫が微笑して言う……ズキッとくる言葉だ。
〈どうする、といっても言うしか…〉
一瞬、考えてしまう。
しかし、ここで白を切っても似推里が傷付くし、勘の良い篠姫の事だ。
すぐにばれてしまうだろう。
〈…正直に言おう〉
そう思い、言い掛けたその時!
「わたくしの、子にございまする」
と、嵩美が言い出したのだ!
翔隆も他の者も驚いていると、今度は桜弥が
「いいえ! 私の子にござりまする!」
と言い張る。
「何を申される。わたくしとて、男。似推里殿とは、仲睦まじく愛し合い…」
「それは私とて同じ事! 私は…」
二人で言い争っていると、いきなり篠姫が袖を口に当てて笑い出した。
「ホホホホホホ! 何と主人想いなのでしょう。わらわは涙が出る程、感動至しました。…ですが……良いのですよ嵩美、桜弥。何も隠す事はありませぬ。きちんと母上様から、似推里と殿は〝恋仲〟だと、教えられておりまする。英雄色を好むとも申しますし……わらわは、ただ…すぐに申さぬ殿のお心を責めておるのじゃ!」
そう言うと、篠姫は鋭く翔隆を睨んだ。
面目を無くした翔隆は、ただ
「済まぬ!」
と言って、深く頭を下げた。すると篠姫は、にこりとして翔隆の前に立つ。
「素直な殿じゃ。……似推里、どうする? 許して差し上げるかえ?」
篠姫が似推里を見て言うと、似推里はクスッと笑う。
「そうですね。姫様が、お許しになられるのでしたら」
その返答に、篠姫は微笑んで再び翔隆を見つめた。
「それでは、一つ条約して頂きましょうか?」
「…なんなりと」
篠姫を相手にしていると、まるで帰蝶でも相手にしているかのような錯覚を覚える。
「日に一度…とは申しませぬ。せめて、月に一度くらいは…わらわ達の相手をして下され」
篠姫は優しく言った。
…だが翔隆にとっては、難しい条約である。しかし、もはや自由の身ではないのだから時には妻や家臣と語らわねば、離叛されてしまうかもしれないだろう。
「分かりました」
翔隆は、微苦笑を浮かべて返事をした。
それを聞き頷くと、篠姫は座って筆を取った。
「名は、いかがなさいます?」
「あ…そうか……」
言われて初めて、似推里の側に行き我が子を見つめた…。
黒い髪、黒い瞳……〔嫡男〕ではなかった。
〈長男……。この子も…狭霧に送るのか…?〉
不安になって、翔隆は二人の師匠を見る。
すると、義成が書物を取り出す。
「そろそろ、桜弥と禾巳…それに客人と姫君達にも〝一族の事〟を、きちんと教えておかなければなるまい。ここに、両一族の事を記してある。読んでおくよう…」
義成が言い終わらぬ内に、禾巳がそれを奪うように取り、桜弥、嵩美と共に見る。
そして、睦月が赤子をじっと見つめながら言う。
「狭霧に〔嫡男〕がいれば、送らねばなるまいが…居ないのだ」
「? 京羅の子は居るじゃないか」
「いや、京羅は本当の〔長〕ではない。向こうの〔長〕は行方不明らしくてな。ずっと必死で探しているらしい」
「それじゃあ…」
「うむ。向こうに次男が出来るまでは、安心しなさい」
そう聞くと、翔隆はホッとして赤子を優しく見つめる。
「では……樟美、としよう。木に章で〝くす〟。美しい心を持つように…どうだろうか?」
「変わった名ですこと。樟美、ですね…」
篠姫が、紙に名を書く。
子供が出来た………これで本当に…自由の身ではなくなったような気がする。
それも当然であろうが……。
しかし嬉しさと共に、もっと頑張らねばならない、という感情が込み上げてきた。
駿河・今川館。
「何故、俺に命令する?」
とは陽炎。目の前の若者と、言い争っていた。
「京羅様よりの言伝です。〝今は、休まれるように〟とのご配慮。陽炎殿…勘違いなさらないで頂きたい。貴公はあくまでも〝不知火の長子〟! …勝手な行動は、謹まれますよう…」
そう言うと若者は去り、すれ違うように息子の義羽克也(十六歳)がやってきた。
「今のは真柳史司……どうかなされましたか?」
克也が聞くと、陽炎は苦笑する。
「不知火だから謹めと言ってきた。中々、肝の座った奴よ」
「あいつ、そんな事を! 俺から口を謹むように言っておきます!」
「そうか……お主も、同じ〝京羅の三人衆〟の一人になったのだったな。いや、いい。京羅ならば分かっている故……案ずる事は無い」
そう言って、陽炎は克也の肩を叩く。
〈不知火…か〉
思っていると妻の梓が、生まれたばかりの長女・冬青を抱いてやってくる。
「陽炎、どうかしたの?」
聞かれて、陽炎は苦笑する。
「いや…。何でもない」
答えて、冬青を抱く。
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「はい?」
「お前は幸せか?」
突然、聞いた…。すると梓はふふっと笑う。
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