鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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六章 決別

十九.武蔵

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 その後樟美は、嵩暁たかあきらとの約束を守り何も言わなかった。

  二月には下野を通り、やっと冬も終える三月に常陸に入った。
〈ここからは北条………そういえば、助五郎殿…確か氏規うじのり殿だったか…ご息災だろうか?〉
駿府城下でお会いした時は、まだ小さかったが…もう青年となっているだろう。
共に人質としていた家康に、息災だと知らせれば喜ばれるやもしれない。
そう思い、居場所を何処かで尋ねて会いにいこうと考える。
そのまま下総に入って村々で尋ねてみるが、何の情報も得られない…。
上総と安房はやめて、武蔵に向かった。


 武蔵をぐるりと回って城下町で情報収集する内に、北条氏規うじのりは相模の一番右下にある三崎城に居るであろうという事が分かった。
〈ここからだと遠いな……まあその前に有名な小田原城でも覗いていくか〉
そんな軽い気持ちで八王子城から相模に入った。


 難攻不落で有名な小田原城下に入る頃には桜が舞い散る四月となっていた。
活気溢れる城下に翔隆は少し浮かれていた。
ちょうど嫡子である北条新九郎氏政(二十八歳)が城下に居るとも知らず、市を見物したり必要な物を買ったりしていた。
そんな目立つ一行を、氏政が見逃す筈もなかった。
種子島を持っている…しかし商人には到底見えず、刀も帯びていない子供連れの男…。
好奇と猜疑のある氏政は、その男から目を離せなくなっていた。
「待て!」
突然後ろから、翔隆に対して矢のように鋭い声が飛んできた。
〈まずい……〉
そう思うが素通りも出来ずに、翔隆は立ち止まって笠を取り振り返る。
すると氏政はズカズカと翔隆に歩み寄って、三人と一頭を嘗めるようにじろじろと見つめる。
「種子島の商人…には見えぬ。しかし牢人にしては、刀が無いな」
「…牢人、にござりまする」
「名は? 何処から参った?」
「篠蔦三郎兵衛翔隆、南や北を回って参りました」
「南や北…?」
明らかに怪しまれている。
それは、幼い浅葱にも分かった。
このまま何事も無ければいいのだが…。
「私は北条新九郎氏政だ。…私の顔も知らぬ草とはな」
草、とは間諜の事だ。
それよりも翔隆は嫡子という事の方に気を取られた。
「ご嫡男であらせられましたか……助五郎様はご息災でしょうか?」
間者と思われているのにも関わらず、翔隆はいきなり微笑んでそう聞いた。
氏政は不可解げな顔をして翔隆を見る。
「……士官にでも参ったか?」
「いえ、ご息災かどうかを確かめに参りました」
素直に答える我が父に、子供達は絶句していた。氏政も唖然とする。
〈…確かめる、とな? 助五郎の暗殺か…? しかし何故なにゆえ、助五郎……〉
どう考えても解せない。
氏政はじっと翔隆を見据えてから、背を向ける。
「参れ。真 助五郎に用があるというのならば、な」
そう言い城に向かって歩き出した。
翔隆が素直にそれに従おうとすると、馬上の樟美が翔隆の腕を握って首を大きく横に振る。
「駄目です父上! 乱破らっぱとして疑われているのですよ?!」
「…しかし、私は助五郎様の事を知りたいのだ。それに、今ここで行かなければ変な疑いを掛けられる。逃げて確信されるよりも、捕まってもいいから嫌疑を晴らす方がいい」
何と不器用な性格なのであろうか…。
もしここで捕まり、殺されでもしたら何とするつもりなのか?
そう思う内に翔隆はさっさと行ってしまう。
「! 父上…」
樟美は困惑しながらも、馬を進めた…。


 小田原城に入るとすぐ、案の定翔隆は捕まって牢にぶちこまれた。
そして両腕を丸太に縛り付けられて、宙吊りにされてしまう。
「待ってくれ! 私は…!」
「うるさい! 今たっぷりと取り調べてくれるわっ!」
そう言い近侍らしき者が竹刀を手にした。

 翔隆が牢に入れられている間に、樟美と浅葱は氏政に促されて三ノ丸の一室に来た。
「そこへ座れ」
言われるままに中に入ると、樟美が平伏して浅葱もそれを真似た。
氏政は頷いて話す。
「あの者は、兄か?」
「いいえ、父にござりまする」
「父? …まだ二十にもなっておらぬように見えるが……」
「…父は三十です」
「ふむ…」
それについて、これ以上語っても仕方あるまい。氏政は話題を変える。
「では、氏規うじのりに会う故は?」
「……詳しくは知りません。ですが、旅の途中で会うという事は昔知り合ったか、友人かのどちらかだと思います」
「ふむ……そうか」
子供に問えば嘘偽りは言わないだろうと判断して聞いたのだが、余計に分からなくなってきた。
氏政は真顔で頷き、パンパンと手を打った。すると小姓がやってきて跪く。
「はっ」
「この童達を客人まろうどとしてもてなしてやれ」
そう言うと、氏政は立ち上がって行ってしまう。
 
 バシッ バシン 
 牢屋に竹刀で肉を叩き付ける音が響く。
あれから翔隆は何処の間者か、何の目的で来たのかを問い詰められていた。
「答えぬかっ!」 
「………」
そこへ、氏政がやってくる。
「私がやる故、下がれ」
「はっ…」
その者は、汗だくになりながら竹刀を氏政に手渡して一礼すると出ていく。
氏政は竹刀で翔隆の顔を上げさせた。
「三郎兵衛、と申したな? 氏規うじのりとはいつ会った?」
「……今から…十三年前にござりまする………駿河に人質としておられた時に、松平家康様とご一緒の所を……」
「駿河………古い話よのぅ…。氏規とて覚えておるまい」
「ただ…息災でおられるかを見て…」
「見て何とする」
「家康公がご案じ召されておられたので、息災でおられると知れば喜ばれるかと思い…」
言い掛けた時、氏政はバシンと思い切り竹刀で翔隆の胸を叩き付けた。
「嘘などいらん、松平の細作が。何を聞き出そうというのだ!」
「嘘など申しておりませぬ! 私は…」
そう言い掛けると、氏政は壷の中から塩を取り出す。
「言う気になったか?」
「嘘なんて申しませぬ!! 私はただ氏規様に…」
「まだ言うか」
氏政は冷静に塩を翔隆の傷口に塗り付ける。
「ぐううっ!」
苦悶する翔隆に、氏政は塩水を掛けた。
「―――うああっっ!!」 
さすがに耐え切れずにいると、竹刀で顔を上げさせられた。
「…言う気になったか?」
「ぐ……な…何を…言えと……? 内通している…大名、ですか……?」
「そうだ」
「…―――織田…」
「尾張の…そうか……」
「武田…」
「何っ?!」
「…上杉…」
「………」
氏政は驚いて翔隆を凝視した。
「…まさか、他にもあるのか?」
「他は……島津と…松平……伊達…長宗我部………」
何処ぞの〝草〟とは思ったが、ここまで名前が出ると嘘かまことか余計に疑わしくなってきた。
〈こ奴は一体……〉
氏政はじっと翔隆の瞳を見つめた。
すると、翔隆は激痛に顔を歪めながらも、真剣な眼差しを向けてくる。
その眼に真実を見た氏政は竹刀を置く。
「暫く牢にいるがいい」
そう言い放ち氏政は行ってしまう。


 四日後、氏政は三崎城に文を出した。文の内容は、
 「篠蔦翔隆と名乗る牢人が、お主に面会を求めてきた。松平の者と共に駿河にいた頃に会ったと言うておるが真か?」
というものだった。対して氏規は三日後に返事を出した。 
 「確かに牢人と会いましたが、名までは覚えておりませぬ」
そんな短いものだった。その四日後に、また氏政は文を出す。
 「尾張の織田家に仕えており、松平とは友だと申した。そなたが松平と共におり、楽しげに話をしておったと申しておる。〝また会おう〟と約束して、と……」
返事がきたのは、三日後だった。 
 「思い出しました。竹千代どのより、良き武人であると聞いた事がありまする。手前は息災だと伝え、申し訳ござりませぬが兄上が代わりにもてなしてやって下さいませぬか?」
その文で真実を確認してから、氏政は翌日の朝に牢に行く。


 牢の中では、後ろ手に縛られて座る翔隆が居た。
正面を見据えるその姿からは、何の咎も感じられず寧ろ堂々としている。
それを見て、氏政は頷く。
「…確かに、草では無かったようだな」
「初めから、申しておりまする」
「いい顔だ」
氏政はフッと笑って太刀を抜き、縄を切ってやる。そして、翔隆に水をぶっ掛けた。
「これを着て出ろ」
そう言い氏政は翔隆に小袖と紐を投げ渡す。翔隆は無言で一礼して立ち上がると、着ていたぼろ布を脱いでそれを着た。
あれだけ痛めつけたにも拘わらず、気丈な男だ。
「参れ。お主の童が待っておる」
氏政はクッと苦笑して、歩き出した。

 連れてこられた一室に、樟美と浅葱が居た。
二人は翔隆を見ると笑顔になり、浅葱が泣きながらも父に縋り付いた。
「ととさま! ととさま!」
「父上…酷いなりで…」
樟美は心配そうな顔をして近寄る。
翔隆は苦笑して二人の子の頭を撫でた。
「済まん………何も無かったか?」
「はい。氏政様は良くして下さいました」
樟美が答える。
「そうか……。あ、氏政様、井戸をお借りしても宜しいでしょうか? まだ傷に塩が残っていて…」
「良いぞ。支度が出来たら、参れ」
そう言い氏政は小姓に案内を任せて行ってしまう。
翔隆は浅葱を左手で抱き上げて、樟美と共に小姓についていく。

「今は五月の十九日、梅雨も酷くなりました」
歩きながら樟美が言う。
「そうか…そんなに経つか」
「正直過ぎるのが悪いのですよ」
「済まん」
「では、あちらにおる故に終わり次第参られよ」
井戸に案内すると小姓はそう行って、奥の方に行ってしまう。
翔隆は浅葱を降ろして小袖を脱ぎ、水を浴びた。
そこかしこに打たれた跡があり、痛々しい。
それを真顔で見て、樟美が言う。
「父上、《力》は…」
「んー………取り敢えず、前の傷は治しておくか」
翔隆は軽く答えて、義成と陽炎にやられた傷を消した。
そして小袖を着直すと、深呼吸をする。―――と、一羽の烏が鳴きながら上空を回るのが見える。
それを見て、翔隆は笑顔になった。
風麻呂かざまろ!」
『カアア』
目が藍色の烏は、翔隆の腕に舞い降りる。
「また奇妙丸様からの文か?」
翔隆は、風麻呂の足に括り付けられている文を取り、中を見る。
…と、その文字は奇妙丸のものではなく、懐かしい手跡であった。

  十一、菊
 永九、州股(墨俣の事を当時はこう書いた)
 十、徳 稲葉 市
それしか書かれていないが、何の事かはよく分かる、信長らしい文………。
つまりは、機会を与えてくれよう、という意味だ…。
〈ありがとうございます…っ!!〉
涙ぐみ、文に顔を付けた。
これ以上ない程に、嬉しかった。
翔隆は涙を拭って風麻呂を空へ返す…と、入れ替わりに疾風が現れた。
「兄者!」
「疾風?! 何故ここが……」
言い掛けて、翔隆は疾風の腕を掴んで物陰に行く。
「何かあったのか?」
「一大事です。将軍が……足利将軍が…」
「何があった!! 落ち着いて話せ!」
そう言うと、疾風は深呼吸をして荒い息を静めてから話す。
「足利義輝将軍が居る二条城が、松永久秀と三好三人衆の襲撃を受けています! 奴らは足利義栄を新たな将軍にせんと奉じています」
「義輝様が……!」
翔隆はすぐに駆け出そうとして止まる。
「樟美! すぐに戻る故に、先に氏政様の下へ行っていろ!」
「はい!」
それに頷き、翔隆は瞬く間に消えた。
疾風も気になって後を追った。
〈…ご無事でおられれば良いが…〉
心中で呟き、樟美は浅葱を連れて氏政の下へ向かった。


 三好と松永……それだけで、謀叛の理由が判った。
三好の総領・義継よしつぐと三人衆の長逸ながゆき、政康、岩成友通を松永がそそのかした……。
その種は言うまでもなく、自分が侵した罪―――義興殺害は将軍の仕業である、と…。
それを火種にして長慶が死んだ今、叛旗を翻したのであろう。
〈頼む……間に合ってくれ…っ!〉
翔隆は神仏に縋る気持ちで、一心不乱に駆け抜けた。
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