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六章 決別
十八.嵩暁
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一五六五年(永禄八年)、正月。
まだ雪の深い中、湖の側にある旅籠に泊まった。
確かこの辺りの森に、不知火の集落がある筈なのだが……取り敢えず子供達を寝かせてからだ。一つの布団に二人を寝かせると、樟美(八歳)がじっと翔隆を見つめて言う。
「私も行きたいです」
「何だ唐突に…」
「集落に行くのでしょう?」
「そうだが………それでは留守の間、浅葱が一人になってしまう」
翔隆(三十歳)が苦笑して言うと、樟美はハッとして眉を顰めた。
「樟美……いつも済まんな」
「…いえ……」
樟美は落ち込んだ様子で、父を見送った。
それから一刻後くらい経ったであろうか?
眠り掛けた樟美は、障子の外に気配を感じてはっと目覚めて、小刀を手にした。
〝気〟を探ってみると、やはり人間ではなく〔一族〕…――――。
〈どっちだ…? ………狭霧……いや不知火?〉
「誰だ?」
樟美は障子に向かって声を掛ける。すると、影が現れてスーッと障子を開けた。
「翔隆は留守…か?」
現れた男は、そう言い中に入ると障子を閉めて座った。
狐の面を被った黒い長髪の男……。
髪は巻き毛だが、どことなく雰囲気が拓須に似ている。
樟美は警戒しながら、男を見据える。
「父は留守だ。……何用あって参られた? 何者だ?」
「しっかりした童だな。刀はしまえ…何もしない」
そう言うと、男は両手を開いて見せた。
どちらか分からないが〔一族〕……敵意は無い…が、油断させるのが狭霧の手口と知っているので、樟美は小刀を構える。
「味方とも思えぬ。父に何用だ」
「…知らせに参ったが………知らせぬ方が良いかとも思えて、な」
「…?」
「お主がいるという事は、言うべきでは無いという啓示やもしれん。では、お主と話をするとしよう」
解せない言葉だ………だが、ふざけている訳でもなさそうだ。
樟美は刃を収めて男を見る。
「―――私は樟美。名は?」
「…私がここに来た事を秘密にしてくれるのならば、名乗ろう」
「父に用があると………」
樟美は言い掛けてやめる。
何かを言いに来たが、やめたと言った。
恐らくは、知られたく無い事でもあるのであろう。
余計な詮索はしない方がいいと判断して樟美は頷く。
「分かった。誰も来ていない」
「私は嵩暁。いつか、お主とも出会う事になるやもしれぬ者だ」
そう言い、嵩暁は微笑む。意味は分からない……敵として?
それとも味方として、か?
〈…掴み所の無い人だ…〉
樟美はそっと布団から出て、小袖を羽織って向かい合うように座る。
それを見て嵩暁は首を傾げた。
「寒いか?」
「…少し」
素直に答えると、嵩暁は自分の左右に紫の火の玉を出した。
そしてそれを樟美の側に置く。
「…!」
「案ずるな。燃えはしない……暖かいだろう?」
…確かに、触っても燃えないし暖かい。
相当な術者のようだ…。
「…それで、話とは?」
気を取り直して聞くと、嵩暁は真面目な表情になる。
「何か知りたい事はあるか?」
「沢山………というて、貴方は知っているのですか?」
「大抵は」
それを聞き、樟美は考える。
大抵の事を知っているというのならば、長く生きているのだろうが……一体どこまで知っているというのか?
〈知りたい事………〉
自分は一体、何を知るべきなのか?
それがまだ分からない…。
悩んでいると、嵩暁が話し掛けてくる。
「昔の事と、これから起こり得るであろう未来………どちらが良い?」
「《先見》が出来るのならば、先を」
真剣に答えると、嵩暁は苦笑して話す。
「……まずは、お主の父の事。この先必ず窮地に立たされる。一族に関わり、人間に関わる以上避けられぬ運命だ」
「それならば、父上に話した方が…」
「話しても、人間との関わりを断つまい? 故に、お主に話しておく…が、本人には言うな」
「……無駄だから…?」
「然り。そして、このままではあ奴にとって最も大切なものを失う。しかし、回避する術は……同じ」
それには大名や武将との関わりを断たねばならない…。
しかし翔隆はそれを選ばないだろう…だから言えない。
言っても苦悩するか、笑い飛ばすかのどちらか…だ。
いや、絶対に諦めないと言うだろう。
「それは、絶対の予見ですか?」
「―――絶対、は…あり得ぬ。数ある枝分かれの中の一つに過ぎぬ、が……」
言い掛けて嵩暁は溜め息を吐く。
樟美はそれで納得した。
あの父の事だ…何もかもをやり遂げよう、防いでみせようと必死に足掻いていくのだろう…。
「お主にも、己を変える出来事が幾つかある」
「狭霧に…行く事ですか?」
「然り。それによってお主は絶望の道か、希望の道を歩む」
「……希望…?」
「そう、希望。それは己で見出すもの。私が言う事ではない」
「………」
教えてくれると言いつつも、嵩暁は決して答えを言わない。
それとなく、手掛かりのような事だけを言って考えさせようとする。
樟美は眉を顰めて考える。
〈…狭霧に希望などあるのか? いや、それよりも父上はどうにかならないのか…?〉
「枝の一つとして、お主に関わる重大な事がある」
「…それは?」
「狭霧と不知火が一つになれるか、共存するか、それぞれに分裂して、より悪化するか」
「一つになる!?」
「なれる可能性…だ。総ては、翔隆次第…―――」
そこまで聞いて、樟美は引っ掛かるものを感じた。
「全て……父上がやらなくてはならぬ事ですか? 父上一人で…?」
「良い所に気が付いた。一人では成し得ぬ。力を合わせるのだ」
誰と……とは聞けない。
恐らくは家臣や兄弟達であろう。
そう考えていると、嵩暁は立ち上がる。
「邪魔をしたな。ゆるりと休むがいい」
「あのっ…まだ聞きたい事が…!」
「今は駄目だ。…いずれ逢おう……樟美」
そう言うと、嵩暁は火の玉を消して静かに出ていってしまった…。
樟美は仕方無く、布団に入る。
〈あ…どちらの一族の人か聞きそびれたな…。何だか…懐かしい気が…〉
考える内、樟美は眠りに落ちていった…――――。
まだ雪の深い中、湖の側にある旅籠に泊まった。
確かこの辺りの森に、不知火の集落がある筈なのだが……取り敢えず子供達を寝かせてからだ。一つの布団に二人を寝かせると、樟美(八歳)がじっと翔隆を見つめて言う。
「私も行きたいです」
「何だ唐突に…」
「集落に行くのでしょう?」
「そうだが………それでは留守の間、浅葱が一人になってしまう」
翔隆(三十歳)が苦笑して言うと、樟美はハッとして眉を顰めた。
「樟美……いつも済まんな」
「…いえ……」
樟美は落ち込んだ様子で、父を見送った。
それから一刻後くらい経ったであろうか?
眠り掛けた樟美は、障子の外に気配を感じてはっと目覚めて、小刀を手にした。
〝気〟を探ってみると、やはり人間ではなく〔一族〕…――――。
〈どっちだ…? ………狭霧……いや不知火?〉
「誰だ?」
樟美は障子に向かって声を掛ける。すると、影が現れてスーッと障子を開けた。
「翔隆は留守…か?」
現れた男は、そう言い中に入ると障子を閉めて座った。
狐の面を被った黒い長髪の男……。
髪は巻き毛だが、どことなく雰囲気が拓須に似ている。
樟美は警戒しながら、男を見据える。
「父は留守だ。……何用あって参られた? 何者だ?」
「しっかりした童だな。刀はしまえ…何もしない」
そう言うと、男は両手を開いて見せた。
どちらか分からないが〔一族〕……敵意は無い…が、油断させるのが狭霧の手口と知っているので、樟美は小刀を構える。
「味方とも思えぬ。父に何用だ」
「…知らせに参ったが………知らせぬ方が良いかとも思えて、な」
「…?」
「お主がいるという事は、言うべきでは無いという啓示やもしれん。では、お主と話をするとしよう」
解せない言葉だ………だが、ふざけている訳でもなさそうだ。
樟美は刃を収めて男を見る。
「―――私は樟美。名は?」
「…私がここに来た事を秘密にしてくれるのならば、名乗ろう」
「父に用があると………」
樟美は言い掛けてやめる。
何かを言いに来たが、やめたと言った。
恐らくは、知られたく無い事でもあるのであろう。
余計な詮索はしない方がいいと判断して樟美は頷く。
「分かった。誰も来ていない」
「私は嵩暁。いつか、お主とも出会う事になるやもしれぬ者だ」
そう言い、嵩暁は微笑む。意味は分からない……敵として?
それとも味方として、か?
〈…掴み所の無い人だ…〉
樟美はそっと布団から出て、小袖を羽織って向かい合うように座る。
それを見て嵩暁は首を傾げた。
「寒いか?」
「…少し」
素直に答えると、嵩暁は自分の左右に紫の火の玉を出した。
そしてそれを樟美の側に置く。
「…!」
「案ずるな。燃えはしない……暖かいだろう?」
…確かに、触っても燃えないし暖かい。
相当な術者のようだ…。
「…それで、話とは?」
気を取り直して聞くと、嵩暁は真面目な表情になる。
「何か知りたい事はあるか?」
「沢山………というて、貴方は知っているのですか?」
「大抵は」
それを聞き、樟美は考える。
大抵の事を知っているというのならば、長く生きているのだろうが……一体どこまで知っているというのか?
〈知りたい事………〉
自分は一体、何を知るべきなのか?
それがまだ分からない…。
悩んでいると、嵩暁が話し掛けてくる。
「昔の事と、これから起こり得るであろう未来………どちらが良い?」
「《先見》が出来るのならば、先を」
真剣に答えると、嵩暁は苦笑して話す。
「……まずは、お主の父の事。この先必ず窮地に立たされる。一族に関わり、人間に関わる以上避けられぬ運命だ」
「それならば、父上に話した方が…」
「話しても、人間との関わりを断つまい? 故に、お主に話しておく…が、本人には言うな」
「……無駄だから…?」
「然り。そして、このままではあ奴にとって最も大切なものを失う。しかし、回避する術は……同じ」
それには大名や武将との関わりを断たねばならない…。
しかし翔隆はそれを選ばないだろう…だから言えない。
言っても苦悩するか、笑い飛ばすかのどちらか…だ。
いや、絶対に諦めないと言うだろう。
「それは、絶対の予見ですか?」
「―――絶対、は…あり得ぬ。数ある枝分かれの中の一つに過ぎぬ、が……」
言い掛けて嵩暁は溜め息を吐く。
樟美はそれで納得した。
あの父の事だ…何もかもをやり遂げよう、防いでみせようと必死に足掻いていくのだろう…。
「お主にも、己を変える出来事が幾つかある」
「狭霧に…行く事ですか?」
「然り。それによってお主は絶望の道か、希望の道を歩む」
「……希望…?」
「そう、希望。それは己で見出すもの。私が言う事ではない」
「………」
教えてくれると言いつつも、嵩暁は決して答えを言わない。
それとなく、手掛かりのような事だけを言って考えさせようとする。
樟美は眉を顰めて考える。
〈…狭霧に希望などあるのか? いや、それよりも父上はどうにかならないのか…?〉
「枝の一つとして、お主に関わる重大な事がある」
「…それは?」
「狭霧と不知火が一つになれるか、共存するか、それぞれに分裂して、より悪化するか」
「一つになる!?」
「なれる可能性…だ。総ては、翔隆次第…―――」
そこまで聞いて、樟美は引っ掛かるものを感じた。
「全て……父上がやらなくてはならぬ事ですか? 父上一人で…?」
「良い所に気が付いた。一人では成し得ぬ。力を合わせるのだ」
誰と……とは聞けない。
恐らくは家臣や兄弟達であろう。
そう考えていると、嵩暁は立ち上がる。
「邪魔をしたな。ゆるりと休むがいい」
「あのっ…まだ聞きたい事が…!」
「今は駄目だ。…いずれ逢おう……樟美」
そう言うと、嵩暁は火の玉を消して静かに出ていってしまった…。
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