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六章 決別
十七.〝嫡子〟
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一方、北近江。
木こりの小屋の中で、武宮(五十六歳)は信頼する配下である杉間夫婦と以舞(三十三歳)と共にいた。
「うううーっ!」
武宮は縄を掴んでいきんでいる。
「頑張って下さい! もう少しですよ!」
杉間の妻、濃(四十歳)が必死に武宮に言い、以舞が手伝う。
男である杉間吉兵太(四十一歳)は何も出来ず、ただただ布を渡したり湯を沸かしていた。
その内に、おぎゃあという威勢のいい産声が上がった…無論、武宮が産んだ赤子だ。
以舞はその子をそっと抱いて湯で洗い、武宮に見せた。
「元気な男の和子ですよ」
「………っ」
杉間夫婦と武宮は驚愕して声を失った。
ふわふわとした髪の毛は、白銀に輝いていたのだ!
〈嫡…子―――――?!〉
武宮は蒼白して頭が真っ白になる。
ただ一人、以舞だけが冷静に赤子を布に包んだ。
「嫡子のように見受けられますが………いかが至します?」
「えっ……?」
「身に覚えがおありなのでしょう? このまま知らせて共に尾張に連れていきますか? それとも…」
隠し通すか殺すか…と言おうとして、以舞は口を噤む。
武宮が今にも死にそうな程に蒼冷め、震えていたからだ。
秋の始め頃から、ここで密かに腹の中で育ててきた子供が嫡子とは、武宮も思わなかったのだろう…。
ただ、愛しい男の子供を身籠もり…産みたかっただけ…。
その気持ちは、以舞にも濃にも分かった。
以舞は座り込んで震える武宮の肩に、そっと手を置いて喋る。
「…武宮様、わたくし、一つ隠してきた事がございます」
「え…何……を」
「私の夫は疾風…長の弟です。私は修隆が長男、室隆の娘です」
「――――えっ? …えぇ?!」
「…ここに来る以前は、富士にて〝狭霧の一員〟として暮らしていました。ですが、夫が寝返る前に、逃れて参ったのでございます。…今まで言わずに、申し訳ございません」
そう言い以舞は深く頭を下げた。
武宮は困惑しながら以舞を見つめる。
「な……何故、長の下に行かない……?」
「夫・疾風が私と子の隼人と美影を迎えに来るまで、黙っているつもりです。例え迎えに来なくとも、私は不知火の者として、ここで生きていくつもりです」
以舞は揺るぎない決意を宿した目で、武宮を見つめた。
その目を見て、武宮は正気に返る。
「……そう、か…。よく、話してくれた……この事は黙っていよう」
そう言ってから、武宮は改めて我が子をじっと見た。
うっすら開いた瞳の色は藍色………間違いなく〝嫡子〟そのもの。
〈どうしたらいい…? 長にお知らせして………いや! 駄目だ……今長は流浪の身…それに私如きが嫡子の母などと………!〉
悩んで冷や汗を掻いている武宮に、杉間吉兵太が近寄る。
「このまま、殺しましょう………」
「杉間…!!」
「ご嫡男ですが………このまま尾張に送ったとしても、母親は誰かと議論になり混乱を来す事になりましょう。されど、武宮様が名乗り出る事は…しないかと…」
すると、濃も側に寄って言う。
「武宮様は、〝先代よりの宿老〟というお立場に、とても責任を抱いていらっしゃいます。このままお送りしても…名乗り出ても……もしかしたら娶られる事は無いやもしれません」
「そうです。大切なご嫡男ですが、万が一にも長が娶られる方がお産みになられたりしたら一大事…」
…確かに、夫婦の言う事も一理ある。
他に嫡男が産まれるかどうかは分からないが、子供だけ差し出しても今の不知火には混乱の元となるだけ…。
ならばいっそ殺してしまった方が、この子の…―――いや、不知火の為になるのではなかろうか…?
そう思い、武宮は震える手を我が子の小さな首に掛けた。
〈私などが、産んではならないのだ………!〉
グッと指に力を入れると、赤子はニコリと笑って手足をばたつかせて母を求めてきた。
「―――出来ないっ!! 私には…っ!」
武宮は滝のように涙を流して、愛しい我が子を抱き締めた。
その様子を見ていた以舞が、そっと武宮に打ち掛けを掛けて言う。
「不知火の者として、育てるのは駄目なのですか?」
「え……?」
「嫡子も何も、関係なく…ただ不知火の者として。長の翔隆様とて、不知火の嫡子と知らずに育ったと聞いております。良き不知火の将として……いえ。いつ〝必要〟とされてもいいように、厳しくお育てするのです」
「必要と…される?」
「このまま嫡子が産まれなければ、和子が正統なる嫡子となります。その時に備え、翔隆様のように、幼い頃より修行を積ませておくのが、一番と存じます」
以舞は真顔で言った。
武宮は泣きながら頷く。
「あ…けれど…その髪と目が………」
濃が言うと、以舞は和子を見つめて言う。
「私は、物の色を変えたり消したりする《力》を持ちます。自信はありませんが………和子の髪と目の色を、変えてみますので…こちらに」
「………頼む…」
この子の命運を以舞に委ねると、吉兵太が水をくれた。
「武宮様、和子をお育てするのであれば、我々にお預け下さいませ!」
「杉間…」
「我らには子がおりませぬ。この身に代えても、和子をお守り至します!!」
「どうか!」
濃も平伏して言った。
武宮は涙ぐみながらも頷く。
「ありがとう、杉間………」
その間に、以舞が全力を以て赤子の髪と目の色を黒く変えた。
肩で息をしながら変わった事を確認して、以舞は安堵して赤子を武宮に返した。
「なんとか……成功のようです………」
「皆………ありがとう…っ!」
武宮は喜びの涙を滲ませながら言い、深く頭を下げた。
杉間夫婦と以舞は、互いを見合って頷き合う。
「して、和子の名は…?」
「あ…」
吉兵太に言われて、今気が付いて我が子を見た。
「そうだな………冬は蓄える時期でもある。いつまでも《力》を蓄えて成長するように…冬に弥で、冬弥、ではどうだろうか?」
「よろしいかと…」
皆は、微笑んで頷いた。
翌日。
武宮は以舞と共に小屋を出た。
背に我が子の泣き声を聞き、切なさに身を引き裂かれそうになりながらも、集落へと戻っていった…。
木こりの小屋の中で、武宮(五十六歳)は信頼する配下である杉間夫婦と以舞(三十三歳)と共にいた。
「うううーっ!」
武宮は縄を掴んでいきんでいる。
「頑張って下さい! もう少しですよ!」
杉間の妻、濃(四十歳)が必死に武宮に言い、以舞が手伝う。
男である杉間吉兵太(四十一歳)は何も出来ず、ただただ布を渡したり湯を沸かしていた。
その内に、おぎゃあという威勢のいい産声が上がった…無論、武宮が産んだ赤子だ。
以舞はその子をそっと抱いて湯で洗い、武宮に見せた。
「元気な男の和子ですよ」
「………っ」
杉間夫婦と武宮は驚愕して声を失った。
ふわふわとした髪の毛は、白銀に輝いていたのだ!
〈嫡…子―――――?!〉
武宮は蒼白して頭が真っ白になる。
ただ一人、以舞だけが冷静に赤子を布に包んだ。
「嫡子のように見受けられますが………いかが至します?」
「えっ……?」
「身に覚えがおありなのでしょう? このまま知らせて共に尾張に連れていきますか? それとも…」
隠し通すか殺すか…と言おうとして、以舞は口を噤む。
武宮が今にも死にそうな程に蒼冷め、震えていたからだ。
秋の始め頃から、ここで密かに腹の中で育ててきた子供が嫡子とは、武宮も思わなかったのだろう…。
ただ、愛しい男の子供を身籠もり…産みたかっただけ…。
その気持ちは、以舞にも濃にも分かった。
以舞は座り込んで震える武宮の肩に、そっと手を置いて喋る。
「…武宮様、わたくし、一つ隠してきた事がございます」
「え…何……を」
「私の夫は疾風…長の弟です。私は修隆が長男、室隆の娘です」
「――――えっ? …えぇ?!」
「…ここに来る以前は、富士にて〝狭霧の一員〟として暮らしていました。ですが、夫が寝返る前に、逃れて参ったのでございます。…今まで言わずに、申し訳ございません」
そう言い以舞は深く頭を下げた。
武宮は困惑しながら以舞を見つめる。
「な……何故、長の下に行かない……?」
「夫・疾風が私と子の隼人と美影を迎えに来るまで、黙っているつもりです。例え迎えに来なくとも、私は不知火の者として、ここで生きていくつもりです」
以舞は揺るぎない決意を宿した目で、武宮を見つめた。
その目を見て、武宮は正気に返る。
「……そう、か…。よく、話してくれた……この事は黙っていよう」
そう言ってから、武宮は改めて我が子をじっと見た。
うっすら開いた瞳の色は藍色………間違いなく〝嫡子〟そのもの。
〈どうしたらいい…? 長にお知らせして………いや! 駄目だ……今長は流浪の身…それに私如きが嫡子の母などと………!〉
悩んで冷や汗を掻いている武宮に、杉間吉兵太が近寄る。
「このまま、殺しましょう………」
「杉間…!!」
「ご嫡男ですが………このまま尾張に送ったとしても、母親は誰かと議論になり混乱を来す事になりましょう。されど、武宮様が名乗り出る事は…しないかと…」
すると、濃も側に寄って言う。
「武宮様は、〝先代よりの宿老〟というお立場に、とても責任を抱いていらっしゃいます。このままお送りしても…名乗り出ても……もしかしたら娶られる事は無いやもしれません」
「そうです。大切なご嫡男ですが、万が一にも長が娶られる方がお産みになられたりしたら一大事…」
…確かに、夫婦の言う事も一理ある。
他に嫡男が産まれるかどうかは分からないが、子供だけ差し出しても今の不知火には混乱の元となるだけ…。
ならばいっそ殺してしまった方が、この子の…―――いや、不知火の為になるのではなかろうか…?
そう思い、武宮は震える手を我が子の小さな首に掛けた。
〈私などが、産んではならないのだ………!〉
グッと指に力を入れると、赤子はニコリと笑って手足をばたつかせて母を求めてきた。
「―――出来ないっ!! 私には…っ!」
武宮は滝のように涙を流して、愛しい我が子を抱き締めた。
その様子を見ていた以舞が、そっと武宮に打ち掛けを掛けて言う。
「不知火の者として、育てるのは駄目なのですか?」
「え……?」
「嫡子も何も、関係なく…ただ不知火の者として。長の翔隆様とて、不知火の嫡子と知らずに育ったと聞いております。良き不知火の将として……いえ。いつ〝必要〟とされてもいいように、厳しくお育てするのです」
「必要と…される?」
「このまま嫡子が産まれなければ、和子が正統なる嫡子となります。その時に備え、翔隆様のように、幼い頃より修行を積ませておくのが、一番と存じます」
以舞は真顔で言った。
武宮は泣きながら頷く。
「あ…けれど…その髪と目が………」
濃が言うと、以舞は和子を見つめて言う。
「私は、物の色を変えたり消したりする《力》を持ちます。自信はありませんが………和子の髪と目の色を、変えてみますので…こちらに」
「………頼む…」
この子の命運を以舞に委ねると、吉兵太が水をくれた。
「武宮様、和子をお育てするのであれば、我々にお預け下さいませ!」
「杉間…」
「我らには子がおりませぬ。この身に代えても、和子をお守り至します!!」
「どうか!」
濃も平伏して言った。
武宮は涙ぐみながらも頷く。
「ありがとう、杉間………」
その間に、以舞が全力を以て赤子の髪と目の色を黒く変えた。
肩で息をしながら変わった事を確認して、以舞は安堵して赤子を武宮に返した。
「なんとか……成功のようです………」
「皆………ありがとう…っ!」
武宮は喜びの涙を滲ませながら言い、深く頭を下げた。
杉間夫婦と以舞は、互いを見合って頷き合う。
「して、和子の名は…?」
「あ…」
吉兵太に言われて、今気が付いて我が子を見た。
「そうだな………冬は蓄える時期でもある。いつまでも《力》を蓄えて成長するように…冬に弥で、冬弥、ではどうだろうか?」
「よろしいかと…」
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