鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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六章 決別

三十七.鳥居元忠

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  桜が青空に舞う四月。
 家康は奥三河などを平定し、朝廷から三河守と従五位下の叙任を受けて、姓を〝徳川〟と改名した。

 《霊力》で傷を完治させた翔隆は、勉学の為に修隆から書簡を借りた。
子供達は庭で軽い走り込みをさせているので、一室でゆっくりと書を読む。


 久し振りにとても平和で、のんびりと過ごしていた。
〈喉が渇いたな…〉
翔隆が井戸に行こうと廊下に出る。
すると前から弓矢を携え狩衣を着た少年が小姓と重臣の一人、酒井忠次(三十六歳)を引き連れて歩いて来るのが見えたので、平伏する。
〈もしや竹千代様か?〉
年頃から考えて、間違いはないだろう。
すると少年は翔隆の前で止まり、弓で翔隆の肩をつつく。
「主! バテレンか!?」
「…いえ…」
平伏したまま答えると、肩を蹴られた。
「気分が悪い。あちらから出る!」
そう言い、竹千代(八歳)は来た方向にドカドカと行ってしまう。
「あ、若! お待ちを…」
慌てて酒井忠次と小姓達が後を追っていく…。
行く前に、酒井忠次は翔隆を見下ろして舌打ちして行った…。
翔隆は頭を上げて、それをじっと見送った。
〈…家康様の幼い頃とは、随分違うな……気性の荒い若君だ〉
恐らくは、酒井忠次が宿老じいなのだろう。苦労しているように見えた。

 井戸水を飲んで、子供達に遊んでいいと伝えると、龍之介が樟美の手を引っ張って走る。
「樟美様! 竹馬しましょう!」
「え、あ…」
強引に連れて行かれるのを見て、翔隆はプッと笑う。
〈いつも遊ばないから、ちょうどいいだろう〉
そう思っていると、いきなり目の前に小さな姫が走ってきて止まる。
「遊びましょう!」
「え…?」
「わらわの名は亀じゃ! そちは?」
「あ…篠蔦翔隆と申します」
翔隆は片膝を撞いて言う。
亀姫(七歳)は、家康と築山御前の長女である。
すると、後ろから鳥居彦右衛門尉ひこうえもんのじょう元忠(二十九歳)が息を切らせて走ってくる。
「姫さま! 探しましたぞ!」
「彦はつまらん! このとび…とび?」
「翔隆です」
翔隆はにこりと笑って答える。
すると亀姫は翔隆を見つめて頬を桃色に染めた。
「ははあ、姫さま、惚れましたな?」
にやりとして鳥居元忠が言うと、亀姫は真っ赤になって元忠を睨み付ける。
「違う! きれいだと思っただけじゃ!」
むきになって言い、亀姫は石で遊んでいる千景と浅葱を見て興味を示す。
「何をしておる?」
「〝お弾き〟よ」
浅葱が明るく答える。
「こうやって、自分の石を指で弾いて相手の石に当てて…当たったらそれは自分の物。最後に多く取った方が勝つの」
「わらわもやる」
「駄目よ。石は自分で集めてこないと。二十個ずつって決めてやってたの。だから、あなたも二十個集めて!」
浅葱が説明すると、亀姫はこくりと頷く。
「分かった。石の大きさは?」
「小さい方がいいのよ。大人の爪の大きさ位」
笑って言うと、亀姫は早速石を探し始める。
「いやあ、やっと女子らしい遊びをして下さる!」
元忠が翔隆の隣りで笑って言った。
その様子から、嫌われてはいないと判断し、翔隆は微笑して鳥居元忠に聞く。
「…では、今までは蹴鞠ですか?」
「いやいや。刀に馬、弓に薙刀と…。しかし、今日は楽に過ごせそうじゃ!」
「ふふ…」
何とも頼もしい姫君だ。家康譲りなのかもしれない。
「翔隆どの、で良かったかな?」
「はい?」
「殿とは、旧知の仲と聞くが…いつからじゃ?」
「あ…そう、ですね……確か、初めてお会いしたのが十五年前です」
「何と! ではお主も竹千代さまと同じ年頃か!」
「……え、いえ…」
答えて、ん? と首を傾げる。
元忠の言う〝竹千代〟は、今の若君ではなく、家康の事だと気付いて、翔隆は苦笑した。
「私は、三十一になりますが」
「?! わしより二つ上?! えらく若作りな…」
「よく言われます」
「何とも羨ましい!」
明るく笑って言う元忠に、翔隆は思わず一笑する。
「そんな事を言われたのは初めてです。変わっておられますね」
「ははは、そうか?」
元忠は笑って言い、翔隆を見つめた。
「〝竹千代さま〟は、修隆どのとよく貴殿の話をされておった。早う会いたい、もっと話がしたい、と。それはもう、妬ける程に」
「え…あ、申し訳ない」
「いやいや、謝るのは違う。わしも、会ってみたくて、早く来ないものかと思っていたら…うむ。ただ会うのと、話すのではまるで違う!」
「そう、ですか?」
「ああ、立ち話もなんだ。そこに座ろうか」
元忠は笑って翔隆の手を引いて、縁側に腰掛けた。翔隆もつられて座る。
「お主は、誰にでも笑顔で話すのかと思うたら違うのだな。真面目な顔をしてから、わしみたいに笑うと、同じように合わせている」
…そんな事を意識していなかったが、この人はよく見ているのだな、と感心する。
「…せがれに、調子がいいと叱られます」
翔隆が苦笑して言うと、元忠は首を傾げた。
「何故?」
「何故…って……愛想を振りまいて…」
「それは、立派な処世術ではないか。他人に合わせていくのは、とても大事だ。羨ましい」
「…羨ましいなどと…」
「わしなど、いつもこんな調子で話すものだから、皆がよく白けてなぁ…叱られるのもしょっちゅうじゃ。真面目な評定でもな、〝こうしてはいかがかな~〟などと言うた途端に怒られて…どうしたら良いやら、教えて貰いたい程じゃ」
女童めのわらわ達を見ながら項垂うなだれるように言う元忠を見て、翔隆は思わず失笑してしまう。
「ぷっ…」
「笑うたな? 今笑うたであろう!」
「い、いえ、すみません…」
翔隆は俯いて笑いを堪えるが、吹き出してしまった。
「ぶふっ」
「やはり笑うた!」
そう言いつつも、元忠は頬を膨らませるだけで怒っていないのだ。
それが余計におかしくて、つい笑い転げてしまった。
「あはははは!」
「そんなに面白かったか? わしはこれでも真面目なんだがなぁ」
元忠はそう言って、自分も笑う。
「は、あはは…す、すみませ……」
「ととさまが笑ってる!」
この旅で初めて、翔隆が大笑いする姿を見た浅葱が、驚きの余り立ち尽くして石を落とした。
樟美も、驚いて竹馬に乗ったまま止まって翔隆を見つめていた。
翔隆は、ひとしきり笑ってから、涙を拭く。
「いや、真に申し訳ない。なんだか、鳥居様の言い方が余りに子供っぽくて…」
「はははは! そう見えたか? よく言われるんじゃ。お主は幾つになったのだー! となぁ。幾つになろうと性格など直らんものをなあ…な?」
「はい…私もよく、〝貴方は幾つになられた?〟と言われますが…幾つになっても変われないものですね」
笑って言うと、元忠はにこにこして頷く。
「ふむ、仲間がおったわ! 笑うたら喉が渇いた…これ、茶をくれ。二つな」
そう小姓に言ってから、翔隆を見る。
「あ、酒の方が良かったか? しかし、竹千代さまと呑むであろうから……ああ、いや! 殿と! 三河守さま!」
慌てて訂正するが、周りに居た侍女達に笑われてしまった。

 その日は、家康と榊原康政、鳥居元忠を交えて酒を酌み交わした。
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