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57きみを想う、その気持ちが同じなら。

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壁一面に並べられた本の背表紙は、とても古ぼけている。
机の上には、実験器具と思われる様々な小物が所狭しと並べられているこの、部屋はいったい………。

「――お帰りなさい、フリア様。」
「あ、は、はい。ただいま帰りました。あの、ここはいったい…」

ポカンとしていたテオ様は、次第に笑みを深め、こちらに再度声をかけてきた。


それに返すが、結局ここはどこなのだろう。




「ここは、魔術師団副団長に与えられる部屋…つまり、わたしの仕事部屋ですよ。」
「――テオ様の、仕事部屋?…道理で、魔術関連のモノがたくさんあるのですね。」



ひとしきりそれらを眺める。



やはり、テオ様は若き天才なのだろう。
蔵書も凄まじいが、何より実験結果を書き連ねたであろう紙がそこかしこに散らばっている。

――私にはさっぱりわからないが。



「ところで、フリア様は、どうやってお戻りに?」
「――あ、えと…グレンが迎えに来てくれたのですけど…」

いわれて、辺りを見渡すが、それらしき姿は無い。



――歪に発動された転移魔術で、別々の所に出てしまったのだろうか。



「あぁ、なるほど。グレンが迎えに行ったけど、強引なやり方で連れ戻してしまったわけか。」

なにかを理解したらしいテオ様は、しきりに頷いている。




「あの…テオ様。私には、何が何だか、さっぱり…」
「あぁ、そうですよね。えーっと、わたしから言えることはあまり無いのですが…。
端的に言うとですね。――グレンは暫く非番になります。」
「―――??」

「まぁ、その間はわたしとジェラルドが屋敷に伺うので、今まで通り、なんの憂いも無いので、ご心配なく。」
「は…、はぁ…」

何がなんだかさっぱりわからない。


ただ、暫くグレンが屋敷に来ないだろうということは理解した。




「あ、…。フリア様、あの傷痕、ユリエル様に消してもらったんですね。」
「――え?……」
「そっか、自分じゃ見えないですよね。――鏡、どうぞ。」
「ありがとうございます。」

鏡を受け取り壁掛けの鏡の前に立ち、背を映す。



――成る程、たしかに消えている。
“白羽の矢”が突き刺さってできた、三日月の形の傷痕は、いつのまにか綺麗さっぱり消え失せている。


――いつの間に、

思い返してみるが、王太子殿下と関わったのはごく僅か。
そんなにも簡単に消える傷痕だったということだろうか。

可能性が高いのは、初めて会ったダンスの時だ。
体をそこそこ近づけるので、気付かないうちに治してくれたのだろう。

――まぁ、私はダンスに必死で全く気がついていないんですけどね!





「――ところで、テオ様。グレンを見ませんでしたか?」
「否、わたしがこの部屋に入ったのと同時に、フリア様が現れただけで…。グレンは居ませんでしたね。」

――まさか、グレンだけ、オズボーン国に取り残された、とかじゃ無いでしょうね…。



「ご心配なく。グレンはここには居ませんが、ちゃんと王宮には帰ってきているはずですので。」
「は、はぁ…」

心を読んだかのようなテオ様の言葉に、ドキリとしながらも、曖昧な返事。



――テオ様は、グレンの居場所を知っているのだろうか。




暫く私の所には来れないと言っていたし、やはり、転移魔術の影響でなにかあったのでは無いだろうか。
少なくとも、私の魔力も混じっていたあの状況で、グレンが魔術を使用したというのなら…。

「グレンは、無事、なのですよね?」
「えぇ、心配には及びません。ただ、少し魔力切れを起こしただけですので。」


サラッと言うが、魔力切れというのはなかなか起こらないだろう。それ程に、無理を強いてしまったと言うことだ。




「――グレンに、無理をさせてしまった、のね」
「フリア様が気に病むことではありませんよ。グレンはグレンの意志で、フリア様を迎えに行ったのですから。」

テオ様はそう、慰めの言葉を掛けてくれるが…。



――もし。

もし、グレンが、迎えに来なかったら。
私は、シェーグレンに帰ってくることが出来たのだろうか。




――私は、私であれたのだろうか…。

あの、私が私で無くなる感覚。
大事な人を、忘れていく、あの、感覚。




全てが遠くなっていく、あの感覚を思い出して、背筋にヒヤリとしたものが滑る。



――あぁ、本当に、“神”と関わると、碌な事が無い。






「―――フリア様?どう、したのですか…?どこか、お加減でも…?」
「あ、いえ…。ただ…」

沈黙を心配したのであろうテオ様が、表情を曇らせて伺ってくる。




「――私は、グレンに助けてもらってばかりだな、と。」

思えば、出会ってから常に私に寄添い、手を差し伸べてくれたのはグレンだった。

度々投げかけられる小言も、私を想っての事。それは理解している。



“常夜の森”で闇に飲まれそうになった時、我に返ることが出来たのも…
“封じられた故郷”から、帰って来れたのも…
“オズボーン国”から帰って来られたのも…

いつだってグレンの存在が、私を私として引き戻す。




「グレンが聞いたら、喜ぶと思いますので、次に顔を合わせる事があれば、直接言葉を掛けてあげてください。」
「はい。――“巻き込まれる前に自衛しろ”くらいは、言い返されそうですけれど…」
「…違いない。」

テオ様と視線を交わし、お互いに苦笑を漏らす。




「――そう言えば…。グレンって、どういう経緯で魔術師団ここに所属しているのですか?」
「――え?それは…どういう…」
「あ、いえ、別に、その…。決して、グレンの個人情報を聞きだそうということでは無くて…その…」


話題を変えると、途端に焦り出すテオ様に、いらぬ誤解を抱かせてしまわないよう、慌てて説明する。




「少し前に、グレンをバイアーノ領に引き抜こうかと話をしたのですけど…その、…渋られて、しまって…。だから、なにか、大切な想いがあるのだろうな、と……。」

直属の上司に、“貴方の部下に引き抜きを掛けました”なんて、普通なら禁句だろうが……。
――結局、断られたも同然なので、問題は無いだろう。

むしろ、好感度としては上がるに違いない。




「――フリア様が、グレンを、バイアーノ領へ……?」
「あ、別に、決定事項ということではなくて!――その…。私がバイアーノ領に戻るとき、一緒に来ないか、と…誘ったのですが…」




――彼が隣に居てくれたら、とても、楽しそうだと、思ったから。





「――フリア様は、……グレンを、お望みで…?」

いつになく真剣な眼差しと、口調で投げられた言葉に、鼓動が跳ねる。




「そ、そのっ……、無理に、ということでは、無いのです…。――ただ、彼と居ると、退屈はしないだろうな、と…。」

我ながら、言い訳めいた台詞である。





「――もし、彼が…。グレンが、王宮ここから出ることが出来ないとしたら…――フリア様は、ここに留まって頂けますか?」
「―――課せられた使命が、果たせる限りで。ですが…。」




――魔獣を滅する。


その、役目さえ果たせるのであれば、私は…。




そこまで考えて、ふ、と笑みを溢す。





「―――フリア様?」
「――なんでも、無いのです。――ただ、肩の荷が一つ、降りたような気がしていて…。つい、要らぬ事を思ってしまうようになったものだ、と…。」





――バイアーノの血を残す。




私一人に課せられた使命だと思っていたものが、そうでは無かったと思い出したのはつい先日のことだ。





――ガロンが居る限り、大丈夫。



ついつい、そう、思ってしまう。


バイアーノ公爵を背負うのは、私である事に変わりなど無いが、バイアーノの血を残すという点においては、随分と肩の荷が下りた気がするのだ。






「では、私は屋敷に帰りますね。」

屋敷まで付き添ってくれるという、テオ様の申し出を丁寧に断って、魔術師団の詰め所の前で別れる。



周囲に広がる景色を眺めながら、己の屋敷へと歩いて帰る。


なんとなく予想はしていたが、魔術師団の詰め所は王宮にほど近い場所に設置されているようで、白亜の宮が間近にそびえ立っている。



遠目ではあるが、他の妃候補の屋敷と思われる建物も数多く見受けられる。




ジェラルド様の話によれば、後宮の殆どの屋敷は王宮の近くに構えられているらしい。


――まぁ、警備の面で考えると、ひとまとめにしていた方が効率的だものね。




そもそも、私が住んでいる屋敷は、元は魔術師団の詰め所があった場所なのだとか。



なんでも、王宮を守る結界を維持するために、敷地内にいくつか要となる場所が必要で、あの場所はその要の一つだったそうだ。

しかし、今の王太子殿下がお生まれになったときに、その要となる場所が必要なくなったらしく、敷地を有効利用するために十番目の後宮が建設されたのだそう。



現在は魔術師団の詰め所は一カ所に集約され、所属する全ての魔術師の魔力によって、結界を維持する形へと落ち着いたらしい。




――それにしても、結界を維持するための要の地点が不要になるなんて、どういう仕組みなのだろうか…。




――とりあえず、王太子殿下凄い、とでも思っておくべきか。


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